家族と父親⑤
口の中に広がる錆びた鉄の味、恍惚とした表情で項を差し出すそいつを俺は知らない。
頭の中では止めろ! と警報が鳴り続けているのに、俺はその項に喰らい付くのを止められない。
甘い匂いだ、噎せ返るように甘い。こんな甘い匂いは嗅いだ事がない。
「あはは、ありがとう。これで君は僕の番だ、これで僕も晴れてデルクマン家の一員だ」
こいつは一体何を言っているんだ? 俺はこいつを知らないし、そこにあるのは肉欲だけ。
家族の一員? ふざけるな! お前なんか、俺の何にもなれはしない!!
白い項に付いた噛み痕、そこにこびり付いた赤い血がぶれたように眼前を覆う。
「でも、番契約だけじゃ心許ないよね、やっぱり子供は大事だよ。おいで、ほら……たくさん可愛がってあげる。好きなだけ中に出していいよ」
「ぐっ……嫌、だ」
「そんな事言っても身体は正直だよ、ほら出したいんでしょ? 僕に種付けしたくてうずうずしてるの分かってる。遠慮はいらない、思う存分種付けしていいよ」
「嫌、だ! カイトっ!」
俺の吐き出した言葉に男はすっと瞳を細めた。
「カイト君ってやっぱり恋人だったのかな? それとも片想いだった? 純愛だねぇ、僕、そういうの虫唾が走るんだ」
男の口角がにぃっと上がる。
「いいよ、そんな子供の恋愛なんて馬鹿らしくなるような経験させてあ・げ・る」
「寄るなっ!」
なんとか動いた身体で、男を押し退けるのだが、それでもやはり思うように動かない体は足元もおぼつかず崩れ落ちた。
「強情だねぇ、もっと本能に忠実に生きた方が楽だよ? お互いにね」
男は纏っていた衣類をひとつ、またひとつと落としていき、白い裸体を晒す。
「据え膳を食わない男は、恥ずかしいんだよ? こっちはいいって言ってるんだから、君は本能に従えばいいだけなのに」
「っざけんな!」
伸びてきた手を振り払うと、彼は少し眉を顰めた。
「薬の効きが悪いのかな、こんなに動けるはずじゃなかったんだけど。そもそも、もっと本能に忠実な子なら簡単だったのに、君、意外と頑なだね」
少し思案するように男は首を傾げ、そのうちまた笑みを作ると戸棚を漁りロープを取り出す。
「こういうプレイ、あんまり好きじゃなかったけど、やる方は楽しいんだね。初めて知ったよ」
そう言って彼は俺の手首を縛り上げ、ベッドの柵へと結び付けた。
「じっとしてて、大丈夫、全部僕がしてあげる」
舌なめずりするような赤い唇だけが妙に印象的で、吐き気がする。
なんでこんな事になった!? 俺が一体何をした! 気持ちが悪い、嫌だ、嫌だ、嫌だ!
心は頑なに拒否していても、疼く身体は止められない。下着まで剥ぎ取られ、晒した下肢に男は瞳を細めて口付けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
1人部屋に籠り、もそもそと惣菜を食べていたら、外からぱんっ! と何かが弾けるような音が聞こえた。
「ん? 花火?」
窓の外を見やると、音のした方角から少しばかりの煙が上がっている。その煙には色が付いていて、その煙の色は赤かった。
「あれ、なんだろう?」
そう思って、立ち上がり窓を開けると、更に立て続けに煙が上がる。
なんか、あれ見た事がある。先だってあった事件でユリウス兄さんがあんな感じの煙を見上げて、眉を顰めていたのを思い出した。
何かの信号? あそこで何かあったのかな? ちょっと遠いけど、行ってみる?
好奇心はむくむく湧いてきて、出かけようと思った所に、部屋の扉がばんっ! と思い切りよく開いた。
「え? 何?」
「良かった、ちゃんと居た」
「何? 何が?」
母は心底安心したという表情で、僕を抱き締めるのだけど訳が分からない。
「あれ、信号弾。あれは緊急信号だよ、赤は特別緊急事態。お前が黙って出てったのかと思って慌てたけど、ちゃんと居た。だけど、あれが上がってるって事は緊急事態はツキノの方だ。ツキノは家に帰ったんじゃなかったのかい?」
「え……たぶん、帰ったんだと、思うけど……」
ツキノの帰れる場所なんてナダールおじさんの家かおじいさんのいるお城か、そのくらいしか思い付かない。ツキノは僕以外に親しく友人も作っていなかった、頼れる人間など大していなかったはずだ。
「なんだか曖昧な言い方だね? 何かあった?」
瞳を覗き込まれて言葉に窮した、こんな風に父さんに抱き込まれた事は今までほとんど無くて、ちゃんと僕の事心配してくれてたんだな、と思う反面ちょっと複雑。
「今朝、ツキノと喧嘩して追い出しちゃったんだ。僕、ツキノがどこに行ったかまでは分からない」
「喧嘩? お前達にしては珍しい事もあったもんだね。だけど、そうなってくると少し心配だね、あれは本当に緊急の信号弾だ、何もないといいけれど」
「何か……ねぇ、あれってツキノに何かあったって事なの!?」
「たぶん恐らくね。僕はそう聞いてる」
彼を追い出した時には悲しくても前を向かなければという気持ちでいたのに、それを聞いた瞬間一気に血の気が引いた。
「何があったの!? ツキノ大丈夫なの!?」
「それが分かれば苦労はしないよ。だけど、あの信号を見た人間が動いているはずだから大事にはならないはずだけどね」
信号弾は間隔を置いて上がり続けている、僕は居ても立っても居られずに家の外に飛び出そうとしたのだが、母に腕を捕まれ止められた。
「行っては駄目だ、余計に彼等を煩わせる事になる」
「でも、ツキノが……」
「あぁ、良かった、こっちじゃなかった!」
ふいに窓の外から黒髪の男が顔を覗かせ安堵の声を漏らす。この人、誰?
「ルーク、何があった? あれ緊急弾だよね?」
「そう、俺も行かないといけないから、先生ちゃんとカイトの事見といてくださいね」
男はそう言うと、窓枠をするすると登り始めた。
「待って、ツキノに何があったの!?」
「それが分からないから行くんでしょうが! くれぐれもあんた達は動かずにそこに居てくださいよ」
僕の言葉にそれだけ返して屋根に上った彼は屋根伝いにどんどん走って行ってしまい、その姿はあっという間に消えてしまった。
「父さん、僕……」
「駄目だよ、今、彼も動いては駄目だと言ったはずだ」
「でも、ツキノが!」
「駄目だ、お前まで危険な目には遭わせられない」
自由奔放で束縛など皆無の母は僕のする事に今まで否を唱えた事はない。好きなように生きろとばかりに放置されていたのに、なんで今になってそんな事を言うのだろう。
「ツキノは僕の『運命』だ! ツキノに何かあったら僕は生きられない!」
母は驚いたようにこちらを見やった。
「ツキノが運命? 僕はそんな話し聞いていないよ……?」
慌てたように母は僕の項を確認して、そこに噛み痕がない事を見て取るとほっとしたような表情を見せる。だけど僕はそれが気に入らず、母の手を振り解いた。
「勝手な事ばっかり言って! いつも勝手な事してるのそっちだろ、なんで駄目なんだ! ツキノがもし本当に危険な目に遭ってるなら、僕が行かなきゃ駄目なんだ! 僕がツキノを助けなきゃ!!」
「行って、お前に何ができる!? 彼等の邪魔になるだけならここで大人しく待っていた方がいい。お前はΩで大した力も持ってはいない、できる事はできる人間に任せるんだ」
「Ωだから何だってんだ! 僕は今まで他人に引けを取った事なんてないよ! Ωだからって自分を卑下するなって育てたの父さん達だろ! なのになんで今その父さんがそれを言うんだ!」
僕の言葉に怯んだように母は言葉を詰まらせたが、それでも駄目だと僕の行く手を阻む。
「行かせてよ!」
「彼等はすぐに戻ってくる、ここで待つんだ」
「……行かせてやればいいじゃないか、邪魔をさせなきゃいいんだろう?」
突然かかった声に、僕は母の背後を見やる。そこには僕の父親が立っていて僕の行く手を阻んでいた母の肩に手を置いた。
「俺が付いてく、無茶はさせない、それでいいだろう?」
「駄目です! それこそ貴方をそんな危ないと分かっている場所に行かせる訳にはいきません!」
「俺はもうあんたに守られていた頃のように何もできない子供ではない。カイトはちゃんと守る」
「ですが、王子!」
「何も死地に赴くわけではない、あんたはここで大人しく待ってろ。必ずちゃんと連れ帰る。不本意だが、そのツキノとかいう子供もちゃんと連れて戻ってくる、俺を信じろ。カイト場所は分かるか?」
「方角と距離はなんとなく!」
打ち上がっていた信号弾の位置を頭の中で反芻すると「充分だ」とエリオットは身を翻すので、僕も母の脇をすり抜けその後を追った。




