君と僕②
どこへ行けばいいのだろう? どこへ向かっているのだろう? 俺はただ闇雲に走っていた。
払い除けられた手が熱い、涙は止めどもなく零れ落ちる、母さんの心を壊してしまった、俺の軽率な行動が家族を滅茶苦茶にしてしまった……
行ける場所がない、帰る場所がない、安らげる場所もすべて、俺が壊した!
「ツキノ! 待って、ツキノ!!」
追いかけて来たカイトに腕を取られて、その腕を払い除けた。体にはまだ先程までの虫が這うような感触が残っていて鳥肌が立った。
手を払い除けられたカイトは驚いたような、傷付いたような顔をしていて、それにも激しく心が揺れた。
「ツキノ、どこ行くの? 帰ろう? 皆、きっと待ってるよ」
「……帰れない、帰る場所がない……」
「そんな事ない、またうちに来ればいいよ。どうせまたすぐに父さんなんか研究室に籠っちゃうし、全然平気!」
「でも、あの人が、いるんだろ……?」
まるでモノでも見るような冷たい瞳だった。
「これがツキノか?」と冷たく吐き捨てられた。カイトの父親、今まで全く存在すら知らなかったカイトの父親はとても怖い人だった。
「あんな人、血が繋がってるだけで父親でもなんでもないよっ!」
「でも……」
「ね、帰ろ? その手も痛いだろう? 手当てして、休もう? ツキノは何も心配する事なんかないんだよ?」
「でも、俺は……殺した。人をあんな風に……ぐっ……」
「ツキノじゃない! ツキノじゃないよ!」
蹲って吐き続ける俺の背を撫でながら、何度も何度もカイトはそう言ってくれたけれど、違う、やっぱりこれは俺のせいなんだ。
俺が軽率にあんな男に付いて行ったから、再三注意されていたのに薬の携行もしていなかった。簡単に騙されて襲われた、全てが自業自得だ。
「ツキノは何も悪くない、悪くないよ!」
「カイト、怖い……怖くて声も出なかった。でも、目の前で人が死んだんだ、真っ赤だった。ねぇ、あの人はこんな死に方をする程の事をしたのかな!? 俺はどうすればよかった? あの人は生き返らない、怖かった、けど……こんなのどうしていいか分からない!」
確かに憎いと思ったのだ、こんな卑劣な事をする人間を殺してやりたいと思った、だけど、でも……それでも肉塊になるまで切り刻まれたあの男を思い出すと、その男の罪はそこまでのモノだったのか? と思ってしまう自分がいる。
カイトに縋り付いてその手を握る、俺の手は血の気を失って真っ白だ。その手を包むようにしてカイトはそれでも尚「大丈夫だよ」と俺を抱き締めてくれた。
「怖い事なんて何もないよ、僕がずっと傍にいる。だから泣かないで、ツキノ。帰って休もう?」
カイトが優しい、いつも優しいカイトだがいつも以上にカイトに気遣われているのを感じる。俺にはそんな資格ないのに。これは全部俺が今までしてきた事の俺へ対する罰なのだ。
身を震わせていたら、カイトが上着を着せ掛けてくれた。カイトの匂いがする、カイトの匂いはあいつと違ってとても綺麗な濁りのない甘さだ。
でも、違う、いつもと違う。カイトの匂いに安らげない、カイトの匂いが微かにしか感じられない。
俺があいつの項を噛んだから……
思い出して、また込み上げた吐き気に蹲る。吐いて吐いて、胃液まで吐き出して、もう何も出なくなるまで吐き出しても気持ちが悪くて、涙が止まらない。
「ツキノ、大丈夫? 水、いる?」
「……汚い……」
「ん? 服汚れた? 大丈夫だよ、洗えば落ちる。それより歩ける? おんぶしようか?」
「そんな事したら、カイトまで、汚れる……」
「そんなの全然平気。今までだって真っ黒になるまで汚して怒られた事何度もあるだろ? 僕がちゃんとこっそり洗うから、ツキノは気にしなくていいよ」
そうじゃない、そうじゃない……またしても、涙が零れ落ちる。
「俺が汚い……カイトは駄目、汚れちゃ駄目」
カイトが戸惑ったように「何言ってるの?」と、また俺の背を撫でた。
「俺に触ったら、カイトまで汚れる。俺は汚い、心も身体もこの髪と同じ、真っ黒で、汚い」
「馬鹿なことを、そんな事ある訳ない。ツキノはどこも汚れてないよ」
「俺、ざまぁみろ、って思ったんだ……」
口元を拭って立ち上がろうとするのだが、ふらりとよろけてうまく立てない。
「首が飛んだあの瞬間、こんな奴死んで当然だって、思った……けど、違う。俺が付いて行きさえしなければ、あんな奴でもあんな死に方しなかった!」
「死んで当然の事したんだから、ツキノが気に病む事なんて何もないよっ!」
「……本当に?」
「本当だよ!」
真っ直ぐ俺を見つめるカイトの瞳、あぁ、やっぱり凄く綺麗。
「カイトは見た? あいつの死体を……見た?」
「え……いや、見てないけど」
「真っ赤だったよ……顔も体も人の原形を留めないくらいぐちゃぐちゃで……母さんが、料理するみたいに切り刻んで……うぐっ……」
脳裏に刻まれた光景、狂ったように剣を突き立てる大好きな人。
「っあ……はぁ……それでも、俺は……ざまぁみろって、そう、思ったんだ……」
「ツキノ……」
「俺はもうどこか壊れてる……体の隅々まで真っ黒だ。きっとこの髪みたいに、どこもかも……汚い」
「ツキノの髪は綺麗だよ!」
そう言って、カイトが俺の髪に口付けようとするのを俺は必死に拒み首を振る。
「カイトは、汚れちゃ……駄目だ……」
「いつも一緒にいただろう? ツキノが汚れてるって言うなら、僕だって汚れてる! 僕の心の中、ツキノに見せてやりたいくらいだよっ、僕の心の中こそ真っ黒だ、ずっとずっとツキノが羨ましくて妬んでた、ツキノを追い出して心の中で笑ってた、ざまぁみろって笑ってたんだ……僕の責任だよ……ツキノが自分を汚いって言うなら、その原因を作った僕が一番汚いんだ!!」
カイトの頬も涙で濡れて、どうしてこうなってしまったのかと思わずにはいられない。
「カイトは綺麗だよ……優しくて、誰にでも好かれる。俺は、カイトになりたかった」
「お互い、無い物ねだりだったんだね……」
カイトの手がまた俺へと伸びてきて、俺の頬を撫でる。
「ねぇ、ツキノ……僕、いい遊びを思いついたよ」
「……なに?」
「僕がツキノになる」
何を言われているのか分からなくて、首を傾げた。
「だから、ツキノは僕になればいいよ」
「何を言っているのか、分からない」
「ツキノは僕になりたかった、僕はツキノが羨ましかった、だったら入れ替わればいい。僕がツキノ、君がカイト、簡単だろ?」
「カイト……」
「違うよ、カイト。僕がツキノ、ツキノの物は全部持ってく、記憶も過去も全部貰ってく、簡単だろ? だって僕達いつも一緒にいたんだから」
「俺が……カイト……」
「そう……今だけでもいいんだ、これは遊びだから。ねぇ、帰ろうカイト、俺、お腹空いた。何か作ってよ」
「俺は何も作れない……」
ツキノになったカイトはしぃーっと口の前に指を立てる。
「ふりだけでいいんだよ、カイトは料理上手だから、ね? 俺、カレーが食べたいな」
「……ツキノは……仕方ないなぁ……」
俺がカイトを真似てそう言うと、カイトはにっこり微笑んだ。
「うちに帰ろう、俺、腹が空きすぎて倒れそうだ」
「ツキノは本当に燃費が悪いよね」
ツキノになったカイトは笑う。カイトになったツキノも泣き笑う。
2人は手を繋いで歩き出す、2人でいれば、それだけでいいとその時の俺達はそう思っていたんだ。




