025 濃厚な肉体的接触が必要になるな
「嫌よ嫌よも好きのうちって言葉があるけど、まさしくそれだな。遠慮しなくていいんだ。お前もレリアみたいに、俺のことを好きだと言っていいんだぞ」
「ぐ、ぐぐ……ふざけるな! 堕神となった女神を倒すには、貴様の協力もあった方が幾らかはマシになると考えただけだ! おい、その不愉快な顔をやめろ!」
「まいったな。もう何を言われても、好き好き愛してるとしか聞こえないぞ」
「貴様ァ! そんな役立たずの耳は即刻斬り落としてくれる」
「ふはは! 悪いがお前に触っていれば俺は無敵――とまではいかなくても、なかなかの実力者に早変わりだ。これで勇者復活だな!」
ギャーギャーと騒がしくしている間に、街に救援を呼びに行っていた兄妹が数名の武装した兵士を連れて戻ってきた。
「あれ? あの魔物は?」
辺りを見回しながら聞いてきたポールに、敬は得意げに親指を立てた。
「言ったろ。俺は勇者だ。あの程度の魔物くらい楽勝だぜ」
「ほう。失禁しかけながら死にたくないと逃げ回って、ズタボロにされた男の台詞とは思えんな。そもそも、あたしの魔力がなければ傷の回復すらできていなかっただろうが」
「あ、あれは――って、そういや、いつの間にか傷が治ってるな」
「……今頃気づいたのか。やはり貴様はとんでもない阿呆のようだな」
だいぶ慣れたルーファの罵倒を聞き流しつつ、腕や足の感覚を確かめる。巨大熊の一撃で全身が打撲したみたいになっていたのに、ほとんど全快状態だった。
「魔力って凄いんだな」
「魔物が自然に回復するのは魔力のおかげでもある。もっとも貴様ほどに強力ではないし、死ぬほどのダメージを受ければ何の役にも立たないだろうがな。それにしても……いや、元々女神の力の大半をその身に宿せたほどの器だ。反則じみた大きさでも不思議はないか」
「それって、もしかしなくてもチートか!?」
喜色満面の敬に、ルーファが訝しげな視線を向ける。
「どういう意味かはわからんが、魔王を倒した時みたいには簡単にいかんぞ。いかに器が大きくとも、源はあたしの魔力だ。無尽蔵に女神の力を使えていた時とは違う」
冷や水をぶっかけられた感は多少あるものの、膝を抱えているしかなかった時と比べれば雲泥の差である。
「ということは、強敵に遭遇した場合はよりルーファの力を借りられるように、濃厚な肉体的接触が必要になるな」
「いやらしい目であたしを見るな! 貴様に手を貸してやるだけでもありがたいと思え!」
鋭くした目つきに殺気を乗せるルーファの隣で、レリアがシュンとする。
「私にルーファ様みたいな力があれば、いくらでもケイ様にお貸しできるのですが」
「気にしないでくれ。レリアにはこれまでも随分と助けられて――」
慰めようとした敬の視界に、ぷるんと柔らかそうな桃色の唇が移る。紅を塗っていないのに艶やかで、触れたら溶けそうな質感が艶めかしい。唇を重ねる瞬間が勝手に脳内再生され、知らないうちに敬は唾を飲み込んでいた。
「ケイ様? どうかなさったのでしょうか」
「大方、貴様との濃厚な肉体的接触を妄想しているのだろう。とんだ下品な勇者だな」
「濃厚な肉体的接触……そ、それは……で、ですが、ケイ様のお役に立てるのであれば、私は喜んで従います」
羞恥に頬を赤らめながらの台詞が決定打となる。ものの見事に鼻血を垂らし、敬は後ろ向きにひっくり返る。
「い、異世界に春が来た……」
「想像だけでそこまでなるとは、貴様も大概だな」
ため息をつくルーファ。
ほんの少しだけ申し訳なさそうにするレリア。
蛙みたいに手足を広げている敬。
三人をそれぞれ見ていた兄妹が、楽しそうに笑い出した。
出現した魔物が退治されたと知り、兵士たちは街に戻っていくが、ポールとサハンナは売る花を摘みたいと残るみたいだった。
「勇者の兄ちゃんは、なんか変わってなさそうで安心したよ」
「それだと昔からスケベだったみたいに聞こえるんだが」
唇を尖らせる敬を見て、ポールが楽しそうに顔をくしゃくしゃにする。
「アハハ、ごめん。でも、本当に嬉しいんだ。イシュル様が降臨してから皆優しくなったけど、何かが違うんだ」
幼い少年の言葉に、しゃがんで目線を合わせたレリアが小首を傾げる。
「何が違うのですか?」
「上手く言えないけど、皆、言いたいことを我慢してるみたい。悪いことがいいとは言わないけどさ、悪戯とかも誰もしなくなったんだ。逆においらがやっても誰も怒らない。平和っていえば平和だけど、こんなんでいいのかな」
兄の率直な疑問に、妹も追従する。
「なんだか寂しい。昔に戻りたいな」
母親が存命で、兄がいて、そんな生活を思い出しているのか、サハンナの瞳に涙が滲む。
「おいらもさ。大体、魔王を倒したのは兄ちゃんじゃんか。なのに、どうしてイシュル様がえらそうにするんだろ。兄ちゃんが王様をやればいいんだよ」
「無茶言わないでくれ。俺が王様とかいう器か」
「その通りだ。こんな奴に任せたら、即刻ハーレムを作って傍若無人な振る舞いをした挙句、民に反旗を翻されて処刑されるのがおちだぞ」
遠慮のないルーファの物言いに、敬は肩を落とす。
「お前は俺をどう思ってるんだ」
「今しがた言ってやった通りだ」
悪びれもしない半魔の少女をどうやって言い負かしてやろうか。そればかり考えていたせいで、幼い兄妹の異変に気付くのが遅れてしまった。
急に無言になったのを気にして、敬が二人の様子を窺う頃には、揃って瞳から輝きを失わせていたのである。
「おい……?」
恐る恐る声をかけた敬に、ポールはこれ以上ない完璧な笑顔を作る。
「今日もイシュル様に感謝をして、元気に過ごさなきゃ」
「街に帰ってお祈りをしよう」
妹もまるで絵に描かれたような笑顔で、兄と手を繋ぐ。それまでの態度とは一変した行動に、さしもの敬も目を瞠る。
「これは、まさか……」
呆然とする敬の隣で、ルーファが深々と嘆息する。
「悪意を持とうとしたから、堕神イシュルが機先を制したのだろう」
にこにこしてはいても、あまり会話もせずに街へ戻っていく兄妹を遠目に眺め、敬は強く拳を握る。
「ケイ様……」
怒りを察したレリアが心配そうにする中、はっきりと敬は告げる。
「悪意がいいって言わないけどさ、色々な感情があってこその人間じゃないか。やっぱり、誰かに心を操作されるなんて違うと思うんだよ」
「ならばどうする」
興味深そうにルーファが問うた。
「堕神イシュルに会いに行こう。俺の記憶が確かなら、古の大陸にあるらしい天空城に住んでるはずなんだ」
真っ先にわかりましたと返事をしたのはレリアだった。
「この前は愚かな選択をしてしまいましたが、次は迷いません。自らの意思でケイ様に従い、堕神となった女神イシュルとも対峙してみせます」
力強い宣言を頼もしく思っていると、今度は敬の耳にルーファの低い声が飛び込んできた。
「古の大陸か。それならば鉱山街から船で行くのがよいかもしれんな」
鉱山街はエスファーラ大陸の北東に位置し、古の大陸はそこから海を越えて南東に進んだ場所にある。
軽く頷いて、敬はルーファを見た。
「簡単に納得しそうになったけど、ルーファもついてきてくれるのか?」
「……貴様はとことんまで阿呆だな。道中で何者かと戦闘になった場合、魔力の供給源たるあたし抜きでどうするつもりだったのだ」
言われてようやく思い出す。器はあっても魔力のない敬は、半魔である少女がいなければ魔法じみた特殊能力は自由に扱えなかった。
「そうだった。ルーファにはどうしても一緒に来てもらわなきゃいけないんだった。あとは効率的に力を使えるようにする為の練習が必要だな。自然で円滑な肉体的接触を可能にするべく、今後は一緒に寝たり、水浴びをしたりする方がいいと思うんだがどうだろう」
「却下に決まっているだろうが、この変態阿呆勇者が!」
声の限りに怒鳴られ、頭をはたかれる敬を見てレリアが笑う。
「ケイ様とルーファ様は、ますます仲が良くなったのですね。羨ましいです。私も混ぜていただきたいです」
「なら遠慮しないでくれ。三人で古の大陸を目指そう。そして野営する時は俺を中心にイチャイチャしながら――」
「――するか! いい加減に不愉快な願望を垂れ流すのはやめろ!」
またしてもルーファに怒られるも、敬は高々と笑い声を木霊させる。それは異世界に来る前も含めて、どれくらいぶりかもわからない心の底からの笑いだった。




