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道場


 1


 同日の夜。

 真也は“実に”久々に『蛇流空手』の道場へと訪れていた。ここには、数ヶ月ぶりとなる。この女と同じ武術を習う者には、口縄龍のほかに、同クラスメートの倉美津羽くらみつは於呂智象美おろちはのめがいた。幽霊道場生の真也と違って、この三人は、毎日通い続けて鍛錬に励んでいる。

 道場の隅で型稽古から入っている真也を見ていた三人の女が、微笑んだのとは対称的に、ここの師範である瀧壷隆太郎は怪訝な顔をするなりに師範代へとひと言告げて、その隅に向かっていった。隆太郎は、三〇歳になる好青年。先代の師範の息子で跡継ぎでもある、現・師範代を勤めている瀧壷和真を師範にさせるべく教え込んでいた。


 見えない敵の技を払いのけて、拳を突き出した真也のもとにきた隆太郎が、声をかける。

「真也」

押忍おす、師範」

 型を止めて男と向き合う。

「遅れてすみません」

「いや、それはいいんだ。あとで口縄たちと一緒に掃除してもらうからな。―――それよりな」

「なんでしょう」

「久しぶりに顔を見せたんだ。皆の中に入って、拳を交えてみるか?」

「そ、それは……!」

 我が家での稽古は怠っていないが、これには動揺した。たちまち顔が赤くなる。この反応を見るなりに、隆太郎はニヤニヤとしながら言葉を吐いていく。

「なぁに。数ヶ月ぶりに、こうしてお前も入れた綺麗どころが揃ったんだ。男性諸君の前に出てきて士気を上げてほしい」

「いや、その……。お、押忍……」

 なんだか、いろいろと照れることを云われて恥ずかしくなりながらも、師範の頼みに応えるべく、真也は龍たちのいる道場の中央へと足を運んでゆく。既婚者の隆太郎にとって真也は、一番大きな娘と同然であった。



 2


 この道場にいる女子の道場生といえば、紫陽花女子高等学校の生徒は四人のみ。

 於呂智象美おろちはのめ。十八歳、三年生。四人の中では、一番線が細く、身長は百六二。切れ長な瞳ながらも、そのおっとりと顔立ちは整っていた。胸のあたりまである黒髪を、オールバックにして、襟足から二つに括っている。道場では、その長い脚を生かした蛇流空手の脚技を中心に鍛錬中。

 倉美津羽くらみつは。十八歳、三年生。お姫様的な容姿の三人とは違い、眉毛の短くて薄めな、少々強面な女。整った顔の真ん中をスッと高く走る鼻は、若干鷲鼻。スレンダーな体格は、百六八の身長。焦げ茶色の髪の毛は、顎のラインよりも下に伸ばしていた。道場では、力強さを生かした拳闘を中心に鍛錬中。

 この女四人とも旧い付き合いが続いており、中学生の時ほどではないが、道場での稽古はのぞいた放課後や休日などに会って話している仲だった。


 稽古を終えた時には、外はすでに暗闇へと溶け込んでいた。雑巾を干してバケツを片付けたのちに、真也たち四人は、更衣室で道着を脱ぎ始める。真也が衣紋掛けに道着をかけて、制服に手を伸ばしたときのこと。下着姿をした美津羽みつはが、真也の隣りのロッカーに背を預けるなりに、腕を組んで歯をみせて話しかけてきた。

「いやあーー、ちょーど良かったよ。あんたが稽古に来てくれてさ」

「なんだよ、急に……」

 美津羽へと早く制服を着ろよと目で訴えたときに、今度は、すでに制服に着替えていた象美はのめが微笑みながら手を後ろにやって、隣りのロッカーに背を預けた。そういえば、りょうの姿が見えない。

「りょうを探しているのかしら? あの子は御手洗いに行っているわ。―――ねぇ、真也。こうして私たちが揃ったのも何かの縁なんだし、せっかくだからお話ししましょ」

「さっきまで、雑巾がけしながら話していたじゃねーか。別にこれ以上の話題なんてありゃしねえよ」

 なんだか両側にいる二人の様子に奇妙さを感じつつ、真也は再び制服へと手を伸ばそうかとしたその瞬間に、美津羽から手首を掴まれた上に象美からロッカーの扉をそっと閉められてしまった。

「象美、美津羽。なんのつもりだ。……こっちはまだ、下着なんだぜ」

「あたしだって、下着だぜ」

 こう語尾を上げて返した美津羽が、真也の顎を優しく取って向き合わせる。

「しばらく見ない間にずいぶんと綺麗になってじゃねーか、真也。あたしから見ても“そそる”女だ。―――彼氏から更に“開発”されたのか?」

「な、なに云ってやがんだ」

 声を投げつけて、美津羽の手を振り払ったところに、後ろの象美から胸元と腰に腕を巻かれた。そして象美は、女の延髄に被さる、軽いウェーブ癖のついた髪の上から匂いを嗅いでゆく。その時に唇も触れて、微弱な電撃が真也の躰の中を駆け巡った。

「ちちちょっと象美っ……!」

「真也って、こんなにいい香りがするのね……。彼氏さんが羨ましいわ」

 そう溜め息混じりに呟き終えて、今度は真也の延髄へと軽くキスを幾つかしてゆく。旧い友の思わぬ行為に、女の腰がビクッと動いたのだ。

「ぅんっ……!」

「んふふ……。可愛い声ね、真也。―――そう、貴女って“ここ”が弱いんだ?」

 さらに延髄に唇と舌を這わせていく。真也は体内を走る電気に堪えるように、下唇を噛みしめて湧き上がってくる感覚を必死に抑え込んだ。そして、再び真也の顎をとった美津羽が、そっと唇を重ねて舌を絡めていく。これ以上の抵抗を考えていた真也だったが、この象美と美津羽から特別な悪意を感じとれないのと、なによりも、乱暴に扱われない事が察知できたために、力を抜いて暫くは二人に任せてみることにしてみたのだ。やがて、美津羽がようやく唇を離した頃には、二人の舌先には糸が引いていた。

「綺麗だぜ、真也」

 そう囁きかけた美津羽は、真也の手を優しくとったそのときに簀のすのこの鳴ったのに気がついたので、手を止めてその方へと首を回した。そこには、未だに空手着姿の龍が目を丸くしていたのだ。顔も少し赤らんでいるか。

「おめぇーら、こんなとこで何してやがんだ?」

「おかえり、りょう。早かったのね」

「ん? ああ、しょんべんだったからな」

 象美に微笑みかけられて、小便は早くて当然じゃねーかと含めた口調で答える。しかし、龍が御手洗いから戻ってきても象美は真也を放そうとしないので、その女に歯を剥いて声を投げた。

「おいおい……。続きは場所変えてやってくれよ。―――てか、真也も抵抗しろ」

「んふふ。……ねぇ、りょう。この子、可愛い声で“なく”でしょ。それに、こうやって感じている顔も可愛いのよね。彼氏さんが羨ましいわ……」

 確かに象美がこのように述べている通りに、龍の視界と耳に入ってくる真也の桜色に染まった顔と、熱を持った吐息とに魅入っていたのだ。己の耳が熱くなったのを感じた瞬間に、我にかえった龍は、象美たちのもとへと寄っていくと、女の手首を優しく掴んだ。

「象美に美津羽……、アタシからの頼みだ。よしてくれ、……な?」

「わ……解ったわ……」

 象美は友の頼みを聞き入れつつ、真也の躰から離れてゆく。それにしても、龍の顔が近くて、少しばかりドキドキしてしまったようだ。そしたら今度は、真也の前に立つなりに、顔を近付けていった。

「お前、本当に綺麗になったな」

「んん……っ」

 なんと、思わぬところで幼なじみとの初キッスを体験してしまった。龍の唇は、とても柔らかく、そして甘い。たっぷりと中で舌を絡め合ったあとに、お互い顔を離した。すると、なんだか妙な恥ずかしさが沸き起こってきたのと同時に、胸の高鳴りまで大きくなってきたではないか。いくらお互いに幼なじみとはいえ、今までこのような感情を抱いたことは無かったのだが、口付けをした途端に意識しはじめてしまった。なるべくなら、両脇の象美と美津羽には悟られたくはない。

「は……早く着替えて、とっとと帰ろうぜ」

「あ、ああ。そらそうだ」

 若干動きが固いながらも、何事も無しを取り繕いつつ真也と龍は制服を身につけてゆく。この二人の間をなんとなく察することが出来たものの、突っ込むのは野暮だと判断した象美と美津羽は、ここは黙っててあげることにした。




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