八千代と真也
1
神棚八千代が瞼を開けたとき、天井の梁が入ってきた。寝覚めと同時に“けだるさ”を感じたが、自分はいったいどこに居るのかを確認する為に眼を動かしてゆく。しかし、瞼が重くて躰もだるい。だが、脳は何とか情報を得ようとして活動し始めている。次々と眼球のレンズを通して、脳味噌へと状況が写し出されていく。
天井の木目。
電灯。
障子。
襖。
畳。
敷き布団。
掛け布団。
寝間着。
そして、八尋鰐真也。
「真也!?」
何もかもが吹き飛んで、完璧に目が覚めて飛び起きた。八千代よりもひと足先に起きていた真也が、目を合わせるなりに景気よい笑顔で「ぃよう、おっはようさん」と手刀をあげて挨拶をする。そういえばよく観察すれば、もうひとつ布団が敷いてあって、八千代と同じ寝間着姿の真也は障子の枠に背をあずけて胡座をかいていた。理由なんて要らない嬉しさがこみ上げてきて、八千代の鼓動は高まってゆく。真也が居てくれるだけで最高だ。
―あれ? そういえば。――
己の躰に受けた傷が見当たらないことに気づいて、服の上から数ヶ所を弄り終えて八千代は友に尋ねていく。オマケに、痛みも消え去っている。
「おはよー。ねえ、真也」
「ん?」
「ここは何処なんだろ?」
「麻実の家らしいが、どーせフェイクだろうぜ」
「ああー」
納得。あの女ならば可能性大だ。続いて、ベターと思いながらも訊いてみた。
「あの、怪我を治療してくれたのって……」
「麻実たちだ」
「や、やっぱり」
「だがアタシたちを運んでくれたのは違う連中だとよ」
「……?」
考えていなかった答えに、八千代はキョトンとした。なにせ、自分たちをここまで運んできたのは麻実たちだとばっかり思っていたからだ。そして、更に真也は八千代が驚くことを喋っていく。
「麻実から聞いたんだけどよ、アタシも八千代も道路にうつ伏せで倒れていたんだわ。しかも伸ばしていた片腕のそれぞれが丁度、向かい合っているような姿だったらしいぜ」
「え……っ」
顔から火を噴きそう。
真也は言葉を続ける。
「お互い倒れていた場所はかなり離れていたんだ。不思議だろ? それってアタシも八千代も自分たちがどこに居るか解っていたってことだよな。……でもこれって、さ……」
そう声をすぼまらせていった真也の頬が、ほんのりと赤らんでいた。恥ずかしそうに八千代の顔を見ながらも、思っていたことを素直に声に出してゆく。
「それって、さ……。アタシは八千代に逢いたかったってことだよな。逢いたくて逢いたくて自分でも解らないうちに足が向いていたってことだよ、な……」
「うん、うん!」
八千代は頬を桜色に染めながらも、大きく頷いて真也に語りかけていく。
「アタシも真也に逢いたくてたまらなかったんだよ。一緒に帰りたくて、一緒に歩きたくて。こうしてまた話せると信じてた」
「アタシも同じだ。八千代と一緒に話しながら帰りたい。八千代と手を繋いで歩きたい。そして、なによりもその顔が見たかった」
瞳を輝かせながら語る真也は、既に障子から離れて八千代へと近づいていた。友の言葉を受けてゆく八千代の瞳も潤んでいる。
「真也、アタシ……」
「どーした?」
「もう気持ちに嘘は付けない。今までアタシの中でそれを否定していたんだけど、それは駄目なことだと解ったんだ。抑えれば抑えるほど胸が痛くなって……。けれど、それがアタシにも真也にもイケないことなんだって」
「八千代……」
「同じ女どうしに対してこのどうしようもない気持ちを感じるアタシって変になったんじゃないかと思ってた。でも、変じゃなかった。おかしい事なんて無いんだ」
「ああ。アタシだって八千代を想う度に胸が痛くなってな、最初は自分を疑ったよ。しかし、今は違うぜ」
真也は八千代を愛おしく見つめて、そう穏やかに語った。
「真也! 好き!!」
八千代が真也に抱きついた。
堪えきれなくなったのだ。
真也はそんな八千代の背中と後ろ頭に優しく腕を巻いて、より密着させて抱き寄せた。真也の顔は涙を堪えた半ベソの、かつ嬉しさがいっぱいのもの。そして、その耳元に口を近づけると、掠れた声を精一杯搾り出して彼女へと正直な気持ちを伝えてゆく。
「アタシだって、八千代が好きだ!」
「嬉しい!」
赤らんだ笑顔で、八千代が吐息混じりの声を漏らす。お互いの鼓動の高鳴りが、重なった躰を通して聴こえてくる。熱くなって、息も小刻みに切れ始めた。二人して瞼を閉じていても、こうしてお互いの顔がはっきりと視える。やがて二人は抱擁を解いて顔を近付けてゆくと、唇を重ね合わせた。
2
唇を吸い寄せ。
舌を絡め合う。
より深く弄り合い。
より長く愛で合う。
離れて透明の糸が引く。
熱い息が交じり合う。
肌を寄せて温かみを感じる。
八千代の指が触れてゆく。
真也が指で撫でていく。
二人の想いが溢れ出て。
全てが絡み合って。
そして、ひとつになった。
どれほどの時の中で、二人は通じ合わせたのだろうか。布団の中で、八千代と真也が向かい合わせになってお互いを抱いて寝ていた。余韻に浸りながら、無言のひと時をすごしている。すると、真也が声を掠らせながら語りかけてきた。想いを、今にも溢れんばかりに胸に詰まらせていたようだ。
「八千代」
「なあに、真也」
「“あの時”は、悪かった。……ゴメンな。お前に、お前に怖い思いをさせてしまった。…………すまない」
「ううん、アタシはもう、大丈夫だよ。こうして真也とひとつになれたお陰で、貴女がアタシのことをどれだけ大切に思っていてくれた事が解って、とっても嬉しかった」
「ああ……、アタシも、お前のことがこんなにも好きだった事が解って嬉しいよ」
そう云いながら、八千代の背中に腕を回して胸に顔を埋めると、肩を震わせ始めた。それはやがて、息を啜るかたちに変わり、声をあげていく。
「八千代―――――」
「しばらく、こうしててもいいよ」
この日、八千代は、彼女の流す感情の滴を初めて目にしたのだ。