嵐はなんの前触れもなく①
ユリウスさんの手を取って俺達は歩き出したのだが『なんで俺たち手を繋いで歩いてるんだ……?』と、俺はふと我に返った。
「あのぉ、手……放して貰っていいですか?」
え? と一瞬首を傾げたユリウスだったのだが、その繋がれた手を見て、彼もはっと我に返ったように手を放した。
「ごめん、ついクセで……」
「クセ……?」
人と手を繋いで歩くクセって一体……
「あはは、私には君と同じくらいの歳の弟妹がいてね、出掛ける時はいつもこうだからついうっかり」
「弟妹……」
しかも自分と同じくらいの歳というのは聞き捨てならない。
まさか、自分の父親は自分の妻が妊娠している傍らで俺の母親と不倫していたと、そういう事か?
黙ってしまった俺に更に「ごめんね」と謝って、彼は「こっちだよ」と先を行ってしまう。
どうにも心の中はもやもやするのだが、俺は何も言わずに彼の背を追った。
「それにしても、毎回思うけどお祭りの時のイリヤの活気は凄いよねぇ、ノエル君はこのお祭りは初めて?」
「ルーンから出たのは今回が初めてです」
「あぁ、そうなんだね。その歳で一人旅、ノエル君は勇気があるなぁ」
自分がその歳の頃、自分は何をしてたっけ? とユリウスは首を傾げた。
「このお祭りって一体どんなお祭りなんですか?」
「え? 知らないの?」
「興味なかったんで」
「それじゃあ本当にタイミングが悪かったんだね。いや、逆に考えればタイミング良かったのかな?このお祭りの期間はほとんどの騎士団員がイリヤに帰ってくるからね。君のお父さんが本当に騎士団員だって言うのなら、タイミングは良かったのかも」
ユリウスの言葉はまだどこか人事で、俺はどうにも憮然とする。
「そういえば、さっきその俺の父親候補が最後の2日間しか用がないって言ってたのは何でなんですか?」
「え?あぁ、このお祭りって騎士団員のお祭りなんだけど、言ってしまえば騎士団員主催の『出世争奪戦』なんだよね。戦って強い人が出世していく、ちょっと荒っぽいお祭りなんだけど、私みたいな下っ端は一回戦から順当に勝ち上がっていかなければ出世できないんだよね。だけど、元々上の人はいわゆるシード権があってね、参加は三回戦からだから、最後の2日間さえ参加していればOKなんだよ」
「シード権……その人そんなに上の人なんだ?」
「まぁ、父は騎士団長だからね」
あはは、とユリウスは笑みを零したが、またしても俺の心は大荒れだ。
まさか国の騎士団長が自分の父親だなんて想像もしていなかった。
「あんまり姓で呼ばれたくないって言ったのもそのせいでさ、有名人なんだよ、うちの親」
参ったね……とユリウスはやはり笑っている。
「まだ地方に遠征に出てる時はマシなんだけど、ここに来ちゃうと『あのデルクマンの息子』って色眼鏡で見られちゃうから、本当に肩身が狭い狭い。昔馴染みの団員の皆さんも坊って呼んで可愛がってくれるけど、それもそれで、いつまでも子供扱いな感じでどうにもね……」
困っているのだろうが、やはり彼の顔は笑い顔で、この人本当に困ってるのかな……と少し首を傾げてしまう。
「なんなら少しお祭り見ていく? お腹も空いてきたしどこかで腹ごしらえでもしようか」
「あ……俺、お金節約しないとなんで……」
「あぁ、いいよいいよ奢るから。さっきからあっちこっちからいい匂いがしてきて、実を言うとお腹鳴りっぱなしなんだ。どうせだから付き合って」
そう言ってユリウスはまた機嫌良く歩き出した。
確かにお祭り騒ぎの街中からはあちこちから美味しそうな匂いが漂って、ここまで食い詰めて旅をしてきた自分もずいぶん腹は減っている。奢ってくれると言うのなら行かない手はない。
連れて行かれた食堂は顔馴染みの店だったのか、またしてもユリウスは「お久しぶりです」と丁寧に頭を下げる。店の店主は驚いたような顔で「こりゃ参った、坊が来たんじゃ今日の営業はもう終いか」と笑った。
店主の言った意味は、ユリウスが食事を始めた時点で察する事ができた、何とも彼はよく食べる。出された料理を次から次へと、満足げな顔でぺろりと食い尽くすその量は半端な量ではなくて、俺は唖然として言葉も出ない。
一体その身体のどこにその食事が消えていくのか……と俺は思わずにはいられない。
「ノエル君も遠慮せずに食べてね」
彼は綺麗な笑顔でにっこり笑う。
「え……あぁ、はい」と俺はその吸い込まれるように消えていく食事をただ眺めている。
食事はとても美味しかった、けれど、その光景に俺は驚くばかりで、他人が食べている姿で自分もこんなに満腹になるものなのだな……と妙な所で感心していた。
「ノエル君は意外と小食? 育ち盛りなんだからもっと食べなきゃ」
「食べてますよ、それに俺は同年代の奴より充分大きいです」
「そう? 私は君くらいの頃はもっと食べていたけどな。たぶん今の君より大きかったしね」
「坊は育ち過ぎだよ、まぁ父ちゃんがあれだから、まだまだ大きくなりそうだけどな」
そう言って店主が笑うのに、彼はまた苦笑した。
「お父さん、そんなに大きいんですか?」
「190を超えているからね、まだ私より頭ひとつ分大きいよ」
ユリウスも充分大きいと思ったのだが、更に一回り大きい大男を想像して、どんな化け物だよ……と遠い目をしてしまう。
自分も大きい大きいと言われてきたが、桁が違う。いや、自分も歳を重ねればここまで大きくなれるのだろうか……?
「坊は今回の武闘会2度目だったか? どうだい、勝算は?」
「さて、どうでしょうねぇ……一回戦は勝てたとしても二回戦はどうなるか。なにせここしばらくイリヤにはいなかったので仲間集めができるかどうか……」
「あはは、坊なら幾らでも仲間なんて集まってくるから平気だよ。なんせあのデルクマン騎士団長の息子だからな」
他意はない言葉なのだろうが、店主のその言葉に彼が少しだけ瞳が伏せたのが分かり、俺は話を変えるように声をかけた。
「あのっ、一回戦二回戦って、一体何をやるんですか?」
「え?あぁ、お祭りの名前『武闘会』って言うのだけど、その名の通り戦うんだよ。一回戦は個人戦、簡単に言ってしまえば集団乱闘戦。複数人で戦って最後に残ってた人が勝ちだよ。まぁ、個人競技は自分の技量だけだから、いける気はしてる……って言うか勝たないと母さんから飯抜きの刑だから、負けられない」
まさに死活問題という顔をするユリウスに俺は思わず笑ってしまう。
「で、二回戦は団体戦。一回戦で勝ち残った人が負けた人を率いて戦うんだよ。負けた人達は自分の大将は自分で選べるから人望の有る人の方が人数を集められて有利なんだ」
「へぇ、なんか凄いですね。ちなみにユリウスさんはいつ出るんですか?」
「一回戦は3日目だから明日だね」
「今日は? こんな所で呑気にご飯食べていていいんですか? 何か対策練ったりとか……」
「今更慌てた所でどうにもならないよ。あとは成るようになるだけだから、今日はもう宿泊先に戻って寝るだけだ」
そうなんだ……と頷いて、そういえば宿の場所を聞いてないな、とふと思い出す。
一緒においでと言われたが、姉弟2人で取ったであろう宿に自分は果たして押しかけて大丈夫なものなのだろうか? 疑問に思い尋ねると「大丈夫、大丈夫」とユリウスは笑った。
「部屋だけは有り余ってる場所だから、一人や二人増えても平気だよ」
ユリウスはまたへにょりと笑うのだが、その言い方に宿は宿でも宿屋ではないのか? と首を傾げた。
「実は幼馴染の家に押しかける予定なんだ。姉が今お邪魔してるであろう幼馴染とはまた別の幼馴染なんだけど、今は弟もそこにお世話になってるから私達も便乗したんだ」
「弟ですか……ユリウスさん、一体何人兄弟なんですか?」
「あはは、何人だと思う?」
「えっと……ここまでの話を総合すれば4人……? 5人?」
「ふふ、なんと10人以上いるんだよ」
楽しそうに笑うユリウスに俺は唖然として言葉も出ない、そんなに兄弟の多い人間には今まで出会ったこともない。
「なんてね、実を言えばちゃんと血の繋がった兄弟は3人だけだよ。うちの親、子供好きだって言っただろう? 親に捨てられた子や、行き場を失った子なんか見かけると居ても立っても居られなくて引き取ってきちゃうんだ、犬猫じゃあるまいしって思うだろう? でも、放っておけないんだってさ。おかげで下に弟妹が溢れてて、長男としてはしっかりしなきゃと思うんだけど、これがなかなか荷が重くてね……」
相変わらずユリウスはにこにこ笑っているのだが、話している内容はなかなかヘビーな内容だ。血の繋がらない兄弟相手に頼れる兄を勤め上げるのはさぞかし大変だと想像できる。
『弟だと言うなら尚更放っておけないな』と言った彼の心は、きっとその子達を守らなければという兄の心情が働いた為だったのだと気が付いた。
「大変ですね……」
「でも、みんな可愛いよ」
彼はにっこり笑う。なんだかこの人と話していると妙に落ち着くのは、この話し方と柔和な態度とこの気の抜けたような笑顔なのだなと思う。
兄かもしれないしれない人、たくさんいるという弟妹の、自分はその中の一人なのか……と少しだけ嬉しいような、けれど、がっかりしたような気持ちだった。
そんな時「見ぃ~付けたっ!」と背後から声がかかり、ユリウスの背中へと、ど~んとぶつかって来る子供が一人。
突然の事に言葉も出ない俺だったが、その少年はにこにこ顔で「ユリ兄、久しぶりっ」と彼の首へと腕を回し締め上げる。
「ちょっ……首は反則……苦しい、えぇい、やめいっ!」
背後から抱きついていた少年をぽいっと振り払って、ユリウスは少年へと向き直った。
少年は転がりながらも楽しそうに笑っている。
年の頃は俺と同じくらいだろうか、茶色の髪に焦げ茶の瞳、勝気そうな少年はにこにこと「また負けたぁ」と笑みを見せた。
「全く、勝負を挑んでくる時はまず挨拶から、といつも言っているだろう!」
「ユリ兄相手に真っ向からいってオレに勝ち目なんかある訳ないじゃん」
「ちゃんと手加減はするから……」
「それじゃあ意味ないだろ、ユリ兄は分かってないなぁ」
少年がにこにこ笑う傍ら、ユリウスは困ったように額に手を当てた。
俺は突然の展開にどうしていいのか分からない。
「お、今度はウィル坊か、父ちゃん今回も参加するんだって?」
「あったり前!今度こそ父ちゃんが第一騎士団長になるから、おっちゃん絶対見ててよね」
店主とも顔見知りだった様子の少年は今度は店の店主に笑みを見せた。
そしてそこでようやくユリウスの向かい側にいた俺の存在に気付いたのか、彼は「誰?」と首を傾げた。
言ってはなんだが聞きたいのはこっちの方だ。
「あ! もしかしてユリ兄の新しい兄弟!?」
「え……や、どうだろう……」
指を指され景気よく言われたが、どう返答したものか返答に困る。
「まだ、弟候補といった所だよ。ウィル坊は相変わらず元気だねぇ」
「お祭りだよ! 三年に一度しかないんだよっ、今元気じゃなくていつ元気になれって言うのさ!」
「まぁ、君達親子はこのお祭り大好きだもんねぇ……」
ユリウスは苦笑するように笑った。
もしかして噂の弟なのかと思ったのだが、どうやら少年はユリウスの弟ではないらしい。
俺より少しばかり背は低いが、たぶん同じくらいの年齢だと思う。何せ自分は同世代の子供より一回り大きいので、同い年の子供でも同い年には見えないのだ。
「ねぇ、兄ちゃん名前は?!」
「え……ノエル」
「ノエル、ノエ兄……なんか語呂悪い……」
いやいやいや、何で兄を付ける? あぁ、そうか年上だと思われてるのか。
「別にそのままノエルでいいよ、たぶん歳も変わらないと思うし」
「え?! そうなの?」
「ウィル坊はノエル君より少しだけ年下だよ。今年10歳だっけ?」
「そう! ようやく二桁だよっ」
え……まさかの年下、少し話し方が幼いと思いはしたが、よもや2つも下だとは思わなかった。自分も体格はいい方だが、彼も自分と同じ年相応には見えないタイプだ。
「でも、そうしたらやっぱりノエ兄……」
「別にいいよ、ノエルで」
そんな変な名前で呼ばれるのもどうかと思うし。
「兄ちゃんは騎士団の人?」
「ウィル坊、ノエル君はまだ12歳だから騎士団には入れないよ」
首を傾げたウィルにユリウスが応えると、ウィルはまた驚いたような表情を見せる。
「絶対ユリ兄と同じくらいの歳だと思ったのに、オレの方が歳近かった!」
いやいや、俺そんなに老けて見えるかなぁ……さすがに20代には見えないと思うのだけど……
「ユリ兄も老けて見えるけどノエルも同じだね。オレもそうだし、みんな仲間だ」
ウィルはにこにこ笑みを見せる。
「さすがに最近は私も年相応に見られるようになってきたよ……」
「え~? そう?」
「はは、坊は昔から大きかったからなぁ、今年18だったか?」
店主の言葉に苦笑いを返すユリウス。
え?! 18?! 若っ!
「ノエル君も意外って顔してるね、そんなに老けてるつもりはないんだけどなぁ……私の事いくつだと思ってた?」
「えっと……20代前半くらい……」
「21に思われていたのか25に思われていたのかによってずいぶん気持ちも変わるけど、実年齢+5歳くらいなら許容範囲と思っておこうかな。小さい頃は本当に普通に10歳以上年上に見られて苦労したんだよ……」
ユリウスは溜息を吐く。
自分も年上に見られがちなのでその苦労は分からなくもないが、やはり18歳という若さには見えない彼に驚きを隠せない。
「ノエル君、今絶対私のこと老けてる、とか思ったでしょう!」
「いえっ、そんな事ないです!」
「本当に困ってるんだよっ、両親は有名人だし、変に注目浴びて同世代の子と子供らしい事しようと思っても『いい大人が』って言われるんだよ。大人じゃないし、まだ子供だしっ! って何度思った事か……だけど親に迷惑かけるわけにいかないから、こんな感じで……生き辛いんだよ、本当に……」
なんだか悩みが子供っぽくて笑ってしまう。
そんな話を聞いてしまうと、ずいぶん大人びて見えた姿も子供っぽく見えて笑いが止まらない。
「もう、笑わないでよ……」
本人にとっては深刻な悩みなのだろうが、傍から聞いていたらなんとも微笑ましい。
くすくす笑っていたら「ねぇねぇ」とウィルに声を掛けられた。
「兄ちゃん、ちょっとモノは相談なんだけど、オレと一緒に武闘会に出てみない?」
「へ……?でもこれって騎士団員のお祭りだろ?」
「勿論そうだけど、一般参加があるんだよっ、今年の一般参加は2人一組の参加で2対2で戦うんだ。だけど今、オレと組んでくれる人がいないんだよ……母ちゃんはいないんなら一人でやれって言うんだけど、それってルール違反じゃん?」
まぁ、確かに規定が2人一組ならルール違反に違いない。
二人相手に一人で戦うのもどうかと思うし。
「ウィル坊の遊び相手なら幾らもいるだろう?なんで組んでくれる人がいないんだい?」
「オレの遊び相手年上ばっかりでさ、お前じゃ駄目だって言われるんだよ。かと言って同じくらいの年の奴誘っても怖いから嫌だって言われるし」
「怖い……?」
「一般参加って誰でも参加可能じゃん? 年齢層もばらばらでさ、一応15歳以上と未満で分かれてるんだけど、子供の部って事で3歳から15歳まで一緒くたにやってるんだよね。だけどさ、15歳なんて言ったら大人とそう変わらないじゃん? だから怖いんだって。別にいざとなったらオレが守ってやるし、大丈夫だって言うんだけどさ」
「そういえば、一般参加ってそんな感じだったねぇ……私も姉さんに引っ張られて参加してたよ、懐かしいなぁ」
「今年の15歳以下の優勝候補はツキ兄とカイ兄なんだよ、さすがに2対1じゃ分が悪いけど、挑戦はしたいじゃん」
「あぁ、あの2人出てるんだね、カイトはともかくツキノがよく出る気になったもんだ」
知らない名前に俺は首を傾げる。どうやらその2人はユリウスとも知り合いらしい。
「ツキ兄はカイ兄が引き摺って来たよ。そういえば最近2人は一緒に暮らしてるの?」
「え……そんな事はないはずだよ。ツキノは親戚の家で世話になっているはずだけど、そんな事言ってた?」
「うん、なんかカイ兄がツキ兄の世話してて、母ちゃんみたいだった」
「え~何やってんだか……カイトはただでさえ大変なのに、見付けたら説教しないと」
また兄の顔に戻ったユリウスが困惑顔でそんな事を言う。
『ツキノ』と『カイト』それは一体誰なのだろう? 話からすると15歳以下の少年だと推測できるのだが、それこそユリウスの噂の弟だろうか?
そんな疑問顔に気付いたのか、ユリウスがこちらを向いて「ごめんごめん、内輪の話しは分からないよね」と笑みを見せた。
「ツキノは私の弟で、カイトは両親の友人の子なんだけど、どうやら弟はお世話になっている家を出てカイトの家に転がり込んでいるみたいだ、まったく言う事を聞かない弟でね、困ってるんだよ」
「お世話になっている家って、今日泊まる予定って言っていた幼馴染の……?」
「うん、そう。あの家もおおらかな家だから、ツキノが我が儘言っても許しちゃってるのかも、行ってちゃんと謝らないと」
「なんだかここに来て問題山積みだ……」とユリウスが困ったように溜息を零した。