混乱③
カイトは泣きそうな顔で俺を見ている。そんな顔をさせたくなかった、だから、俺は言えなかった。
母さんはカイトの事も忘れている。
カイトは俺に付きっ切りで、母さんに会いに行っていないのは知っていた。カイトは父さんも母さんも大好きで、そんな大好きな人に忘れられるという事がどれだけ悲しい事か身を持って知ってしまったから余計に、俺はカイトにその事実が伝えられなかったのだ。
「時間が解決するってユリは言ってた、でも、それがどれくらいの時間かは分からない」
「ツキノ……」
「俺は待てる、だけど……皆には申し訳なくてな……」
「そっか」
それだけ言って黙ってしまったカイトは、頭をひとつ振ると、にっこり笑みを見せた。
「治らない訳じゃないんなら、大丈夫だよ。それよりもツキノ、今日もまた昼ご飯食べてないね、僕、ちゃんと食べろって言ったよね?」
話を変えるようにそう言って、カイトは机に用意されていた冷めた料理に目をやった。
食事が摂れなくなった俺に、それを分かった上でカイトはちゃんと料理を作り置いてくれる。俺はそれをいつも無理矢理にでも口の中に放り込むのだが、最近は腹が減らないこともあって、たびたび食事をする事自体を忘れてしまう。
カイトは「駄目だよ」と言うのだが、今の俺には食事は苦痛以外の何物でもない。
「温め直したら食べられる?」
「そのままでも大丈夫、ごめん、忘れてただけだから」
「んん、でもやっぱり温め直すよ、ちょっと待ってて」
カイトはそう言って料理を温め直して俺の前に出してくれたのだが、やはり俺の箸は進まない。美味しそうな匂いはしてるし、口の中に入れればその温かさも分かる。
嚥下すれば内臓に染みていくのも分かるのに、その味が分からない。
カイトには言えない、余計悲しませるだけだから。
「美味しい?」
その言葉に頷いて、俺はゆっくりそれを食べ尽くす、だけどやはりその料理に味はしないのだ。
カイトはずっと笑顔でこちらを見ている、けれどそれが作り物の笑みなのだと俺には分かるのだ。ふとした拍子にカイトが泣きそうな表情で俺を見ている事も知っていた。カイトはあの事件のきっかけを作ったのは自分だと己を責めている。
カイトは何も悪くないのに、俺を気遣ってくれる。俺はそんなカイトに甘えるばかりで何も返せない、だからせめて少しでもカイトが笑ってくれればとそう思う。
「美味しかった、ご馳走様」
全部完食して手を合わせると、カイトはほっとしたような表情を見せた。俺はカイトにこんな顔をさせてばかりいる。
皿を片付けようとしたカイトに「自分でやるよ」と席を立った。
「ふふ、変な感じ。ツキノが皿洗いしてる姿なんて、見られると思ってなかったな」
「家ではちゃんとやってただろ」
「いつも誰かに押し付けて、怒られるとこまでが日課だったよね」
養母は子供達を甘やかさない。できる事はなんでも子供達にやらせるスタンスで、勿論自分で食べた食器を洗う事くらいはできるだろ? と、そう育てられていた。
俺は面倒くさくて、その仕事を誰かに押し付ける。それを請け負うのは大体カイトで、そんなズルをする俺に母さんが怒る所までが毎日の日課だった。
でも、俺は知っていたんだカイトはそうやって自分の居場所を作ってた。最終的には、仕方ないなと苦笑した母さんと並んで片付け物をしていて、そんな時間をカイトが大好きだった事も知っていた。
「もう凄く昔の事みたいだ……まだ一年くらいしか経ってないのに」
「おじさんの家を出てから一年はあっという間だったけど、やっぱり一年は長いんだよ」
「そうなんだな」
時の流れはとても早くも感じるし、とても遅くも感じる。楽しい時間はあっという間なのに、こんな時には時間はまるで重しでも付けたようにゆっくりとした進みしか感じない。
「ツキノの髪、だいぶ元に戻ってきたね。どうする? また染める?」
頭の頭頂部はもう完全に黒髪に戻っている、そんな俺の髪を見やり寄って来たカイトは俺の髪を一掴み摘んで口付けた。
「僕はお揃い嬉しいけど、やっぱりちょっと傷んじゃうね」
「別に傷むのなんかどうでもいいけど、染めるのはもういいかな」
ごっこ遊びはもう止めた、俺は俺以外の何者にもなれない。
「この髪が元に戻ったら、改めて母さんに会いに行こうと思う」
「そっか……その時は僕も誘ってよね。1人で抜け駆けは駄目だよ」
「母さんに会ったら泣きそうだから、誘わない」
「ぶふっ、今更格好付けようと思ったって無駄じゃない?」
「僕を誘ってくれなかったのってそんな理由?」と、カイトは笑う。
「駄目な所ばっかり見られてるからな、少しくらい格好付けたっていいだろ」
「格好悪くても、情けなくても、僕はツキノが大好きだよ」
「そんな事言ってくれるの、カイトだけだよ」
「僕のこと惚れ直すだろ? ツキノも言ってくれていいんだよ。んふふ」
そう言ってカイトは俺に抱き付いてきて、俺もその体を抱き返した。そして、ふと気付く。
「あれ? カイト、身長伸びた?」
それは本当に微妙な違和感だった。いつも同じくらいの目線だったカイトの目線が少しだけ高い。
「え? どうだろう? 別に気にしてなかったけど、伸びたかな?」
本人もまるで気付いていなかったのだろう、カイトは俺の指摘に首を傾げて、俺と背比べをするように肩を並べた。
並んで立って見てみると、やはり少しだけカイトの肩は俺の肩より上にあって、なんだか悔しい。
「やっぱり伸びてる、カイトばっかりズルイ」
「ズルイって言われても困るんだけど、ツキノもちゃんと食べて大きくなりなよ」
「……分かってるけど」
食べたくても食べられないのだから仕方がない。
「俺を置いてくな」
「置いてかないよ、もうツキノ、可愛いな」
「可愛いって言うな」
「言われたくなかったら、ツキノも早く大きくなって僕を見下ろせるようになればいいよ。その方がバランス的にもちょうどいい」
「バランス?」
カイトは俺の手を取ってダンスでも踊るように腰を支えると上から覆いかぶさってキスを仕掛けてきた。いや、キスはするふりで、唇は俺の顔前で止まって、カイトはにっこり笑顔を見せた。
「こういうの、僕もやって欲しいから」
「な……待て、こんな軟派な真似が俺にできると思うのか!?」
「こういうの、女の子は喜ぶよ? 僕もツキノには格好良くエスコートして欲しいな」
「無茶を言うな」
俺を元通りに立たせて「無茶かなぁ?」とカイトはまた笑う。
「ツキノは僕の旦那さまだろ。やっぱりこういうのは格好良く決めて欲しいよね。うわぁ、惚れ直す♡って僕が思うくらいにさ。なんなら今から練習する?」
「無茶ぶり過ぎだろ」
「ツキノならできるよ」
「いつでも練習付き合うから」と、笑うカイトに「そんな練習はしない!」と俺は背を向けた。だけど心は少し軽くなっている。カイトは凄い、重くなりがちな俺の心を軽々と浮上させる。
そんなスマートなエスコートができるようになる気は全くしないのだけど、カイトがそれを望むならとそんな気持ちにさせられた。




