階段
1
八千代を取り囲むかのように、三人の女がいる。
まず、階段の折り返しに水野槌珠江。三年生。身長は百六五の線の細い女であり、肌が色白くて日本人形のようである。黒く艶やかな髪の毛は、真っ直ぐと腰まで達しており、前髪を切り揃えている。そして眼差しは、一見すると穏やかな感じを受けるものの、その実は冷たさを醸し出していたのだ。そして、先祖たちから合気道を受け継いでいる。黒ソックスの愛用者でもあった。
次は階段の半ばに、鱶涼子。零華から喰い千切られた唇は、復元していたようだ。
そして、踊場に三日月結美。身の丈は、ほぼ涼子と同じ。少し痩せているか。女の生まれも代々に渡り弓を扱ってきていたので、弓道部に所属。肩甲骨まである焦げ茶色の髪の毛を七三に分けて、襟足で括っていた。高い鼻筋と、獲物を射抜くかのような鋭い眼差しを持っている女。
「イヨォ、八千代」
涼子が片手を上げて、景気のよい声をかけてきた。
「面ぁ貸してくんね?」
三人に目を配った八千代は、涼子の方を見て答えていく。
「今からー? もうすぐで昼休み終わるんだよ」
「いいじゃねぇーか。アタシらと来いよ。決して悪いようにはしねえって」
「涼子。頼み方がなってないわよ」
折り返しの珠江から突っ込みが入ったので、振り向いて「うるせえな。構やしないさ」と、吐いたのちに再び八千代に向き合う。
「なあ、八千代。こっちに来りゃあ、最高だぜ」
「貴女たちまさか、零華から云われて来たの? 折角のお誘いだけれども、断るわ。―――これで用も済んだでしょ? お疲れ様」
「………おい」
涼子が怒りを覚えて、その肩に手を伸ばしたその時、八千代は身を沈めた。そして、スカートを捲り上げられた涼子は、思わず顔を赤らめる。
「な……!!」
視界に八千代の拳が入ってきたかと思ったら、鼻柱を折られて転倒した。その隙を突いて駆け上がってすぐに、珠江から道を塞がれてしまう。
「そこをどいて」
「八千代。殴り飛ばしておいて、そのまま帰れるとでも思って?」
薄笑いを浮かべた珠江に対して、八千代は拳を強く握りながら静かに声を搾り出してきた。
「貴女に恨みなんて無かばってんが、強引に行かせてもらうよ」
「……どうぞ、いらっしゃい」
八千代は床を蹴って、迷うことなく珠江の胸板を狙った拳を走らせた。鋭い直線を描いて迫る拳を、その手前で珠江は掌で上下に挟んで止めたのちに、下の掌を滑らせて相手の肘を持ち上げたその瞬間、八千代の躰は側転をして壁に叩きつけられたのだ。咳を切りつつも珠江を睨みつけて、八千代は再び半身に構えた。そしてまた、床を蹴って間合いを詰める。
膝を狙って足を振るう。
蹴りを流された。
胸元に肩を当てられ転倒。
跳び起きて踵を突き出した。
かわされて足払いを食らう。
身を起こすなりに反撃。
膝を突き上げた。
当て身を食らって吹き飛ぶ。
壁に打ちつけられて落下。
諦めずに起き上がった。
跳躍して足刀を放つ。
珠江が下に潜り込んできた。
脚を掬われて、躰が回転。
そして、腹を壁に強打。
そのまま落ちて、今度は床に背を叩きつけてしまう。頭はなんとか庇った。ゼェゼェと息を切らし、躰じゅうを駆け巡る痛さを堪えながら身を起こして、八千代は珠江を睨みつけて言葉を吐き出していく。
「珠江ぇーー、随分と好き勝手に投げてくれたよね……」
「いいえ、私はちょっと貴女の力にお手伝いをしただけよ」
そう。合気とは、相手が繰り出してきた力に、プラスαを付けてお返しをしているだけなのだ。
舌打ちをした八千代が壁に背を預けて階段を下りだした時に、涼子の足が飛んできて、間一髪で頭を下げてその蹴りを避ける。思わず足を止めてしまった八千代は、踊場に新たに現れた異様な身なりをした人物を見た。
その人物は全身を包帯で巻かれて、その所々が解かれて破れていた。綻んだ数々の箇所からは、色素の薄い頭髪をはみ出させており、躰じゅうは血の滲んだ跡も痛々しい。その上、酷くボロボロになった紫陽花女子高校の制服を着ていたのだ。ここの在校生らしいが、このような格好だと誰が誰だか解らない。息を切らしていくごとに「ヒューッ……、ヒューッ……」と、抜けてゆく音を聞いた。どうやら、この包帯女は喉をやられているようだ。
八千代と目を合わせた包帯女が腕を突き出した瞬間に、手の包帯を突き破って幾つもの触手が飛び出してきた。それらは瞬く間に、八千代の首と両手首と上腕とに巻き付いたのだ。そして、包帯女はその腕に左手を添えて引っ張り始めてゆく。八千代もそれに負けじと、右腕に手を添えて引いていく。
奇妙な引っ張り合いの光景が展開されてゆく。歯を食いしばって踏ん張る八千代は、別方向から何かを引く音を耳に入れてそれに気づき、そこへと目を動かしてみた。
キリ キリ キリ
するとそこには、八千代に狙いを定めて弓を引いている結美の姿だった。冗談なんかではない目つきである。その眼差しは確実に八千代を狙っており、本気でその矢で射抜くつもりだ。
その横では、涼子がゆっくりと身を起こしていく。折られた鼻を治したのちに、包帯女を見るなりに腕を組んで嬉々とした声をかけてゆく。
「おーお。アンタも来たのか。ますます楽しくなってきたぜ、なぁ!」
そして、意識を集中し始めた途端に涼子は眼を黒く反転させて、剥き出した歯は鋭く発達してゆき、背骨に添った形で三角形の物が制服を突き上げてきた。たちまち、八千代の躰じゅうからは脂汗が噴き出してくる。寒気もプラスされてきた。
―ええっ? ちょっとタンマ! 何これ、どういう状況なの?――
そこに見る連中は、既にもう八千代の知った者たちではなかった。コイツらは、いったい何者なのか。この紫陽花女子高校で何をし始めている? そう思考がグルグルとしてゆく中で、まずは、何としてでもこの状態から逃れる術を探っていく八千代。
「貴女たち」
ふと、静かだが実にハッキリとした声が飛んできた。
「直ちに神棚さんを解放なさい」
2
八千代を含めた皆が、一斉にその声の主へと視線を集める。すると、変化を始めていた涼子は意識を解いて元に戻り、結美は少し怯えた顔をして弓矢を下ろした。
そこに現れた女とは、八爪目煉。三年生。瓜の輪郭を持つ整った造形に、黒目勝ちで切れ長な瞳は輝いている。緩やかに顔の中心を走る、高い鼻梁。血管が透けて見えるのではないか、と思ってしまうくらいの白い肌。赤茶色の柔らかい髪の毛は、一本一本が細く肩甲骨まであり、それらをハーフアップにして留めたところから三つ編みを一本垂らしていた。髪留めは、蜘蛛を象った物。細身で、身の丈は百七〇近く。
そして、煉は毒島零華の恋人である。
その女が異常な光景に驚くこともなく目を配っていったのちに、包帯女へと呼びかけた。
「その手をしまいなさい」
包帯女は聞く耳持たず。
「口縄」
そう口調が変わった途端、口縄と呼ばれた包帯女が慌てて八千代の首などに巻き付けていた触手を解いて、元の手に収めた。明らかに指の数以上にあった触手らが、あっという間に元の五本指へと戻っていったのを見て、八千代は息を呑んだ。同時に、結美の下げていた弓矢が萎縮していき、それらは素早く二本と三本に別れて右手に戻った。それぞれの異変に、動きを忘れてしまっていた八千代に、煉が普段通りの優しい声をかける。
「神棚さん」
「は、はい……!」
「足止めしてしまって悪かったわ。もう大丈夫よ、教室にお戻りなさい」
「ありがとうね、八爪目」
軽い笑みを浮かべて礼を云った八千代は、足早に自身のクラスへと向かって行った。煉がその背中を眺めながら、「いいえ、こちらこそ」と薄笑いをして呟く。そして残っている面々を見て。
「貴女たちも戻っていいわ」
そう云われて、珠江たちが渋々と階段を上がっていく中で、煉は階段に足を掛けたばかりのひとりの女に並ぶと、手摺に手をかけて話しだした。
「結美」
「……はい」顔が強張る。
「次の中休みに、私のところに来なさい」
煉の放ったその声と気迫とに一瞬緊張感を示したものの、すぐにそれはなくなり、たちまち瞳を潤ませてくる。これは恐怖ではないことを一番理解していたのが結美自身と、そしてなによりも煉だった。