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ダブルホッパー&ローカスト

 1


 数日後。

 学校の帰り道に、八千代は近くの商店街のデパートで姉から頼まれた買い物をしていた。地下食料品売り場の野菜コーナーで、青葱(あおねぎ)を物色中。今夜は、姉妹一緒にお好み焼きを焼きながら食べる予定である。これだ、と思った青葱を手にしたときに、隣りのサラダコーナーに見慣れた人物が現れた。長身のスラッとした女に、八千代は忽ち笑顔になって声をかける。

「松葉」

「やあ」

 寮生活の松葉と、こんなところで会えるとは。目当ての品をカゴに入れて、八千代は更に話しかけていく。レジに向かいながら二人は歩く。

「どうしたの? 珍しいじゃない」

「まあな。こうやって世間の様子を見とかないと」

「時々ここに来るの?」

「時々じゃないよ。ここの他にも、商店街に行って紅葉とよく買い物するんだ」

「へへえー。やっぱり紅葉と一緒なんだ」

 八千代が目を流してニヤニヤとする。しまった!と、松葉は目を見開いたものの、次第に照れてきた。そのような女を微笑ましく見ながら、八千代が次の場へと誘う。

「松葉。次、アタシ百均に行くんだけれど。―――付き合う?」

「ああ、付き合うよ」

 笑みを浮かべて返した。

 そして二人はデパートの斜め前に建つ百均の店へと入って、化粧品のコーナーでマニキュアを見ていた。

 商品を物色中のふりをしながら、八千代が松葉へと密着してきて静かに話しかけてくる。

「あのさ」

「な、なんだ?」

 八千代とピッタリとできて、嬉しさを堪えることに必死な松葉。

「アタシたち、つけられているね」

「ああ、解っていた」

「ちょっと多いんじゃないの? 平均したのが六人と、突出したのがひとり」

「連中に勝てるか?」

「勝てはしないけれど、負けることはないわ」

 その答えに、松葉は微笑した。



 百均を出た二人は浜の町商店街の路地にある、ピラミッド型のゲームセンターまで進んでいた。

 すると、周りの物陰から六人の女が出てきて、二人を取り囲む。そしてその面々は、紫陽花高校の生徒たちだった。

 団栗眼、明恵(あきえ)

 ワンレングス、小百合。

 小振りな縦ロール、(かおる)

 眉毛無し、操子(そうこ)

 ロングシャギー、由夏。

 セミロング、峰子。

 そして、ノボリの影からあとひとりが姿を現して、八千代と松葉を無言で睨み付けたその生徒とは。

 GOTH娘、稲穂翠。



 2


 八千代はその女を、実に久しぶり見たような気がしていたのだ。


 稲穂翠(いなほみどり)、三年生。身長は、八千代と同等。線の細い躰。制服のプリーツはかなり短く切り詰めている分、太股の半分まである黒いスパッツを履いていた。肩よりも上で切った黒髪を、真ん中で分けている短髪。整った顔の中には三角白眼で切れ長あり、何に対しても疑いを抱いているような眼差。その上、冷ややかで、ドライな印象も持ち合わせていた。そして、目の回りには黒いアイラインを引いており、強く結んだ唇にも黒に近いリップを付けていたのだ。それに合わせて、顔は白いファンデーションを薄目に塗っており、これは死人化粧というよりも明らかにGOTH娘である。オマケにそれを裏付けるかのように、稲穂姉妹は共に(けが)れを感じる度にソレ等を浄化する意味で、リストカットを儀式として行っているという。

 八千代が久しぶりに(みどり)を見たというのも、気のせいではなく。翠と茜の姉妹揃って“何か”ある度に学校に出てこないという、問題児であった。

 八千代が翠に訊く。

「久しぶりだね。零華に云われて来たの?」

「……」

 少し沈黙しながら一旦は余所見するが、目線を八千代に戻して口を開いてゆく。

「そんなことを答えたところでどうなるんだ?」

「そっか……。そうだね」

 何だか、翠の声を初めて聴いたような気もするが、そこは気のせいであろう。

「吐かせるしかなさそうだな」

 松葉がそう挟んできたところで、翠は目線だけ向けて吐き捨てた。

「やってみろ」

 その言葉を合図に二人を取り囲んだ六人が構えて踏み出そうとした時に、八千代の躰が突然抱えあげられた。「しっかりと掴まっていろ」と、八千代に告げた松葉は、膝を落としてバネの如く跳ね上がったのだ。逃がすまいと、団栗眼の明恵が跳躍して二人の位置に並んだ瞬間に身を捻って膝を打ち出す。八千代をお姫様抱っこしたまま、松葉はその膝を足の裏で受け止めて、空いた所へと着地。そして、八千代を降ろす。

「ありがとう」

「礼はまだ早い」

「そうだね……」

 今の状況に納得しつつ、八千代は買い物袋を電気屋の駐車場出入り口に置いた。


 翠の目線の合図とともに、六人は八千代と松葉へと向かっていく。

 先頭を切って走ってきた由夏が、宙で身を捻って八千代の前に着地するなりに、脚を跳ね上げた。爪先から顔を引いて後退した八千代の頭上を、操子が通過して背後で着地。そして拳を繰り出す。拳から頭を下げて身を引いた八千代は、由夏に足払いをしたのちに、馨からのハイキックを喰らう。頭を反射的に腕で防御したと同時に、足の裏を馨の腹へと叩き込んだ。蹴り飛ばされた馨は、UFOキャッチャーに背面を強打。

 足払いで転倒した由夏を飛び越えて、小百合が出てきた。松葉の頭に狙いを付けて、脚を軸に身を捻って踵を振り上げる。頭を下げて踵を避けながら、松葉は小百合の脇に潜り込んで抱きつく。そして、その横に回り込んでいた峰子をめがけて、小百合を投げつけた。衝突した二人は、ノボリのところまで転がって、それぞれ背中と腰を打ちつける。明恵がダッシュしてくるなりに、跳躍して宙で回転して踵を打ち出してきた。それを、松葉は腕を交差させて胸元を防御。明恵の着地を狙って踏み出して、胸倉を捕った松葉は、ぶん投げの背負いを敢行。結果、八千代と拳を交えていた操子と衝突して、センターの出入り口まで滑っていった。

 共に吹き飛ばされた明恵と操子と入れ替わるようにUFOキャッチャーから馨が走ってきて、八千代に組み付くと、そのまま電気屋の駐車場ゲートへと激突。そして、膝を女の腹に叩き込んでゆく。八千代を助けようとして駆け出した松葉の前に由夏が現れて、拳と足を交えて繰り出してきた。足の攻撃を全て防ぎ、拳を胸元に数発ほど受けたのちに、松葉は由夏の腕をすり抜けると腹に当て身をして転倒したと同時に、女の胸板へと肘を打ち込んだ。馨の打ってくる膝に、八千代は腹を締めてダメージを軽減していた。そして、馨が次の攻撃に移ろうとしたのを狙って、胸倉を掴み取った八千代は、そのまま力強く引き込んで女の額をゲートの壁に叩きつけたのちに投げ飛ばしたのだ。

 倒れ込んだ馨と入れ替わりに小百合が飛んできて、八千代の顔をめがけて拳を突き出した。辛うじて小百合の腕をすり抜けた八千代は、腕を真横に振り上げて、そのまま女の喉に叩きつける。小百合を倒して身を上げた時に、峰子が踏み込んでいたのだ。そして、膝を八千代の顎へと叩き込もうかとした瞬間に、松葉の踵が真っ直ぐと飛んできて、峰子の胸板を貫いて吹き飛ばす。

 刹那。

 海老のように躰を折って吹き飛ぶ峰子を飛び越えて、松葉の胸板に踵を打ち込んだ。間一髪で腕を交差させて防御したものの、松葉はバランスを崩して後方に下がる。そして着地をするなりに身を捻り、鋭い直線を描いた踵で八千代の胸元に蹴りやった。

 蹴飛ばされた勢いで、八千代はよろけて後転しようとしたところの背中を、松葉から抱き止められて助かったのだ。痛みに胸をさすりながらも、首を後ろに回して松葉にひと言かけた。

「ありがとう……」

「なぁに。―――それより、ボスの出番らしいな……」

「みたいだね」

 二人の見つめるその先には、瞳孔を桃色に光らせて大地に足を踏ん張っている稲穂翠の姿があった。


 八千代と松葉を、意図も簡単にかつ素速く蹴飛ばした女である。




 3


 拳を腰に添えて、斜め上にあげた片腕を左から右へと回したのちに、それらを入れ換えるように腰の腕を対角に突き上げて、右の拳を腹に乗せて型を決めた。すると今度は、その眼全体が桃色に変色したと同時に、額を突き破って触角が現れたのだ。

「……!!」

 衝撃的なシーンに目を剥きながらも、八千代は松葉に話しかける。

「な、何かの変身ポーズ……かな……?」

「さあな」

 緊張した松葉の横顔を見た八千代が、微笑んで駆け出した。

「先手、必勝!」

「あ!」

 松葉も後を追って踏み出していく。


 翠の下唇から発生した筋が縦に走ったその時に、八千代の鞭のように振るった脚が脇腹に迫ってきた。翠が膝を上げて、それを防御すると、桃色の眼で八千代を睨み付ける。

「途中で来るなんて、せっかちな女」

 そう吐き捨てて、八千代の脚を跳ね除けた翠は、バック転をして間合いを取る。と、八千代の横から現れた松葉の拳が、翠の顔面を狙って飛んできた。足を後ろに引いて拳をかわした翠が、地を蹴って膝を繰り出す。腹にそれを喰らった松葉は、数歩ほど下がって堪えた。間を置かずに八千代が翠の間合いに入って、拳を数発打ち出していく。それらを全て手刀と腕で防御した翠は、後ろに飛び跳ねて片膝を突いた。その隙は逃すまいと、八千代が踏み込んで真上に踵を振り上げたものの、躰を仰け反らせた翠に余裕でかわされて、倒立した姿勢から放たれた踵を土手っ腹に喰らってしまう。

 尻餅を突いた八千代をよそに、松葉が長い脚を振り上げて風を切る。翠は女の蹴りを全て見切っていたようで、避ける動きに焦りがなかったのだ。膝を狙った松葉の足を、飛び跳ねてかわすと宙で側転して着地。背中を狙ってきた八千代の蹴りに、トンボ返りで避けて着地すると、片手を地に突いた途端に両脚でSの字の軌道を描いて開脚。その踵が八千代の下腹部を貫いて、吹き飛ばす。松葉が放った後ろ蹴りから側転してかわした翠は、垂直に跳躍して踵を打ち出した。とっさに腕で防御したのにもかかわらず、松葉は蹴飛ばされて、八千代の横に落下してしまう。

 下腹部を押さえて悶える八千代に肩を貸しながらも、松葉は自身の腕に走る軋みを感じていた。そこで松葉が思わず漏らしてしまう。

「くそ……。ムカつく……」

「あは、は」

 お互いに息を切らしながら、言葉を交わしてゆく。

「あの、子……。脚しか、使って、いない、みたい……」

「全く、だな……」

 やがて呼吸を整えた八千代は、松葉の脚に目をやって呟いた。その遠くで翠が構えている。

「長くて綺麗な脚だね」

「な、なんだ? いきなり」

「脚には脚でいこうかなと」

「…………」

「いや、その長い脚がリーチになる筈だから」

「解った」

 そう答えた直後に、女は己のプリーツの裾を掴むなり一気に腰のあたりにまでかけて縦に引き裂いていった。それは、両側に高く切れ込みが入ったスリットとなる。この松葉の行動に、驚きを隠せない八千代。

「な、なんばしよっとね」

「ん? 次は蹴りで行くんだろ。それには、これが“ひらひら”して邪魔だから、脚を動きやすくしただけだ」

「ポイントアップだね」

「なにが?」

 爪先から腰まで視線を這わせた八千代の見せた、なんだか別な意味ありげな微笑みに、松葉は語気を強めて返した。そして、仕切り直しとばかりに遠方の敵の稲穂翠へと顔を向けたのちに、声を隣りの八千代へとかける。

「よし。じゃあ次は同時に踏み込むぞ」

「あははは。メンゴめんご」

 そして、二人が息を合わせて地を蹴って飛び出した。

 翠のエリア内に入り込んだ二人が、背中合わせになって相手の胸板へと蹴り上げた。しかし翠は、それを腕で防御して後退。二人が間合いを詰めて、頭を挟み撃ちするような蹴りを両側から放つ。その蹴りから、翠は腕を上げて頭を庇ったのちに、跳躍して二人の頭上を通過。八千代と松葉は共に振り返る。翠が宙で旋回して着地するなりに、勢いを付けて上体を横に大きく振った。すると、それと連動して両脚も振り上がり、その足が八千代と松葉の顔を襲う。ギリギリで引いた二人の鼻を、踵が掠めてゆく。間を与えずに、翠は着地してすぐに身を捻った。松葉も脚を振り上げて、翠の頭を狙う。鞭のような蹴りが、お互いの横顔を叩いた。

 路上全体に、鈍い音が響き渡る。

 同時に腕で顔面をガードしていたが、余裕もあり軍配も上がったのは翠の方。腕に走る稲妻に、松葉が顔を歪めて態勢を崩したところで、脚の角度を変えた翠は、今度は真横に蹴りやった。背中を金属バットで殴らたような痛みが、松葉を仰け反らせて地面にキスをさせる。八千代の繰り出したハイキックから身を引くと、片脚を軸に捻りをきかせて横一線に足を打ち出す。とっさに蹴りから膝を上げて腹を防いだ八千代は、そのまま片脚立ちから槍の如く伸ばして、翠の腹を貫いたのだ。お互いに脚を下ろしてみると、八千代の踵を喰らった割には翠は平然として無表情である。舌打ちをした八千代が、踏み込んだ。同時に翠も踏み込む。そして身を捻り、八千代の脚をすり抜けて下腹部へと踵を突き刺した。そこから駆け上ってくる稲妻に、八千代は口を尖らかせて躰を折ってしまう。


 起き上がった松葉が、翠の背中を狙った蹴りを放つ。しかし、その足は虚しく空を斬って流れた。身を沈めて蹴りをかわした翠が、地に両手を突いた瞬間に鞭のように脚を振り上げて、松葉の頭を蹴りやる。辛うじて防御するも、腕に限界を感じてきた松葉は後ろへと跳び退けた。が、それを追って翠が跳躍してきて、そして容赦なく両脚を松葉の顔面に叩き込んだ。全身のバネを使って放たれた翠のドロップキックは、まるで太い槍の如く相手を突き刺したのである。着地と一緒に、遠くで松葉の落下した音を聞いたのだが、違和感も覚えた。あれは、何だか軽い音であり、乾いた音でもある。

 それは、細い丸太だった。

 その横では、昼間の分を嘔吐した八千代が立ち上がって構えていた。息の切れもかなり大きくなって、体力的にそろそろ限界がきていたようだ。無表情で睨み付けたのちに、翠は大きく踏み出して踵を振り上げた。反射的に下がって蹴りを避けた八千代が、身を沈めて踏み入れる。翠は蹴り上げた態勢から踵を振り下ろして、女の肩を破壊せんと狙う。踵落としを肩で受け止めた八千代は、さらに踏み込んで翠の胸板へと拳を叩き込んだ。八千代の全体重を乗せて打ち込まれた拳の衝撃に、翠が目を剥く。そしてもう一撃を喰らわせて、翠を突き飛ばした。

 遠くに落下した翠を見ながら、顔じゅうに汗を浮かべた八千代が、横から出てきた松葉に話しかけてゆく。

「見て、松葉。アタシのパンチが効いたんだね。胸をさすっているよ」

「火に油を注いだ気もするが」

「えーー?」

「だが、精神的ダメージは与えたな。―――それよりもな、八千代」

「な、なに?」

「次は蹴りには蹴りでって云っていただろ? お前自身」

「それは、あれよ……。り、臨機応変」

「…………」

 松葉の告げた通り、立ち上がった翠は苦痛に歪めて前方の二人を睨み付けたのちに、再びあの構えを繰り出していく。型を決めたその瞬間に、翠の瞳は桃色に輝いて、次は下顎が左右に割けていったのだ。

 この変化には、八千代は口も目も開いていた。


「マズい、パトカーだ」

 サイレンの音を聞いた馨が、翠に呼びかけた。

「翠!!」

 小百合の声に舌打ちをすると、変化を解いて元の翠の顔に戻った。次に翠が四つん這いになると、その六人も同じ態勢を取る。すると、七人の足の甲が臑と同じ長さになったのだ。周りからは、より近づいてくる幾つものパトカーサイレンが。

 翠が八千代を睨み付けて、言葉を吐き捨てた。

「お前らの首、預けておく」

 すると、一斉に七つの影が跳躍していって、蜘蛛の子を散らすが如く去って行った。




 4


 翌日の中休み。

 ―あはははー。来るにはまだ早すぎると思ったんだよねーー。――

 八千代が御手洗いから青白い顔をして出てきた。昨日の戦闘で、翠から肝臓を破壊されていたらしく、血尿をしていたのだ。これは如何と思いつつ、保健室へと足を向けたその時に、前から歩いてきた翠とすれ違った。そして、GOTH娘は御手洗いへと入っていく。八千代はすれ違いざまに、翠から薄笑いを浮かべられた。入っていく翠の背中を見送ったのちに、何とも云えない気持ちで踵を返して足を進めたその矢先に、八千代は驚愕。

 一瞬、幻覚を視たかと思ったが、そんなことはなかったようだ。それもその筈で、歩いてきた女は八千代の前で立ち止まると睨み付けてきた。女の顔は、翠と寸分違わず同じ。目つき、鼻立ち、唇の薄さ、輪郭に部品の配置まで全てが一致していた。オマケに、化粧までも。

 稲穂茜(いなほあかね)

 翠と双子。GOTH娘。唯一の違いをあげるとすれば、茜は長髪で、制服のプリーツは校則通りの膝丈であることくらいか。

 八千代の耳元に口を近寄せて、静かに囁いた。

「放課後、屋上に来い」


 そして、放課後。

 沈み始めた夕陽が、蜜柑色に校舎を染めていた。そこから出来る建物などの濃い影が、強めのコントラストを作っている。春風の緩やかに吹き抜けてゆく屋上に、八千代と茜は向かい合っていた。

 八千代に薄笑いを見せて話しかけてくる。

「顔色が悪いね。翠から肝臓でも破壊された?」

「ええ。お陰で血のションベンを見せてもらったわ」

 八千代の言葉を聞いたのちに、茜は一旦瞼を閉じてそして再び睨み付けて声を吐いてゆく。

「……お前は、翠を殴った……!」

 その歪めた顔つきと発せられた口調から、八千代はこのGOTH娘に何があったのか察した。

「また、手首を切ったのね」

「私が躰の何処を切った切らないなどは、お前には関係のないことだ」

「そうだよね」

「そうだ」

 静かな空気の流れてゆく中で、二人は構えを取る。


 茜は手刀にして伸ばした両腕を左から右へと回してゆき、右拳を立てて、左拳を寝かせて型を決めた。すると、昨日の翠と同じように、茜の眼が薔薇色に変色して輝きを放ち、額を突き破って触覚が現れたのだ。そして、下顎が縦に割けて唸りをあげる。

 二人は地を蹴って、間合いを詰めた。八千代の放った低空の蹴りが、茜の膝を狙う。バネの如く跳躍して、八千代の背面に回り込んだ茜は、ステップを踏みながら拳を繰り出してゆく。打たせてなるものかと、八千代が足と拳を次々と打ち出してゆくが、茜は余裕を持ってそれらの攻撃をかわしたりすり抜けていった。そして、茜は一歩踏み入れて拳を連射していく。

 ワン・ツーのジャブ。

 踏み込んで右ストレート。

 回転してバックハンド。

 左ストレート。

 茜の繰り出してゆく拳を、八千代は二発三発喰らいながらもギリギリでかわしていた。拳が頬を掠めて熱を残してゆく。八千代が食いしばって茜の頭の狙って蹴りを出した時に、GOTH娘は身を沈めてくぐり抜けた。そして、がら空きになった八千代の脇腹へと、茜が全身の筋肉を捻って拳を撃ち込んだ。それはまるで、巨大な杭が躰を貫いていき、そこから無数の稲妻が放射状に広がって八千代を一瞬硬直させた。やがて内臓が突き上げられて、喉元まで鉄の臭いを押し上げてくる。

 茜がめり込ませた拳を引き抜いて跳び退けたと同時に、堪えきれなくなった八千代の喉の奥から、赤い物を昼の分と交えて吐き出した。屋上の地に作った赤い水たまりの横に、八千代は倒れ込んだ。

 横たわって動けないでいる八千代の視界に、茜が入ってきた。片膝を突いて、トドメの拳を引く。狙いは勿論、顔面。それを見た八千代は、口を結んで静かに瞼を閉じていく。そして、茜が拳を撃ち込もうかとしたその瞬間、後ろから手首が掴まれたのだ。誰だと思って首を回した茜は、声を詰まらせてしまう。八千代も霞んでゆく視界の中で、その後ろに立つ者に驚きを隠せなかった。


 それは、毒島零華がいたからである。




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