大人の事情②
「お腹苦し……」
家に帰り着くと俺はいっぱいの腹を抱えて呻いた。
ソファーにもたれかかるようにして呻いていた俺を心配そうに見ていたカイトは寄って来て傍らに腰掛け、俺の腹を撫でる。
「だから食べ過ぎちゃ駄目だって言ったのに。無理はよくないよ?」
「だけど、早く肉付けなきゃ……」
「一度に無理しても駄~目、焦ってもそんなに一朝一夕に肉なんて付くもんじゃないんだから、長いスパンでやってこう?」
「でも……」
「ツキノの焦る気持ちは分かるけど、こんなのお腹壊すだけだからね。こういうの暴飲暴食って言うんだよ。それに運動もしないで肉だけ付けたらぷよぷよになっちゃうよ、僕、さすがにぷよぷよは嫌だな」
頭の中にぽこんと子豚のように丸くなった自分の姿が浮かんで俺は慌てて想像を打ち消すように頭をふった。
「成長期だから、ちゃんと縦に伸びるはず」
「だったらいいけど。ちょっと失礼」
そう言ってカイトは俺の腹に腕を回して抱きついてくる。
「何?」
「ん? ふふ、やっぱり少し丸くなってるなって、そう思ってね」
「……?」
「叔父さん達が来るまではこうやって腕回すとツキノの胴回りこんな感じだったんだよ」
そう言ってカイトは自分の腕で円を作るようにして見せてくれる。
「今日はこの辺、だいぶ増えてる。ツキノってば叔父さん達に太るように食べさせられてたんだね、この分なら元に戻るのも時間の問題かな」
「な……お前、そんなんで俺の胴回り測ってたのか?!」
「別に測ってないよ、気付いちゃっただけ。だってツキノ本当に細いんだもん。毎日一緒に寝ててやっぱり心配だったんだよ、よいしょ」
そう言って今度は身体を持ち上げられて、俺はじたばたと暴れてしまう。
「ちょっと、ツキノ暴れないで、危ないから」
「だったら俺を持ち上げるな!」
「うん、体重もちゃんと増えてる、良かった」
「良くない! おろせ!」
カイトの腕から逃げ出して、俺はカイトを見上げてしまう。そう、俺はカイトを見上げてしまうのだ、本当に悔しくて仕方がないのだがこれが現実だ。
「ちょっと先に成長してるからって俺を子供扱いするな!」
「別に子供扱いなんてしてないよ。そういえば僕、最近喉の調子が悪かったんだけど声変わりだって言われたよ。あーあー、少し低くなってるかな?」
あっけらかんとカイトは言うのだが、確かに言われてみればカイトの声は少しハスキーボイスに変わっているような気がする。何なんだ! ここにきてどんどんカイトに置いていかれる、俺は悔しくて仕方がない。
「別に変わってない」
ぷいっとそっぽを向いてそう言うと「そう?」とカイトはまた俺ににじり寄って来た。
「何?」
「ん、あのね……僕、ちょっとだけツキノに提案があって……」
カイトはまたしても俺を抱き締めるのだが、立ったままだとその身長差が本当に歴然で、俺の視線はカイトの口元になってしまい、瞳を合わせようと思うとやはり上を向かねばならず俺は少しイラついた。
「あのね、ツキノ、焦らせるつもりはないんだけど、もしツキノが良かったら、もう少しだけ僕達先に進んでみない?」
「先に……? 何の話?」
「ん……だからさ、こういうの……」
そう言って、カイトは俺の顔を両手で固定して覆いかぶさるように俺にキスを仕掛けてきた。別にカイトとキスをするのは嫌いじゃない、抱き合うのだって問題はない、あの甘い匂いさえしなければ、それ以上の事もたぶん出来ない訳ではないけれども、カイトから仕掛けられたそのキスは何だかとても俺の心をざわつかせた。
「何を突然?」
「やっぱり嫌?」
「嫌じゃないけど……」
俺は瞳を逸らしてしまう。上を向かされキスされる、やっぱりそれが俺は気に入らないのだ。
「だったら、もう少しだけ僕はツキノに触って欲しいし、僕もツキノに触りたい」
色を帯びた瞳で俺を見るカイト、嫌じゃない、嫌じゃないけど、やはり気に入らない。
俺はカイトをソファーに押し付け座らせて、上からカイトを睨み付けた。いや、睨み付けたかった訳ではないのだが、何故かそうなってしまった。
「ごめん、ツキノ……怒った?」
「違う、あぁ、もう!」
俺は立ったままカイトの肩口に顔を埋める。
「どうしたの、ツキノ?」
俺は無言でカイトの唇を奪う。本当はしたくない訳ではない、晴れて両想いになったのだから、俺だってこういう事をしたいと思っている、けれど俺の妙なプライドがそれを邪魔する。
こうしてカイトを上から押さえつけて、貪りたいと思っているのに、現実はカイトの方が大きく逞しく、俺はそれにイラついているのだ。
俺はカイトから身を離した。
「すまん、カイト、もう少しだけ待ってくれ」
「やっぱり嫌だった?」
悲しげな瞳がこちらを見上げる。だが、そうじゃない。
「嫌じゃない。けど……今の俺じゃまだお前をうまくエスコートはできないから……」
「へ……?」
「鳩が豆鉄砲喰らったような顔してんなっ! お前が言ったんだからな、俺には格好良くエスコートして欲しいって! 今の俺じゃお前をエスコートしようと思っても身長が足りないんだよっ!」
カイトは目をぱちくりさせている。くそっ、可愛いじゃないかこの野郎!
「え? ツキノ、そんな事気にしてたの?」
「悪いかよ! 一人ですくすく成長しやがってっ! 俺、置いてくなって言ったよな!」
「そんな事言われても、成長を止めるのは不可能だよ……」
「分かってる、八つ当たりだ!」
「うわっ、めっちゃ理不尽! でもツキノらしい!」
カイトは声をあげて笑い出した。くそっ、これは八つ当たりだし、どうにもならない事だっていうのは分かってんだよ!
「せめて俺の身長がお前に追いつくか、もう少し体重が増えてお前の身体が支えられるようになるまで待っててくれ、ていうか待ってろ!」
「命令! ぶふっ! ツキノ格好悪いのに、めっちゃ格好いい」
「もう、うるさい!」
俺は更なる八つ当たりでカイトのふわふわの頭を掻き回した。
「ツキノ、髪の毛絡まっちゃうから止めて!」
「絡まるくらいなら切ればいい、こんなに伸ばしてるから絡まるんだよ!」
カイトの髪は金色のふわふわが肩ほどまでに伸びている。普段は無造作に括っているが、そのふわふわは自己主張が強くカイトの雰囲気を華やかにさせている。
「短くすると無闇矢鱈に跳ねるんだよ! 寝起きとか目も当てられないのツキノだって知ってるだろ!」
「まぁ、確かに」
「ツキノの髪はいいなぁ、真っ直ぐで」
「見た目に重いけどな、黒いし」
「僕は好きだよ」
カイトはにっこり笑ってそう言った。この黒い髪はあまり好きではない、けれど嫌いにならなかったのはカイトがそうやっていつも言ってくれたおかげだ。
俺はカイトの横に腰掛けて、カイトにもたれかかるようにして目を瞑った。
「やっぱり今日は食いすぎた。腹苦しいし、もう寝る」
「ツキノ、寝るならベッド行こうよ! こんなとこで寝ないで、運ぶの大変なんだから!」
「別にここで寝ればいい」
「風邪引くってば!」
なんだか急にとても眠くて仕方がない。腹も膨れて、気候もいいし、カイトは傍で笑っているし、こんなに落ち着くことはない。「もう、ツキノってば!」というカイトの声は耳に心地よくて、俺はうつらうつらと眠りの淵に落ちていった。




