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飛べない創造物  作者: N
1/2

2008年作。新宿駅前のようすが現在とは違います。

 新宿駅というと、機械的にバス乗り場が配置された西口や、マイシティ前でウジャウジャと人が待ち合わせている東口を思い浮かべることは簡単だろう。甲州街道に面した南口を想像するのはサラリーマンだろうか。そこで「東南口」といってもすぐにピンとくる人は少ないに違いない。

 しかし、長い野外エスカレーターやオーロラビジョンがあるポケットみたいな場所といえば思い出す人もいるだろうか。駅ビルの陰にひっそりとある広場なのだが、そこに人がうごめいている様子は、庭石の下に群れるダンゴムシにも似ている。

 ユウイチとシホは、汗をぬぐうサラリーマンに混じってエスカレーターを登っている。これから電車に乗り、近くのミッション系大学に登校するところだ。頭上高くにあるオーロラビジョンからはニュースが流れている。

 ――NY壊滅に関する最新情報をお伝えします。突如現れてNYを焼き尽くした〝天使〟についてですが、以後の目撃情報はなく、詳細は明らかになっておりません。依然として現地との連絡も繋がらず……――

 ユウイチとシホは一度だけオーロラビジョンを見上げるものの、そのまま駅の大きな口の中に入って行った。


                    Ψ

   

 電車が都心のビルの谷間を走っている。

 二人は電車のドア付近で話す。

「デマなんでしょ。〝天使〟とかっていうの」

「さあ。オレ、ニューヨーク人じゃないから」

「あたしも」

 しばらく無言。

「だけど、翼の生えた人間が空から現れて、白昼堂々とニューヨークを灰と化したにしても、オレは信じられそうだな。9・11テロの時だって、最初は映画だと思ってた」

「でも、今度はたった一人だって言うわよ。米軍だって出動したそうじゃない。それなのに一時間でニューヨーク全部が焦土って、どういう話なのよ」

「東京の証券取引所とかには影響が出てきてるらしい。経済学部生としては将来の卒研のテーマにどうですか。『もしNYが無かったら』っていうテーマで。生きたデータが取れそうだ」

「というより、生々しいデータかも」

「〝天使〟騒動は、国の威信を賭けたアメリカンジョークだという説もある」

「何のためによ」

「ジョークに目的なんて要るのか? だけど日本のコメンテーターは〝天使いる派〟と〝天使いない派〟に分かれて不毛な議論をするんだろうから、確かにネタは提供してくれたわけだ。あとは、頃合をみて〝天使〟が東京を襲ってくれたりしたら、オレら民衆は飽きないで済むな」

「やめてよ。本当にそうなったら、どうするつもり?」

「NYを一時間で灰にする化け物だよ。どうしようもないでしょう。オレたちは一瞬で焼き尽くされるよ。願わくば講義中、居眠りしてる時に襲来してくれますように」

 ユウイチはおどけて十字を切る仕草をした。

「じゃあ、あたしは、〝天使〟とやらが日本を襲来しないことを願うわ」

 シホは少しユウイチに肩を近付け、ドアに映る二人の姿を見ていた。

 大学前の駅に到着し、電車のドアが開いた。

駅は大学の敷地に隣接しているので、電車を降りればすぐにキャンパスだ。由緒と歴史のあるミッション系大学なので、キャンパス内に植えられた木々は緑色の雲のようにもくもくと繁っている。門を潜れば木陰の隙間に日光の欠片が落ちているという具合で、夏をやり過ごすには理想的な学校である。楠の木の下ではメガネの青年が古めかしい本を広げ、芝生の上では女子学生たちが弁当を広げている。

 いつもと変わらないな、とユウイチは思う。

 このキャンパスに限ったことではない。シホと待ち合わせた新宿のカフェも、新宿駅東南口広場の大道芸人やティッシュ配りやサラリーマンたちも、電車のアナウンスや混雑具合も、駅から出たときに真上から叩き付ける太陽光線も、何もかもがいつもの通りだ。たとえば待ち合わせのカフェが臨時休業で東南口の広場には誰も居なくて、電車には一人も乗っていなくて、キャンパスの木々が根こそぎ取り払われている状況なんて想像できるだろうか?

「文学部ノ文芸学科ノ者ナラバ想像力ヲ駆使シテ紙ノ上ニ描写シテミセルトコロ、日々六法ノ条文ヲ眺メテイルノミデアル法学部生ニトッテハ至難トイウホカナイ」

 ユウイチは判例集のテキストっぽい言い方を真似て呟いてみた。

〝天使〟という怪物が存在するとして、その怪物が東京都心を一時間で灰燼に帰するとしても、それはどのくらいの恐怖なのだろう? この時期になるとテレビや新聞では「戦争の惨禍を忘れず平和を祈念しましょう」みたいなキャンペーンが始まるものであるが、戦争を体験していないユウイチたちには難しい話である。ユウイチにとって、戦争は「毎年夏になるとメディアが悲惨さを煽り立てるもの」以上ではない。戦争を体験した古老たちから実際に談話を聞く機会があったとしても、それはバーチャルな体験にすぎない。特攻隊の悲劇や原爆の残酷さを描いたスペクタクル映画を見るのと何の違いがあるのだろう。戦争もそうだし、〝天使〟だってそうだ。生々しさが遠すぎる。まるでハリウッド映画みたいに。いや、ハリウッド映画そのものと言ってもいいくらいに。

「あ、だから、ハリウッド映画を見ればいいのか。〝天使〟を知るためには」

「え?」

「ハリウッド映画で何本もありそうじゃん。NYが壊滅する作品なんて。たぶんそうやって破壊するんだよ。〝天使〟は」

「それは映画でしょ」

「だから、映画が現実なんだよ」

「何を言ってるの?」

 シホは首をひねった。

「あたし講義に出なきゃ。国際金融論。潜ってみない?」

「遠慮しとく。オレは五限だから、適当に暇を潰しますよ」

「そう。じゃ、またね」

 シホは手を振り、木陰の落ちる道を歩いて行った。

 

                    Ψ

 

 ……さて、どうやって時間を潰すかな。

 五限の講義までは三時間近くもある。食堂で何か食べるのもいいが、三時間も食べ続けるほど大食漢ではない。図書館はどうだろう。図書館で期末試験の勉強! もちろんお断りである。一ヶ月後の試験のために今の三時間を供するほどユウイチはマジメでもない。だが、図書館には行くことにした。夏の真っ昼間から登校して疲れたので、図書館で居眠りさせてもらうつもりである。

 しかし、なかなか図書館には行けなかった。キャンパスの広さもさることながら、ユウイチは滅多に図書館を利用しないので、場所が分からなかったのだ。いたずらにキャンパス内を回って疲労を余計に増大させていると、ユウイチは礼拝堂の前まで来た。

 この学校の学生としては、礼拝堂が何処かにあることは知っていたが、来たのは初めてであった。

 入り口の扉は開いている。真っ暗な穴ぐらが口を開けている感じである。建物の大きさといい、苔むした石壁といい、ここがヨーロッパの有名ワインの貯蔵庫であると言われても信じられそうだ。礼拝堂の前は日光がぎらぎらと射し込んで暑苦しかったので、ユウイチは中へ入ってみたくなった。ちょうど「××大学聖歌隊 ミニコンサート」の立て看板が掲示されていたこともあり、立ち寄ってみることに決めた。

 礼拝堂の天井は高かった。大学野球部の室内練習くらいなら文句なくできそうである。誰がどうやって何の目的で開けるのかというような天窓が幾つかあるきりで、まるで映画館みたいに暗い。十字架の下では、ミサ服で統一した聖歌隊が、遠いラジオ放送みたいに歌っている。ところが客席に人影はなく、客人はユウイチだけのようであった。

 ……神父とか居ないのかな。日本の教会は、そこらへん、いい加減なのかな。

 ユウイチは聖歌隊を無人教会で歌わせておくのは哀れだと思ったので、墓石の方が座り心地がいいくらいの硬い椅子に腰を下ろした。

 拍子抜けな感じがした。最近の世情からして、〝天使〟の脅威から日本が守られますようにと祈っている人が居てもおかしくはないのではないか? 裏を返せば、ユウイチはほんのりとした危機感を覚えていたのである。そろそろ神に祈る人が増えてこないと、罰として〝天使〟が日本を襲ったりするのではないかと。これは取るに足らないジンクスと同じだ。「いつもみたいに右手で定期を改札しないと、電車が大事故に遭ってしまうのではないか?」などと心配するのと変わらない構造である。そしてこういう心配はほぼ百パーセント杞憂なのだ。いちいち当たっていたら電車を作る鉄鋼会社や工場は日本一の大会社になっている。

 ……神のみぞ知る、ってやつだな。

 それだけは言えそうだ。〝天使〟が日本にも襲来するのかどうかは、現時点では全く分からない。

 しかし、暗室の中で無個性な声の集まりに身を晒すことは、自己省察を深める効果があるらしい。ユウイチは自分の本心が徐々に分かってきた。

 どうやら彼は〝天使〟を恐れていたようだ。来てほしくはないと思っていた。「東京に襲来すれば退屈しない」などとおどけてみせたのは、畏怖の裏返しだ。単位が取れるかどうかで一喜一憂したり、週に何回かシホとデートしたりする日々を壊されたくなかった。CGの大爆発に巻き込まれて一瞬で死ぬような、ハリウッド映画のイチ弱小市民に選ばれたくはない。かといって映画の主役級を演じるのも御免である。たいてい彼らは強敵と戦って苦悩したり致命傷を負ったりするのだから。それは見ている分には面白いが、当人の心身には相当のストレスが掛かっていることだろう。

 ……オレはせいぜい祈らせてもらうよ。

 映画自体が製作されませんように、と。

 その時、知っている歌詞が耳に入ってきたので、ユウイチはお祈りを中断した。

 

 いま、私の願い事が叶うならば、翼が欲しい。

 

「翼をください」である。ユウイチは小学校のときに合唱させられたものである。うんざりな合唱練習の思い出と相まって懐かしかったが、披露する時期を大きく誤っているのではないだろうか? 折しも海外では翼の生えた怪物に滅ぼされようとしている場所もあるというのに。

 それとも、キリスト教的には滅びてしまった方がよいであろうか。たとえば、この機会に〝天使〟に滅ぼされ、人間の原罪を清算し、天上の国に生まれ変わろうということだろうか。それもありそうな話である。だとしたら〝天使〟とは、汚れた人間の世を清め、神の国へと導いていくれる者ということになる。

 ……通り名じゃなく、文字通りの天使というわけだ。

 ユウイチは考えが混乱してきたので、思考を放棄した。どうかしているな、と思った。聖書を読みかじったこともないミッションスクール生がキリスト教の深奥な教義を思索しようとは。ユウイチは馬鹿なことをやめ、歌声に身を任せることにした。ちょうどウトウトしてきたところでもあった。「翼をください」が二回目のサビに入るのを聴かないで、ユウイチは眠りに落ちた。

 

                    Ψ

 

 ここはどこだ?

 暗い。

 オレはどうして、こんな所に居るんだ?

 戻らないと。

 ……あれ?

 何処に戻るんだっけ?

 電気がついた。

 足音。

 まずい。誰か来る。隠れないと。

 ……あれれ? 何だ。素通りかよ。なんだか偉そうなオッサン達だな。ついて行ってみるか。ばれてないみたいだし。

 オッサンがたは妙に入り組んだ施設の中を二時間以上は歩き通した。なんて長い施設なんだい。RPGのラストダンジョンだとしても長すぎるくらいの手の込みようだよ。

 この施設の特徴は、全体的に近未来的なところだ。草一本生えてないし、石ころ一個落ちていない。どこまで行っても、やたらとツルツルしたりノッペリしたりギザギザしたりしている。壁はやたらと高いし、階段はやたらと長いのだった。墓石みたいな形をした機械が吐き気がするほど単調に並んでいる場所、なんていうのもあった。これが墓石でなく湿原だったとしたら、ラムサール条約に登録されるくらいでは済まなかっただろう。なにしろ広すぎる。オレは途方に暮れた。今のオレは、のんびり空気中を漂っていたと思ったら突然スーパーコンピュータの奥深くに転送されたビールスみたいなものだろう。ここで迷ったら絶対に出られなくなると思ったんで、懸命にオッサンがたのあとを追い掛けた。そういえば、このオッサンがたは変な衣装を着ているよなあ。「ロード・オブ・ザ・リング」っていう映画に同じような格好のキャラが出ていたぞ。

 オッサンがたは、歩くのをやめて熱心に会話し始めた。どうやら目的の階層フロアに着いたみたいだ。そこは何とも異様な場所だった。はじめは何があるかも分からなかった。ただ銀色の壁がダラーッと続いているだけの場所だと思っていたんだけど、全然違ったんだ。見渡してみると、壁じゃなくて巨大な扉が並んでいるんだっていうことが分かった。銀行の本店にある一番大きな金庫を思い浮かべるといいかもしれない。ああいう重厚な扉さ。高さは大がかりな工場や発電所の煙突ぐらいはある。ところで、キリスト教の葬式で使う棺桶があるよね。扉の形は、あれと全く一緒だ。

 オッサンがたが部屋の中央にある操作基盤みたいな物をいじくって数十分。扉が一斉に開き始めた。いや、その扉の厚くて大きいこと! どんな核爆発だって防げそうだし、中から怪獣が出てきたって驚きはしないだろう。そういうものが一、二、三……八つも一度に開放されたのだから、こりゃあ壮観と言うしかなかった。

 棺桶型の巨大扉が上に向かって開き切った。

 中から出てきたのは……。拍子抜けだった。小さな人間さ。背中に真っ白い翼が生えている人間。

 数十メートルはあろうかという扉の中に、人間が一人とはなあ。

 翼が生えた人間達はオッサンがたの前に整列した。

 改めて観察してみると、この人間たちには何か違和感がある。男も女も居るんだけど、どうも人間っぽさが感じられないんだよな。翼が生えてるせいなのかな。

 一方、オッサンがたは感慨深げだ。

「同志よ、遂に滅殺用終局兵器・〝天使〟が完成した」

「この日を待っておったぞ。しかも八体も」

「調達可能な限りの素材を使用し、最大限度までの複製を実行した。神経系統の無抵抗性動力媒体や移送可逆転換機構は偶然に発現したシステムだ。これ以上の量産は不可能」

「博士。事前のシミュレーションによれば、アトランティスに壊滅的打撃をもたらすには三体あれば充分かと」

「うむ。陛下もお喜びになられよう」

「軍務省からは既に出撃の許可が下りています。こちらの準備を待つのみです」

「分かっておる」

 オッサンは〝天使〟たちに向かって言った。

「破壊と殺戮の申し子たちよ。今日が記念すべき誕生の時だ。おまえ達は我が国に敵対する者どもを討つために生み出された。まずはアトランティスだ。明朝ポセイドニアを急襲する」

 八人の〝天使〟たちは微動だにしない。

「栄光ある一番槍を刻み付けるのは次の三人だ。メトセラ、タリム、そしてユカ。前へ出よ」

 三人の男女が一歩ずつ前へ出た。

「官舎にて待機せよ。委細は今晩までに伝達する」

 三人の〝天使〟たちは、互いに目配せしたわけでもないのに、寸分たがわぬタイミングで頷いた。一人が高い天上めがけて舞い上がると、残りの二人も次々に飛び上がった。三人とも風切り音を残して暗がりへ消えた。

 

                    Ψ

 

 場面が変わって、別の景色が見えてきた。

 今度は大都会だ。とげとげしい建物が建ちまくって、平面がちっともない都市を、オレは見下ろしていた。

 最初は「新宿か?」と思った。だけど違うらしい。ビルっぽいんだけど、お城っぽくもあるという感じである。新宿とウィーンあたりを混ぜてみた雰囲気と言えばいいのかな。東の空から太陽が昇ってきている。

 上空に忽然と出現したのは、〝天使〟の三人だ。

 彼らは攻撃を開始した。

 閃光。町の人々にとっては、目覚めの光というには余りに強烈すぎた。〝天使〟は人間の形をした軍事国家、いや、そんなレベルですらない。とにかく、彼らが放つ細っこい光線は、たった数発で町を炎の渦に包んだ。たとえば一発で東京都庁が真っ赤な鉄の山と化してクタリと溶け落ちるような、そんな兵器を今までに見たことがあるかい? オレはない。たった今目にしている以外はね。

 そのうえ、こういう光線を数十発も同時に発射できるとしたらどうする? 太陽が真っ白い光に変わる頃には青い空の下に瓦礫の平原が広がっていたよ。

 三人ともそれなりに手心を加えたんだと思う。瓦礫が蒸発しないで残っていたてことはね。

 三人は日光を浴びながら言葉を交わした。

「我々を上回るエネルギーを持つ天体とは、あれのことか」

「だが、俺達が力を合わせれば、壊せないこともないだろう」

「今は壊す必要なんてないでしょう。穏やかな光を浴びるのは気持ちが良いではありませんか」


                    Ψ

 

〝天使〟たちの登場により、古代世界の勢力図は変わった。「ムーか、レムリアか、アトランティスか」というパワーバランスの問題ではなくなった。

〝天使〟への一極集中。

 もはや、一人だけでも巨大軍事国家連合体とさえ言えるレベルであった。

 一極集中は攻撃力のみを意味してはいない。何よりも、己のパワーを効果的に使いこなす知恵を〝天使〟は持っていた。人格を持っているかのようにふるまうことが可能な知能装置である。元来は国の博士たちが索敵用にと付与したシステムであった。

 それがもはや災いでしかないことは確定的であった。〝天使〟たちは国の研究施設を襲い、自らの生存に不利になる要素を消し去った。まずはプラントや設計図や回路図の破壊である。自分たちの抑止力となりうるような、新たな〝天使〟の開発を許さないために。次に、自分たちの開発に携わった博士たちを独房に閉じ込めた。故障があったときに修理に当たらせるために。

 八人の〝天使〟たちを脅かすものは世界に存在しなくなった。

 八人は奔放に暴れ回った。かれらを従わせる権力を持つ者は誰ひとり居なかったので、自らの攻撃衝動の命ずるままに、世界を席巻したのである。

 かれらに敵国を滅ぼされた側の人々は、かれらを「天使」と名付けた。かれらに自国を襲撃された側の人々は、かれらを「悪魔」と名付けた。〝天使〟は人間によって作り出され、人間から称賛され、人間から恐れられるようになった。

 〝天使〟たちの遊戯は収まる様子がなかった。八人は無邪気な幼児のように破壊を楽しんだ。〝天使〟が一つの都市を滅ぼすと、その破壊のためのエネルギーを吸われることによって、もう一つの都市も滅びた。人間たちは〝天使〟に抗議し、呪詛の声を上げた。すでに世界中の共通認識は「悪魔の時代がきた」というものとなっていた。

 はじめ〝天使〟たちは純粋に耳を疑った。そして、次の瞬間、悪辣に激怒した。「われわれを作り出したのはお前達ではないか。今になって掌を返すとは、なんと恥知らずな輩どもなのだ」。〝天使〟たちの怒りの炎は、文字通り天を衝いた。さしあたり、その場にいた人間たちは消し飛ぶことになった。世界中の罵りを前に、〝天使〟たちの心は一致した。かれらは固く誓約したのである。

 ――身勝手なる人間たちに、永劫の復讐を。

 生誕以来、遊戯に耽るほか、為すことを知らなかった〝天使〟たち。かれらの生きる目的が明確に決定された瞬間であった。重く煮えたぎる喜びに、かれらは満たされていった。

 〝天使〟が団結し、その気になれば、三日三晩で人間を全滅させることさえ不可能ではなかっただろう。しかし、かれらは、それではつまらないと思った。何十度も何百度も未来永劫に渡って滅ぼしてやるのだ。確かにド派手に叩き潰すものの、そのつど僅かに生かしておき、再び子孫が繁栄する時を待つ。そして、文明がムーやアトランティスのごとく発展したところで、再度大規模殺傷を行うのだ。幸か不幸か、〝天使〟といえども人間殲滅に当たっては甚大なエネルギーを費消するため、その回復には二千年程度のシステムダウンが要求された。つまり、〝天使〟は人間を滅ぼすたびに、長い眠りにつくのだ。言い換えれば、かれらは起きている間じゅう殺戮を堪能できるということになる。かくて、〝天使〟の手のひらで人間たちを踊らせ、定期的に握り潰すという恒久的計画が始まった。

 現在までに、人間は二度滅びている。

 そして〝天使〟は三たび眠りから覚める。

 理由は単純明快であろう。今回もまた人間たちが繁栄を築き上げたからだ……。


                    Ψ


 ――しかし、〝天使〟たちの同盟に異を唱えた者もおりました。

 オレは訊いた。「それは誰なんです?」と。

 ――〝ユカ〟という天使です。彼女には同盟よりも大事な問題がありました。ですからユカは同盟には加わりませんでした。

 

 再び、オレの目の前には景色が見えてきた。

 木漏れ日に照らされた草原。

 そこに小さな教会が建っていた。

 瓜二つではないかと思うほど、大学の礼拝堂によく似ていた。

 薄汚れた服にくるまれて、一人の女が教会を訪ねた。木漏れ日を受ける銀色の長髪が印象的だったから、後ろ姿からだけでも女ということは分かる。

 教会の中。これも礼拝堂にそっくりじゃないか。同じ場所だったりするのか? 椅子に誰も座っていないところまでそっくりだ。十字架の下には年老いた神父が居た。口周りの白いひげが彼の生きてきた年月を物語り、眼鏡の下の柔和な笑みは彼の人生への思いを語っているかのようだった。

 女は十字架を見上げて呟いた。

「私たちの姿を見て、人々は〝悪魔〟の概念を発明した――。そして、〝悪魔〟に脅かされる人間を救済するためにこれが生み出された。よもや私が、人間の生み出したものに希望を……」

 女が呟いた台詞は、通常の信者が聞けば神への冒涜として許しがたい思いに駆られたに違いない。さもなかったら女を痴愚者と断じてパンやワインを施したことだろう。しかしこの教会の老神父は、今すぐ女の話を引き継いで虚妄な会話を展開させかねない空気であった。要は彼自身が痴愚ではないかと思われるほどおめでたそうな顔なのである。客人と話すことが心から嬉しそうであった。

「心の内をさらけ出しなさい。悩める者よ」

 神父は女を椅子に座らせた。

「私の仲間たちは――」

 女は告解を始めた。

「〝天使〟たちは、人間に復讐することが自分たちのつとめだと言っている」

「ほう、ほう」

「理由が分からないわけではない。人間は私たちを作った。私たちを必要としたからだ。しかし現在、人間たちは私たちを呪うようになった。この裏切り者たちを叩き潰したいと考えるのは不自然なことではない」

「ふむ、ふむ。まったく自然なことであるのお。して、そなたを悩ませるものは何じゃね?」

「別に……。悩みというほどの悩みなど、持ち合わせてはいない。しかし私はいくつか疑問があるので、その疑問に答えて欲しいと思っている」

「そなたの仲間たちには訊ねなかったのかな? その疑問は」

「訊いたけれど、誰も答えてくれなかった。だからここを訪ねてみた」

「そなたの疑問とは何かね?」

「要するに、その――」

 そう言い掛けて、女は立ち上がった。椅子が固くて座りにくかったに違いない。あるいは、他人の顔を見上げて話すのに慣れていなかったんだろうか? 女は正面から神父に尋ねた。

「私は〝天使〟だけど、人間に復讐することに興味がない。そういう者はどうすればいい?」

「なぜ興味がないのじゃ?」

 二人とも目をぱちくりさせている。これは救いようがないなぁ、とオレは感じた。たとえば生徒が先生に「先生、ここが分からないんですけど」と尋ねるとするだろう。すると「いやあ、君、私も同じところが分からないんだよ」と返されてしまう。どうしようもない。漫才ならまだしも、教会でこの空気はナシでしょう。オレは一般教養で線形代数を取っているんだけど、担当の教授に変えてこの老神父を招聘したいと思った。そしたら試験前に徹夜しなくても良くなるだろうに。

「なぜ興味がないと言われても。ないものはないのです。ないから困っている……」

「では、興味が出るように一緒に考えようか」

「ああ、それは無理です。人間殺戮を好きになるように努力してみたけれども、何回やってもうまくいかない。私には人間殺戮に打ち込む素養がないのだと思う」

「そうじゃったかー。それでは無理かもしれんなぁ~」

 女は首をひねって腕を組む。神父は寿老人の置き物みたいな顔で突っ立っている。

 やがて女が何か閃いたように手を打った。

「そうだ。人間を殺したくない理由、何となく思い当たったのだけど」

「ほうほう、何じゃ?」

「そう、ええと……。人間を殺すと、何かすっきりしないというか。ほら、人間の姿って、私と似ているでしょう。だから、人間が痛がると、私も痛いような気になるから……。だめですか?」

 老神父は答えた。

「それは、いいと思うなあ」

 女の顔から緊張の色が消えた。

 彼女は今まで名乗るのを忘れていた名を明かした。名前はユカと言った。

 

                    Ψ

 

 ユカはもう一つの疑問を持っていた。それはさっきの疑問と両輪をなしてユカを教会にまで導いてきたもので、〝どう生きればいいか〟という問題であった。現代では書店の自己啓発コーナーに行けば〝どう生きればいいか〟の答えは山ほど手に入るが、彼女の生きている環境に書店があるのかどうかは不明である。たぶんないだろう。

 ユカが話したことはこうだ。〝天使〟は人間より遥かに長生きであるが、いつの日か体内環境の劣化によって滅びることは避けられない。〝天使〟を作った博士たちによれば、〝天使〟が完成をみたのは偶然の技術の産物であり、再現性はゼロであるらしい。もちろん体内機構がイカレた場合に修理する技術も存在しない。いわゆるロストテクノロジーというやつだ。しかし、どういう偶然の産物であろうと、自分は生み出され、この世界で生きていくことになった。そうであった以上、「なぜ?」「なんのために?」という疑問が浮かばないわけにはいかなかった。人間への復讐のために、という回答で納得できなかったのなら、なおさら。

「そう思って私は生き続けた。私たちを生み出した博士連中もとうに死んでしまった。二千年前に」

「二千年。ずいぶんと昔じゃの」

「二千年前、〝天使〟は人間を九割九分以上滅ぼし、休眠状態スタンバイに入った。私を除いては。〝天使〟は、攻撃エネルギーを放出しなければ、長期間の眠りにつくことを要しない。攻撃用のエネルギーを生活用へと転じて持続的に生きることが可能。二千年の間、私はずっと考え続けてみた。しかし、〝どう生きたらいいか〟は依然として分からない。最大の疑問はなお残ったまま」

「では、そなたがここに立ち寄ったというのは……」

「人間が作り出した〝宗教〟にヒントを感じたから」

「ヒントとな?」

「そう。いつまでも見えない答えへのヒントが――」

 ユカは再び十字架を見やった。神父はユカを立ち上がらせ、一言だけ口にした。

「お祈りなさい。神に」

 ユカは弱々しい目で十字架を見詰めていた。と言っても、天窓から注ぐ太陽光線に比べたら、一人の女の眼光など弱くて当たり前か。

 しばらくして、女は十字架の下に跪いた。そして、手を組み合わせて神に祈りを捧げた。

 

                    Ψ

 

 そこでユウイチは夢から覚めた。なぜ覚めたのが分かったのかといえば、夢から覚めた時のように、夢から覚めたという感じがしたからだ。

 夢の中で見ていたのと瓜二つの礼拝堂があった。固い椅子。洞穴のように暗い室内。太陽が差し込む天窓。しかし分かる。東京の夏としか形容しようのない蒸し暑さ、東京の空気としか形容しようのない臭気、講義時間を大幅に過ぎている腕時計。ここは大学の礼拝堂である。

 ユウイチは首の寝汗を拭いつつ、「どこからが夢だったんだろうな」と思ってみる。

 たぶん、突拍子もない事象を見ていながら、疑いを挟まなくなったあたりからが夢だろう。

 では、ユウイチの真正面で十字架にひざまずき祈っているシスターの姿は? あれは、幻なのか?

 ユウイチはふらふらと立ち上がり、寝起きのよろよろした足運びでシスターの黒服に近付く。

 ……顔を見てみたいぞ。

 銀の長髪ではない。しかし頭巾の中にしまっているのかもしれない。あるいは短く切っているのかもしれない……。

 ユウイチは立ち止まった。スーッと、シスターが立ち上がった。お祈りが終わったのだろうか。なぜか急に、ここに居てはいけないように思った。今にも向こうが振り返りそうな気がした。ユウイチはクルリと向きを変え、泥棒のように抜き足で引き返した。

 出口まで来て足を止めた。

 ……けど、やっぱり……。ちょっとだけ……。

 最後に一度だけ振り返ってみた。

 刹那、ものすごい突風が吹き上げ、ユウイチは外に追いやられた。

「うわあ!」

 バズン。

 両開きの木製扉が自動的に閉じた。

 ユウイチは木漏れ日の中で石壁を見上げていた。

 ……少しだけ、顔を見た。

 暗かったので曖昧だけど。

 しかし、もしかすると。

 


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