ツイてない一日③
自宅までの道程を最短距離で駆け抜ける、騎士団の制服姿で全力疾走で駆け抜ける僕を不審者でも見るように見ている者もいたけれど、僕にはそんな事を気にする心の余裕はなかった。
自宅に辿り着くと家の鍵は開きっぱなしだ、恐る恐る家の中へと入るのだが、家の中はしんと静まり返り完全にもぬけの殻だった。
特に家の中が荒らされた様子はない、けれど少しだけ部屋の敷物がよれていたりと多少の違和感がある。
「ツキノ……?」
家の中にツキノの気配がしない。全部の部屋を回ってみてもやはりツキノはいなかった。
「ツキノ!」
何処だ? 何処に行った?! 部屋の中で息を吸い込む、幾つかのフェロモンの匂いが入り混じった匂いがする。こんな時ユリウス兄さんなら、誰がいたかもすぐに感知できるのに、僕にはそれが分からない。
ツキノの匂いは分かりやすい、あともうひとつ嗅ぎ覚えのあるこの匂いはたぶんエドワードおじさん。それ以外の匂いはもう僕にはよく分からない。
けれど、エドワードおじさんの匂いがするという事は、たぶんツキノは1人でいた訳ではないのだと思う。
家の前、もう一度僕は息を吸い込む。室内と違って匂いなんてもうほとんどしない。それでも僕はツキノの微かな匂いを頼りにそちらへと足を向けた。
足早に進む道すがら、道の先にツキノを見付けて飛び付いた。ツキノは何故か昨夜散々着るのを渋っていた服を着て、居たたまれないという顔で服の端を握っている。
僕はツキノと一緒にいたアジェ叔父さんに開口一番「今、ツキノ君はヒナノちゃんだから」と言われ首を傾げてしまう。
『ヒナノ』それはナダールおじさんの三番目の子供、僕達にとっては妹のような存在の女の子の名前だ。
だがよく見ればカツラを被って女の子のような服を着たツキノは髪の色こそ違うもののその姿はヒナノによく似ていた。
あの緊急信号はやはり緊急事態の合図だったようで、ツキノは誰かに襲われたのだとそう叔父さんは言った。けれど続く叔父さんの「犯人はもう捕まった」という言葉に僕は安堵の息を吐く。
ツキノを襲った犯人が誰なのかはまだよく分からないのだが、それでも無事でいてくれたことに安堵して、僕達はツキノと叔父さんが向かっていたデルクマン家へと歩き出した。
「でも、デルクマンの家にはグノーさんがいますよね……大丈夫かな?」
「だからこそのツキノ君のこの格好だよ。これならどこからどう見ても女の子だし、グノーも変に錯乱する事もないと思う。あとはツキノ君がもっと胸張って笑ってくれれば完璧なんだけど」
「この状況で、笑え……と?」
ツキノの声が低い。あはは、まぁそうだよねぇ。
「せめてその仏頂面止めようか。そんな顔してるとエドワードおじさんみたいになっちゃうぞ」
アジェ叔父さんがそんな事を言って笑うので、更にツキノの機嫌は傾いて少しハラハラしてしまう、けれどアジェ叔父さんはどこ吹く風だ。
デルクマン家は閑静な住宅街の端の方に位置している。彼等は元々武闘会の時の事件や今回の事件がなければイリヤに留まる事もなく、メリアとの国境近くの街ザガに拠点を置いていた。立て続く事件に急ごしらえで誂えた自宅は立派というほどの物ではなく、住宅街の中で特別目立つ家でもなかった。
家の周りはそれほど人通りも多くなく、僕達が足早に進んでいるとふいに前方に大柄な男が現われて、僕達の進む道を塞いだ。向かう先はもうすぐそこなのにと僕は少し苛立ってしまう。
「すみません、そこ退いてもらえますか?」
道の真ん中に堂々と立ちこちらを見やる男の脇を通り抜ける事はできるだろう、それでもあまりにも堂々と道を塞がれたのでつい言ってしまったのだが、男は瞳を細めるようにしてこちらを睨み付け言った。
「お前が王子か?」
咄嗟に僕は身構える。それはツキノやアジェ叔父さんも一緒だったようで、僕達は男を前にして歩みを止めた。
「何の事ですか?」
「お前が王子か? と聞いている」
「何を言っているのか分かりませんけど、だったら何だと言うんです?」
男の瞳が更に細められて僕を見やった。アジェ叔父さんの話を聞く限り、狙われているのはメリアの王子であるツキノだ。けれど、彼等は王子の顔は知らないのだろう、僕をツキノだと思ってくれるのなら、その方がなんぼか都合がいい。
「おい、カィ……」
僕の名前を呼ぼうとしたツキノの口を叔父さんが塞ぐ。たぶん叔父さんも僕と考えている事は同じなのだろう。
「貴方は誰で、僕に何の用が? 僕達急いでいるので、そこを通して欲しいのですけど」
「そういう訳にはいかないな、こちらはお前に用がある」
「僕にはありません、通してください!」
おじさんの家はすぐそこだ、後ろ手に2人を庇って僕は一歩前に進み出た。
「やめっ……!」
ツキノが僕の方へと手を伸ばすのだが「大丈夫だから」と笑みを零す。今までオメガである僕は守られるばっかりで、そんな自分が悔しくて負けるものかと頑張ってきたんだ、だからこんな時くらい格好付けさせてくれたっていいじゃないか。
「威勢のいい王子様だ。だがその威勢が命取りだ」
「まさか僕の命を狙ってきたんだ? 何処の誰だか知らないけど、そんな易々とあげられるほど僕の命は軽くない!」
僕は腰に差した剣を抜き放ち、男へと向けた。男は余裕の笑みでにやりと笑うのが腹立たしい。その時背後でくぐもった様な悲鳴が聞こえた。
背後にはいつの間にか複数人の男がいて、ツキノの傍らにいたアジェ叔父さんは薙ぎ払われ、ツキノが男の1人に羽交い絞めにされていた。
「お前が大人しくしていれば、お前の妹は見逃してやってもいい」
男の言葉に僕は歯噛みする。まさかこんなに何人も仲間がいるとは思わなかった。
「断る、と言ったら?」
「誰も助からないだけだな」
「もういい! お前は逃げ……!」
「ヒナっ、黙ってて!」
僕は男との間合いを測り、じりじりと後退する。今大事なのは捕まったツキノを解放する事、そしてこの目の前の男を倒す事。恐らくこの目の前の男がリーダーだ。だとしたら、こいつを倒せば多少の勝機は見えてくるはず。
僕が下がった事で男は僕が逃げ出そうとしているとでも思ったのか、勝利を確信した笑みで間合いを詰めてくる。でも残念、僕の意図はそこにはないんだよ、お生憎さま。
その時ふわりと空からシーツが降ってきて、男の視界を塞ぐ。
「うわっ、何だこれはっ!」
僕はその隙を逃さない。踏み込み男を蹴倒しその喉元に剣を突き付けた。
それと同時に白いシーツは男の体を抑えつけるように四方の地面にナイフが突き刺さる。抑止力としては弱いだろうが、男は何が起こったのか分からずに慌てふためきパニックを起しているので、押さえ込むのは簡単だった。
男の動揺は簡単に他の男達にも伝播して、ツキノは自分を羽交い絞めにしていた男の腕を振り解き僕の傍らに駆けてきた。
「形勢逆転。この男の命が惜しかったら、あんた達がどこの誰だか名乗ってもらおうか?」
「何が形勢逆転だ、これしきの事でっ!」
男は力尽くで僕を振り払いにかかる。う~ん、そうだよねぇ、多少育ったとはいえ、僕の体はまだまだ成長途中で、さすがに筋骨隆々の大男を抑え込むのは無理か。
でも、別にいいよ、これは単なる時間稼ぎだから、ほら来た……
「てぇめぇら! うちの子に何してやがるっっ!」
男の頭に遠慮の欠片もなく飛び蹴りをかましたのは、赤い髪の綺麗な人。
「なっ……」
男達の間にまた動揺が走った。
実は僕、見えてたんだよね、屋根の上を僕達と並走して走ってた黒の騎士団の人達。
ツキノに護衛が付いている事も、僕に護衛が付いている事も僕は知ってる。きっとその辺にいるんじゃないかと思っていたら案の定いたっていうそれだけの話。
男が僕達に絡んだあたりでその内の1人がその辺の洗濯物適当に取って、何かしようとしてたから、僕は彼が動きやすいように誘導しただけ。被せて目くらましにしようとしているのかと思ったら、それで拘束しようとしてたんだね、ごめん、僕、邪魔しちゃったかも。
それでも、僕の想定外の動きに合わせたようにナイフ投げてくれたの、凄く助かっちゃった。
どうやら複数いた護衛の1人はおじさんの家まで走って、グノーさんを連れて来てくれたみたい。人選として正しいのかどうなのか僕にはよく分からないんだけど、それでもグノーさんの腕っ節が第3騎士団長のアインさんより上だと知っている僕は、安堵の息を吐いてしまう。
グノーさんと黒尽くめの人達は次々と男達をのして行き、気が付けばそこには叩きのめされ動けなくなっている男達の山が出来上がっていた。
「相変わらずグノーのお手並みは惚れ惚れするね。お母さん助けに来てくれて良かったね」
アジェさんは薙ぎ倒された時に付いたのだろう埃を払いながら僕達へと寄ってきた。
「怪我はない?」
「それはこっちの台詞、叔父さんこそ大丈夫?」
「あはは、ちょっとかすり傷。エディに怒られちゃうなぁ」
僕と叔父さんがそんな会話をしている横で、ツキノは黙ってグノーさんを眺めていた。




