運命に祝福を③
きみのみむねに いだかれて
ねむるわがこの さちねがい
よあけをねがい たてまつる
「ノエル君、その歌……」
「あ、ごめんうるさかった?」
情事の名残をそのままに膝の上に彼の頭を乗せてその髪を撫でながらつい口ずさんでいた歌はリリーが教えてくれた子守唄だ。ユリウスはもうすっかり寝入ったものだと思っていたので、ついうっかりした。
「いえ、ですが母以外にその唄をそんな風に歌っている人を聞いたのは初めてで……」
「そうなんだ、でもそうかもね。リアンさんはこの曲を忘れられた古の民謡だって言っていた。だからもう知っている人は少ないのかもしれないね」
「私はこの曲を呪いの唄だと聞きました」
「呪いの? なんで? どう考えてもおかしいだろ? 歌詞を見るだけでも分かる、これは愛しい我が子を想う子守唄だ」
「私もずっとそう思っていた、ですがアギトはその唄には呪いがかかっているのだと……」
「へぇ、何の呪い?」
俺の何気ない言葉にユリ兄は瞬間言葉に詰まったあと「何でしょうかね?」と、俺の腹に顔を埋めた。
「でもさ、俺もこれは最初神様を称える唄だって思ってたんだ。でもどうやら違ったみたいで、なんだか不思議だよね、何で同じ曲が色々な意味を持って色んな場所で歌われているんだろう? 伝え方が違うだけで受け取り方は様々で解釈の違いもたくさんあって、それが多様性なんだと思うけど、真逆の意味で捉えられちゃうのとか嫌だよね。こういうのも広い意味では争いの種になったりするのかな? だとしたらそれはとても悲しいよね。俺さ、なんかこの曲は好きなんだ、だから呪いになんて絶対ならないよ」
俺の腹に顔を埋めていたユリウスがそっと俺を見上げて「ずっと聞きたいと思っていた事がある」と上体を起こした。
「ん? なに?」
「君が教会で腹を刺された時、君は私に『いいよ』と言った。あれはどういう意味だったんですか?」
はて? そんな事があっただろうか? まるで覚えていない記憶を反芻するように俺は首を傾げる。
正直あの時の記憶は俺の中にはあまり残っていないのだ。ただ、ようやく彼に触れることができて嬉しかった事だけは覚えてる。
「俺、そんな事言ったかな?」
「はい、はっきりと。私はあの時のあなたの笑みとその言葉がどうしても忘れられなくて……」
そんなに難しく考えるような言葉じゃなかったと思う、色々言いたい事はあったと思うのだが、泣きそうな彼の顔を見ていたらたぶんどうでも良くなったのだ。
「泣かなくていいよ」
「え……」
「何も心配しなくていいよ、大丈夫だよ、会えて嬉しいよ、大好きだよ……が、全部合わさった『いいよ』だと思う。本当は恨み辛みも言おうと思ってたと思うんだけど、ユリ兄の顔見たら全部どうでも良くなって全部許してた、だから『いいよ』だったんじゃないかな」
ユリウスの顔がまたくしゃりと歪んだ。
「君はどこまで私を甘やかすつもりなんだ……」
「別に甘やかしてるつもりはないんだけどな。だけど、ユリ兄はそのままでいいんだよ、もう頑張らなくていいからね」
瞬間、驚いたような表情のユリウスは幼子が泣きだしそうな顔をしている。
「はは、男前が台無しだ」
「ずっと待っていたのです」
「ん?」
「泣きながら膝を抱えてずっと……」
誰を? と思いはしたが、俺は黙ってユリウスの言葉に耳を傾ける。
「忘れていたのですよ、ちゃんと迎えに来てくれたのに、私はそれを忘れていた。呪いなんて言葉に踊らされて、勝手に傷付き恨んでしまった……」
ユリウスは「本当に……私は愚か者だ」と、また俺の腹に顔を埋める。俺は彼が何にそんなに落ち込んだのか分からないのだが、もう一度子守唄を歌ってほしいと彼が言うので、俺は彼の髪を撫でながら彼が深く寝付くまでその子守唄を歌ってあげた。
その後しばらくして俺は騎士団を辞め、小さな部屋を引き払いイリヤを出た。
誰にも行き先を告げずに失踪した形だけれど、俺のもとには時々手紙が届く。誰が届けてくれているのか分からないのだが、どこに越してもその手紙は届けられるので、どこかの誰かがきっと俺達の所在を把握しているのだろう。
最初は警戒していた俺達だったのだけれど、追っ手がかかるような事もなく、俺達は小さな村の一軒家で今は穏やかに暮らしている。
「ユリ、また手紙が届いたよ」
「今日は誰から?」
「ルーンのアジェ様から、母さんからの手紙も一緒に入ってた」
「そうか」と、俺の伴侶となった男は微かに瞳を伏せた。彼は俺が故郷に帰ることも出来ない生活を送っている事を未だに申し訳ないと思っているようで、時々こうやって瞳を翳らせるのだ。
「もう、そんな顔しない! それより凄い、大ニュース! ロディ様がご結婚だよ、お相手は誰だと思う?」
「え……? 私の知っている人ですか?」
「うん、よく知ってる人」
俺はもう一度手紙に瞳を落として、安堵する。
俺は散々彼女を傷付けてきた、イリヤを出る時も結局彼女には別れも告げずに出てきてしまった。
最後に彼女に会った時、彼女は何かを悟ったような瞳で「お元気で」と、そう言ったのだ。
「またね」でも「さようなら」でもなく「お元気で」だった事に彼女はもしかしたら俺の決意に気付いていたのではないかと思っている。
「誰だろう? ヒントは?」
「きっと、ユリにとっても大切な人……」
少し考え込む素振りの、ユリウスに俺は笑みを零す。
「ノエル! 父さん! ただいまっ!」
元気よく家に飛び込んでくるのは息子のノーア。言葉の少なかった彼も、俺達と穏やかに暮らすようになってから、少しずつ言葉が増えて、今ではその辺の子供と大差のない成長を続けている。
ノーアの中に住んでいるあの人ならざるモノは、あの日以来表に出てきた事は一度もない。それは宣言通りにノーアの中でノーアとして人生を謳歌している証拠なのか、それは俺には到底分からないのだが、今はノーアが笑っているのでそれでよしとする。
「コレ見て! 凄くない!? 大きいだろ! オレのが一番大きいの!」
友達と川釣りに出掛けていた息子は嬉々とした様子でその釣果を見せてよこすので、今日の晩御飯は魚尽くしかなと、俺は晩飯へと思いを馳せる。
「ノーア、ノエルの事は母さんと呼びなさいと、何度言えば分かるんだ!」
「ユリ、それ無理があるから止めてって俺が止めたんだからやめてよ」
「え~? オレはどっちでもいいよ? ノエルはノエルだし」
こんな会話が日常になって、俺はユリウスの言葉に苦笑する。
「これは大事な事なんだ、立場は明確にしておかなければいけない」
「立場って……もしかしてユリって、本気でノーアを恋敵だとでも思ってるの?」
彼はふいと瞳を逸らす、沈黙は肯定。俺は思わず吹き出した。
「ないない、ホントないから。妬いてくれるの嬉しいけど、大人気ないよ、ユリ」
「ノーアは私の子だから油断ならない。血が繋がっている訳でもなし、万が一があると困る」
「そういえば昔、じいちゃんにユリはマザコンだって言われてたっけ」
またしても沈黙、そしてまた瞳を逸らした。あはは、なんか可笑しいの。
俺達の会話の向こう側で、ノーアが少しだけ大人びた表情で笑みを浮かべている。きっとないよ、絶対ない。だって彼は貴方の幸せを祈っている。貴方がこれ以上苦しむ事を彼は望まないし決してしやしない。
たくさんの苦しみがあった、たくさんの想いが交錯して、たくさん涙を流したけれど、今、俺達はこうやって穏やかに笑っている。
運命は時に残酷で抗えない波のように俺達を襲うけれど、もう決してそんな運命に屈する事はないと俺は心に誓う。
俺は祈り続ける、全ての運命に限りない祝福を……
最後まで本作お読みいただき、ありがとうございます!
ずいぶん長くて大変だったと思います、お疲れ様です。
こちらの作品、本当は数年前に完結していたのですが、ラストが少しおざなりで書き直したいと常々思っていたので、今回10万字弱加筆修正してようやく綺麗に完結させることができました。
最後までお付き合い、本当にありがとうございました!




