039 少しは悪意も減るかな
港町レックスに続いて鉱山街ガージも魔物から救出されていた頃、エスファーラ大陸の中心に位置するドラハム王国もかつてない脅威に見舞われてた。
大陸における人類の最大戦力を抱える場所でもある。しかしながら、以前に王都へ侵入した魔物の対応を女聖騎士一人に任せたことからもわかる通り、騎士たちの士気は低かった。
他の町とは違い、城壁もあるドラハムでは、危機に瀕するだけの襲撃を受けたことが一度もなかった。訓練にはない実戦の緊迫感に大勢の兵士は本来の実力を発揮できず、一人また一人と傷ついていく仲間にショックを受けて戦闘意欲を失わせる。
青白い顔で爪を噛む国王が檄を飛ばしても、他の町より多く行進する魔物の数を劇的に減らすことはできなかった。王族や貴族は財産を持って堅牢な城に逃げ、優秀な聖騎士に周りを警護させる。王都の防衛に当たらせるのは、平民出身の兵士や騎士だけだった。
日頃から多額の税金を取りながら、いざという時には助けない。魔物に怯えて逃げる国民の怒りは城に向けられ、膨大な悪意がさらなる屈強な魔物を黒雲から降らせる。
鬼にも似た一つ目の巨大な異形が、小さな人間を踏み潰さんと足を上げる。不安と恐怖で腰を抜かす人間も多い中、一組の夫婦が懸命に走り回っていた。
「早く逃げてください。教会なら比較的安全ですから」
かつては貴族でありながらも、爵位も財産も奪われた男だ。困っていると言われれば、それを信じ、可能な限り助けてきた。親しかったはずの貴族からは間抜け呼ばわりされ、その日に食べるものにも困るようになった。唯一の救いは、愛する娘がそのような環境でも真っ直ぐに育ち、聖騎士として日々頑張っていることだった。
「あなた。あの子は……レリアは無事でしょうか」
「もちろんだとも。さあ、君も早く逃げるんだ」
「あなたは一緒に来てくれないのですか?」
「……ここで少しでも魔物を食い止める者が必要だろう。なあに、私だって端くれではあったが元貴族だ。多少の剣の心得はあるんだよ」
妻の額に軽く口づけて、男は駆ける。魔物の足音はもうすぐそこまで迫っていた。
「……!? どうして……」
男が愕然としたのは、スカートの裾を破った妻がすぐ後ろを追いかけてきたからだ。
「私はあなたの妻です。どこまでも……地獄までだってお供しますわ」
「……ありがとう。二人で愛する娘を空から見守ろう」
前方から黒い大波のごとく押し寄せてくる魔物の軍勢。住民を逃がすために時間を稼ごうとした勇敢な二人が今、無情にも呑み込まれる――
――瞬間に光が瞬いた。水平に走る閃光は、雷のごとく黒く染まった敵の群れを打ち払う。
「お父様! お母様!」
愛する両親の無事を涙声で喜んだのは、レリアだった。
※
窮地ではあっても感動的な親と子の対面に、敬の目頭も熱くなる。だが悠長に涙を流している暇はない。多少は撃退したとはいえ、王都を襲う魔物は数えるのも嫌になるくらいに残っているのだ。
「レリア! 無事だったのか」
「お父様とお母様の娘ですもの。そう簡単に負けたりしません」
言い切ったあとで、レリアは静かに頭を下げる。
「それよりお礼を言わせてください。お二人の教えを受けたからこそ、私は心から信じられる勇者様と出会うことができました。本当にありがとうございます」
「そうか……そうか……! 勇者様! レリアを……可愛い娘をよろしくお願いします!」
「任せてください。さあ、お二人も速く逃げてください。あとは俺とレリアで何とかします」
手を繋いだまま光の翼を羽ばたかせる。薄暗い王都へ祝福をもたらすように、輝く羽がひらりひらりと舞い落ちる。
寄り添う女聖騎士の体温を感じる。溶け合うような一体感がえも言われぬ昂揚を生む。
踊るように宙を泳ぐ光の羽が増す。闇に昼が重なるようなグラデーションはとかく幻想的で、見る者の心を奪う。
中心にいるのはこの地ドラハムから勇者として、魔王討伐の旅に送り出された男と女聖騎士。教会から顔を出していた子供の一人が歓喜を叫び、項垂れていた兵士たちも頭上を仰ぎ見た。
それは奇跡か幻か。闇を突き放すかのごとく走った白光が、吹雪みたいに吹き荒れる。
僅か数瞬の間に、げにも恐ろしき魔物の大群は、悲鳴を残してあっさりと消え去った。
「奇跡だ……」
誰かが呟き、人々が立ち上がる。それは港町や鉱山街でも見られた光景だった。
「皆、よく聞いてくれ」
魔物の脅威が一時的にとはいえ、去った王都で敬は叫ぶ。
「魔物は悪意によって生まれる!」
さらに高く飛んだ敬が見据えたのは、王城のバルコニーから窺うようにこちらを見ている王族や貴族だった。
「王が王たる、貴族が貴族たる、民が民たる役目を果たし、互いに協力し合うことがもっとも近い平和への道筋になる。俺が破壊神を倒すから、皆には一つになってほしい。身分など関係ない。ここで踏ん張らないと、人間は滅びるかもしれないんだ!」
最初に肩を落としたのはドラハムの国王だった。敬の言葉が真に胸へ突き刺さったかは不明だが、ほんの少しでも何らかの影響を与えたようには見えた。
「なんとか改心してくれれば、少しは悪意も減るかな」
「大丈夫です。信じましょう、人間を」
「そうだな」
隣にいるレリアに笑いかけ、大地へと降りる。魔物の姿が見えなくなったことで、各家から住民が飛び出してくる。先頭にいるのはレリアの両親だった。
「ありがとうございました、勇者様」
「無事でよかったです」
普通に会話をしているだけなのだが、レリアの父親というだけで変に緊張してしまう。考えてみれば、つい先ほど娘を頼むという、半ば結婚を後押しするような台詞も言われたばかりだ。
「ケイ様? なんだか顔が赤いです」
レリアが小首を傾げた。
「な、何でもない。それより、エスファーラの各地を回ったけど、ル――いや、あいつはいなかったな。てっきりどこかの街にいるかと思ったんだが」
そこまで言って、敬はハッとする。最近になって、この世界には新たな街がもう一つ増えていた事実を。




