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マンティス&バット

 1


 数日経った放課後。

 掃除を終えた八千代が廊下で真也を見つけるなりに、その背中へと声をかけた。

「真也ーー」

「どーした?」

 極自然に振り返る。

「なに? 八千代」

「一緒に帰ろ」

 顔が微笑んでいた。

 すると、真也は一瞬だけ虚空を見ると再び八千代へ視線を戻して真顔で言葉を返す。

「悪い。今日ちょっと用事があんだよ」

 その言葉を聞いた八千代が友を真っ直ぐ見つめた後に、真剣な表情ながらも真也へ向けて信用した笑みを浮かべて云った。

「そ、頑張ってね」

 声と共に片手を肩の辺りまで挙げて、掌を見せる。そして、それに応えるかのように真也も片手を挙げて、自身の掌を八千代の掌に打ち合わせた。

「おうっ」


 涼風松葉は廊下を行く八千代を、音楽室の窓越しから発見。ちょうど掃除が片付いたところだったので、早々と道具をロッカーにしまい込むなりに「あとは教室で。お疲れ様」と、班のクラスメートたちに告げて駆け出した。

「八千……」

「浮気者」

 手を上げて八千代の背中に声をかけかけた瞬間に、己の後ろからギクッとくることを云われて固まる。恐る恐る首を回してみたら、そこには毒島零華が居たのである。しかし「浮気者」と云った割には、声と表情が穏やかだ。廊下を行き交う下級生を含めた生徒たちは、零華の姿を発見するなりに瞬く間にギャラリーをこさえていった。

 零華にはファンが多い。

 その恋人、八爪目煉にも多くのファンがいる。

 ―抜かった……!――「れ、零華じゃないか。なんでここに居るんだ?」

 松葉が動揺を隠して尋ねる。すると零華は一瞬「貴女いったいなに訊いているの?」といった顔に出したのちに、爽やかな笑顔を見せて隣りの美術室を指差して答えた。

「なんでって、貴女……。だって私の班は今週お隣の掃除担当だもの」

「あはははは。これは失礼」

「んふふふ。いいのよ」

 照れ隠しで笑いながら後ろ頭を掻く松葉と、品良く微笑む零華。暫くの間、二人の笑い声が飛び交う。

「あははははは」

「んふふふふふふ」

「あはは」

「ふふふ。松葉さん、八千代の成長を見たければこの場は何もしないでおくことね」

「ぐぐ」異論無し。

 ちょっと歯軋り。

「皆さん、道を開けてくださる?」

 零華のひと言で、素直に生徒たちの群れは左右に開けた。そして、間を抜けてゆく二人。その間にも、ギャラリーの生徒たちが零華と松葉へと向けて羨望と憧れの眼差しを送っていた。二人は廊下を並んで歩きながら、会話を再開する。切り出してきたのは松葉。

「何を企んでいる?」

「企む? 人聞きの悪い」

 肩を竦ませてクスッと笑うと、落ち着きのある声で返してきた。

「貴女、八千代が好きなんでしょ」

「あ……、うん」

 嘘はつけない。

 すると零華が耳を疑うことを云った。

「そう。だったら尚更手を貸さないことね」

「な……!」

「あの子に強くなってほしいのなら、独りでやらせなさい」

 もっともらしい言葉に、松葉は静かになる。零華の語りは続いた。

「私も同じよ。そして、私も八千代が好きだから」

 またまた耳を疑った松葉。

「う、嘘……?」

「失礼な人ね」

 零華がひと睨み。

「それじゃあね、お疲れ様」

「ああ、お疲れ様」

 松葉は複雑な心境だった。


 八千代が下駄箱で上履きから革靴に替えていたところに、同じクラスメートの傘羽月子かさはねつきこから声をかけられたので、途中まで付き合うこととなった。月子は身長が百六〇。少し痩せている躰つきをしているが、これでも八年間も市内の中国拳法道場に通って技を身に付け続けている。髪型はショートボブで、垂れ目が特徴的な生徒だった。教室では何度となく言葉を交わしてきた仲で、やり取りもあり、月子とそれなりに親しい。二人は電車通りのある歩道を歩いていた。見た目も声も可愛い月子から話しかける。

「真也と帰んなかったの?」

「うん。用事があるって」

「ふうん……。今日は独りか」

 そう呟いた顔が微笑んでいたのに気づいて、八千代は尋ねる。

「どうしたの?」

 月子が立ち止まったものだから、八千代も歩くことを止める。すると、月子は耳に片手を当てて何かを確かめ始めた。

「ねえ、何か聞こえない?」

「……え?」

 質問はスルーかよ。

「なに云ってんの。何も聞こえないよ」

 そのとき。

 薄い何かを幾度も叩き合わせる音を八千代が耳にした時には、月子は両腕を捕らえられて浚われていたのだ。しかし、八千代はその瞬間に目撃していた。“それ”は制服姿をして、しかも紫陽花女子校の生徒だった。

「花……? なんでよ?」



 2


 ―あれは間違いなく花!――

 顔もはっきりと見た。

 今のは、拝打花(おがみうちはな)だ。

 なんであの子に羽が?

 迂闊だった。

 己のクラスメートにも零華の手下が居たとは。完全に、というか心の何処かでは、自分のクラスメートは大丈夫だろうと思っていたのだ。それを今、砕かれた。心構えをすることも与えられずに。

 宙でホバリングをしている花が悪戯な笑みを見せて八千代に声を投げる。

「八千代ーー。月子を返してほしかったらアタシについといで」

 背を向けると、羽音を立てて飛んでゆく。そして、八千代はクラスメート二人を追って駆け出した。


 飛翔する拝打花おがみうちはなを追い掛けて着いた所は、随分と古い洋館。庭は園芸と雑草とが入り混じって生い茂り、蔦が伸び放題だった。煤けた赤煉瓦の建物の壁や黒い屋根、門などに蔦を這わせて、オマケに苔まで蓄えており手入れをしていない事実を顕著に示していた。彫刻模様の入った窓硝子も満遍なく割れている。しかも、建物全体が埃っぽい。しかし当の八千代は、赤煉瓦建物の古さを実感している場合ではなかった。今は、目の前で連れ去られていった月子を救出する事で頭がいっぱいである。自分の背丈よりも高く伸びた雑木と蔓に絡まれている草花のトンネルを通過して行きながらも、左右に目を配って花と月子を探していた。

 ―まるで雑草のジャングルね……。――

 トンネルの半ばを過ぎた時、八千代の視界の端に一瞬煌めく物を見た。緑色の壁を突き破って現れたのは、二つの刃物。それは八千代の喉と心臓を確実に狙ってきた。足を引いて下がり、刃物を持つ逆手の手首を掴んで寸手のところで止める。歯を食いしばりつつ、相手の顔を確認した。

「花! いったいどういうこと!」

「どういうことって。こういうことよ、八 千 代」

 そう言葉を返した後に、歯を剥き出してにやける。花は八千代より少し低い身長で、ボブおかっぱの髪型。女は全長約三〇センチの短刀を躰ごと押し寄せて、八千代の肉を切り裂こうかと迫る。数秒間、押し合いへし合いが続いた。八千代が力を抜いた時に、相手が体勢を崩したその隙を見て踵を腹に蹴りやって、花を突き放した。背中を丸めて受け身を取り、片膝を突いて短刀を構える。八千代が地を蹴って踏み出したと同時に、花は向かって行った。間合いに近付いたところで垂直に飛び跳ねて、宙で廻し蹴りを放つ。打ち出されてきた足を、八千代は腕を交差させて防ぐ。タイミングを外された八千代が舌打ちする。着地した花はすかさず身を捻って刃先を走らせた。八千代が頭を引いて銀色の軌道を避ける。瞬く間に次の光りが迫り来る。それぞれは鈍い輝きを放ち、八千代の急所を確実に狙ってきた。花の二つ短刀から繰り出されてくる幾つもの攻撃を、八千代は次々と防御してゆく。

 弧の描きから身をかわし。

 斜めの振り下ろしを払い。

 横からきた軌道を止めて。

 下から軌道に飛び退ける。

 八千代が刃先の突きから頭を下げて避けた時には、花は次の構えに入っていた。屈んだ姿勢から、短刀の柄を掴んだままの拳を地に突けて上体を仰け反らせた瞬間に、脚を鞭の如くしならせて蹴りを放つ。足が上がった時に、雑草が緑色の飛沫となり舞い上がる。八千代は、迫り来る切っ先のように鋭い爪先から顔を仰がせて逃れると、そのまま腕を後方に伸ばして手を地に付けてバック転。着地して半身に構えると、花は既に駆け出していた。その隙を逃すまいと、八千代は大股に踏み込んで踵を真っ直ぐ花の胸元へと射し込む。蹴飛ばされた花はトンネルを突き抜けて、腹を地面に打ちつけた。息が詰まり、咳を切る。腹を押さえて悶える花のもとに駆け寄ろうかとした瞬間、八千代の頭上から、つまり草花のトンネルの天井を突き破ってもうひとりの敵が現れた。幾つもの爪先による蹴りが、八千代の顔面を襲う。とっさに腕を交差させて防御したが、瞬間的に同じ箇所に蹴りを喰らった為に、骨が軋み肉は痺れを覚えた。

 八千代が後方へ少し飛び退けて間合いを保つ。そして、着地した新たな相手を見て驚愕した。

「月子……!」

 傘羽月子だったのだ。

 月子は片膝を突いた姿勢からゆっくりと身を上げてゆき、大股に開いて膝を深く落とした独特の半身に構えた。そして、八千代の顔を見るなりに薄笑いを浮かべてひと言。

「ごめんね八千代。こういうことなのよ」

 月子は意識を集中し始めた。すると、瞳孔が全て黒耀石のように成り、犬歯は鋭利に発達して伸びて、耳は上へと移動して丸みを帯びる。革靴の先端を突き破って鉤爪が飛び出し、両腕には新たに数本の骨を生み出してゆき、そして扇を広げるかの如く開いて極薄の皮膜を張っていった。

 その姿、蝙蝠の如く。



 八千代は、変化の始まりから完了までまじまじと見せられた。以前に階段と踊場で鮫涼子の変形途中と、三日月結美の部分変化。ゲームセンター横での稲穂翠の変身途中。最近は屋上で口縄龍との乱闘の最中に見た、徐々に変わってゆく姿。だがしかし、最後まで見たことは初めてである。そして、八千代はこの時、冷静になっていた。すると、その後から湧き上がってくる恐怖を覚える。膝が震え、腕も震え。しかし同時にある種の悲しさも覚えて、自分の前に居るのは、もうクラスメートではない。アタシの知っている傘羽月子と拝打花はもう居ない。

 今のアタシにできる事といったら、何?

 そう。

 それは、唯ひとつ。

「全力で叩きのめす!」

 心の叫びを声に出して、八千代は思いっ切り地を蹴って間合いを詰めた。

 八千代の拳が月子の顔面を狙う。その突きを腕で弾いて、肘を八千代の胸板へと打ちにかかった。月子の肘を掌で反射的に掴んで踏ん張る。一歩も退かない二人。そしてお互いが開いた手でセーラーカラー掴み取って、頭突きをした。額と額との打ち合う鈍い音が響いた時、目をしばたかせて顎を引いたのは月子。隙を見て、八千代が月子の肩に肘を叩きつける。衝撃で膝はカクッと落ちた。次は頬を肘で殴りつける。カラーを掴んだまま引き寄せて、膝を月子の腹に射し込む。胃液を逆流させて、少し嘔吐した。トドメの肘を月子の顔面ド真ん中に打ち込もうと繰り出した時に、八千代は足払いをされて背中を地面に強打。しかし、受け身を取ったお陰で痛みは半減。勢い付けて飛び跳ねて着地した瞬間に、八千代は足の攻撃を胸板に二発喰らった。一瞬、呼吸困難になる。後方へ倒れそうなところを何とか持ち堪えて、姿勢を戻した。

「ふうっ!」

 口を尖らかせて、呼吸を取り戻す。まともに受けた蹴りで、胸に痛みを感じて顔をしかめた。月子が躰を真横にして、蹴りを出してくる。攻撃から上体を反らしてかわした八千代は、膝を上げて胸元を狙った。腕で防御したのちに飛び退けて距離を確保した月子が、真上に上がってトンネルの天井に姿を消す。それを捕まえようと駆け寄った八千代の目の前に、月子と入れ替わりで花が飛び込んできた。振りかぶる短刀から、瞬間的に頭を下げてかわして脚を振り上げる。八千代の足を腕で防いで堪えて、はね除けて直ぐに躰を捻った。回った時に花の背中が見えるも、打ち込む隙は無し。そして、遠心力を付加した踵が八千代のこめかみを襲う。辛うじて手で防御したものの、勢いに持って行かれて背中をトンネルの壁に打ちつけた。草花の壁に躰が少しめり込む。次々と撃たれてくる銀色の軌道を、拳鎚と腕と肘を使いこなして、叩き落としたり払ったり止めたりしてゆく。その最中に、踵が飛んでくるのが見えた。そして、八千代の腹に刺さり込む。腹筋を引き締めてダメージを抑える。花が足を下げたのを見て、八千代は素早く草花の壁から脱出してタックルを喰らわせた。勢いで

向かい側の壁へと花の躰がめり込む。そのまま、八千代の背中を狙って刃先を真っ直ぐに振り下ろした途端、離脱されてスカを喰らう。踏み込んだ八千代が、拳を花の顔面へと撃ち込もうかと走らせた時。花は身を壁に転がして逃れた直後に、緑色の壁を突き破って月子が飛び出してきた。

「……!!」

 目を開いて驚く八千代。

 勢い余った拳は壁を突き刺した。と同時に、月子からがっちりと抱き付かれて地面に転倒。月子は両膝で腰を挟み込み、馬乗りを勝ち取った。前髪を掴まれた八千代が、月子から何度も地面に後頭部を叩きつけられる。その攻撃に合わせて、何だか八千代の頭がグワングワンと鐘を鳴らしてゆく。下の女の様子を確認した月子が口の両端を歪ませて、舌なめずりをすると、上擦った声で呟いた。

「嗚呼……、いい……。前々から貴女にこんなことしたかったのよぅ……。最高……」

 そして次は鋭利な歯を剥き出すと、今の感情をまんま声に吐き出した。

「ハアアァァァ……。いただきまぁーーす」



 3


「憤怒!」

 そうはさせるかと、八千代は頭頂部を地につかせて腰を思い切り上げた。急に位置が高くなったものだから、月子は一瞬だけ驚きを示す。が、身体の変化で起きた強靱化した筋肉のお陰で、太股でより強く八千代の腰を締めて姿勢の安定をはかった。しかし、八千代の抵抗はこれだけに止まらず。(アーチ)を保ったまま、今度は両手を地に置いて足で蹴り上げたのだ。一旦高くなった視界が、今度は下へ下へと走り始めた月子。このままでは不味いと判断したのか、とっさに八千代の腰から太股を外して跳び退ける。背を雑草に預けて転がり、片膝を突いて素早く八千代の方へと身を回して構えた。八千代も、倒立からそのまま足を落として片膝を突いた格好で月子と向き合う。そして、二人同時に、ゆっくりと立ち上がり踏み込む機会を窺い合う。今だ、と思った八千代が蹴って出たその瞬間。肉を斬られた音を間近に聞いた。視界が横に流れてゆく中で、草花トンネルの壁から飛び出した花が八千代の真横に肩を当てている姿を目撃。倒れないようになんとか背中を壁に預けて、敵の二人を視野に入れる。すると、己の上腕に焼ける痛みが走ったので思わず手で押さえて目をやった

 白いセーラー服の袖は斜めに裂かれて、地肌には赤い線から鉄の臭いを出していった。傷口から次々と流れ落ちてゆく赤い物に、八千代は顔をしかめて二人を睨み付ける。息も上がってきたのが自身でも解ってきた。この二人を倒してしまうまでに躰は持つだろうか?

「何が、可笑しいの……?」

 そう問うてきたのは、少し驚いていた花だった。

「え? アタシ?」

 少なくとも此処では場違いな質問をされて、キョトンとしてしまった八千代に、月子がムッとした顔と声で指差して吐きつけた。

「『え?』じゃないって。だから何で笑ってんのかこっちが訊いてんのよ!」

「わ、解らなーーい」

 その答えに怒りを覚えた花と月子が、雑草が舞い上がるほどに力強く地を蹴って八千代にかかっていく。二人よりも高く跳ねた八千代は、両足を揃えて太い槍の如くすると、力を爆発させて月子の胸板を貫いた。吹き飛んだ月子が地に背中を強打したと同時に、八千代は着地して、花の振りかぶってきた刃先を屈んでかわし、肘を回転させて女の胸板に叩き込んだ。打撃で躰が少し浮く。それに堪えて踏ん張った花は、素早く後方へと飛び退けて構えた。間合いを保ったまま、じりじりと横に動いて互いの出方を窺う。先手を切ったのは、八千代。僅かに遅れて花が出た。垂直に跳ね上がった花は、躰を回転させて宙から蹴りを放つ。寸手で踏み止まった八千代が、その足から引いて避けたのちに、飛び上がり回転して蹴りを繰り出した。その技は、花の使った物と全く同じ技である。一瞬驚きを出した花が、腕を交差させてその足から辛うじて防御する。八千代の放った蹴りの威力に、信じ難い痛みを感じた。着地した八千代は腰を落として構えを取る。防御した姿勢のまま、花が踏み出して腕を広げた。二つの短刀を瞬時に逆手からグリップに持ち替えて、八千代の頭を左右から刺さん

と狙う。

 ドンッ

 と、大きな音と共に花の躰は吹き飛ばされて、赤煉瓦の壁に背中と後ろ頭とをしこたま強く打ちつけた。そして、ずるずると滑り、膝を落として地面と口付けをした。その音を鳴らした間に何が起こったかというと。花が踏み出してきた時には、八千代も一歩踏み入れていた。そして、両側から迫る刃先の根元、つまりは花の手首を手の甲で打ち止めた直後に、更にもう一歩踏み込んで両掌を相手の肋骨へと撃ち込んだのだ。それを喰らった花の体内では、内臓がひしゃげた上に押し上げられて、破壊されたのである。己の肺と肝臓とを圧迫された上に、二つの太い稲妻から貫かれていったような気がした。八千代が繰り出したその技とは。


 双 掌 打。


 と、いう。

 しかし、八千代の使った物は他で知られているのとは少し違っていた。



 4


 拝打花(おがみうちはな)は神棚八千代を見る度に、闘いたくなる衝動を抑え込むのに必死だった。しかしそれも終わりを告げる日の来るとは。

 それは、ひと月前。

 放課後に図書室で、刃物に関する文献を調べていた時のこと。突然、柔らかみのある甘い華の香りを感じて本から顔を上げてその方を見れば、あの毒島零華が自分の傍に来ていたではないか。ミス紫陽花は優しい笑みを浮かべて、花に声を掛けてきた。

「お疲れ様。調べ物?」

「え、ええ……」

 その女の香りにうっとりと成りながらも、返事をする。零華の見せた微笑みに、花は頬をほんのりと赤くした。貴女はどうしてそう、笑っただけでも華を感じさせることができるの?

「零華さんは、何かでここへ?」

 小太刀の写真と詳細文とが載せられてあるページを指で撫でながら、憧れの対象へと尋ねる。するとその女は、花の手に白い手を重ねてきては更に肩にもうひとつの手をそっと乗せて、話しを切り出してきた。

「貴女に用があって」

「わ、私に……?」

 鼓動が高鳴り、大きく響いてゆく。

「そう」

 花の手から外した。

 しかし、肩に添えた手はそのままに言葉を続ける。

「率直に聞くわ。八千代と闘いたくって悶々としているわね? 間違っていないでしょ。そう出ているものね。あの子を好きなように殴りたくて蹴りたくて切り裂きたくてどうしようもないのね……」

「……」当たっている。

「それは『はい』と受け取っていいのね?」

 間違い無き零華の判断に、花は頷いて瞼を半分伏せる。八千代と激しい闘いを繰り広げたい。私の刃物で、あの子の白い肌を傷付けて傷付けて傷付けて、飽きるまで傷付けて。そして躰中を赤く染め上げてやりたい。だけれども、後ろめたさが踏み止まらせている。奥底で蠢く粘性の高い、ドロリと醜い感情という化け物が住み着いているというのに。しかしそれは、どんな感情よりも正直な物だった。

「私は、八千代の底を知りたい。そして命を削り合う闘いがしたい」

 なにを云っているんだと、花は口を動かしている己に向けて叫んでみても無理だった。

「綺麗な皮膚を切り裂いて血で染めて、肉を断って内臓を引きずり出してみたいの」

 私は、このようなおぞましい言葉を吐く人間だったのか。でも、それを吐き出した自分に心地よさを覚えていた。そして、零華から放たれた次のひと言が引き金と成る。

「正直に云ったわね。―――その想いと“力”があれば貴女の願いは叶う」

「力って……?」

「“それ”は私が持っているわ。欲しい?」

「……欲しい……」




 5


 どれくらい意識を失っていたのか。脳の働きがまだ鈍い中で瞼をだるく開けてゆきながらも、周りの状況を確認すると、八千代が構えを取って待っていた。花は、歯を食いしばって身を起こしてゆく。体内の痛みはまだ残っているものの、八千代から喰らった双掌打によって破壊された筈の内臓と肋骨とが既に回復していたようだ。そして、零華から受け取ったこの“力”に有り難さを感じていた。起き上がるまで自分を待っていてくれた八千代を目の前にした花が、口元を歪ませる。大地に足を踏ん張り、顔の正面で手を合わせて意識を集中し始めた。

 また、だ。

 八千代は、花を見て“そう”思った。月子と同じ変化が目の前で起き始めている。その月子は後ろで喰らったダメージに悶えていたようだが、いつの間にか気配を消していた。また、どこかに身を隠したのであろう。

 三人の少女たちよりも背の高い雑草と草花トンネルとが、風に吹かれてざわめきを始めた時に、それは起こった。手を合わせて拝む格好をしていた花の袖を破って、両腕が異様な長さに伸びる。指は五本とも癒着して、伸びた下腕と同じくらいの長さに成り、それは先端部を鋭利に形成して先から手首までノコギリの歯の如くギザギザを生んだ。天を突くように高く高く伸びた両手は、まるで日本刀を正面で掲げて構えている、拝み一刀流を連想させた。手首を下ろして腕を開いて見せた花の両目は、金緑に輝いていたのだ。そして、ひと言。

「もう、後には引けないよ」

 ニヤリとした直後に、下顎は割れて口の両端は耳元まで切れ目を入れて、花の変化は完成する。その姿は蟷螂の如く。


 八千代が先手を切って地を蹴る。花は垂直に飛び上がって、八千代の飛び蹴りから逃れた。そして、片膝を赤煉瓦の壁に突かせて“着地”。煤けた壁を虚しく蹴った八千代が、着地して素早く見上げる。と、そこには、壁からゆっくりと立ち上がる花の姿。蟷螂の如く変わった女は、頬肉を上げて金緑の瞳を歪ませた。笑顔のようだ。そして、一歩蹴って出て、八千代の顔面ド真ん中を貫かんと迫った。とっさの判断で地に伏せた八千代の顔から少し外れた所に、花の鎌と化した手が突き刺さる。あまりにもギリギリだったので、目を見開いて一瞬驚いた後に、視界の端っこに鈍く光った物を発見してその方へと転がり、物を拾ってスカートのベルトへと素早くしまう。壁伝いに追って来た花が再び切っ先を振り下ろした。八千代は間一髪のところで地面に背を預けて避けたが、同時に熱く走る痛みを感じて己の後ろへと目をやると、赤い線が斜めに大きく走っていた。背中から全身へと広がってゆく焼かれる激痛に歯を食いしばって、周りに目を配りつつ、八千代は赤い建物の内部に逃げていった。

 崩れかけている黒塗りの木製扉を破壊しないように、ノブを回して素速く躰を中に滑り込ませた。外側も赤いが、内側も赤々としている。全体的に黒ずみと煤けていた事により、眩しさは抑えられていた。廃墟に定番の蜘蛛の巣が角の各所に張られている。置きっ放しの家具や戸棚などは、先ほどの扉と同じく黒塗りされていた。蝶番は片方落ちた物もあれば、それを全て無くして中身を晒している戸棚もある。オマケに、天井から家具と床に至るまで埃まみれ。その放置っぷりに眉をひそめた八千代であったが、化け物と成った花に勝つ為にはこの場所しか考えつかなったのだ。手元の武器を確認しながらも、他にまだ有るか無いか目を配ってゆくなかで、八千代が部屋を見渡しながら歩いているその頭上で、細い四肢を伸ばして天井のはりに背を預けた月子はその様子を見下ろしていた。顔を上げた八千代と入れ違いに、月子が天井を這って視界から逃れる。

 ―居ないなぁ……。――

 そう顔を戻した八千代の景色に、突然と影が振ってきたのだ。勢いのある振り子のように天井からの襲撃が、鉤爪を剥いて顔を中心に狙ってきた。瞬間的に何発も打ってくる攻撃に、腕と掌を使って防御。その間に、制服の袖は割けて破れる。飛び退けて躰を捻って真横に蹴りを出した時に、その者は身を上げて梁の間に隠れた。腰を落とした構えを保ったまま、八千代は少しずつ足を運んでゆく。下唇を噛み締めて心で呟いた。

 ―くそう……。これはこれで月子の陣地内じゃない。――

 周りに目を配ってゆきながら、神経は上に尖らかせて時には踵を返して背後を確認。これを熟練の武闘家の男でなくて、少女がしているといった、不思議な光景であった。数歩足を進めて、次の部屋へと入った時。前方に突然落ちてきたので、とっさにその方へと意識を向けて身構えた途端に何かが背中に降ってきて、同時に腰と首とに巻き付かれた。頭を押さえつけられて、頸動脈を絞められてゆく。前に落ちてきた物とは、小麦粉の袋だった。後ろの者が羽交い締めを勝ち取ったのか、力がこもりながらも余裕のある声をかけていく。

「八千代、もう終わりよ」

「ぐぎぎ……、ふうっ」

 息継ぎをして酸素を僅かながらも確保する。そして、相手の腕をしっかりと掴んだ時。八千代は背中を向けてそのまま走り出した。要するに、月子をおぶさって壁に激突したのだ。「ぐはっ」と背中から気管に伝わる衝撃に、息を吐く。八千代が少し躰をずらして、柱の角に二回三回と背中から全力投球でアタック。背骨に直にくる激痛に堪えて、八千代の首を絞め上げてゆく。顔をトマトのように赤くさせて、八千代は負けじと月子を再び二度三度と壁や柱に叩きつける。頭の後ろで、相手が咳き込んだところを見て、両手を後ろに回して親指を眼に押し付けていった。それはもう、目の玉を潰す勢い。指に全力を注ぎ食いしばる力が強く成っていく八千代と、瞼から伝わってくる激痛に徐々に食いしばる力が弱まってくる月子。親指を深くめり込ませた時、首を絞めていた腕の力が緩んで、隙ができる。それを狙った八千代は、今度は背中だけでなく後ろ頭で頭突きもお見舞いした。月子の頭部が煉瓦壁と挟まれて、脳味噌は幾回も前後にぶれて稲妻をスパークさせる。これはたまらんと、月子が四肢を解いて八千代から離脱したその瞬間、踵が腹に突き刺さってきた。しかも筋肉の付

きが薄い下腹部。下から駆け上ってくる稲妻と、脳内で未だに駆け巡るプラズマとが激突して体内でスパークする。思わず躰をくの字に曲げた途端に、月子は昼の物を交えた液を嘔吐した。幸いに、八千代の制服には付着せず。素早く月子に向き合い、胸倉を掴み取って拳を顔に叩き込んだ。月子の視界は横に流れてゆく。ただし、喰らう攻撃は一発だけでは済まされない。しっかりと襟を掴んだまま、八千代が拳を今度は振りかぶった方向へと戻した。その拳が月子の頬を撃つ。次は逆方向に視界が流れてゆく。同時に口内の肉を切って、唾液と共に血を噴き上げた。続けて八千代の膝が、脇腹に刺し込まれる。月子の肋骨を数本折った感触が伝わってきた。

 そんな中で、屋敷の勝手口を破壊して、花が飛び込んできた。タックルを正面から受け止めた八千代は、転がってゆき、勢い任せに巴投げを敢行する。腹を蹴飛ばされた花が着地をして八千代と向き合うと、両腕の鎌を広げた。じりじりと後退しながらも、適当な武器を探す八千代。相手が先手を取って真横に振りかぶってきた。八千代は頭を下げてかわした時に、迫ってきた次の一手からとっさに床に伏せて避ける。真上から振り下ろしきた鎌を、転がって回避。床が音と埃を上げて割れた。八千代が身を起こして構えた時には、花は既に宙で躰を丸めていたのだ。腕を組んで顔面を庇った瞬間、花から放たれた両足が力を爆発させた。防御した腕ごと躰は吹き飛んで、テーブルを越えて壁にぶち当たり床に尻餅をついて横倒れになった。後ろ頭を打ったせいか、視界には毛細血管のように駆け巡るプラズマが視えて、部屋の内装はドロドロに歪んでゆく。咳を切る度に埃を吹き上げながら、八千代は床から顔を上げて花を睨み付けた。頭を振って片膝を突いた時に、床に転がっていた鉄の水道管を二本発見。何故こんな所に“これ”があったのかは深く考えている場合ではない。素速く

水道管を両手に取って構えた。

 長さは目測六〇センチ。

 丁度、小太刀くらいか。

 獲た武器を目にしていた八千代は、姉から半強制的に観せられていた数々の功夫クンフー映画のアクションシーンを思い出していた。各作品に出演していた、香港・中国・台湾の武道家兼役者たちの殺陣たてが脳内に蘇り、神経系等を伝って体内全ての筋肉繊維へと指令を出してゆく。合気道以外に経験は無い。だけれども、腕に二つの凶器を生やした敵には、この方法が相応しいと思った。


 花が床を蹴って鎌を振り下ろしてきた。上げた水道管で頭を防御した八千代は、踏み入れてもう一方の武器を真横に振るう。ぶつかり合い、高く鳴る金属音。少し火花も散ったか。花の腕は、有機質でも金属と同等の硬質を得ているらしい。互いの武器を凌ぎ合わせてにらみ合いの後に、弾き飛ばした。間合いを取った直後、同時に踏み込んだ。そして、双方の武器を振るって打ち合ってゆく。鎌と水道管との攻めと防御とが繰り広げられる毎に、屋敷内に金属音が響き渡り、幾つも火花を散らしていく。八千代が真横に打ち出してきた水道管が、横っ腹にヒット。次を、その反対側に当てる。八千代の繰り出してゆく水道管の軌道が円を描いてゆき、それが8の字に成る時には花の躰の各所にダメージを与えていった。が、しかし、それも中断されてしまう。それは、八千代はとどめの頸動脈狙いの攻撃を仕掛けた瞬間に、花の鎌で防がれた。そして、切っ先を使った小手返しを敢行されて、八千代の懐ががら空きとなる。花が床を蹴った時は、既に両腕の鎌で八千代の両肩を貫いていた。ガクンと大きくブレた躰を、何とか踏み堪えて転倒を免れたのだが、そうは問屋が卸すわけがなく

、花から更に踏み込まれられて床に後ろ頭を打ちつける羽目に成る。その際に、呻きを漏らしてしまった。眼球の前に小さなプラズマが散ったのを視た。やがて、煤やら埃やらで黒ずんだ天井の梁が視界に入る。両肩から伝わる焼ける痛み。しかし、歯を食いしばって堪える。ズブ、と鎌が押されて更に肩を貫通して床に刺さった。口内に鉄臭い物が滲み出てきて、口の端から頬を伝って赤い滴が筋を描いて床に落ちる。八千代はたまらずに苦痛の声を漏らしてしまった。鎌を突き刺したまま、花が八千代に跨って床に両膝を突く。そして、花はその顔をゆっくりと下げてゆき、金緑の瞳を歪ませて微笑んだ。

 花の下顎が縦に割けて左右に開き、八千代の顔を食らいつかんと迫ってきた時だった。突然、腹の両側に巨大な釘が打ち込まれたような激痛を花は味わい、絶叫と共に背骨を疾走した稲妻に躰を仰け反らせたのだ。両側から刺さっていたそれは、八千代の武器の水道管。それは情け容赦なく内臓を突き破り、それぞれの神経系等をも切断していた。花が反対側に反らせたまま、痙攣を起こしてゆく。隙を見た八千代は焼ける痛みを堪えながらも、片膝を突いて何とか立ち上がる。花が虫の如き口を開いて吐血。そして、八千代は相手の鎌をしっかりと握り締めると、引き抜いていった。その度に傷口から吹き出る赤い飛沫が、落ちて床に赤い水溜まりを作ってゆく。

「ぬあああ……!」

 口から血を飛び散らしながら、激痛に叫び声をあげて花の武器を両肩から抜ききった。歯を食いしばり、それぞれの指が動くかを確かめた後に前方の敵を鋭く見据える。相手も痛みは尋常ではないらしく、血を撒き散らしつつ態勢を直そうとしていた。水道管の口から赤い物を吹き出させながら、花は床を蹴って鎌を振り下ろしてくる。刃先から身をかわし、そして躰の軸を保ちつつ捻って、掌を全力投球で顔の真横に叩き込んだ。花の頭蓋骨に衝撃波が広がってゆき、脳味噌を内部で幾回も振動させた。頸椎は軋み、一瞬だけ脳内が真っ白になる。花に打ち込んだ八千代は、すかさず腹に刺した水道管を引き抜いて間合いを確保して正面に回り込むと、力強く駆け出した。そして、水道管を花の口から後ろ頭へと貫かせたのだ。八千代は即座に身を転がして、再び敵から間合いを保つ。だが、花は膝から崩れ落ちてそのまま動かなくなっていた。しかし、生きているようだ。瞳に生気が残っている。八千代が膝を落とした花の元に近付いゆき、もたげた頭を見詰めていた。すると、自ら顔をゆっくり仰がせて、八千代と目を合わせる。やがて、二人が瞳で語り合いを始めた。


 花から語りかける。

 もう、終わらせて。

 八千代が訊く。

 本当に良かったの?

 これは、貴女が望んでいたこと……?

 花はこう答えた。

 そうよ。だから、終わらせていいの……。お願い。


 そして、決意した八千代が水道管を握り締めて、それを捻った。



 6


 天井の暗闇から月子が飛び出して、真正面から八千代に組み付いた。そのまま飛行していき屋敷の外へ。そして、放り投げられた八千代は、塀に背中を強打して草花の地面に崩れ落ちる。感傷に浸っている場合ではなかったのだ。吐血をしつつ、なんとか立ち上がってはみたものの、脚に震えがきている事に気付いた八千代。宙に浮いたまま、月子は脚を曲げて突進。八千代の胸元をめがけて思いっ切りと伸ばした。そして、力が爆発する。その時に八千代は、防御している腕から肩の傷口にかけて切断されたような痛みが走った。思わず、両腕を切り落とされたかと錯覚。

 着地した月子が再び攻撃を仕掛けてきた。身を屈めての突進。今度は八千代の腹を貫くつもりだった。だが、急激に視界が下がってゆき、顔全体が地に埋もれてしまう程に叩き付けられてしまったのだ。そして、髪の毛を掴まれて強引に立ち上がらされる。しまいには正面から首に腕を巻き付けてられて、押さえ込まれてしまった羽目となる。八千代が万力の如き力に成って、月子の頸動脈を絞めあげてゆく。だが、月子が翼を広げたその時。八千代は己の足元に浮遊感を覚えた。月子が羽ばたく度に上へ上へと浮いてゆき、更にはその運動からくる上下振動によって、八千代は激しく振られてオマケに絞めの力も段々と弱まってきた。二人は垂直に飛んでいった結果、屋敷の黒い屋根を見下ろせるくらいに位置している。やがて、密着していた躰が離れて宙ぶらりんとなった。月子は方向転換をして飛翔し始めてゆく。

「ぬん!!」

 呻きを漏らした八千代が、脚を振り上げて月子の腰にしっかりと巻き付けた。息も荒々しく吐いている。体力的にもそろそろ限界を感じていた八千代は、一か八かを賭けてある決意をする。月子の首から両腕を解いて、上体が外れて頭を下にして宙吊りになった瞬間に、腰の後ろへと手を回してプリーツのベルトからある物を引き抜いたのだ。相手をぶら下げたまま、月子は屋敷の敷地から出ると、アスファルト舗装道路をめがけて急降下を始めてゆく。

 逆さ吊りのまま上体に反動を付けて、月子に顔を近付ける。同時に、手元の武器を交差させていた。月子が、己の頸動脈あたりに冷たい物が当てられている事に気付いたその時は既に遅く、八千代はためらい無しに全力で両手の短刀を引いた。刃は簡単に皮膚を裂き、肉を断ち、首の骨を切り離したのだ。肉の断面から勢いよく、赤い体液が幾つもの線と成り噴き出す。司令塔を失った躯は、突如として力を無くして急速に落下をしてゆく。八千代の背中に月子の頭髪が触れて、首が通り過ぎる。このままでは己自身も危ないと八千代が機転を利かせて、短刀を棄てて首無しのセーラーカラーを力強く掴み、身を捻った。反転して八千代は上になり、月子の躯が下となる。そして、相手の腹にお膝の体勢を取ると、あとは神頼み。

 アスファルトに激突。

 バウンドして滑り出す。

 景色が溶けて流れてゆく。

 そして、電柱に衝突。

 月子の躯が四散。

 衝撃で跳ね飛ばされた。

 受け身を取って転がる。

 月子の躯をクッションにしたお陰で、八千代は己自身が砕け散る事態から防げた。息を大きく切らしながらも、道路に手を突いて立ち上がっていく。嗚呼……、躰のあちこちが焼けるように痛い……。今頃というかようやく来た切り傷に刺し傷の痛みが、十八の少女の躰中に一気に押し寄せてきた。自身の肩を抱き、力いっぱいに眉間と鼻筋とに皺を寄せて目を瞑り、この駆け巡る炎を少しでも治めたい。そして、この時、八千代の思考に、あるひとつの事がふと浮かんだ。

 ―あ。焼却処分しなきゃあ……。――

 麻実から習った通り、ラッカースプレー缶とライターを取り出して、四散した月子と首を捻られた花の元へと向かって行った。




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