家族と父親①
ツキノを家から追い出して、僕は家の中で呆けたようにぼんやりしていた。
これで良かったのだと思いはするのに喪失感が半端ない。人生の大半を同じように歩いて生きてきたのだ、僕の隣にはずっとツキノがいるのだと何の疑いも持たずに生きてきた、けれど僕は自分でそれを拒んだ。
違う、僕のせいじゃない、ツキノが僕を拒むからこうなったんだ。
僕は前を向かなければならない、僕達の人生はまだ長い、きっとツキノの事も思い出に変えられる……そう思うのに零れる涙は止められない。
なんて情けないのだろう、こんなにぼろぼろに自分が傷付くのなら言わなければ良かったのだ。
ツキノが何と言おうと「メリアに付いてく」くらい言っても良かったのかもしれない。けれど、僕は家族が欲しかった。ツキノは僕を家族にはしてくれない、きっとツキノの本当の家族も僕を認めてはくれない。
王族と庶民の垣根がどのくらいあるのか分からない。ツキノはツキノの養母の甥である。という事はおばさんは王族の人間だったという事だ。
彼はそんな素振りを僕達の前で一度として見せた事はない。おじさんは王族の人間であるおばさんを娶るのにどんな努力をしたのだろう?
おばさんはおじさんの所に嫁ぐのにどんな覚悟を決めたのだろう?
王家からの離脱……彼の性格上ツキノは僕の為にそんな事は絶対してくれない、だとしたら僕はツキノといる為に何ができた?
妾の身にでも甘んじれば良かったのか? そしたら傍に置いてくれた?
母は1人で僕を生んだ、父親はいないとそう言うのだ。
『きっと一生会う事もないよ』
そう言って母は笑っていた。母も同じような立場だったのだろうか? だとしたら僕はそんな人生をなぞりたくなんてない。僕の理想はデルクマン夫妻のような家族がいつもお互いを労わりあえるようなそんな家庭だ、日陰の身で一生を過すなんて真っ平ごめんだ。
だけど、それでもツキノを想うと心は揺れる。
大嫌い、無神経で高飛車で偉そうな事ばかり言ってるくせに、時々思い出したように優しい言葉を吐くツキノが僕は……
思い出して、また胸が苦しくなった。この痛みにもいずれ慣れる時は来るはずだ、僕の選択は間違っていない、きっと、きっと……
胸を押さえて涙を堪えていると、ふいに玄関扉が叩かれた。
その音に僕の肩はびくりと跳ね上がる。誰? お客さん? でも我が家に客なんて今までほとんど来た事はないのだ。
もしかしてツキノだったら……そう思うと扉を開けるのが躊躇われて、僕は居留守を決め込んだ。
けれど、玄関扉は尚もしつこく打ち鳴らされて、少しだけ戸惑った。あまりにもしつこいノックに涙を拭って立ち上がる。
「誰……?」
ツキノだったらこのまま無視を決め込むつもりで扉の向こうに問いかける。
「そっちこそ誰だ!? ここはカイル・リングスの自宅じゃないのか?!」
少し荒っぽい男の声だった。声に聞き覚えは無いし、母は現在また研究室に籠っていてここ1週間ほど顔も見ていない。
「確かにここはカイル・リングスの自宅ですが、ここにはいませんよ。用があるなら職場の方に行ってください」
そもそも母の知り合いならば母が自宅に居る事より職場である研究室の方に居る事の方が多いという事を知っていそうなものなのだけど……それに返された声は少し苛立っている風で、もしかしてまた母が何かをやらかしての被害者だったら嫌だな、とも思う。
母は言ってしまえばマッドサイエンティスト、無闇に薬の実験を仕掛けては他人に迷惑を掛け倒している事も知っている。けれどそれを息子である僕に言われても困るのだ。
母を止められる人間は誰もいない、それは僕も例外では無い。
「職場? それはどこだ? いや、それよりお前は誰だ!?」
「誰って……僕はカイル・リングスの息子ですよ」
「息子……?」
俄かに扉の向こうの男の声が動揺したように上ずった。
「どういう事だ? 息子だと?」
「そっちこそ、何処の誰だか知りませんけど、父に用があるならここに居ても帰ってはきませんよ」
「父? いや、お前を生んだのは先生本人なんじゃないのか? それとも、よそに……?」
先生? 確かに母は医者という括りで言えば「先生」であるのかも知れないが、母をそんな風に呼ぶ人間は少なく、僕は首を傾げる。しかもこの人、母が男性Ωである事を知っている。
発情期も無い、フェロモンもほとんど発しない母を男性Ωだと認識している人間は少ない、けれどこの人はそれを知っているのだ。
「確かに僕を生んだのは間違いではないですけど、父は父です」
「……君、歳は?」
少し冷静になった様子の男は扉の向こうからそう問いかけてくる。何なんだろうこの人、しつこいな。
「14ですけど、それが何か?」
「14、15年前か、はは、そういう事か……」
何かに納得したように扉の向こうの男の声が少し和らいだ。
「あの、もういいですか? 父はここには帰って来ませんので、申し訳ないですけど職場の方に行ってください」
「俺は先生の職場を知らない。できれば場所を教えて欲しいのだが、この扉を開けてはもらえないだろうか?」
男の声は最初の事を思うとずいぶん落ち着いた声音に変わった。
それにしても職場を知らないってどういう事だ? 母の知り合いなんてほとんどが職場の人間だろうに、その関係者では無いという事か?
「知らない人には油断をするなと育てられています」
それはデルクマン家で叩き込まれてきた生活習慣だ。特にΩである自分はいつ何時どんな事があるか分からないので、用心に越した事はないと常に言われ続けてきた。
「これは参ったな、どうすれば俺は信用してもらえるだろうか?」
その人は少し困ったような声音でそんな事を言う。そんな事僕に言われても本当に困るんだけどな。
「まずは、あなたはどこの誰で、父の何なんですか?」
「俺はランティスから来た、名前はエリオット・スノー、君の父親の恋人、運命の番だよ」
母の番相手? 確かに母の項には噛み痕があるし、番相手はいるのだと知っていた、でも、だとしたら……
「まさか、僕の父親?」
「恐らく十中八九そうだろうね」
扉の向こうの男は少しだけ苦笑するような声音でそう言った。
僕はそろりと扉を開ける。まだ信用した訳ではないけれど、自分の父親だというその男の顔が見てみたかった。
「はじめまして、君の名前は?」
「カイト・リングス……」
扉の前に立つ男は、特に目立つ風貌でもない平凡な顔立ちの普通の男だった。
けれど、若い。母の番というにはどうにも完全に若すぎる、俄かに不審気な表情を浮かべて男を見上げると、彼は困ったような顔で「何かおかしな所でもあるかな?」と苦笑するようにそう言った。
「あなた、本当に父の番相手なんですか? どう考えても若すぎますよね?」
母の年齢は間もなく50に手が届くという年齢だ、にもかかわらず目の前に居る男の容姿は本当に若々しい、どう頑張って見ても20代後半から30代前半のその男が、自分の父親だと言うのはどうにも不自然だ。
「仕方がないね、年齢差は埋められないよ。俺は先生の13歳下だからね、こればっかりはどうしようもない」
13歳差って……なんでわざわざ番相手にあんな変人の、しかも男性Ωを選んだのかさっぱり意味が分からないんだけど!
「本当にあなた、僕の父親なんですか?」
「間違いないと思うよ、っていうか間違いない。計算もきっちり合う。あの当時に先生が浮気をしてたなんて事は絶対ありえないから、君は間違いなく俺の子だ。でも驚いた、子供がいたとはね、はは、さすがに想像もしていなかった」
「想像してなかったって……知らなかったんですか?」
「知りようがないだろう、ある日突然先生は行方をくらましたんだ、こっちだって必死に探していたが隠し立てする奴が多くて、見付けるのに時間がかかった。しかも、うちの方を片付けるのにも時間がかかって、ようやく会いに来られたんだ」
僕の父親を名乗るその男はそう言って僕に笑みを見せるのだが、僕はそれが俄かには信じられない。だって、僕ももうじき15になるけど、僕は母からこんな男の話しは一度だって聞いていない。
いや、そもそも母と一緒に暮らしていた期間もそう長くはないので何とも言えないのだけど、少なくとも今までそんな人間の影すら感じた事はないというのに、目の前のこの男はそんな事は軽く無視して自分は僕の父親だとそう言うのだ。
「そんな事を突然言われても、信じられません」
「先生から何も聞いていないのか?」
「聞いてませんね。父親とは一生会う事もないだろうから知らなくていい、と言われています」
「な……くそっ、酷い言われようだな」
またしても苛立ったような、けれど少し悲しげな表情で男は髪を掻き上げる。
「別れる時に何かあったんですか?」
「俺達は別れてない、そもそもそんな話になった事すらない」
「スノーさん、もしかして父に嫌われてるんじゃ……?」
そうでもなければ番相手、ましてやΩがαの元を離れるなんてあり得ない。αとΩの番契約はαの方に都合良くできていて、その契約はαの側からなら一方的に破棄できるが、Ωからはそれができない。しかもαから番契約を破棄されたΩの精神的負担は相当な物だと聞く。それこそ一方的に捨てられたΩは命を縮める事だってあるのだ。
でも、それを考えると僕の母は1人でいても有り余るほどに元気なのはどうにもおかしい。
それはこの人が本当に母の番相手だとして、15年も行方を眩ましていた母との番契約をずっと破棄していないという事でもある。
「嫌われてはいない……と思うのだが、先生はそんな素振りは一度だって見せた事はなかった。確かに先生が行方を眩ます前は多少喧嘩が増えていたが、その喧嘩の理由は俺を嫌ってのものではなかった」
「喧嘩の理由ってなんですか?」
「話せば長くなるのだが、聞く気があるのなら中に入れてはもらえないだろうか?」
男の言葉に僕は瞬間躊躇いを覚えたのだが、好奇心の方がそれに勝った。
僕の父親を名乗るこの男の正体が知りたかったのだ。
「分かりました、どうぞ」
僕が扉を大きく開けて招き入れるようにそう言うと、彼は嬉しそうに僕に抱き付いてきた。
「ありがとう、嬉しいよ。顔を見せて、あぁ、やっぱり先生によく似てる」
「ちょっと、止めてください! 僕、まだ貴方の事100%信用した訳じゃないですからね!」
「俺にとって君は100%俺の子供だ。パパと呼んでくれてもいいんだぞ」
問答無用で抱き締められて、つい腕の中で暴れてしまう。何なんだろう、この人距離感おかしい、調子が狂う。
「もう、本当に止めてください!」
言った言葉を聞いているのかいないのか、彼は僕の肩を抱くようにして部屋の中へと入ってきた。家の中に入れちゃったけど、本当にこの人変な人だったりしないよね? 大丈夫だよね? ちょっと心配……
こんな時ツキノがいてくれたら安心できるのにと無意識に考え、僕はそれを振り払うように頭を振った。




