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麻実と八千代

 1


 八千代(やちよ)が目を覚ました場所は、保健室。

 灰色の天井を黒い線が縦横に走って垂直に交わり合っており、様々な薬が置かれているステンレス棚も冷たい感じのグレーで塗装されて、更に透明度の高いガラスが無機質感を高めていた。薬品臭いのも、保健室独特らしい。そして上体をゆっくりと起こした時に、腹から駆け巡ってゆく電撃に顔をしかめて手で押さえつけて、お膝になると躰を伏せてしまう。それらの治まるまでに、八千代は苦痛の喘ぎを漏らしていった。オマケに冷たい汗も噴き出してきたようだ。ひと段落ついた途端に、人の気配を感じて横に顔を向けたら、少々驚いた。それは、天然パーマで縁無し眼鏡を掛けた精悍な女が、パイプ椅子に腰掛けていたからだ。しかも、脚を組んでいる。その女は、八千代と目を合わせるなりに手刀をあげた。

「よぉ、生き返ったな」

「生きていたみたい。―――あのー、麻実」

「ん?」

「アタシを此処に運んでくれたのって、貴女なの?」

「御名答」

「そう……。ありがとうね」

「いいってことよ」

 微笑む八千代に麻実も微笑みで返す。縁無し眼鏡を正して真顔になると、ベッドの女へと言葉を繋げていく。

「お前、肝臓が破壊されているようだな」

「うん。久々に赤いオシッコ見ちゃった」

 恥ずかしげに後ろ頭を掻きながら、八千代は答える。その言葉を聞いたのか聞かなかったのか、麻実は素早く椅子から腰を上げて、なんだか嬉しそうに告げた。

「ちょっとばっかり特殊なんだが、とっておきの治療薬がある。今から持って来るよ。―――少しばかり待っていてくれないか」

「う、うん……。ありがと」―麻実ったら、なんだかとっても嬉しそう……?――

 いそいそと部屋を出て行く麻実の背中を見送ったのちに、八千代は再びきた痛みを押さえた。


 ―なにをやってんだろーなーー、アタシ……。――



 2


 五分後。

 湯呑み片手に部屋へと戻ってきた麻実が、器の蓋を開けて八千代に手渡す。その時に、麻実は八千代の手に意識的に手を重ねた。意外と形がゴツくて渋い色合いの湯呑みの中には、普段から見る煎茶と変わらない液体で満たされており、しかも鼻孔を通過してゆく香りは抹茶のような甘さだ。極薄の湯気の揺らめくそれは、器を通して人肌の体感温度だった。そうして、二度三度と吹きかけて八千代が『麻実手製の治療薬』を喉に流してゆく。これまた意外にも旨い飲み薬で、ほど良い甘さが口の中に広がっていた。量的にも一気に行ける、百五〇ミリリットル。

「美味しかったー」

 思わず出てしまった感想。

 しかも、ほっこりした笑顔だった。

「それは良かった」

 麻実が湯呑みを受け取って蓋をする。

「ありがとう、麻実」

「なぁに。礼は要らんよ」

 そう嬉しさを含んだ声で返しながら、麻実は湯呑みを机に置いたあとに再びパイプ椅子に腰掛ける。女のその行動に、不思議に思った八千代が戸惑いつつも声をかけた。

「あ、麻実。ありがとう、ホントにもう大丈夫だよ……」

「ん? 私の治療薬はちょっと特殊だと云った筈だぞ。だから少し経過を見る必要があるんだ」

「……え?」

 何だか、嫌な予感。

 不安げな八千代をよそに、麻実は腕時計を見ながら確認するようなひと言を漏らした。

「そろそろかなーー」

「ねぇー。『そろそろ』って……、何が――――!!」

 その途端に、八千代の下腹部の辺りから、雷が発生した。

 危うく舌を咬みそうになったところを、上手く避けて歯を食いしばる。躰が大きく仰け反ったのと一緒に、ベッドが動いて床を叩いた。寒気が素速く傷口から分断して脳天と爪先まで駆け抜けて、それが鳥肌となって現れる。が、それも忽ち消え去ると、今度は全身を炎に巻かれるかのように、喉の奥まで達して焼いてゆく。八千代はうつ伏せになって、腹を力強く押し付ける。少しでも気持ちだけでも、痛さを和らげたいが為であった。眉間と鼻筋とに力いっぱい皺を寄せて、歯を剥き出す。もがく度に、細い四肢がシーツを乱していった。苦悶の喘ぎを絞り出してゆく。冷たい脂汗が噴き出て、制服を肌に貼り付けた。見開いた視界の景色は二重三重とブレてきて、そしてまた再び瞼を閉じたら無数の火花が散ってゆくのを視たのだ。

 息を嘔吐し始めた。

 内臓が雑巾絞りされる。

 嗚呼、霞もかかってくる。

 アタシこのまま死ぬのかなと思い始めた時に、今まで躰じゅうを焼いていた痛みが立ち消えて、八千代の中に安堵が芽生えだした。その刹那に、先ほどまでとは真逆のものが容赦なく発生していった時、この治療薬の本当の恐ろしさを八千代は体感していったのだ。


 それまでの激痛と打って変わって、沸き起こってきた疼き。下から急成長をして、これもまた頭の天辺から爪先まで巻き付いていった。躰じゅうにはさっきとは別の熱を持ち始め、その芯からくるものは焼けるような痛さではなく、ひじょうに心地良い痺れを与えていたのだ。やがて、視界は良好に回復して、脇腹の傷も完治しているのが、八千代自身にも解った。そして、次にきたものとは。

 脚の間に、無色透明な糸を引いてゆく感覚。決して不快な感じではない。寧ろ、今このままこの感覚に身を従えてしまったならば、心まで溺れてしまいそうである。よって八千代は、頬を赤く染めつつも堪えていた。そういえば、吐き出す息までも熱を持っている。

「ああっ!」

 遂に限界がきて、抑えきれなかった感情を嗚咽として出してしまう。

「っんっく……!」

 駄目だ、まだ気を緩めてはならない。

 八千代の様子を黙って見ていた麻実が、ここでようやく口を開く。

「顔色が良く成ったな」

「お、お、おがげ、さまで!!」

 やりやがったな!―――と、麻実に睨みを利かせて、声を投げつけた。だが、当の天然パーマ女には痛くも痒くもなく。麻実が椅子から腰を上げて、悦に悶えて喘ぐ八千代のもとに来るなりに、上体だけ覆い被さると嬉しそうに声をかけた。

「手伝ってあげようか?」

「こ、断る!!」

「恥ずかしがることないじゃない」

「ははっっ……、恥ずかしいからよ!!」

 顔を真っ赤にして歯を剥いて吐き捨てた。しかし、麻実は食らいついてくる。

「独りで大丈夫……?」

「大丈夫だから! お願い!!」

「そ」

 上体を戻して縁無し眼鏡を正した麻実は、残念そうに溜め息混じりに漏らしてゆく。

「解ったよ。今から席を外すから、独りでなんとかしてくれよ」

「おっ、オーケー!! 是非ともそうしてちょうだい……! んんっ、っあぁぁ……」

 八千代の躰を稲妻が真っ直ぐと貫いていったのだ。ちょっと何だか気の毒そうな顔になった麻実は、女の頭を優しく撫でて静かに部屋から出ていった。




 3


 あれから数十分も経つ。

 自身でして、今日一日に三度も快楽の達成を求めてしまうとは。八千代は余韻に浸って身を任せながらも、天井をボーっと眺めていた。こうしたことは初めてで、悦びよりも恥じらいが上回っていた。制服の前をはだけて肩も出して、おまけにパンツは床に落ちていたのだ。躰じゅうに今までにかいた事のない大量の汗が、皮膚を覆って、腕と太股とにシーツを貼り付けている。しかし、べっとりとした粘着性はない。静かになった部屋には、壁掛けの丸い時計が針を刻んでいく音のみが聞こえていった。

 そんな中。

 忽ち八千代の視界に写る天井に走る線が揺らめきを始めて、大きく歪んだ。するとそれは、目尻から溢れ出して頬に緩やかな線を描いていきながら落ちていった。

 ―アタシって……、こんなにも真也と零華に抱かれたかったんだね……。――



 更に数分後。

「入るぞー」

「ど、どーぞ」

 麻実が帰って来た。

 手には蒸しタオルと、何か小さな紙袋を持っている。

「これで汗を拭け」

 そう云って、ベッドに座り込んでいる八千代へと手渡す。胸を隠してそれを受け取ると、恥ずかしげに頬を赤らめた。

「ありがとう……」

「本当に可愛いよな、お前は」

「え……!?」

 不意を突かれたのは、発せられたひと言だけではない。指で顎を持たれて仰がされると、下唇を指の腹で労るように撫でられた事に気づいた時には、頬に口付けをされていたのだ。如何、耳まで熱を持ってきた。顔じゅうが真っ赤に染まる。

「あ……、ああ麻実!?」

「すまないな八千代。―――今回の私の治療薬と引き換えに、これ位は戴いておくよ」

「う……うん……」

 何故だか真也に悪いなと思いながらも、八千代は嬉しさを噛み締めていた。

 ―あれ? なんで今アタシ、真也に悪いって思ったんだろ。――


 躰じゅうの汗を拭き終えた頃に、麻実からあの紙袋を渡された。

「これは?」

「替えの下着だ。街まで行ってきた」

「え? いいの?」

「染みを付けたまま帰るよりいいだろう?」

「た、確かに」

 袋を開けて取り出した瞬間に、八千代は顔を綻ばせたと同時に鼓動が大きくなってゆくのを感じた。溜め息混じりに、感嘆が出る。

「うわ……」

 己が普段から着けているのとは違って、何だかオトナな匂いのする下着のデザイン。色は白いが、レースで綴られていた柄にドキドキときた。だから思わず麻実に訊いてしまう。

「これ……、本当にいいの?」

「八千代の為に選んできたんだ。遠慮することはない」

「ありがとう。―――さ、さっそく着けるね」

「どうぞどうぞ」

 顔を綻ばせっぱなしの八千代を微笑ましく見て、麻実はすすめる。

 下を穿いて、上を着けた。

「……?」

 何かと違和感が。

 大きさ、馴染み具合に至るまで申し分ない。だが、しかし、これは何だか。

「…………」

「どうした?」

 後ろから尋ねてくる麻実に首を回した八千代は、声をかけていく。

「あのさ……、これ……」

「ひょっとして、パットが薄いのか?」

「……うん」

 その返事に、縁無し眼鏡を正した麻実は、次のひと言吐き捨てた。

「嘘胸はいかんなぁー。八千代」

「!!!!」

 ワンサイズ誤魔化していたことを、見抜かれていたとは。




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