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飛べない創造物  作者: N
2/2

                    Ψ

 

 東京の上空に居座っていた夏の長い夕方が、やっと夜に席を譲ったころ、ユウイチは新宿駅の東南口を出た。

 いつもながら、この出口から広場へとつながる野外エスカレーターを下っていると、巨大な吸水口にでも吸い込まれている気分にさせられる。その理由は、広場が四方を高架や駅ビルに囲まれているためだろう。そういう景色の周りには更にスケールの大きなデパートや企業ビルや無人電波塔がそそり立ち、広場を「新宿の底」と思わせるのに何役も買っている。

 ユウイチはエスカレーター上で携帯電話を開いた。シホからは既に三通もメールが入っていた。連絡を入れてもユウイチが捕まらないので、紀伊国屋書店で経済学の本を漁り、その後いつも待ち合わせに使う喫茶店で待つという。普段はシホからの電話やメールに応答しないことはまずないので、今日は怒られるだろうなあと思った。

「……面倒臭いな。そういうの」

 ユウイチは呟いて携帯電話をしまった。

 そして、ふと、今のセリフをシホが聞いたら唖然とするだろうなと気付いた。

 今日は変な日だった。陰気な礼拝堂で眠り込んでしまうわ、おかげで講義に出られず帰る羽目になるわ、何をしに学校に来たのか分からない。

 ……いや……。

 ユウイチは思い出す。学校に行った意味はあったのではないか? 礼拝堂で見た長尺の夢はSF映画みたいで楽しめたし、しかも今はやりの〝天使〟騒動に題材を得たものでもあった。〝天使〟の起源を明かす物語は、レム睡眠中にユウイチの脳味噌がでっち上げたものにしては、それなりに整合性が取れていたように思った。もっとも、整合性など問題にしないほどの難点があり、それは話がブッ飛びすぎているということだろう。ユウイチは新宿駅周辺で信者を勧誘しているカルト団体に捕まった経験があるが、彼らの電波話でさえもっと地味なものであった。そのカルト団体には丁重にお断りを申し入れておいた。今更SF風味の〝天使〟起源説など語られても、信ずるわけもない。

 ……語られたとしたらね。

 自分が見た夢だとしたらどうだ。

 夢というのは、本人にだけは迫真力があるものだから困る。

 さらに、夢の中の登場人物が現実世界にも登場したとしたら? ……。

「いやいや、何を考えているんだか」

 ユウイチは、周囲の人に変な目で見られないよう、殆ど聞こえない程度に呟いてみた。まったく夏の暑さにでもやられたようである。夢の登場人物が現実に、などと。そんなものは「寝ぼけていた」の一言で終わりにするべき問題のはずだ。こんな夢想に耽るよりは、シホに会った時の言い訳を考えていた方がいい。もう終わりにしよう。ユウイチはエスカレーターの動く床から広場の固い床へと歩を進め、人混みを縫って歩き出した。

 と、広場に植えられた大きな木の下で、知らない少年から声を掛けられた。

「ねえ。あんた」

「え? オレのこと?」

「そう。そこのオマエさ」

 外見的にはおとなしそうな少年が、腕組みして木に寄り掛かっている。少年はジーッとユウイチを凝視していた。一ミリも動くことのない球面レンズのような目玉には、ユウイチを中心とした駅前広場の景色が映りこんでいる。

「オマエ、どこかで会ったっけか?」

 少年は訊いた。ユウイチは少年から目を逸らした。どうしてかは分からなかったが、こんな生意気な少年に絡まれた体験が初めてだからというふうに結論した。

「なあ。どうなんだ? 会ってるか?」

「いつですか?」

「……」

 ユウイチは訊き直してみたものの、相手は返事をしなかった。ユウイチの答えなど期待していないとでもいうように、目玉の作り物みたいな黒い瞳で見ている。ユウイチは気味が悪くなり、立ち去ることに決めた。警戒を解かないで相手を視野の片隅に映しつつ、さりげなく遠ざかって行く。数メートルも離れて完全に背中を向けた時、少年の声が響いた。

「二千年前……くらいに」

 ユウイチは声だけに反応して振り返った。木の下には少年の姿は無かった。やや時間を置き、ちょうど遠くに雷が落ちた時のように、少年の残した言葉の意味がユウイチの中に転がってくるのだった。

 

                    Ψ

 

 翌日も朝からカンカン照りの天気になった。電車の中がキンキンに過冷房されるほど、外は暑かった。講義を一つも入れていない日であるにもかかわらず、ユウイチは登校した。講義が入っているシホは、自分の付き添いで来てくれたのだと信じ込み、電車の中から既に上機嫌であった。ユウイチはシホの日常的幸福をわざわざ壊そうという趣味は持っていないので、シホの思い込みを訂正しないでおいた。シホとは講義が終わったら食堂で会うことにして、ユウイチは一人で礼拝堂を訪れた。

 入り口の厚い木製扉は閉まっていた。今日は聖歌隊のコンサートの看板も出ていない。ユウイチは石段を登り、扉に耳を当てた。中からは物音一つしない。

 ……あの人が居てくれれば。

 ユウイチは重い扉を押し開け、隙間から滑るように中へ入った。

 シスターの後ろ姿が佇んでいた。まるで昨日から一秒も時が進んでいないかのように。

 シスターは客が来たのに気付いたのか、物静かにユウイチの方を向いた。キャンパス内の一年中絶えない木漏れ日のように、落ち着いた眼差しがユウイチに正対する。研磨された石灰石のような顔面のうちで、目だけが少し細められる。逆光でユウイチが見にくいのだろう。

 ……やっぱり。

 ユウイチは興奮のせいで自分の顔がさぞマヌケになっていることを確信しつつも、構わずシスターに近付いて行った。頭巾からはみ出した銀髪は、昨夜の夢と同じである。

 やがてシスターは表情を変えた。どんな表情になったかというと、たとえば田舎の駅で二時間ぐらい待っていた電車が線路の消失点にポッと現れたのを見た時のように、喜んだのである。微笑む顔を見たのは初めてだった。ユウイチは嬉しかったし悲しかった。この人の笑顔を見るのが自分ひとりしかいないということが。

 シスターは頭巾を取り、短く切られた銀髪を露わにした。

「本日もようこそ」

 と言ってお辞儀をする。ユウイチはシスターの雰囲気に誘い込まれるように口走った。

「昨日オレにあんな夢を見せたのは、あなたですね」

「夢ではありません。事実。あなたたちが身を置いている体系と懸け離れているというだけの」

 シスターは、とある小部屋の前にユウイチを連れて行った。

「今日も来たということは、信じてもらえたとみていいのですか?」

「分かりません。でも、ただならない感じはしました。……ところで、名前を教えてもらえませんか」

「ユカです」

 シスターは小部屋の戸を開け、中に入った。ユウイチは理由もなく体が震えるのを抑えながら後に続く。

 小部屋の壁面は肖像画や写真でぐるりと囲まれている。

「この学校が元々教会だったことは知っていますね? 飾ってあるのは歴代の院長の肖像です」

 そう説明するユカの顔を、ユウイチは部屋じゅうの写真と見比べた。

 ……全部一緒だ。

 どれもこれもがユカの顔だった。違うのは写真の変質具合とユカの髪型とコスチュームだけである。ユウイチは膝までガクガクと震えだした。

「私がこの国に来たのは四百年前になります。神に祈る場所を作るために、この地に教会を建てさせました。私が初めて訪れた教会を模して造ったのです」

「四百年もずっと祈り続けていたんですか?」

「この教会でのお祈りだけなら。そうでなければ二千年です」

 ユカは部屋を後にし、十字架の下へ赴く。ユウイチは更に問い掛けた。

「そ、それで、……見付かったんですか?」

「何がですか?」

「あなたの探していた、疑問の答え」

 ユカは再びユウイチに微笑で応えた。

「ええ」

 その顔はどこか物悲しいものだった。

 

                    Ψ

 

 二人は十字架の下で話し込んだ。あっという間に時間は過ぎた。普段でさえ訪れる人が少ない礼拝堂なのに、今日は扉も閉まっていたから、お祈りの人が来る気配すらなかった。

 ユウイチは昨日の夢がいまだに続いているような奇妙な具合だった。いや、今ではあれが夢ではなかったと分かったし、だからこそ現実世界の礼拝堂でユカと会話ができているわけだが、言ってみればユカが立っている場所を中心にして世界全体が空想的な空気に包まれているような感覚を覚えたのである。ユウイチは少しずつ礼拝堂の外のことを忘れていくような気がした。しかし不愉快な気分ではない。あたかも、自分の中からもう一人の自分が立ち上がろうとしているように感じた。ユカによって自分の未知の部分が掘り出されようとしているかのようだ。

「昔、どこかで会ったことがありますか?」

 そんなナンパの第一声みたいな文句さえ口にしようと思った。顔に見覚えはないのだが、どこか懐かしい心地がするのである。

「知っていますか? 人間の魂って、滅びないんですよ。滅びるのは肉体だけ。死んだ後も魂は残って、新しい肉体の中に生まれ変わるんです」

 ユカが言った。いかにも教会のシスターが言いそうな言葉である。

 しかしユウイチは真面目な顔で問い返した。

「その話、オレと関係ありますか? というか、あなたがオレに教えてくれた秘密に関係ありますか? ありますよね? オレ、あなたが赤の他人だとは思えなくて」

「ええ。一度出会っています。私が神に仕えることを決めた教会で。人間からすれば遥かな前世ということになるでしょう。あなたは幾度となく生まれ変わり、そして再び私の前へ。これは単なる偶然に過ぎません。あなたが私の大切だった人の生まれ変わりであることも、今もその人の面影があることも」

「……」

 ユウイチは言葉を失った。現代の常識的大学生である彼にとって残念なことに、全部を信じてしまっている自分に気付いたからだ。それくらい今の身体感覚はどうしようもなく、まるで自分が一個の磁石になってしまい、異極の磁石であるユカの方へ吸い寄せられようとしているみたいだった。それに、もしユカの話を信じなかったとしても、自分は進んで騙されるに違いないと感じた。仮にユカがシスターを装った悪魔であり、ユウイチを誘惑して魂を奪おうとしているとしても、ユウイチは悪魔の毒牙に掛かったことであろう。

 ひんやりとした手がユウイチの後ろ首を抱き込んだ。ユカの顔は目の前にあった。何と揺るぎない目だろう。こんな美しい顔を前にしたら、きっとどんな奴も……。

「……」

 ユカは黙ってユウイチを見詰めた。

 ユウイチの首から手を解き、再び距離をおいた。ユウイチの携帯電話が鳴ったからだ。

「シホだ」

 講義が終わったら会う約束になっていた。ユウイチは困った顔でユカを見た。ユカはすんなりと言った。

「お友達? ここへ呼んだらどう? 外は暑いですから」

「そ、そうだね」

 ユウイチは自分を納得させるみたいに頷き、電話を耳に当てた。その途端、響いてきたのはシホの悲鳴だった。

〈ユウイチい! どこに居るの!? 大丈夫、ねえ!? 大変なの、あたし……! みんなも……! 火が――〉

 ザザアッと電波が錯綜し、通信が打ち切られた。

「シホ……?」

「どうしたのですか?」

「分からない。何かあったみたいだ」

 ユウイチはシホの取り乱し具合が心配になった。外の様子が気に掛かった。フラフラと無意識に足が扉の方へ動いた。

 その時、ぶ厚い木製扉が段ボール工作に過ぎないかのように押し開けられ、入り口に人影が立った。

 黒い人影の後ろでは火が燃えている。芝生がキレイに燃えて、バラ色の海のようである。その遥か向こうでは、高台にある講堂の並びが丸ごと燃え、蜃気楼みたいにチラついている。

 人影が足音を響かせて入ってくる。扉が閉じて、少年の顔がはっきりと見えるようになった。ユウイチは少年の顔を覚えている。昨夜新宿駅で出会った少年だ。彼はこの大学の学生なのだろうか。どうしてこの礼拝堂を訪ねて来たのだろうか。頭が混乱する。いや、そうではない。問題はこの少年ではなくて、外の様子だろう。ちょっとだけ垣間見えたあの景色は何だ。誰か、紙芝居だとでも言ってくれないか。もう一度そこの扉を開けてくれ。待て、なにも動転する必要はない。自分で扉を開ければ景色は見れるだろう。それなら扉まで行けばいいじゃないか。……だめだ! もっと奇妙な景色が見えているじゃないか。そこの少年の背中に翼が生えているのはどうしてだ? おかしくなったのは目か? 頭か? それとも、何もかもか?

 ユウイチは微動だにしなかった。できなかったと言った方がいいだろう。自分の錯乱具合が怖ろしくて、身動きができなかったのだ。より正確に言えば、外に出て行きたかったのだが、そっちに歩いていくと少年に殺される気がしたのである。翼の生えた少年に殺される気がするなんて、ひどい精神錯乱であろう? そんなわけで、ユウイチは背後のユカに助けを求めることにした。母親を見る子供のような顔でユカを振り返った時、一本の光線がユウイチを突き抜け、ユカの横を過ぎた。

「ユウイチッ……!」

 ユカは発狂したみたいに叫んだ。

 すぐさま炎の中へ手を差し入れたが、両手に残されたものは、真っ黒な炭化物のみであった。

「あ……。あ……」

 黒い塊を捧げ持った手が震えている。

 ユカは壊れ物を扱うように黒い塊を下に置き、這いつくばったまま立てない。歯ぐきが露出するまでに歯をギリギリときしらせ、目のまわりが溶けて落ちそうなまでに悲嘆にくれていた。

 少年は気持ち良げに前髪をしゃらりとなびかせた。同時に、収められていた翼が天井に向かって広がった。

「久しぶり……って言うべきか? 裏切り者に挨拶に来た。ユカ」

「……タリム……ッ!」

 無表情のままの少年をユカは見上げた。

「二千年ずっと起きていたのか? 豊かな表情をするようになったな。おまえの表情が何を表しているのか分からないが、似た顔をする人間たちを何百万と見た。望みのない特攻を仕掛けてきて、全員犬死にした」

「タリム……! タリムーッ!」

 ユカは腕を目一杯に伸ばしてタリムに掴み掛かった。タリムは力強く舞い、天井の梁に乗った。

「翼の出し方すら忘れたのか? それとも、実在していない神様とやらに、〝天使〟の力を使わないとでも誓っているのか?」

 タリムは笑いながら翼をバッサバッサと打ちあおぐ。

「……そうだ。なんでおまえが僕に掴み掛かってきたか、思い出したよ! この前のことだな? 二千年前の大量殺戮の時、僕はローマのとある教会に攻め込んだ。そこにはおまえが居たんだ。おまえはあの時から人間世界にドップリ浸かっていたよなぁ」

「あなたはその時、私のそばに居た人を殺した。そのことを覚えているか?」

「僕達が人間を殺すのは当然のことだろう? それに、人間の顔なんて、どいつも同じに見えるさ」

「その時あなたに殺されたあの人が、何度も! 何度も! 何度も! 生まれ変わって、再び私の所に来てくれた。偶然という名を借りた、神の奇蹟だった。それをあなたは壊した」

「神の奇蹟ぃ? 違うだろう。それを言うなら、二度までも僕に殺されるところまでが奇蹟だったと考えるべき。それよりも、おまえこそ覚えてるのか? 二千年前のローマで、僕は言ったよな。同じ〝天使〟のよしみで一度は見逃すが、二度目は絶対に殺すと。僕達の連帯に泥を塗り、人間世界で暮らすなどと。これ以上、恥をさらすんじゃない」

 梁の上で足を組んだまま、タリムは光線を発射した。ユカは光に撃たれて倒れた。

 教会じゅうが火に食われつつあった。屋根は落ち始め、壁も燃えている。タリムの座っている梁の両側からも炎がにじり寄ってきた。

「あれ?」

 タリムは組んだ足をほどき、翼をはばたかせながら降りる。

 ユカが立ち上がるのが見えたからだ。

 翼のある〝天使〟と、翼のない〝天使〟が相対した。

「そうか。〝天使〟の体だったことを忘れていたよ。あの程度の光線じゃ死なないか」

「タリム」

「ん?」

「二千年、恥をさらして、分かったこともあった」

「何が分かった? 人間のもろさか? 汚さか?」

「興味はない。人間にも、〝天使〟にも。私が考えていたのは、一つの疑問だけだった」

 渦巻く火と熱波。壁が崩れる音。ユカの小さな声が掻き消される。

「あなた達が眠っている二千年の間、私はずっと考え続けてきた。けれど、〝どう生きたらいいか〟は分からないままだった。しかし、最近になって気付いたことがある。それは、〝ならば、どう生きたらいいかを考え続けよう。そうやって生きていこう〟ということだ。人間たちには呪われ、仲間たちには背を向け、それでも私は長々と生き続けている。だけど今は、こうしてぶざまにさまよっている姿が本当の私なのではないかと思っている。僭越かもしれないけれど、今の私の姿勢には納得しているよ。私は確信した。これでよかった、こうなるべきだったと。あなたは私に福音をもたらした」

 ユカはタリムに微笑んだ。

 タリムは首をひねった。

「何を言っているのか分からない。とりあえず、おまえを殺せということだな?」

 タリムは光線発射可能な手先をユカに向けた。ユカはその手を掴み、上に押しのける。

「あなたとこうして再会できたことを、私は幸福だと思うよ。今はハッキリと〝答え〟が分かった気がする。愚かに取り乱したりもしたけれど、それも含めて私だ。自らのできる限り、あがいてみせるつもり。持続湧出動力機構遮断。暫時集積動力機構作動」

「……ちいっ」

 タリムはユカの手をほどいた。掴まれた所が熱で溶け出したからだ。

 ユカの目の奥が赤色に点滅したかと思うと、チープなCGのようなオーラが体中を包んだ。赤いオーラは不死鳥のような形に広がり、やがてユカの中へ消えた。ユカは獲物に飛びかかる猫のように背を丸めた。背中を突き破って翼が上に伸びる。タリムは顔をしかめ、嘲笑を浴びせかけた。

「ぐえ~。ひっどいザマだなあ。二千年も手入れをサボったから、骨しか残ってねえじゃん。それじゃあ飛べないぞ。哀れだなあ。そして一層恥さらしだ!」

 タリムは翼を持ち上げた。上空へ舞い上がり、ユカに集中砲火を浴びせるためだ。しかし、〝天使〟の力をフルスロットルで解放しているユカは、すかさずタリムに光線を発射した。「ドバッ」という衝撃音が轟き、礼拝堂は飛び散った。タリムの片翼が弾け飛んでいた。

「ぐおーっ!」

 タリムの絶叫。

 その遠景では、新宿の高層ビルが三本ほど撃ち抜かれ、大爆発を起こす。

 ユカはタリムに接近した。

「私を殺したいなら、あなたも死に物狂いでかかってきなさい。私だってユウイチを殺されてキレてるわ。言葉を交わす必要はない。思い切りぶつかりたいの。私を受け止めて。私もあなたを受け止める」

「貴様……! 〝天使〟への裏切りと反逆……! 貴様が人間なら良かったものを。そうすれば貴様が生まれ変わるたび何度も! 何度も! 何度も! 殺して! 殺して! 殺しまくってやるものをォォォーッ!」

「それが、人間が怒るときの顔よ! タリム!」

 ユカは晴れ晴れとした顔でタリムに向かって行った。

 

                    Ψ

 

 東京の破壊は、さほど派手ではなかった。タリムがユカとの戦闘に専心したため、破壊を考える余裕がなかったからだろう。それでも二人の戦いは夜を越えて未明まで続いたので、舞台になった新宿エリアは一昼夜を通して世界中のありったけのミサイルをぶち込まれたような惨状を呈した。住民はハリウッド映画のごとく消されてしまった。運の良い者は奥多摩あたりに非難した。

 二人は撃ち合い、殴り合い、転げ回り、むしり合い、身を削り合った。

 そして夜が終わりに近付いた頃、タリムの光線乱れ撃ちがユカを襲った。

 ユカも同等の攻撃で応じようとしたものの、エネルギー残量が低下し、もはや光線を連射できなくなっていた。久々の戦闘により、ペース配分を忘れていたのだ。タリムの光線は次々と当たり、形勢は大きくタリムに傾いた。

 未明の新宿駅、東南口広場。

 タリムは木の残骸に体を預け、肩で息をしている。タリムは片手を失っていた。

 ユカは片手しか残っていなかった。顔も三分の一ほど無くなっていた。

 タリムは動くことができない。エネルギーを使いすぎた。動力機構も過熱している。

 十メートルぐらい先からは、ユカが片手の指だけを使い、芋虫みたいに這って来る。

 が、三メートル程度進むのが限界であったようだ。ユカは静かになった。片方の目に灯っていた光も消え、完全に停止した。

 やがて、東の空が明るくなり始めた。 

「無残に壊れたな。僕の体も……。ちくしょう……。こいつの……。こいつのせいで……」

 タリムはのろのろと近付いた。ユカを粉々に踏み潰してやろうと思っていた。

 ――と、ユカの目に光が再点灯した。

 エネルギーを僅かに残して自ら停止。時間をおいたのち再起動。事前にプログラムしておいたのだ。懐中電灯が切れそうな時にしばらく休ませると、少し持ち直す。同じ効果を狙ったのである。

「なんだと……!?」

「頭はこうやって使う」

 ユカは隻眼から最後の一閃を発射した。タリムの頭が消し飛び、決着がついた。

 

                    Ψ

 

 静かな朝を迎えた。ユカは、廃墟と化した黒いビルに囲まれ、白んでくる空を見ていた。

 ……体が動かない。

 少し休んでいこう。動けるようになったら、山の中にでも這って行き、二千年の眠りにつくのだ。色々な部分が損傷しているから、三~四千年かかるかもしれない。それでもいい。今はぐっすりと眠りたい。

 ……あれは、何だろう。

 上空に影が浮かんでいる。

 翼が生えた人間の影だ。

 六人いる。

 ユカは自分の運命を理解した。

 ……ああ。そうか。

 私は死ぬんだな。残念だな。

 けれど、分かっていたはずだわ。

 二度までもユウイチを失った時、私は分かったんだ。私にはいつも苦しみが残されるということを。なぜ奪われる? なぜそしられる? それでもなぜ生きている? 問いは終わらない。私は、答えのない苦しみの中でもがく。苦しみ続ける者。苦しみと対座する者。物言わぬ神の像の前で祈り続ける者。それが私。

 六人の〝天使〟のみんな。あなたたちは復讐のために生きると言う。

 私は、苦しみのために。

 空が明度を増したように見えた。

「ざ……。残念だわ」

 ユカは呟いた。

 光が彼女を包んだ。



 

(終)

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