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001 俺は死んだんですか?

 まだ暑さの残る初秋の交差点。高校にも行かず、夜通し自室でゲームをしていた佐伯敬は、途中で尽きたおやつを調達しようとコンビニへ向かっていた。


 不意に足が止まる。


 前方で青色に光る人型のマーク。踏み荒らされて、ところどころ色が剥げている横断歩道。通行人がガヤガヤと歩く中、不意に風が吹きつけた。


 時間の流れから取り残されたように、すべての動きがスローモーションになる。


 鋭く睨みつけるようなトラックのヘッドライトが、十六歳になったばかりの敬の目に映る。


 空気を切り裂く甲高いブレーキ音が鼓膜に張りつく。双眸が大きくなるのに合わせて、トラックが迫る。発すべき言葉を見つけられないままに、開きっぱなしの唇が渇いていく。


 目尻に涙が滲む。手足が震える。けれど身体は動かない。ただひたすらに唸るトラックを見つめ、そして――


 ――敬の身体は高々と宙を舞った。



     ※


「うわあァァァ!」


 悲鳴とともに跳ね起きた敬は、咳き込むほどに荒い呼吸を繰り返し、動悸に苦しむ胸へ酸素を送る。


 瞬きを忘れた両の瞳で掌を見つめる。意識が暗闇に閉ざされる直前、全身を襲った衝撃が唐突に思い出された。


「うぐうっ、うっ、ぐええ」


 生々しい死がちらつき、たまらず敬は嘔吐した。涙がボタボタと零れ、啜る余裕もない鼻水も床に落ちる。


「はあっ、はあっ、も、もしかして……夢、だったのか……?」


 苦しげに呻いた敬だったが、吐瀉物をぶちまけたばかりの床を見て、自身の考えを否定することになる。


「おいおい、嘘だろ」


 手の甲で涙の痕を拭いながら、何度も目を瞬かせる。


 ぶちまけてしまった胃袋の中身が、まるで消しゴムにかけられているかのように、端から徐々に消えていく。


 あまりにも常識外な光景は数秒で終わる。残されたのは大理石のように煌めく青いタイル。明らかに高級品で、築年数がそれなりに経過した二階建ての佐伯家では到底お目にかかれない逸品だ。


 着ている服も事故前と同じ、黒のTシャツと灰色のストレッチジーンズだ。とてもベッドで眠るような服装ではない。


 床以外も同様の素材で構築されており、調度品などは見当たらない。例えるなら、ただっぴろいドーム球場だ。そのど真ん中に、一人で放り込まれたに等しい状況だった。


 改めて浮かんだ疑問を、敬は我知らずに零す。


「ここは……どこだ」


「ここは天空城。雲より高く空に舞う、わたくしの居城です」


 突如として聞こえたのは、鈴を転がすような凛とした声。自然に耳に馴染み、安心感を与える声色に敵意の欠片すら芽生えない。


 驚きながらもゆっくりと声のした方を向く。立っていたのは長身の女だ。百七十二センチの敬よりも頭一つ大きい。もしかしたら二メートルに達しているのではと思うほどだ。


 安心させるように僅かに傾けた女の顔は、この世のものとは思えない壮絶な美貌に彩られている。目も鼻も口も、すべてが理想的な形をしており、言うなれば完璧に設計された精緻な高級アンティークを連想させた。


 肩から背中に流れている金色の髪はサラサラと脹脛まで届き、神々しさすら漂わせる。無地ながら神秘的な光沢を放つ、純白のワンピースも同様の印象を敬に与えた。


 美の化身。それが女性に対して覚えた敬の第一印象だった。


「突然の出来事で驚いておいででしょうが、少しは落ち着かれましたか」


 穏やかな水面でも歩くように、足音なく女が近づく。豊かな双丘がワンピースから覗けているが、不思議と淫靡さは感じなかった。


「あ、あなたは……?」


 敬の疑問に対し、微笑んだ女は淀みなく答える。


「わたくしは女神イシュルです」


「女神……」


 本来なら一笑に付してもおかしくない自己紹介だったが、その言葉はストンと敬の胸に落ちた。目の前の女性はすべてが整いすぎているのだ。


 相手が本当に女神であれば、当然のごとくある種の疑問が浮かぶ。


「じゃあ、ここはあの世ってことですか? 俺は死んだんですか?」


 トラックに轢かれるシーンを覚えているだけに、矢継ぎ早に質問をする。


 女神は敬へ、改めて落ち着くように告げる。その上で慈しみに満ちた目を向けた。


「残念ながら、あなたが元の世界で死んだというのはその通りです。もう一つのあの世かどうかという質問については、ここが神々の住む世界かという意図であれば違います」


 死んだという事実は、とてつもない衝撃をもって敬を襲った。あれで人生が終わりというのはあんまりだが、敬の意識は今もしっかりしている。落ち着きを求めて深呼吸を繰り返し、なんとか息を整える。


 女神の言葉を整理すると、敬は死んだがここはあの世ではないらしい。そうなれば聞くべきことは一つだ。そしてその答えは事前に貰っていた。目の前に姿を現す際に、女神イシュルはこの場を天空城だと言ったのだ。


「すいません……いまいち、状況を理解できないんですけど」


 困惑顔の敬に対し、女神は穏やかに微笑む。


「混乱するのも当然です。単刀直入に申し上げれば、あなたが地球で生命活動を終えた直後に、こちらの世界にお越しいただいたのです」


 一度言葉を切った女神は、敬が取り乱していないかを確認して説明を続ける。


「人は生まれながらに寿命が決まっています。ですがあなたはその輪から外れてしまったのです。本来ならありえない事象であり、魂は行く先を見つけられずに彷徨うことになります。そこで独断ではありましたが、わたくしが創造した世界へお招きさせていただいたのです」


「創造した世界?」


「はい。一神につき、一つの世界を創造して見守ります。あなたが過ごしていた地球にも創造神がいたのです。そこで神は生物を誕生させ、世界の行く末を見守ります。ですがあくまでも見守るだけで、積極的な介入は許されません。いつでも神の力に頼れるとなれば、あらゆる生物の進化を阻害する可能性がある為です。神にも法があり、破れば罰が与えられます」


 神話みたいな説明を女神に聞かされ、優秀ではない敬の頭がこんがらがる。


「ええと……それで俺――いや、僕はどうなるんですか?」


「先ほどの説明が、答えの一部となります」


 そう言うと女神イシュルは、申し訳なさそうに視線を落とした。

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