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ジャガーvs第三の女

狩りの時間じゃーーん。

 1


 時間は遡って、真也が八千代からエールを受け取った後に、生徒たちの校内清掃も終わり、それぞれが家路を目指し始めた時間帯。


 科学室。

 上着に袖を通している生徒の背中に、ベッド代わりにしていた机から身を起こした下級生が声をかける。何だか寂しそう。

「志穂先輩、もう行かれるんですか……?」

「ちょっと野暮用でね」

 ジッパーを上げて首を回したその顔は、微笑んでいた。セーラーカラーとタイを整えた後に、机で横座りの下級生へと軽やかに近付いて、片手でその頭を優しく抱き寄せると、額に軽く口付けをする。されたその下級生は、忽ち頬が赤くなって瞳が潤んだ。そして、志穂先輩と呼ばれた女が、その頭を撫でながら爽やかに微笑みかけてひと言囁く。

「バカだねぇー。此処(ここ)でならば私といつでも会えるじゃない」



 波沙美は志麻子とアリスを連れて、校内の駐輪場へと来ていた。各々がバイクに乗って帰る為である。背中側と両肩のプロテクターとに赤い豹を描いてある、黒いライダースーツに身を包んだ波沙美が、金髪の女を見てひと声かける。

「アリス、アタシの後ろに乗れ。今日はお前を可愛がってやるよ」

 背中にシルエット化したムササビを描いたマホガニーの、ライダースーツ姿のアリスの肩を抱き寄せて、額と額とを付けた。そして、静かに唇を重ねる。そんな二人を見詰めていた、左半身にヤマアラシが描かれた、黒いライダースーツを着た志麻子は、ちょっと切ない顔を顕した。アリスの唇から離れた波沙美が、そんな志麻子に気付いて歩み寄ると、指で顔を優しく仰がせると何も云わずに深い口付けを交わす。

「んん……」

 強く吸われて、思わず声を漏らした。ただし、不快ではない。お互いの唇が離れた時は、糸を引いていた。そして志麻子の頬を優しく撫で下ろしながら、穏やかに声を掛けてゆく。

「そんな顔すんなよ。お前も知ってるだろ? アタシとアリスはセフレ関係だって事。あっちも割り切っているんだ。アタシが本気で好きなのは、お前、志麻子だけだぜ」

「波沙美、さん」

 ポッ、と顔が熱く成る。

「ったく。人前でこんな恥ずいこと云わせんなよ」

 顔を赤らめた波沙美が目を向けたその先には、アリスがニヤニヤとしていた。



 2


 ブルーのライダースーツに着替えた真也は、校内の駐輪場に向かっていた。勿論、自慢のマイカシルバーの四〇〇㏄のバイクに乗る為である。だが、今日は家に帰るのではなく、八千代に告げたある事を済ませるためだ。


 波沙美が黒い車体に赤い豹がペイントしてある千三〇〇㏄のバイクに跨り、志麻子も同じ排気量の単車へと跨った。ただし、後者の大型二輪車には黒地に、デザインされたシルバーの筆記書体で『HEDGEPOG』と描かれいる。波沙美がアリスを後ろに乗せて、エンジンをかけた。その一方で、真也は己のマシンに跨った時に、波沙美とアリスの二人乗りと志麻子とが校門から出て行く姿を確認。そしてエンジンを噴かして、マイカシルバーの単車を転がし始める。


 波沙美はサイドミラー越に、見慣れた銀色の影を目撃。併走している志麻子もそれに気付いたらしく、隣りをチラ見する。赤い豹の顔を描いてある黒のフルフェイスの中で、波沙美が口元を吊り上げた。平均的に通行車数の多い国道三四号線を、三つの影が様々な色の車の間を縫うように走ってゆく。前方の黒い二台を確認した真也は、波沙美たちから適当な場所へと“誘い込まれるように”仕向ける事にした。アクセルを回して速度を上げて、二つの黒い単車に急接近を敢行。真っ直ぐ二人乗りの側へと突っ走る。

「アリス、飛べ」

 と、後ろの女に指示を出したその時、波沙美からアリスが離脱して皮膜を広げた。皮膜はそれぞれの片腕片脚とに癒着して、風を受ける。そして、走る車のルーフに着地。真也の後ろ姿を確認。すると、アリスはルーフを伝って飛び移ってゆき、線路を挟んだ浦上駅の建物の屋上へと降りて様子を見下ろしながら移動を開始した。

 三車線を駆け抜ける三つの影。それぞれが上手い具合に車間をすり抜けていき、片や追い付いてやらんとし、片や距離を保とうとしていた。そして、二人の後に真也が追い付いたところで、“真也の誘いに乗ってやる”事にした波沙美は加速して、(線路を挟んだ向かい側には、観覧車があるバス会社の経営する大型百貨店がある)大型パチンコ店を通過すると左に曲がって路地に入り込んだ。曲がり角には丁度、小さな印刷所があり、隣りの隣りにガソリンスタンドが建っている。そして、三台の単車は路地の中央で停車すると、お互いが向かい合った。ゴーグルを上げて、波沙美が目の前の女に声を投げる。

「よう、真也っち。やらしい運転してんじゃねぇぞ」

「ああっ!? その呼び方やめろや!」

 ゴーグルを上げた真也が、眉間に皺を寄せて凄む。そして、再びエンジンを掛けて走らせる。真也は短距離でも構わずに加速して、アクセルを捻り前輪を振り上げて波沙美の頭を潰さんとばかりに迫った。志麻子と二手に裂けて前輪の踏み潰しを回避。逃げられた真也は、舌打ちをして着地。両側で煙りを噴かしながら後輪で渦を描き狙いを定めた後に、黒い単車は同時に走り出して跳躍した。このままでは頭を石榴の様に砕かれてしまうと判断した真也が、とっさにギヤを変えてバック。その瞬間、己の眼前で二つの黒い単車が交差していった。高さも、単車に乗った真也の目線の位置。停車して間合いを確保した直後に、忽ち鳥肌が全身総立ちになり、脂汗まで噴いてきた。どうやら波沙美という女は、ある種のことについては躊躇い等は持たないらしい。それを実感した真也に湧いてきたのは、実は恐怖ではなく、武者震いその物だった。

 二台の黒い影が再び煙りを噴かしつつ渦を描いて真也へと向き合う。今度は、波沙美から先手を打って出て走る。真也も同時にアクセルを回して駆け出した。そして、路地を抜けた所は商店街があり、近くには幼稚園。小さな通りだが、人々の行き交いがある。そこを目指して、三台の単車は突入して行った。対向車線から来る乗用車に乗り上げた真也が、ボンネットからルーフを伝い車に一直線のタイヤ痕を刻んで通過した。商店街は忽ちざわめきを起こしてゆく。ギャラリーなんかに構うことなく、先手を切った波沙美が、通りを出たバス停の所で後輪を回して真也と向き合うなりに、すぐさまアクセルを噴かして突進してゆく。それはまるで、真正面からぶつかる気かとばかりに、迫り来る波沙美の単車が黒く巨大な豹と化して牙を剥いてきた。前輪を軸にして後ろを跳ね上げた時に、回転して後輪で真也の頭を蹴り飛ばさんと狙い打つ。反射的に頭を下げた時に、ヘルメットの頭頂部をギリギリでタイヤが通過して行った。波沙美の攻撃から抜けた先で停まり、エンジンを切る事無く向き合う。ぽつりポツリとギャラリーが出来てゆくのもお構いなしに、真也と波沙美は睨み合い、アクセルを回してエンジンを唸らせていく。そして、二人は同時に、お互いに向かって走り出した。つまりは、チキンレースである。二台の接近は実に早かった。黒い影と銀の閃光が衝突する直前に、真也が離脱。そして、石畳の歩道へと身を預けた。ゴーグル越に波沙美は目を剥いて驚愕した。それは次の瞬間、二つの単車が火花を散らして爆発炎上。これに巻き込まれた波沙美は、衝突の反動で跳ね飛ばされて、路肩に停まっていた軽自動車のルーフに背中から落下。ルーフを人型に窪ませて、風船を破裂させたようにそれぞれの窓硝子を砕いた。頭部と躰の左側を炎に包まれて、波沙美がルーフからたまらず跳ね上がるとアスファルトに転げ落ちて、もがき苦しむ。悲鳴をあげた志麻子が、波沙美の元へと駆け寄るとヘルメットを外してあげて、マフラーを己のライダースーツから取り出して、必死に炎を叩いて消してゆく。

 身を起こした真也はヘルメットを取って、その二人の光景を見ていた。気分は「ざまぁ見ろ」である。あの日あの時に体育館で受けた屈辱は忘れない。焼かれる波沙美とそれを消そうと必死な志麻子の元へと歩いて行き、ほくそ笑んで見詰めていた。

 愛しい人を燃やしていた炎をやっとの思いで消した志麻子が、真也の目線に気付いて首を向けて声を震わせて吐き出す。

「貴女は……、何をしたか解っているの……!?」

「ああ、解ってんぞ」

 声は志麻子へと向けたが、目線は天を仰いでいる波差美に注いでいた。幾度も息を荒々しく吐き、胸を大きく上下させて、波沙美は春の終わりを告げる夕空を見詰めている。己の意識が溶けてゆき、肉体とドロドロに混ざり合っていく感覚に覆われて、その変化の奥深くに赤黒く燃えたぎる炎を視た。


()つつ……、畜生……!!」

 頭を押さえながら起き上がった波沙美のその顔は、肉が半分も削げて、自慢の赤毛も全て焼け落ち、皮膚は赤黒く爛れていた。全て焼かれた左腕と左胸とが露出して、更には赤黒い中に紫じみた斑点模様を形成している。“それ”は顔面の左側も同じように成っていた。そんな状態の波沙美を見ていた真也が、ニヤリとして声を投げつける。

「流石に、焼かれる事にまでは対応しきれてねーよーだな……」

 その言葉を受けたのか、寄り添う志麻子を優しく押し退けるなりに、白眼を血走らせた。

「そのうち出来るようにならぁ。―――しかし、真也よ」

「なんだ?」

「手前ぇー、この程度で“お返し”がおしまいってんじゃねーよな!」

 云い終えたと同時に地を蹴って、一気に間合いを詰めてゆく。そして、プロテクターの所で真也の腹に肩当てをした。波沙美のタックルを受けて踏ん張るが、勢いとパワーに押されてアスファルトを滑っていく。路上には、靴擦れから起こる熱によって白い四本の煙りを描いていった。

「憤怒っっ!!!!」

 鼻息を荒らして右足を踏み出した時に、ようやく停止。それも、真也の背中がファミリーレストランの柱へと衝突寸前であった。襟を掴んで、真也の腹から顔を上げて睨み付けた後に、思い切り躰を仰け反らせて息を吸ったその瞬間。投擲器の如く勢いに力を付加して、波沙美の頭が真也の顔面に飛んできた。

 メキッ

 と、鼻を砕いた音を志麻子は聞く。真也も己の耳にその音を入れた。鼻孔から止めなく赤く鉄臭い物が、滝のように流れ出てくる。あまりの痛さにジワリと涙を垂らした。しかし、このまま単に痛がる真也ではない。波沙美の襟を力強く掴み取って、上体を反るだけ反らせて力を溜めた。そして、人体の投擲器が波沙美の鼻柱に炸裂。

 メキャッ

 折れた鼻から血を噴き出す。

 打撃の反動でぐらつくのを堪えて胸倉を掴み、真也をグイと引き寄せた。躰を思い切り捻って、大きく振りかぶった拳を真也のドテっ腹に叩き込んだ。お次は膝を五度も射し込んだ後に、ファミレスの柱へと全力投球で真也を叩き付けた。この時、勿論、後頭部と背中とを強打した為に、真也は痺れと軽い脳震盪を味わう羽目に成る。その真也の視界には、幾つものプラズマが駆け巡ってゆく。そんなこともお構いなしの波沙美は、背負い投げをオマケした。しかも、ぶん投げてアスファルトに叩き付けるといったもの。真也の躰が激しくバウンドする。辛うじて受け身をしたものの、けっきょく背中には焼けるほどの激痛を味わってしまった。

「なに見てやがんだ! どっか行っちまえ!!」

 腕を大きく振り払った波沙美は、野次馬たちに怒鳴り散らして追い払う。その尋常のなさに圧倒されて、外野はこそこそと散っていった。路上で痛さに咳き込み悶える真也に目をやって、波沙美はニヤリとする。

「これでお互いやりやすくなったぜ」

 呟きを漏らしたのちに、意識を集中し始めてゆく。すると、焼け落ちた髪の毛と耳とが再び生えてきた。その耳は肉を裂く勢いで伸びて上に移動してゆき、その先端は鋭角になる。そして、頭髪はかつての赤毛ではなく白銀のモホークと成り、腰までに達した。犬歯は発達し、右側の頬肉が耳までに避けて、獰猛な肉食獣を思わせる風貌を形成した。両肩と上腕から同時に白銀の体毛が生えてきてブレード型になり、まるで縦襟に見える。

 波沙美の変化した姿を見た真也は、あるひとつの食肉目ネコ科を思い浮かべてしまった。


 豹。


 息を切らす真也に近付いてきた波沙美が、瞳を金緑に輝かせて挑発。

「おら、立てよ」

 その間にも、爪先で腹を蹴り、踵で肩を踏みつけていく。そんな波沙美に、真也がギロリと睨み付けた。すると突然と蹴ることをやめて、真也から数歩ばかり下がっていきつつ、避けた口の端を釣り上げてひと言吐き捨てる。

「そー、そー。その意気その意気。早く立ってくれよーー、真也りん」

 最後の言葉を耳に入れた時に、真也の頭がカーッと熱を持った。視界に残るブレは、なんのその。立てと云うんなら、立ってやろうじゃねーか。指で摘んで、パキッと折れた鼻柱を治す。そして立ち上がりざまに、地を蹴って間合いを詰めた。横向から真っ直ぐ放たれた踵を余裕でやり過ごした波沙美は、難なく相手の懐へと入って、そして力強く踏み入れた瞬間に真也の胸板へと掌を打ち込んだ。真也は一瞬、胸骨が砕けたかと思いながらも、何重にもなった景色が引いてゆくのを視る。しかし、歯を食いしばって踏ん張り、顔面狙いの拳を走らせた。だが、波沙美へと叩き込まれる寸前のところで手首を取られしまい、オマケに捻られる。腕から伝わってきた痛みに顔をしかめた時、真也は視界に現れた波沙美の臑を見た。鈍い音を鳴らしたが、辛うじて片腕で顔を防御。しかし、波沙美の蹴りはこれだけでには終わらず。掴んでいた手首を放して真也の体勢を崩した瞬間に、踵をどてっ腹に叩きつけた。それを喰らった真也は、数メートルほど躰が吹き飛んでアスファルトに落下した上に転がっていき、うつ伏せとなる。一撃の蹴りがこれほどまでとは、と実感をしながらも真也が歪む景色を眺めつつ考えた。

 ―畜生……波沙美の野郎ー。コイツぁ中国拳法じゃねーか。――

 そう、悔しげに赤く滲む歯をくいしばっていく。

 波沙美はファミレス側の空をチラッと確認しつつ、倒れ込んだ真也に近付いていった。襟首を掴み上げて強引に立たせてやると、口の端から血を流す真也を直視して吐き捨てる。

「もう、お寝んねかよ?」

「いいや、安心しろ」

「そりゃけっこう」

 力の入っていない真也の返答を聞いて、波沙美は瞳を歪ませた。そして、胸倉も掴み取った直後に乱暴に振り回して放り投げたのだ。まるで、手に持った荷物をブンと無造作に投げる動作そのものだった。その間に、真也はコンマ数秒ほど止まった夕空を見た経験する。

 ―随分ー、高く投げられたもんだ。嗚呼……、なんて綺麗な雲なんだ……。――

 そして、次に真也は死角に新たな相手を見た。急速に狙い迫って来るブロンドの者。アリスが滑空して真也に宙でタックルをすると、そのまま三車線の国道へと突き飛ばした。このまま行けば、真也の躰は向かって来るバスと衝突してしまう。

 波沙美が声を投げた。

「轢かれちまえ!!」

 真也は、自分はもう終わるのかと思い目を瞑った、その瞬間。青い風が赤いバスの正面を横切って、真也をさらって行ったのだ。

 真也を片腕で受け止めて、波沙美たちの前に突如として青いマシンが現れた。着地するなりに、片手でアクセルを切り足でギヤを切り替えて停車する。その者とは、青地に白いラインの走ったマウンテンバイクに跨って、真也をお姫様抱っこしていた。カーキグリーンのライダースーツに、白いマフラー。そして、レッドブラウンのフルフェイスのゴーグル越に、涼しげな眼差しが真也を見詰めて微笑んだ。この時、真也はドキッときて、思わず頬を桜色に染めてしまった。やがて、優しくその腕から下ろされる。

「あ、ありがとう……」

 何だか知らないが、真也の鼓動は高鳴っていたらしい。その者が青いマシンから下りてヘルメットを外した時に、纏めていた黒髪が風になびいて、花が咲開くかのように両肩にかかった。そして、現れたその顔は、ひと言で云うなれば格好いい風貌の女。ただし、決してボーイッシュに非ず。むしろ、ハンサムが当てはまる。その整った造形は、同性をも魅了してしまうほど。全体的に緩やかなウェーブのかかった黒髪は肩まで。そして高身長であり、スレンダーな体型。だが、真也と波沙美たちには、明らかにこの女に見覚えがあって、二人して思わず声を揃えて叫んでしまった。


志穂(しほ)じゃねぇか!」

「志穂、なんでお前が!」


 その女とは。

 風見志穂(かざみしほ)、十八歳。

 私立紫陽花女子高等学校、三年生。吹風紅葉と涼風松葉に続く第三の女。つまりは、城麻実の部下である。



 3


「波沙美は私に任せて」

「ちょっと……! あの女はアタシがやるんだよ! いきなり出てきて横取りすんな!」

 真也が困った顔で訴えた。

「貴女の本命はりょうでしょ。それまでに無駄な力を使わないことね」

 真也に瞳を流したのちに、声に力を込めた。

「しかし、どうしてもっていうのなら、志麻子とアリスを倒してみせなささい」

「……ぐ」軽い歯軋り。

「真也、そんな顔しないで」

 そう云った志穂は、真也の頬に触れると撫で下ろしていく。そして、唇が重ねられた。極めて優しく膨らみが触れ合い、ゆっくりと吸われてゆく。

「……!!」

 真也にとっては初めてであった。自らキスをする事は今まであったのだが、相手からされる事なんてなかったので、ドキッときたのだ。しかも、志穂が真也を大切に扱ってくれているのが解る。やがて、二秒間の長く優しいキスを終えて二人の唇は離れると、微笑んだ志穂が囁くように呟いた。

「ここは私に任せて」

「お、オーケー!」

 頬を赤く染めながらも、親指を立てて「あとは任せたぞ」のサインを送った。


 ―見せつけやがって……。――「お二人さん。話しはついたのかい?」

「ええ、待たせて悪かったわ。貴女の相手はこの私。……良ろしいかしら?」

 波沙美の投げた声に、志穂が微笑んで答える。そしてその質問に、波沙美は「ああ、文句ないね」と、歯を剥いて笑い、腕を胸元の辺りで交差させた。すると、その指先が全て癒着して変色してゆき、みるみるうちに伸びていって硬質化したのだ。それは、鋭利な刃物を思わせた。波沙美は変化した両腕を下ろして半身に構えると、目線を志麻子とアリスとに送って指示を出した。それと同時に真也も志穂のもとから離れてゆく。波沙美は、志麻子たちがある程度離れていったところで、地を蹴って飛びかかった。宙で躰を丸めて回転、着地。志穂とは一メートル足らずの至近距離。アスファルトから蹴り上げられた足が、唸りをあげて志穂の顔面を襲う。志穂は余裕を持って、その蹴りをやり過ごした。かわされたが、波沙美はその回転の勢いを殺すことなく、志穂に背を見せて下から踵を振り上げる。それは、志穂の首をはねとばさんとする迷いの無い蹴りだった。だが、踵が空を斬ったときは、すでに志穂は身を落として、地を“なめる”ように足を滑らせていた。軸足を払われた波沙美の躰は旋回して、アスファルトに背面を強打。この時に反射的に背を丸めて腕を交差させ受け身を取ったものの、心臓へと伝わった衝撃波により一瞬だけ呼吸困難となる。波沙美は落下したと同時に、両膝をより顔の方へと引き寄せて力を溜め込んだ。そして、全身の筋肉を金属のバネと化して跳ね上がり、着地。波沙美の跳ね起きた時には、志穂は既に間合いを詰めてきていた。懐に入られてなるものかと波沙美は一歩踏み出して、長い刃へと変形した両手を交差させて突き出したのだ。それはまるで、巨大な“裁ち鋏”を思わせる。瞬間、刃と刃が擦れて断ち切った。が、しかし、それは志穂の毛先を僅かばかり散髪したのみ。頭を下げて、一旦身を屈めて引いていた志穂が次は地を強く蹴飛ばして、がら空きになった波沙美の腹をめがけてタックルを決めた。その勢いは劣ることなく、波沙美を持っていき、歩道から向かいにあるショップ店へと突進してゆく。波沙美は、タックルを喰らった当初はその力と勢いに驚いていたが、背後に迫って来るオレンジ色の煉瓦壁を視界に入れた途端に気を取り直し、ガラ空きとなっている志穂の背中に腕を振り下ろした。だが、それは突然として急停止して、波沙美を吹き飛ばす。そして、ショーウィンドウのガラスを破壊した上に、飾り棚ごと商品をぶちまけてオレンジ色の壁に窪みと“ひび”を形成した。背面を強打して、そのままうつ伏せに倒れ込むかと思われたが、波沙美は踏ん張って数歩ほど足を運んだのちに、片膝を落として耐える。

「がは……!!」

 強く息を吐き出し気道を整えた時には、既に志穂が地を蹴って、距離を縮めてきていたのだ。波沙美は舌打ちをすると、一歩出遅れるかたちながらも駆け出して間合いを詰めにかかった。そして、二人が一気に詰め寄る。先手を打って跳躍した波沙美が宙で独楽の如く回転をして、その長い脚を横一線に振り、志穂の頭部を狙った。顔を退かれて蹴りをかわされるも、波沙美は着地して身を捻り、踵を下から跳ね上げる。その攻撃から更に一歩引いた志穂は、身を捻って脚を真横に蹴りやった。その動きは軽やかでも、風が重く唸りをあげている。波沙美が開脚をして地に伏せて志穂の蹴りをかわした直後、身を上げて交差させていた両腕を伸ばした。すると、シャン、と、刃物が擦れ合い、毛先を切断した。間一髪で膝を落とした志穂は、地に手を突く。そして、伸ばした両脚が円を描く。アスファルトの上で鞍馬運動をしていたのだ。しかし、運動には非ず。波沙美の膝と足首とを砕かんと狙って、蹴り出してゆく。波沙美は次々と来る低空の蹴りから片足づつ上げてゆき、かわしていく。そして志穂が立ち上がったのを狙って、ハイキック。それは限界までしならせた竹を、一気に解放した物かと思わせる威力だった。その蹴りを、志穂は両腕で胸元を防御したのだが、予想以上の重さに思わず歯を食いしばってしまう。

 次の蹴りが来た。

 腕で頭を庇い、踵を真っ直ぐ波沙美の胸元に撃ち込んだ。それを喰らった瞬間に、海老のように折れた波沙美の躰はそのまま飛んでゆき、再び向かいのショップ店へと衝突。ガラスの自動ドアを破壊して店内に転がり込み、そして商品と硝子テーブルを粉々にして壁に背中を全面に強打した。波沙美は、めり込んだ壁から身を引き剥がして、驚く店員や客たちにも目もくれずに志穂を睨んだまま店から駆け出した。そして志穂の間合いに入った時、銀色の煌めきをその細い首を断たんとばかりに走らせる。

 その刃先から志穂が身を引いてやり過ごした直後に、間を与えず次々と波沙美の武器が女を襲い来る。流れる軌道を描いた刃が夕陽を反射していきながら、銀の閃光を放ってゆく。全ての攻撃は、志穂の急所を確実に狙っていたのだが、それもギリギリのところでかわされていった。しかし、刃先が志穂のライダースーツの腹部を真横に切り裂き、両側太股の上を裂いて赤い線を走らせていったのだ。そして、真上から容赦なく振り下ろされた波沙美の腕を、志穂が両手で捕らえた。見事なタイミングである。しかし波沙美は怯むことなく、その切っ先を女の白い喉へと突き立てようと全力で押しやった。それにより、数秒間ほど睨み合いと気張り合いが続く。ふと力を抜いた志穂が、一歩踏み入れて身を捻り、波沙美の武器を半ばからへし折った。それと共に、切断面から糸を引き、飛び散る赤い体液。右腕から伝わってくる稲妻に、波沙美は食いしばって刃を走らせた。志穂が余裕を持って避けてゆく。構わずに、波沙美は折られた腕も振りかぶった。その時に断面から液を飛び散らして、志穂の鼻梁と頬と口許に赤い物を付着させる。波沙美が怒り任せに蹴り上げた踵から、志穂は身を仰け反らせてバック転を繰り返し、宙でとんぼ返りをすると片膝を突いて着地した。


 春の風が、女二人の間を通過していく。

 吹き流されて、波沙美の銀髪が横になびいた。

 同じく風によって、志穂の黒髪と両肩の白いマフラーがなびいて舞い上がる。

 そして、二人はゆっくりと身を上げて半身に構えた。

 波沙美が唸りをあげて、最後の攻撃へと踏み切った。志穂は両腕を斜めに広げた構えを取ったのちに、駆け出していく。二人のエリアが密度を増して高まったその瞬間、先手を打って跳躍したのは志穂だった。それは、波沙美とは伸ばせば手の届くほどの至近距離。しかし志穂は手でなく、足を撃ちだして、波沙美の胸板に叩き込んだ。蹴りを喰らった女の突進が断ち切られて、ゆらりと棒立ちになる。だが、志穂の技はこれでは終わらなかった。蹴った反動を利用して、志穂は再び跳ね上がると宙で身を反転させたのだ。そして、その回転から繰り出した踵で波沙美の頸椎を破壊した。そして吹き飛ばされた波沙美は、そのまま路肩に停車していた普通車に激突して、フロントガラスを砕きボンネットを歪ませた直後に、爆発に巻き込まれて炎上した。



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