047 答えは愛だ
五メートルはありそうな巨体。頭部の左右から猛牛のように生えた黒い角。全身が硬い筋肉で覆われ、手も足も丸太みたいである。吊り上がった目は異様に鋭く、赤目の輝きは邪悪なルビーを連想させる。それはかつての魔王よりもずっと禍々しい存在だった。
「クックック。これで完全復活だ。祝いにお主らも喰らってやろう」
開かれた口は左右に裂け、唾液を滴らせるヴァンパイアのような太い牙が不気味にヌラつく。全身を棘のような体毛で包まれた外見は、まさに魔神だ。
「因子を失ったそこの娘は、もはや我の力を使えぬ。戦力にはならぬぞ」
今すぐ炎でも噴きそうな雰囲気を巻き散らしながら、悠然と魔神が敬の前に立つ。
怖くて膝が震えているが、隣から支えてくれるレリアの体温で逃げるのを踏み止まる。
(ここで背中を見せたら、意味がない。怖かろうが、戦うしかないんだ。それに俺は一人じゃない。レリアも……そして、ルーファもいる!)
戦う意思が漲る。いつの間にか足の震えは止まっていた。
屈せぬ心を瞳に宿し、力強く敬は魔神を見上げる。
「確かに魔神らしい威圧感だよ。ただ、そんな芸当ができるんなら、どうしてもっと早くやらなかったんだ? ルーファの肉体にこだわる必要はなかっただろ」
「いかにも。単に我はお主らが苦しむ顔を見たかっただけよ」
悪の親玉らしい物言いに、普段は誰彼構わずに優しいレリアも不愉快そうに唇を噛む。
「どうして人間をそこまで敵視するのですか!」
「面白いことを聞くな、人間よ。女神の因子を植え込まれたのであれば、理解していよう。魔物とは人間の悪意が形を変えた存在に過ぎん。ならば悪意を持って、他者に害をなそうとするのは当然ではないか」
嘲笑に次ぐ嘲笑。慈愛など欠片も宿していない魔神が、レリアと舌戦を繰り広げている間に、敬はルーファを招き寄せた。
右手からは聖なる力。左手からは闇の力が流れ込んでくる。
「果たしてそうかな」
属性の異なる力を体内で練り上げながら、挑むように敬は言った。
困惑と侮蔑を持って、真上から魔神が敬を見下ろす。
「我の言葉が偽りとでも?」
「人間への悪意は本当だろ。俺が違うと言いたいのは、苦しむ顔を見たかったってとこさ」
左右からそれぞれレリアとルーファが、どういうことだと敬を見てくる。
「苦しむ顔が見たいなら、力を手に入れてからでも遅くはない。それに俺の目の前でルーファを殺せば、もっと悲惨な結末が見れただろうさ。なのにそれをしなかった。あくまで実体化しようとはせず、ルーファの体を乗っ取るのにこだわったのは、そっちの方が強いからだろ」
眉のない魔神が、ピクリと片目を上げた。
「ほう?」
「強さを求めるってのは、お前自身の言葉だぜ。実体化すればより強くなれるんなら、こだわらない方が変じゃねえか。なのにギリギリまで実行しなかった理由は一つ。逆に弱くなるからだ。考えてみれば、保険のためにガントレットへ付与させた因子だ。元々の魔王の実力をそのまんま使えるはずがないんだよ」
敬の言葉に納得し、ルーファが目を細める。
「なるほど。つまり先ほどまでは、あたしの中の魔力を使っていたということか」
「恐らくな。そう考えれば辻褄が合う。ガントレットに与えた因子の力で吸い取った自分――魔王の力は俺との戦闘でほとんど失われていた。そして堕神となったイシュルの力も大半は奪えたが、因子は死守されてしまった。元々が博打じみた策だったとはいえ、こうしてみると結構裏目に出てるよな」
「クックック。女神から力を与えられて、調子に乗っていただけの頃より、ずいぶんとマシな戦士になったみたいだな」
魔神の嘲りを、余裕の態度で敬は受け流す。
「おかげ様で仲間に恵まれてな。常に一人のお前とは大違いだろ」
「愚かな。突き詰めればあらゆる生物は孤独よ。ゆえに最強を目指すのだ。いかなる存在にも、己を奪わせぬ為にな」
明確な回答でなくとも、魔神の台詞は敬の指摘が正しいのを認めているようなものだった。
「悪意で誕生したからこそ、誰も信じられないってか。それはそれでかわいそうだが、今更同情するわけにもいかねえな」
「油断してくれるのなら、遠慮せずにするがいい。お主らを喰らいやすくなるからな。そして我は最強の存在となるのだ!」
猛り狂うような笑い声を地底城に響かせる魔神に、見上げるルーファが軽く頭を抱える。
「嫌になるな。まるで少し前の自分を見せられてるようだ。貴様の気持ちがほんの少しだけわかったぞ」
フンと鼻を鳴らす半魔の少女に、もう自暴自棄じみた破壊願望は見られない。敬の隣で、誕生した最後の敵を倒す意欲を高めているのがわかる。
空気さえ砕けそうな緊迫が、チリチリと目の奥をヒリつかせる。知らず知らずに肌を侵食する汗が気持ち悪い。
それでも不思議と恐怖はない。左右の女性が気持ちを一つにして、敬を支えてくれているおかげだった。
「勇者になる、か」
ポツリと敬は呟いた。
「力があればなれると思ったけど、違うんだな。勇者ってのは自分でなるもんじゃない。周りがならせてくれるもんだったんだ」
唐突に辿り着いた真理を告げた口で、敬は聖と邪を司る二人の乙女におねだりをする。
「俺に力をくれ。魔神を倒し、世の中を平和にするための勇者の力を」
「はい。私のすべてをケイ様に捧げます」
「フン。本当はごめんだが、貴様が望むから仕方なくだ。誤解するなよ!」
正反対なくらい異なる態度ではあるが、少女たちのとった行動はまったく同じだった。
爪先で立ち、敬に顔を近づけて瞼を閉じる。
口唇に伝わるのは言葉よりも熱くて饒舌な感情。
流れ込むのは狂おしいほどの慕情。
肉体を満たすのはすべてを包み込む優しさ。
「我はゲーダ! すべてを喰らう魔神ぞ!」
「俺は佐伯敬。情けなくて頼りなくて、一人じゃ何もできない勇者だ!」
堂々と宣言すれば、格好悪ささえ自慢できるような気がしてくる。左右から伝わるクスリとした声が程よく耳に馴染む。
全身に力を漲らせた魔神が突き出した両手に、巨大な闇の球体を作る。周囲には暗雲を切り裂く雷鳴のような光が、無数に纏わりついていた。
「我の全力をもちて、一撃で決めてくれる。勇者よ! 死に絶えるがよい!」
唸りを上げて迫るは、魔神の力と誇りで作られた闇球。
迎え撃つ敬には焦りも不安もない。自らを情けない勇者と認めたからこそ、周りの力を素直に受け入れられる。そしてそれは敬の中にある器をすべて満たしてくれた。
「光も闇もある世界で、あらゆる生物は不平等さに悩む。きっとそれが生きるってことなんだろう。悪いが俺はまだ死ねない。大切な人たちとこの世界で生きる為にな」
二人の少女の肩を抱く腕に力を入れ、敬は散歩でもするような気軽さで告げる。
「消せない悪意を抱いて眠れ、魔神」
噴き上げるように白と黒のオーラが高い天井にまで到達する。溜まった力を丸ごと解放した敬は、悪戯っぽくルーファとレリアに聞く。
「聖なる力と魔の力。混ぜ合わせたら、どんな力になると思う?」
「フン。色であれば、白と黒で単純に灰色となるが……貴様のことだ。どうせろくでもない解答に決まっている」
すぐ近くに顔を寄せているルーファが、可愛らしい唇で紡いだ。
もう片方の肩にはレリアの顎が乗っている。耳朶へ吐息を吹きかけるように彼女は囁く。
「ケイ様、教えてくださいますか?」
「答えは愛だ。どんな隔たりも愛があれば埋められるってな!」
羞恥すら掻き消す昂揚が、白と黒のオーラを合体させて桃色の風に変わる。
地底城を丸ごと包み込むように広がり、宝石でも散りばめられているかのごとく煌めく。
世界全体を抱き締めたがる桃色のカーテンは美しく、誰もが瞳を奪われる。すべてを喰らおうとしていた魔神でさえも。
「我は……消滅……するのか……」
くるまれた闇の球体は、従っていた光もろともすでに掻き消えている。防ぎようのない桃色の輝きに悪意を浄化されながら、魔神はどこか遠い目をする。
「今度は悪意があっても、それを上回る愛のある世界に生まれてこい」
「……クックック。魔神の我に戯言を吐きおる。だが、それもよいかもしれぬな」
笑みというにはあまりにも歪んでいたが、ほんの少しだけ嬉しそうに声を弾ませた魔神が顔だけとなり、最後に桃色の光の奔流に呑み込まれた。
目に見える脅威が去ったあとも、しばらく敬たちはそのまま立ち尽くしていた。




