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ビッグサムズ

作者: 夜のトバリ

いつからかこのバンドに入ったのか思い出せないがおそらく90年代の半ばだろう。音楽をやる目的で秋田から横浜の大学を目指した僕が一浪の後目標を達成し、大学の音楽サークルでバンドを組んだが、次第にその夢が痩せてきていたことに気づいていなかった。だから4年になるとバブル景気の中、同級生と共になんとなく就職活動に身を投じ、そのことにあえて葛藤も感じなかった。あまり苦労せずに外資系の家電の会社から内定を得た。大学は名の知れた所だからという事もあってか高望み無ければ職は得られた。1989年、未だ昭和天皇崩御の衝撃の残る東京が毎日通勤電車で向かう僕の日常となった。

大学のサークルの仲間は散り散りとなり、残ったメンバーで下級生を加えてのバンド延命は成功せず、いつか消滅した。彼らとはプロになる、という漠とした目的意識を共有していたつもりでも、大学というモラトリアムのトンネルの出口においては誰しも現実との折り合いをつける必要に迫られる。何曲かの自作曲を作ったはずだが今は思い出せない。

その後インターネットの初期に掲示板を見て知らぬ人のバンドに飛び込んで数回スタジオに行ったが生来の人馴れしていない性格で馴染めなかった。同年代くらい、スピッツのコピーをしながら自作でプロになりたいバンドであった。

そんな時、職場の先輩の女子社員から、彼氏がベースを探していると持ちかけられたのが今のバンドである。彼氏というのはこの会社に一年いて辞めた男だと言い、実は何度か会社の同好サッカークラブの練習で会った事があった。とある週末の午後、言われた横浜の音楽スタジオで会う約束と、何曲かお題のではとなる曲のタイトルを貰った。洋楽ということで抵抗はないが当時流行ってきた新しいバンドは大学の頃に取り組んできた70年前後の骨太なやつに比べれば表情がないように思えた。90年代になると音楽は多様化細分化されついていくのが難しく思えた。それはグランジとかいうジャンルなのだと知ったのはもっと後のことである。

とにかく、新しい固定したバンドに入った僕はここで一般的な社交性を育てた。田舎を出てきた男が下を向いて粋がっていても都会では誰も見向きもしない。バンドのメンバーは横浜のアメリカンスクールの人脈で繋がっており、会ったらハローしてハグして握手する人たちだったから僕のひねくれた選民根性とは北極と南極ほどに異質なのだった。

そのバンドにはベーシストがいたのだが、リーダーはもう少し上手いのを入れたがっており僕は自作曲をやれる場を求めていた。何度かのセッションのあと正式に参加させてもらい、その時興味があったニューオリンズの跳ねるビートでポールウェラーのように歌える曲を持っていった。その時ポールのスタンリーロードのCDを聴いていたから多分1995年もしくは1996年のことだ。

ただし僕の矯正された社交性はあくまでフェイクだからそこのとこをトミさんに叱られているのだと分かってはいるつもりなのだ。

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