流れは容赦なく人を巻き込む②
一般参加の試合会場を離れ、俺達4人は連れ立って歩いて行く。
「そういえばウィル坊、さっきおじさんに会ったんだけど、今日はお客さんが来てるから早目に家に帰って来るようにって言っていたよ」
「お客さん? 誰?」
「他人の家のことまでは分からないけど、たぶんローズさんの事じゃないかなぁ。今、姉さんも会いに行っているよ……あれ? そういえばノエル君も知ってるんじゃない、ローズさん」
「え?」
突然話を振られて驚いた。ローズ? 俺の知ってるローズさんって言ったらルーンの町に住む、近所の美人なお姉さんくらいだけど……
「ローズ・マイラーさん。普段はルーンで暮らしてるんだけど、知らない?」
「え……なんで? 知ってますけど、なんで?」
まさに近所の美人なお姉さんの名前が出てきて驚きを隠せない。
「ローズさんはウィルの従姉妹だよ、ウィルのお父さんとローズさんのお母さんが兄妹なんだ。ローズさんのご両親は元々イリヤの出身だけど、彼女がまだ小さい頃にルーンの町に引っ越したんだって」
そんな話しは初耳だ。確かに彼女は鄙に稀なる美女なのだが、元々の出身がここ首都イリヤだと言われてしまえば、確かにこちらの方が彼女にはしっくり来る。
彼女の家庭はどこか浮世離れした家庭で、兄弟はたくさんいるのだが、皆が揃いも揃って美形でどこか捉え所がない。
家はそこまで豪奢ではない田舎住まいなのだが、何故か執事とメイドがいる事でも有名だ。
どこか貴族の血が入っているという話しは聞いていたのだが、本家はここイリヤにあるという事なのだろうか。
「あれ? ……もしかして、ウィルも貴族の子弟だったりするの?」
「え? そんな事ある訳ないじゃん」
ふと頭に浮かんだ疑問を口にすると「オレが貴族の子に見える?」とウィルは笑った。
「貴族の血統はマイラー家の方だからローズさんの父方の方だね。ルーンにいる間はそんなの気にならなかったけど、ここイリヤでマイラー家って言ったら結構有名だから、驚くよ」
そうなのか……? それもまったくの初耳だ。
普通に近所付き合いをしている近所のご家庭がそんな大層な出自だとは驚きだ。
というか、俺の剣の師匠の中の一人にローズの父親クロード・マイラーも名を連ねている訳なのだが、あのおじさんが貴族?
いつもぼんやりしていて、剣を握った時だけは人が変わったようにべらぼうに強い人なのだけれど、どうにもあのおじさんと貴族という肩書きが結びつかない。
子供とも全力で遊んでくれる一風変わった人……そのくらいの認識だったのに。
「っていうかさ、そいつ何なの? ウィル坊もユリも普通に話してるけど、俺、こいつの事知らないんだけど」
不貞腐れたようなツキノが絡むように言葉を投げてくる。
「う~ん、説明難しいんだけど、とりあえず私達の新しい弟候補だよ」
「はぁ!? また!? あの人達ホント馬鹿なんじゃないの? 何人子供引き取れば気が済むんだよ……しかも最近はメリアの子供ばっかりだ」
「ノエル君は赤髪だけどメリアの子じゃないよ」
少しだけ俺がむっとしたような表情をしてしまった事に気付いたのか、ユリウスはそんな風にフォローを入れてくれた。
「はぁ? でもその赤髪、どう見たってメリア人だろ」
「母さんだって姉さんだって赤髪だけどファルス人だよ。お前だって知ってるだろう?」
「でも、元はメリア人だ」
「ツキノ!」
赤髪はメリアの象徴、そしてメリア人は差別の対象……知っていたさそのくらい。
隣国メリア王国、その国は争いの絶えない国だった。
国王は自分の私利私欲にまみれ国民を顧みなかったので国は荒れ、民は飢えに苦しんだ。
だが、それはもう今は昔のお話だ。
俺が生まれた頃に立った新しい国王は国民の声をちゃんと聞くいい国王なのだそうだ、如何せんルーンとメリア王国はここカサバラ大陸の中でも端と端に位置している為詳しい事はよく分からない。
けれど数年おきに国王が代わると言われていたメリア王国が、その新王が立ってからは一度も変わっていないのだから、昔に比べたら安定したのだとは思う。
それでも、なかなか消えないのはメリア人に対する悪評だ。
新国王が善政を布いてはいても一朝一夕に国は変わらない、少しずつ改善はされていっていても稲穂はすぐに実らないように、国もすぐには立ち直れなかった。
飢えた国民は他方へ流出して、行く先々で問題を起した。それはファルスも例外ではなく、特にメリアと近接する北方では様々な問題が持ち上がっていると聞く。
メリア人が来ると治安が荒れる……そんな言葉は至る所で聞かれて、メリア人差別は消える事がない。
俺の赤髪はそんなメリア人差別を実感させてくれる。
「俺はメリア人じゃない、メリアにだって一度だって行った事もない」
「ふぅん、まぁ別にどうでもいいけどさ」
興味もないという顔でツキノはまたそっぽを向いた。
あぁ、なんだろうな、俺こいつ嫌いかも……
「そういえばツキノ、お前お祖父さんの家で世話になってるって父さんから聞いてたんだけど、家出てるのか? まさかカイトの家に転がり込んだりしてないだろうな?」
「あ? あぁ……別にいいだろ、誰にも迷惑かけてない」
「カイトに迷惑はかけてるだろ! ただでさえカイトは一人で大変なのに、お前の面倒までみさせるんじゃない」
「別にあいつも何も言わないし……」
「言わないからって何でも許されると思うな、カイトだってもう年頃だ、いつヒートがきてもおかしくない、お前がいたら危険だって事くらい分かるだろう!」
「その時にはちゃんと薬飲むし、その時はその時でちゃんと考える」
「そんな事を言って、お前は今ちゃんと薬を持ち歩いているのか?」
ユリウスの言葉にツキノは黙り込んでまたそっぽを向いた。
そんな態度にユリウスは溜息を吐き「ツキ兄駄目駄目じゃん」とウィルも呆れたように言うのだが、俺には彼等の会話の意味する所がまるで分からない。
彼等は何か持病でも持っているのだろうか?
「Ω(オメガ)はデリケートなんだ、お前みたいなガサツなのと一緒だと思うな」
オメガ? 知らない単語に首を傾げる俺だったが、誰も説明などしてはくれず、俺はただ黙って話を聞く事しかできない。
「Ωって言ったってカイトは男だ、そんな気になる訳ないだろ」
「お前は甘いっ! Ωのフェロモンはαの欲求を問答無用で揺さぶってくるものなんだよ、用心に越した事ないし、いざという時に傷付くのはお前じゃなくてカイトの方だ。お前のその傲慢さがカイトを傷付ける事になるんだよ。そういう傲慢なα(アルファ)はΩにとって害でしかない」
また知らない単語出てきた……もう何なんだよ、αとかΩとか、俺に分かるように話してくれよ。
「あぁ、うっせ。ユリは最近おじさんおばさんに似てきたな、そういう説教臭いとこそっくりだ。偽善者ぶって胸糞悪い」
「ツキノ!」
「俺は俺で好きにやってる、いちいち口出しされなくてもちゃんと考えてる、もうそんな説教聞きたくもない」
「ツキノ! 私達はお前やカイトの事を考えてだな……」
「だからうっせぇっての、話がそれだけなら俺もう帰る、付き合いきれない」
「どこに帰る気だ? カイトの所に戻る気か?」
「どこでもいいだろ、じゃあな」
不機嫌全開の顔でツキノは踵を返し駆け出した。ユリウスは溜息を吐いてその背中を見送る。
「追いかけなくていいんですか?」
「追いかけて捕まえた所で、どうせすぐに逃げ出す。それにどのみち見張りは付いてるから、今日の所はね……」
見張り……? 首を傾げた俺にユリウスはまた苦笑するように笑みを見せた。
「色々複雑な事情があってね……ツキノは基本的に放っておいても問題ないよ。問題はカイトの方かなぁ、そういえばウィルのおじさんと話してる間にカイトはどこかに行ってしまったようだけど、何かあった?」
先程の2人の諍いに気付いていない様子のユリウスに、先程の話をかいつまんで説明すると、彼はまたしても大きな溜息を吐いた。
最初のうちはにこにこと笑顔ばかりのほにゃほにゃした人だと思っていたのに、ここにきてユリウスの表情に少しの疲れが見える。
「まったくツキノは本当に……同じように育ったはずなのに、なんであいつはあぁなのか……」
ユリウスは眉間に皺を寄せ、溜息を零すように呟いた。
「ウィルもなんだか悪いね、せっかくお祭り楽しみにしてたのに」
「別にいいけどさ、オレはちゃんと収穫あったし。ノエルめっちゃ剣使えるんだよ、驚いた」
「あれ? そうなんだ?」
「ウィルの方こそ大人顔負けじゃん、こっちこそ驚いた。そりゃあアレだけ出来れば同年代に嫌われるわけだよ。俺だってルーンではムカつくって言われてる、ウィルが言われるのもなんか分かる気がする」
「あれ? ノエルも? やりぃ、仲~間」
「Hey!」と手を差し出されたのでその手を叩いてやったら、ウィルは満面の笑みで抱き付いて来て「オレ、ノエル好きかも」とご機嫌だ。
「いっそイリヤで暮らしてみない? うち、部屋余ってるよ?」
「え……さすがにそれは……」
「ウィル坊、そういう事は勝手に決められないよ。ノエル君のお母さんだってきっと心配してるし、ウィル坊のご両親だってさすがに驚くと思うな」
「あれ……? ノエルにはお母さんがいるの? ユリ兄の弟候補だって言うから、またてっきりそういう人なのかと思ってた」
「……? そういう?」
首を傾げるとユリウスは「違うよ」と笑う。
「ノエル君にはちゃんとした家族がいるからね、孤児でも捨て子でもないよ」
あぁ、そういえばユリウスの両親が引き取るのは行き場を無くした子供達だと言っていたか? なるほど、ウィルは俺を天涯孤独の身だと思ったのだな。
「でも、だったらなんで弟候補?」
「それはまだ今はナイショ」
ユリウスは綺麗な笑みで誤魔化した。彼の笑顔は万能だ「そうか」とウィルも頷いて、特に突っ込んではこなかった。
アレ? でも彼の両親が引き取るのは天涯孤独の子供だと言うわりに、彼の弟のツキノはさっき『実の親の元に帰る』とか言っていた気もするのだが……?
「どうかした?」
首を傾げた俺にユリウスが尋ねてくる。
「いえ、大した事じゃないですけど……さっきのツキノ……君も本当の家族の所に帰る、とか言ってたから、どこの人なんだろう? と思って。あの黒髪も珍しい色ですよね? あんまり見かけない」
「あぁ……ツキノの出身はメリアだよ」
「え?!」
さっきメリア人差別のような事を言われたのに、なんだかそれは腑に落ちない。
「言っても、うちに引き取られたのはツキノがまだ赤ん坊の頃だったから、ツキノはメリアを知らないだろうけどね。はは、家に帰るって言ってたんだね……うちの両親がまた渋い顔しそうだなぁ……」
「そうなんですか?」
「ツキノの家庭は複雑だからね……でもまぁ、いずれは戻らないといけないんだろうから、その時期が思っていたより少し早まったって感じかな」
よく分からないけれど「そうですか」と頷いて「そういえば……」と、もうひとつの疑問を口にする。
「さっきユリウスさんが話していたαとかΩとかって、何の話だったんですか? 何かの病気?」
「あぁ……君は知らないんだね。そうだよね、メリッサさんもβ(ベータ)だったし、君もそうだ」
「ベータ?」
また知らない単語が出てきて首を傾げた。
ウィルは「え? 知らないの?」と逆にビックリ顔だ。
「これは別に病気とかではないんだよ、言ってしまえば体質でね、私達バース性の人間は普通の人より少しばかり鼻が利くんだ」
「バース性? 鼻が利く? ウィルもそう?」
「うん、オレαだよ。オレはユリ兄ほど鼻は利かないから、ノエルもαかと思ったんだけど違うんだね」
なんでウィルが俺の事をαだと思ったのかよく分からないのだが、何かそういうモノ? 特徴? でもあるのだろうか?
「α……ユリウスさんも?」
「そうだね」
「さっきのツキノ君も?」
「そうだよ、でもカイ兄はΩ」
「Ω……何が違うんですか?」
「簡単に言ってしまえば、産めるか産めないか……かな」
「産める? え……?」
「Ωはαの子供を産むんだよ」
「え? でもさっきのカイト君、男ですよね?」
「驚くかもしれないけど、バース性はそういうの関係なくてね、男でもΩだったら子供を産める、カイトも勿論例外じゃない」
何を言われたのか理解も出来ず俺は言葉を失う。男なのに子供が産める? どうやって?
そもそも男の体にそんな機能備わってないだろう?
「あはは、混乱してるよね、ごめんね。自分達はそういう特異体質なんだよ。βの人達には理解され難いから普段は黙ってるんだけど、ノエル君の所はお祖父さんとお祖母さんがαとΩだよね?」
「え!?」
「あれ? 本当に何にも聞いてないんだね……メリッサさんもだし、君もβだから何も教えなかったのかな。まぁ二代βが続いたら、その後バース性が出る事ほとんどないだろうしねぇ」
まさか身内にそんな特異体質がいるとは思わず、驚きを隠せない。
「バース性っていうのはそういう特異体質でさ、αは元々生殖能力が低くてね、Ω以外じゃαの子供を宿せないんだよ。Ωは数が少ないし、そういう意味ではαの中でΩは取り合い、番を持っていないΩは引く手数多なんだよ」
それでカイトのさっきのモテ方か? と俺は納得したような、何かそれでも腑に落ちないようなそんな感じで唸ってしまう。
「バース性の人間は匂いでその性を判別するんだ、それがフェロモン。鼻が利くっていうのはそういう意味で、私はそのフェロモンの匂いを感知するのが得意でね、これはバース性の中でも稀な能力らしい」
「いいよねユリ兄は、その能力便利そう」
ウィルの言葉にユリウスは「そうばっかりでもないけどね」と苦笑する。
「でも、ウィル坊もフェロモンの匂いは分かるんだよね?」
「それはね、隠してない人とかなら分かるけど、薬で隠してる人とか、番持ちの人とかはもう全然。今じゃユリ兄の匂いもよく分からないよ、どこの薬使ってるの?」
「うちは両親が番になる前これでずいぶん苦労したらしくてね、フェロモンの扱いは徹底的に叩き込まれたんだよね。薬に頼りすぎるのも良くないって言うから、抑制剤は必要最低限、普通に市販されているのしか使ってないよ」
「へぇ、そうなんだ。そんな風にフェロモンって出し入れできるもんなの?」
「覚えればね」
「そうなんだ」とウィルは感心しきりだが、そのフェロモンという物がどんな代物か分からない俺は首を傾げる事しかできない。
「まぁ、αとかΩとかそういう人達がいるのは分かりました、でもさっきの傲慢なαがΩを傷付けるっていうのはどういう意味です?」
「あぁ、それはΩ特有の体質なんだけど、Ωは体がある程度出来上がると子作りの為にαを誘惑するフェロモンを発するようになるんだよ。それは発情期と共にやってきてαを誘惑するんだけど、Ωはその子供を作りたい! って本能に逆らえないんだよね、その発情期『ヒート』って言うんだけど、ヒートの間は相手構わずαを誘惑してしまうんだ。その時のΩには理性なんてないから、ヒートが終わった時には気が付いたら知らないαの子供を妊娠してたって事もなくはないんだよ」
「え……それは……」
何というかどうにも動物的だ。人間には理性がある、そんな事ってあるのだろうか?
「不幸な妊娠はΩを不幸にする、Ω側ももちろんそんな事にならないように自衛はしているけど、状況的にどうにもならない時もある。そういう時はα側の理性だって必要だ、そこに発情したΩがいたからって無闇やたらに犯ってしまうような輩はそうたくさんいるとは思いたくないけど、やっぱり中にはいるんだよ。αは種を植え付けるばかりで事が済んでしまえば知らんふりもできるけど、それは人道的に問題があるだろ? だからαの側もΩの発情に誘惑されないようにある程度の自衛は必要なんだよ」
「なんだか……すごく面倒くさそう……」
「まぁ、そうだね。やっぱり面倒は面倒だよ、でもそう生まれついたんだから仕方がない。それにその面倒に見合った程度の能力もバース性には与えられるから、これは運命だと思うしかないんだよ」
ユリウスは達観したように静かな笑みを零した。