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スティングレイ

 1


 吹風紅葉(ふきかぜもみじ)は県立美術館へと逃れてきていた。この女は三年生。身長は百五三の細身。コロッとした輪郭に大きな瞳を持ち、黒髪を顎のラインで切り揃えていた。先ほど、城麻実の指示を受けて零華を偵察に行ったばかりである。それがばれたので、逃げてきていた。まずは無駄な戦いを避けることが先決。

 ガラス張りの美術館内部の柱の影から外を窺った。すると、下を壁沿いに通過してゆく小柄な三つの人影を発見。それらを見送ったあとに、建物を出て、念の為に広場に設けてある雑木林へと移動して、学生寮へそのまま帰ろうかとしていた矢先に足を止めてしまう。紅葉の前方に、あの小柄な三つの人影が立ちふさがっていたからだ。

 真ん中の影が(しゃが)れた声をかけてくる。

「ぃよお、紅葉。忍者ゴッコかー?」

 女は英令子(えいれいこ)という。紅葉のクラスメート。身長は百五五。ギョロッとした大きな瞳の下には、薄い隈が見受けられる。髪の毛を、肩で切り揃えたシャギー。

 令子の両側に立っているうちひとりの生徒は、萬田玲那(まんたれいな)。二年生で、令子の通う空手道場の後輩。多少、日本人離れした顔立ち。ショートシャギーをリーゼントで整えていた。身長は、百六〇。

 そして残りひとりの生徒は、菅手里奈(すがてりな)。二年生。鮫の目ようにつぶらなを持つので、表情はよく分からない。腰まである髪の毛を、襟足で括っていた。身長は令子と同じ。


 無言でいる紅葉へと、令子は構うことなく喋りを続けてゆく。

「ウチらをまいてやったつもりばってんが、残念やったね」

「……」

「で。お前に誰が指示した?」

「……」

「そーかよ。云えません、ってか」

 次の瞬間。

 紅葉はバック転を繰り返してゆくと、雑木林の中にある一本の樹木に背を向けて片膝を突いたのちに、垂直に跳躍してしがみついた。次は幹を蹴って足を振り上げて枝の中に下半身を隠し、そして最後は上体を跳ね上げて生い茂る枝へと完全に姿を消してしまったのだ。

 唐突に起こった光景に、動きを止めていた三人。慌てて我に返った令子が「バカヤロ! 探せさ!」と、腕を横に振って後輩二人に指示を出す。そこへ駆け寄った二人は、その樹木を中心にして周りの木にも目を配ってゆく。けっきょく見つけられなかったのか、玲那が諦めて里奈の方へに向き合うと、鮫の目の女は口を開けて指差していた。その指した玲那の背後にある幹の影から、音もたてずに紅葉が現れてきて跳躍。里奈の指摘に気づいて振り向いた時はすでに遅く、紅葉が宙で放ったドロップキックを顔面に喰らってしまい、玲那は後ろの女ごと樹木に叩きつけられた。着地した紅葉は、そのあとも後輩二人に容赦せずに、踵を真っ直ぐ打ち出してドテッ腹へとおみまいする。再び二人は一緒に樹木に叩きつけられて、膝から崩れ落ちた。

 令子はダッシュして、飛び蹴りを放つ。それを紅葉が足を引いて避ける。着地して、令子はすぐさま膝狙いの蹴りを繰り出した。攻撃から飛び退けたのかと思ったら、その紅葉が地を蹴って膝蹴りを打ってきたのである。とっさに腕を上げて防御。その間にも、紅葉の打ち出してくる肘が左右から飛んでくる。令子は頭のみを庇っていた。躰は、いくら打たせても構わない。

 紅葉が脚を横一線に打ち出してきたのを見た令子は、素速く身を沈めて、後ろ蹴りを相手の腹に射し込んでやった。吹き飛ばされて幹へと背中を打ちつけた紅葉は、踏ん張って立つと、再びその樹木の影に身を隠す。痛さに呻く後輩二人を立たせた令子が、周りを見渡して舌打ちをする。そして、静まり返った雑木林の中をゆっくりと探索し始めた。

 玲那(れいな)里奈(りな)もそのあとに続いて、中を探し回っている。通過していったところで、突如として落ち葉の中から紅葉が飛び出して、玲那の背後から首に腕を巻きつけた。慌てて里奈が駆け出した矢先に、枝を折ったような音を立てて、玲那がうつ伏せに倒れ込んだ。

 鮫の目の女が表情筋をたちまち“怒り”へと形成して、叫び声と共に拳を振りかぶる。

「アンタよくも!!」

 右フックをかわされた刹那、里奈の視界が黒い影で覆われた。それは、紅葉の背中から引き出された忍者刀を、鞘ごと顔面に叩きつけられたのである。そのまま踵を軸に回転して、紅葉はその武器で里奈の延髄を破壊した。そしてまた、紅葉は令子を睨みつけながら横歩きして樹木の影へと身を隠す。

「あの、チビ!」

 令子が歯を剥いて吐き捨てたその後ろから、紅葉から忍者刀で首を絞められそうになったところを、間一髪で手を入れて武器を喉から押しやる。それに対して紅葉の方は、己の方へと引き寄せる。お互いに食いしばって踏ん張っていた最中に、令子から後ろ頭を顔面に叩きつけられた。鼻を折られて穴から血を流してしまおうが、紅葉は痛さに顔をしかめつつも令子の喉を潰すまではやめない。

 令子も諦めてなるものかと頭突きを繰り返していったところ、ふと紅葉の力が弱まった。作った隙は逃さんとばかりに、今度は令子が忍者刀をしっかりと掴むと、大きく踏み出して勢いつけて躰を折り曲げていく。そして、紅葉は雑木林から芝生の広場へと吐き出されてしまった。受け身を取って転がり、片膝を突く。

 令子が後輩二人を引き連れて広場へと出てきて、紅葉の前に並んだ。確か、私が玲那と里奈の首を折って脊髄を破壊したはずだと、それを見て怪訝な顔をしていた紅葉に、薄笑いをした令子が嗄れた声で話していく。

「残念やったなー。零華さんから受けた“力”でな、ウチら簡単にはくたばらんようになっとるんよ」

 次に、両手を下に広げたのちに、令子は更に言葉を繋げてきた。両脇に立つ玲那と里奈も、同様の立ち姿をとる。

「お前に今からそん“力”ば見してやる。……そしてこの広場はウチらのホームグラウンドじゃ」

 令子が最後にそう自慢げに呟いたのちに、三人は意識を集中し始めた。

 腕と脚を皮膜が張り出していって繋げていく。背中から三角形をした肉が盛り上がってきて、令子たちの後ろ頭を飲み込んで癒着した。その姿はまるで、長崎の凧の『ハタ』に人が張り付いたかのようなものである。そして、もうひとつ。


 エイを連想させた。



 2


 歯を剥いて薄笑いをしている令子へと、紅葉が間合いを詰めてゆく。

 そして、間合いに入った瞬間に令子たちはノーモーションで垂直に浮き上がった。急停止して見上げる紅葉のその先には、宙にとどまっている令子たち。紅葉は仰いだまま腰を限界まで落としていき、令子を狙ってバネの如く跳ねた。すると、その女の股下から黒く細い物が飛び出してきて、紅葉の背中に赤い筋を縦に長く刻んだ。

(あつ)っ!!」

 一直線に走ってゆく焼けるような痛みに、紅葉が歯を食いしばって堪えたものの、勢いは断たれたせいで落下。しかし反射的に頭を忍者刀で庇ったお陰で、重傷は避けれた。なんとか片膝を突いて着地して、頭上の敵を睨みあげる。紅葉を見下ろしていた令子が、嬉々として言葉を吐いていく。

「痛いか? 痛いか紅葉? そりゃあー、痛いはずじゃな。なんせ、エイの尻尾には毒のあるけんね」

「酒の肴にしてやる」

「お? お前ー、今日はじめて喋ったんじゃ?」

 紅葉の発した言葉に、令子は興味をそそった。

「エイの(ひれ)は旨いぞ。令子、じぶんの鰭でも食べてみるか? 私が(さば)いてやるよ」

「チビが……。もう喋れんごとしてやる!!」

 額に青筋を浮かばせて、令子は歯軋りをする。


 宙の三人が散って、遊泳をし始めた。そして、玲那は低空飛行をして紅葉の足元を狙ってくる。それを、とんぼ返りして回避。紅葉の前を砂塵を巻き上げて通過。間を与えずに、前方から猛スピードで令子が迫ってきた。ギリギリまで引っ張って待つ紅葉。

 間一髪で跳躍。

 身を反転して着地。

 正直、一か八かだった。

 紅葉は己の鼓動を感じながら、令子の背中で踏ん張っていた。足の裏から伝わってくる肉の感触と、ぬめり。令子は急上昇を始めて、乗っている女を振り落とそうとする。角度が大きく上がったせいで、足を滑らせた紅葉はとっさに左手で令子の肩を掴んで落下を免れた。そして令子の腰を皮膜ごと脚で挟み、背中にしがみつく。何としてでも跨っている女を振り落とそうとして、令子は大きく8の字を描いてゆく。その間に、紅葉が上体を起こして鞘から本身を引き抜いた。そして、両手で逆手に柄を持ち替えて、令子の延髄に刃を突き立てたその瞬間、自身の背に走ってゆく熱い痛みを再び感じたのだ。玲那と里奈が空中で交差しながら、晒されている紅葉の背中をその尻尾で鞭打っていく。小さめな背中に幾つも刻まれてゆく、赤く走る筋。それに伴って、寒気と視界を覆ってゆく白い霧。震えも少しずつだが来たようだ。それらの攻撃に堪えながら、紅葉は食いしばって忍者刀を振り下ろした。

 ブツッ、と皮を突き破って、令子の延髄を貫いて喉から刃先が顔を出した時、傷口と女の口の奥から赤い液を噴出する。急速に令子は失速をしてゆき、降下していった。景色が疾走して混じり合い溶けていく。小刻みに息を吐いていきつつ、紅葉は突き刺していた武器を引き抜いて、飛び降りる態勢をとる。令子にしがみついている限りは、あの二人はそうそう攻撃して来ないであろうと確信していた。だいいちに、この猛スピードどうしで衝突しようものならば、お互いの肉が四散してしまうのがオチだ。


 段々と芝生が迫ってきた。

 目の前の景色は、集中線を描いてゆく。


 落下。

 滑走。

 巻上がる芝生。

 飛び散る土。


 紅葉(もみじ)は寸前で令子から離脱をして、受け身をとって転がり、忍者刀を杖がわりにして立ち上がった。その視線の先には、頭から墜落をして、土を盛り上げていた令子の姿。上から降りてきた玲那と里奈が、紅葉を睨み付ける。玲那に目線を定めた紅葉は、蹴って走り出した。次々と放たれてゆく尻尾を刀で薙払いながら、懐に入り込んだその瞬間、紅葉は銀の煌めきを真横に走らせたのだ。すると、玲那の腹はみるみる赤い線を引いてゆき、そして上体のみが天を仰ぐ。断面から血を噴き上げつつ転倒。

 刀に付着した玲那の血を振り払って、紅葉は里奈に向かっていく。走り出した矢先に、臑を鞭打たれて前のめりに倒れ込んだ。その打たれた箇所から、電気が走ってゆく。紅葉の息もあがり、意識も頼りなくなってきた。だが、紅葉はこの状態を狙っていたのである。里奈が、こちらへと歩んで来る。

 まだ遠い。

 もっと寄って来い。

 もっとだ。

 そうだ、寄って来い。

 やがて、里奈がエリア内に足を踏み入れたのを待っていた紅葉は、跳ね上がって相手の腹に刀を突き刺そうと迫った。が、寸前で止められてしまったのだ。目を見開いて驚きながら背後に首を向けてみると、そこには顔面が傷だらけの令子が立っていた。そして、紅葉の腰に巻きつけていた尻尾を振り上げる。

「ばがが! ぞう゛がんだんにじぬがよ!!!!」

 赤い飛沫を喉の奥から撒き散らしながら、天高く放り投げた紅葉へと令子が濁声(だみごえ)を吐き付けた。そして、三人は一斉に跳躍して紅葉を三角形に取り囲んだのちに、それぞれが尻尾を真っ直ぐ硬直させて標的に向けて構える。この状況を悟った紅葉が、静かに目を瞑った。

 だが、次の瞬間。

 影が三角形を斜めに切り裂いて、紅葉をさらっていったのである。

 思わぬ事態に目を丸くした三人。

 その影に目線を向けて、何者かと確認した。新たに現れた人物は、ゆっくりと身を起こしていくと、宙にいる三人を見た。令子がその人物の顔を見るなりに、驚きの声を漏らす。

「ま、松葉!」


 涼風松葉、登場。




 3


 涼風松葉(すずかぜまつば)、三年生。

 二枚目な女である。と云っても、男っぽいわけではない。百七〇を越す長身に、細くてしなやかな躰つき。細面の中に、切れ長な瞳と高い鼻梁を持つ整った造形。肩まである黒髪を七三に分けている。所属している部活は無し。

 お姫様抱っこをされていた紅葉が、松葉に見つめられるなりに頬を赤くする。そして、労られるように下ろされたあとに頭を優しく撫でられた。

「よく頑張った。紅葉」

 松葉が柔らかい笑みを向けて、声をかけた。そんな彼女を見て、紅葉は恥ずかしげにコクンと頷いて微笑む。

「あとは私が始末する。休んでいてくれ」

「うん……」

 忍者刀を引きずって歩く紅葉の背中を暫く見つめたあとに、松葉が令子たちを睨み付けてひと言吐き捨てた。

「令子、このお返しは大きいぞ」

「く……! お前が紅葉に指示したのか?」

「いいや。私は紅葉に決してそんなことはしない」

 松葉が歩みを進めてくる。

 一斉に放たれた令子たちの尻尾を、余裕を持ってかわしていく松葉。その度に、広場には無数の傷が刻まれていく。跳躍をした松葉が、女たちの位置まで達して、令子の胸元に乗っかった。

「一番の深手は、お前だな」

 ひと言呟いたのちに松葉は腕を振り下ろして、令子の顔に紐のような物を置いたと思った刹那、それは再び手元に戻っていた。すると、令子の顔を赤い線が縦に走ったと思われた直後、躰が真っ二つに割けて落下していったのである。そして、いつの間にか松葉は玲那の腹に乗っていて、例の武器を相手の顔に巻きつけていた。ソレを素速く解いて、松葉は着地する。

 玲那は、己の目に映る景色が徐々に横へと流れていくのを奇妙だと思った。やがて視界の景色は寝て、そのまま走ってゆく。それらの現象に、玲那が自身に起きたことを確信した頃は、“頭の上半分を失った躰”と一緒に芝生に叩きつけられていたのだ。令子と玲那の割けた躰から流れ出てくる物が、緑の芝生を赤く赤く染めてゆく。ここまでやった松葉の顔には、二人の返り血の一滴すらも浴びていない。

 そんな一部始終を見ていた里奈の顔は強張り、寒気を覚えて躰じゅうには脂汗を噴き出させてきた。何という女だ、何という先輩だ。何ひとつ躊躇(ためら)う色を顔に浮かばせずに、令子先輩と玲那をあっという間に葬り去ったとは。

「残るは、お前だけか」

 里奈を見て、確かめるように呟いた松葉が手を突き出して、己の武器を紹介し始めた。

「菅手。これが何だか解るか?」

「紐とは違いますね。んーー。蔦かな?」

「正解。川通りじゃ珍しくとも何ともない、柳の枝だよ」

「い……、いいんですか? 先輩……?」

 この時、里奈の口元が僅かに釣り上がる。

「敵にじぶんの武器をバラしちゃって?」

「いいんだよ、菅手。―――私を気にかけることなく、お前は終わるんだから」

 冷笑を浮かべた松葉。

 その表情が癪に障ったのか、里奈は怒りの形相となって雄叫びとともに滑空していき、尻尾を振るっいった。次々と繰り出されてゆく刃が、空間と地面を刻んでいく。それらは松葉を巻き込んで炸裂した。

 だが。

「当たらんな」

 その声を聞いた時には既に、松葉の顔が真正面にあった。里奈が攻撃を炸裂させたのちに、急上昇したのと一緒に松葉も同じ高さまで飛び上がっていたらしい。そして、松葉が瑞々しい唇を尖らかせた瞬間に針のような物が射出されて、里奈の眼と瞼下の隙間に刺さり込んだ。刹那、里奈の脳味噌と躰じゅうを太い雷が貫いて、筋肉を硬直させて弓なりになる。松葉が着地をしたのと一緒に、里奈は落下。そして、暫く小刻みな痙攣を起こして続けていたあとに、口から泡を噴いて絶命した。



 4


 植え込みの樹木の根に腰を下ろして、躰を休めていた紅葉。正直、大丈夫だとはいえない。唇も乾いてきて、汗も冷たくなってきたからだ。躰じゅうの震えは相変わらず。目の前の景色は、濃霧そのもの。吐いていく息も小刻み。悪化してゆく一方だった。

「紅葉」

 ああ……、その声は松葉。

 俯いていた顔を上げて、女の顔を見る。はっきりとは確認できないが、私の大切な人が心配してくれていることが手に取るように解った。紅葉はそのことが嬉しくて、微笑みがこぼれる。

「私が解るか?」

 ええ、もう。

 紅葉が頷いたのを確認した松葉は、その小柄な躰を大事に背負って歩き出した。




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