動き出す過去の亡霊②
賑やかな声で目を覚ます。
あれ? ここどこだっけ……?
まだ、半分夢うつつで瞳を擦ると、肩から毛布がするりと落ちた。
えっと……あぁ、そうか自分はイリヤの騎士団の詰所にいたんだった。
毛布はなかったはずだから、きっと誰かがかけてくれたんだな……とその毛布を拾い上げると毛布と一緒に落ちたのだろうメモ書きが目に入った。
それはユリウスからの置手紙で『事件の解決にはもうしばらく時間がかかりそうだ』という内容だった。
そこには『必ず迎えに戻るから、待っていて』と書かれていたのだが、自分は正直そこまでユリウスに気にかけてもらえるような間柄でもないのに申し訳ないなと思ってしまう。
窓の外は白々と明けてきていて、彼は夜通し事件解決の為に働いているのかと思うと、そんな時にまで気にかけてくれるなんて……とそれにも申し訳ない気持ちが湧いてくる。
賑やかな声は部屋の外から聞こえてきていて、騎士団員達が何人か出勤交替をしているのだろうな、と推測された。
挨拶をした方がいい? それともここで大人しくしていた方がいいのだろうか?
そろりと部屋の扉を開けると、やはり何人もの男達が思い思いに活動していて、どうにも声はかけづらい。
とりあえず、いいか……と思い部屋に戻り、今度は椅子に腰掛けた。
それにしても、少し腹が減った。そういえば昨日はユリウスに奢ってもらった昼から何も食べていない。
ただ待っているだけというのはどうにも退屈なのだが、下手に外に出て行って入れ違いになるのも迷惑かと思うと、どうにも動けず途方に暮れた。
しばらくぼーっとしているとノックの音と共に一人の男性が入ってきた。
昨日、ここ第一騎士団の副団長だと言っていたキースさんだ。
「あ……起きてたね。良かった。昨晩一度坊も戻って来たんだけど、君、寝ちゃってたからそのままにしておいたんだ、よく寝れた?」
「はい、毛布ありがとうございます」
「はは、そのくらいはね。お腹空いたかなと思って朝食買ってきたけど、食べる?」
「え……ありがとうございます。お代……」
「いいよ、いいよ。自分もまだぺーぺーの頃、君のお母さんに色々サービスして貰ったからね、恩返しだ」
「そうなんですか……?」
「メリッサさんの作るご飯は美味しかったからね」
そう言ってキースは袋に入った幾らかの食料を手渡してくれた。それは一人で食べるにはいささか大量で、困ったように顔を上げると「坊が大食だし、好き嫌いも分からなかったから大目に買い込んできたけど、さすがに多かったかな?」と彼は笑った。
「一人では食べ切れません」
「あはは、俺も食べるよ。ノエル君は好きなの取って」
そう言って、キースは自分も椅子に腰掛け「疲れたぁ」と伸びをした。
「あの、事件はどうなりました?」
「ん? まだ何とも。どうやら犯人のアジトは掴んだらしいけど、捕まっている人間の数と犯人の数なんか詳しい状況が分からなくて、今はそれを調べている所だって。どうやら応援の必要はなかったみたいで、第3騎士団がメインで動いてるみたいだから、そのうち解決すると思うよ」
「そうなんですね、良かった」
俺は差し入れられた食料の中から、ハムサンドを手に取って口に入れた。
腹ペコだったので、尚更美味しくぺろりと平らげてしまう。もっと食べろと勧められるがまま次に手を出すと、キースもようやく食事を始めた。
「そういえば坊に聞いたよ、君、ここまで一人で来たんだってね。しかも誰にも言わずに。コリー副団長、物凄く怒りそう。お祖父さん怖くない? 俺、苦手なんだよね」
「そうですか? じいちゃん別に怖くないですよ。何考えてるかよく分からない時もありますけど、基本的に考えてるふりして何も考えてないし」
「え……そんな感じ?」
キースは戸惑ったような表情を見せるのだが、祖父の何がそんなに怖いのかが分からない。
ただの風呂好きな年寄りで、少し頑固なだけの普通の爺さまなんだけどな……確かに怖い時は怖いのだが理不尽に怒ったりはしない、怒る時はちゃんと理由のある怒り方なので、自分は祖父をそこまで怖いと思った事はない。
そんな感じにキースと世間話をしながら朝食を食べていると、ぱたぱたと軽快な足音と共に部屋の扉が盛大に開かれた。
何事かとその扉を見やると「ノエル、見~っけ!」とウィルが勢いのままどーんと体当たりしてきて、思わずむせった。
そういえば昨日、現れた時もこんな感じの登場の仕方だったな……と思わず少し遠い目をしてしまう。なんというか、相手の状況は確認して体当たりしようよ……と思わなくもない。
「ウィル坊は相変わらず元気だなぁ」
キースはそんなウィルの行動に慣れているのか、驚きもせずに笑みを見せた。
「ノエル! 遊ぼ!」
「え……や、俺ここでユリウスさん待ってないと……」
「こんな所にいても退屈だろ? せっかくのお祭りなんだから行ってきたらいいよ。坊が来たら言っておくし、ウィルといるならこの街で危険はないだろうからね」
それは一体どういう意味なのだろう? 確かにウィルの剣の腕前が大人顔負けなのは知っているけれど、それだけの事で何の危険もないと判断してもいいものなのだろうか?
言っても、昼日中にそんな街中で危険があるとも思えない。そういう意味ではその通りなのだろうけど。
「え……でも……」
「行こうよ、ノエル! オレ、いいとこ連れてってやるよ!」
「いい所?」
「うん、きっと凄く楽しい!」
瞳をきらきらと輝かせて言い募るウィルに「いいんじゃない?」とキースも笑みを見せるので「それじゃあ」と俺は立ち上がった。
やった! と言わんばかりにウィルは俺の腕を引いて駆け出すので、引きずられるようにして俺も走り出す。
なんだか昨日から本当に自分の周りは忙しない。
「ねぇ、ウィル! どこ行くの!?」
「着くまでナイショ! 本当は来ちゃ駄目って言われてるしっ」
は!? 来ちゃ駄目……って、それって行っていい場所じゃないだろう!?
連れられるままに自分も走っているが、駄目と言われた所にわざわざ行こうと言うウィルの神経が分からない。
「待ってウィル! 駄目って言われた事は守らないと駄目だろう!」
「うん、だから近付かないよ。遠くから見るだけ」
遠くから見る? 俺は一体どこへ連れて行かれようとしてるんだ?
ウィルは楽しそうに駆けて駆けて、お祭りの喧騒も抜け出して、着いた先は少し坂を上がった小高い展望台のような場所だった。
公園も兼ねているのだろうその場所は、特別何かがありそうな感じもせず、俺は訳も分からず、とりあえず息を整えた。
「ウィル、ここどこ? 何があるんだ?」
「あそこっ!」
ウィルは駆け上がるように展望台に登ると、そこから真っ直ぐに指を指す。
その指先を見てみても、何があるのか分からない俺は首を傾げた。そこにはたくさんの屋敷が立ち並んでいるだけで、特に何も変わった様子はなかったからだ。
「何? 俺には何があるのか分からないんだけど?」
「あそこっ、人攫いのアジトだよ!」
満面の笑みで言ったウィルの言葉は物騒この上ない。
え……? と、俺はもう一度そのウィルの指差す先を見るのだが、やはり何も変わった所は見当たらず、どう返答したものか戸惑った。
「人攫いって昨日言ってた?」
「うん、そうだよ」
民家というほど小さな家ではない幾つかの大きな屋敷が立ち並ぶ、そこは閑静な住宅街だ。
悪い奴のアジトというのはもっとせせこましい場所にこっそり在りそうな物なのだが、その屋敷群は大きな存在感ででん! とそこに在る。
「本当にあそこなのか?」
「父ちゃんが言ってたから間違いないよっ」
機密漏えいにも程があるだろう、騎士団長……調査内容子供に喋っちゃ駄目だ。
「でもさ、危ないから近付くなって。だからここから見よ」
「いや……見ててどうすんの?」
「え? 楽しくない? 大捕り物だよ?」
野次馬かっ!
わくわく顔のウィル、大捕り物見たいんだな……別段何かしたい事があった訳じゃないからいいけどさ。
「はぁ、どの屋敷がそうなんだ?」
「あそこ、あの赤い煉瓦の屋根の家。屋根の上に人がいるだろ?あそこだよ」
目を細めてその屋敷を見やれば、確かに屋根の上に何人か人影が見える。
「あの人達何? あんなとこで何してんの?」
「あの人達は『黒の騎士団』って言って、ファルス騎士団の諜報部隊の人達だよ」
「諜報部隊……そんなのあるんだ?」
「うん、そうらしいよ。あんまり公になってないけどね」
展望台に座り込んでウィルはその屋敷を見やる。俺もそれに倣いウィルの横に座り込んだ。
「あの人達あそこで何やってんだろうな?」
「見張りじゃない? よく見ると屋敷の周りに父ちゃん達がいるのも見えるよ。あそこの物影とか、たぶんそう」
そう言ってウィルが指差した先はとても見え難いのだが、何人かの人影が忙しなく動いているのが見える。
「なんか、こんな風に見てると丸見えだな。あんなんで大丈夫なのか?」
「今、ここに誰もいないんだから平気じゃない? あそこがよく見えるのはここだけだよ」
確かに自分達がいる展望台は周りより高い位置にあって、その目標の屋敷は他の屋敷に囲まれているので、屋敷の中の者達は気付かないのかもしれない。
「お祭りの間はここに遊びに来る人もそんなにいないだろうしねぇ」
祭りの喧騒は少し遠くに聞こえてはくるが、ウィルの言う通り周りに人はおらず、だったら大丈夫なのかな……と俺はまたその屋敷を見やった。
「それで、その大捕り物っていつ始まるの?」
「う~ん? それは聞いてないから分かんない」
なんと計画性のない……先程キースはまだ人質の数や犯人の数が分からないと言っていた。
あれだけ大きな屋敷だ、下手に踏み込んで返り討ちに遭うのもいただけない。
「じゃあ、きっとまだすぐじゃないね」
「そうかなぁ?」
「だって、まだ皆屋敷を窺うばっかりで動きそうにないよ?」
「う~ん」
「俺、ちょっとその辺見てきてもいい?」
言って俺は立ち上がる。ここイリヤに来てから、落ち着いて観光のひとつもしていない。
元々観光目的ではないのだから当たり前なのだが、少しくらい景色を見て回るくらいしてもいいと思うのだ。
都合のいい事にこの場所は街を一望できる見晴らしの良さだし、街の広さを実感するのにはうってつけだ。
展望台から少しだけ離れて、街を見下ろす。ここイリヤの街は本当に広いと思う。
こじんまりとしたルーンの町が少しだけ懐かしい。
少し歩いて行くと、なにやら作業している幾人かの職人のような男達に遭遇した。
一体何をしているのだろう?
なんとはなしにその作業を眺めていると、職人の一人がこちらに気付いて顔を上げた。
「なんだ、坊主。危ないから近付いちゃいかん」
「何をやってるんですか?」
「あ? 花火の準備だよ。祭りの締めは花火と相場が決まっているからな」
「花火……」
聞いた事がある、火薬の塊を打ち上げて夜空に大きな華を咲かすという話だ。
けれど、俺はそれを見た事がない。
「それ、お祭りの最後にやるんですか?」
「あぁ、そうだよ。坊主は観光客か? 花火を見た事がないのかい?」
こっくり首を縦に頷くと「そりゃあ勿体無いこった」と男達は笑った。
「最終日の夜までいるなら、盛大に打ち上げてやるから是非見ていってくれ」
「はい!」
大きく頷くと男達も嬉しそうに微笑んで「ここには火薬がたくさんあるから、近付かないようにな」と、また忙しなく作業に戻ってしまった。
俺は踵を返してウィルの元へと戻る。
「ウィル、どう?」
「全然、ノエルの言う通りだよ。時間もちゃんと聞いとけば良かったぁ」
「こういうのはタイミングの問題だから、時間とか決まってないんじゃないかな?」
「え~」とウィルは焦れたようにその場に転がる。
「もう、ちゃっちゃと乗り込んで、ちゃっちゃと犯人達とっ捕まえればいいじゃん!」
「そんなに簡単に解決するような話なら、事件になんかならないよ」
「そうだけど……」とウィルは不貞腐れ気味だ。なんかこういう所、ホント年相応だよな。
「ずっとここで屋敷見てるのもアレだし、お祭り見に行く?」
「うぅ~ん、遊んでる間に終わっちゃったら、それはそれで嫌だなぁ」
腕を組んで考え込んでしまったウィルを尻目に俺は展望台から屋敷を眺める。
と、ふいにぬっと脇から影が差し、誰か来たのかと顔をそちらに向けようとしたら問答無用で髪を捕まれ引っ張られた。
「なっ! 痛いっ!! 離せっ!」
「目障りな赤毛を晒している奴が悪い」
俺の髪を掴んで、その男は虚ろな瞳でそう言った。