愛しい人②
オレの名前はウィル・レイトナー、皆には『ウィル坊』って呼ばれる事が多い。ウィル坊だと『坊や』って感じの赤ちゃん呼び出し、そろそろ普通にウィルって呼んでほしいんだけど、皆やっぱりウィル坊って呼ぶ。年上ばかりに囲まれて、年齢差は縮まらないんだから子供扱いは仕方ないのかもしれないけど、なんだかちょっとだけ悔しいな。
ところで現在、窓の外では絶賛ラブシーンが展開中なんだけど、昨日の晩、散々「次は邪魔してくれるな」ってユリ兄に言われたから邪魔はしないよ、観察はするけど。そもそもこういうの、人の目の前でする事じゃなくね? あぁ、向こうは窓のこっち側からオレが見てる事なんて気付いてないのか……
「どうしたウィル坊? 窓の外に何かあったか?」
「ユリ兄とノエルがキスしてる」
イグ兄が寝起きの瞳を擦りつつ軽い調子で言った言葉に、普通に返事を返したら、イグ兄が「は!?」と飛び起きて窓の外を見やった。オレ、知ってるぞ、そういうのデバガメって言うんだぞ。まぁ、オレもそうなんだけど。
「ユリウスの奴、一人だけ抜け駆けか」
「イグ兄は相手いないんだからしょうがないよね」
「ウィル坊は生意気な口を利くもんだな、お前だって同じだろ。このお子様が」
「オレ、別に恋愛に興味ねぇもん。面倒くさい」
オレは窓の外の2人から瞳を逸らして、もそもそと着替えを始めた。
本当に恋愛って面倒くさいと思うのに、なんだかんだで皆、惚れたはれたの大騒ぎだ、何がそんなに楽しいのか分からないよ。
「本当にウィル坊はお子様だな、お前好きな子の一人もいないのか?」
「女はすぐに泣くからなぁ」
「そこは男として守ってやろうと思わんのか?」
「それじゃあ一緒に遊べないじゃん」
オレの言葉にイグ兄は少しだけ呆れたような表情を見せる。
「確かにお前の相手は女の子には荷が勝ちすぎるかもな。でも、だったらお前の場合男性オメガって選択肢もあるんだろ?」
「あったとしても、同世代ではカイ兄以外の男性オメガなんて会った事ないよ。オレの同世代で他にもどっかに居たりすんのかな? 女よりは打たれ強そうだけど、女々しいのだったら同じだしな」
男性オメガは絶対数が少ないのだ。ただでさえオメガは少ないのに、その中でも少ない男性オメガを探し出して恋愛をするくらいなら、恋愛なんてしない方がよっぽど楽だ。
「母ちゃんみたいな人がいたら一番理想的なんだけど……」
「お前の母親もある意味普通じゃないからなぁ」
オレの母親メグ・レイトナーは第三騎士団の副団長で、虎視眈々と父ちゃんの座っている第三騎士団の団長の座を狙っている女傑なのだ。あのくらい強気で前向きな女だったらきっと一緒に居て楽しいと思うのに、オレの周りにはそんな女はいなかった。いや、いない事はないのだけど……
「ルイ姉とか好きだけど年上過ぎだし、ミヅ姉もだよねぇ」
「おいウィル坊、なんでそこでミヅキが出てくる?」
「? だって好みの人の話だろ? ミヅ姉はオレと遊んでくれるし、オレ好きだよ」
何故かイグ兄が不思議そうな顔をしてるんだけど、なんでそんな顔になってるのかな?
オレにミヅ姉取られるとでも思った?
「イグ兄って本当に自分の感情に疎い人なんだね」
「は? 何の話だ?」
「べっつにぃ……イグ兄も早く着替えなよ、オレ腹減った」
さっさと着替えて部屋を出る、食堂に向かうとミヅ姉はもう身支度を整えてぼんやりと食堂の隅に座っていた。
「おはよ、ミヅ姉」
「あぁ、おはよう、ウィル。イグサルは?」
「そのうち来ると思うよ。それにしてもミヅ姉、なんかぼんやり? 昨日襲われたせい? 大丈夫?」
「毒は完全に抜けている、大丈夫だ」
ミヅ姉はいつでもポーカーフェイス、だけど今日は微かに笑みを見せた。
オレがミヅ姉の向かいに腰をおろすと、食堂の勝手口の扉が開いて、ノエルが中に飛び込んできた。ノエルの顔は心持ち赤味を帯びている。まぁ、そうだよね、さっきユリ兄とキスしてるの見ちゃったし。
「ノエル、おはよ」
「え? あ、ウィルか、おはよ」
赤くなる顔を押さえるようにしてノエルは「朝食準備するね」と厨房へと飛び込んでいく。そして、少し遅れてユリ兄も勝手口から顔を覗かせた。
「ユリ兄も、おはよ」
片手をヒラヒラ振ってオレが言うと、ユリ兄はにっこり笑みを浮かべてこちらへとやって来た。何ていうのかな、満面の笑み? 物凄くいい事ありましたって顔、それがなんでだか分かっているけど、ちょっと胸焼けしそうだよ。
「後悔なくちゃんと話ができたか?」
「え? はは、そうですね。ようやくこれで晴れてノエル君と恋人同士です」
オレの横の椅子を引き、ミヅ姉の言葉にユリ兄は笑顔でそう応えながら、同じテーブルに腰掛ける。
「ノエルとユリ兄が恋人……なんか変な感じ」
「そうですか?」
「友達に恋人ができるってやっぱり変な感じだよ。しかもどっちも知り合いじゃ、もう祝うしかないじゃんか。でも喧嘩とかしないでよ、オレ、そういうのホント困る」
「どっちに付いていいか分からない? はは、大丈夫ですよ、そんな事には絶対になりませんから」
世の中には絶対なんて言葉は存在しないと思うのだけど、ユリ兄は自信満々だし、水を差すのもどうかと思うから、もうこれ以上は言わない。
「それでユリウス、今日はどうする? 何か予定はあるのか?」
「セイさんに叔父の別宅の情報を聞きだします。あとは領主様の奥様から手紙を受け取り、今日中にはここを発ちたいと思っています」
「忙しない事だな」
「元々あまりのんびりできるとは思っていなかった所に色々な事件が重なりましたからね」
ミヅ姉は少し考え込むような表情で「本当にツキノとロディ君も連れて行くのか?」とユリ兄に問う。
「ツキノはもう言い出したら聞きませんし、ロディ君は手紙とワンセットなので叔父の不審行動の理由を知る為には連れて行かないわけにはいきません」
「別にお前が手紙を預かって行くという手もあるんじゃないのか?」
「奥方様は彼にその手紙を託したのです、そこは私の出る幕ではありません。それに私は手紙の宛先も知りませんしね」
「そうか」とミヅ姉は頷いた。少しだけ表情が困り顔なのは気のせいかな?
そうこうするうちに、今度はイグ兄が食堂に顔を出して、ミヅ姉の横にどかっと座り込む。
「お前等、朝早すぎだろ……」
「今日は少し早かったかもしれないが、そこまで言うほど早い時間ではないよ、イグサル。一般家庭の主婦は起きだして朝食の仕度を始めている時間だからね」
「ミヅキの所はお手伝いがやってくれるんだろ? お前には縁遠い話じゃないか」
「私だって嫁にいけばやらざるを得なくなる可能性はある」
瞬間イグ兄の顔がきょとんした顔に変わる。
「ミヅキが、嫁にいく……?」
「なんだ? 何かおかしいか? そんな話しはいくらもあるんだ、今の所全部断らせて貰っているが、そろそろ断りきれない話も持ってこられそうで、こちらは戦々恐々としているというのに……」
「俺、そんな話初耳だけど?」
「お前に言ってどうなるものでもないだろう?」
「確かにそうだけど」とイグ兄は不貞腐れたような表情を見せる。でも、これたぶん本人気付いてないんじゃないのかなぁ?
「適当な家に嫁にやられる前に、私を好きだと言ってくれる男を捕まえるべきなのかな……と最近は割と真剣に考えている所だ」
「お前にそんな相手いたか……?」
「全くいない訳ではない」
「ミヅキはどちらかと言えば男性より女性にもててますよね」
「ユリウス、うるさい。私にだって付き合おうと言ってくれる男の一人や二人……」
「え? マジ? ミヅ姉、彼氏いるの?」
オレの言葉にミヅ姉は「え、いや、まだ彼氏という訳では……」と言葉を濁す。でも「まだ」という事は実際そういう男はいるという事だ。
「え? 誰? 誰? オレの知ってる人?」
「いや、もう止め! この話おしまい!!」
微かに頬を染めてミヅ姉が珍しく慌てたような表情で会話を終わらせようとする、そんな傍らで何故かイグ兄が物凄く憮然とした顔をしてるんだけど、なんかちょっと怖いよ?
「俺は聞いてないぞ、ミヅキ」
「いや、何故お前に話さないといけないんだ?」
「俺達親友だろ! 隠し事なんて今までなかっただろう!」
「なかった事はなかっただろう? 私は別にお前の事をなんでもかんでも全部知っている訳じゃないし、そこまで踏み込んでくる権利はお前にはない、私達の関係は今までそんなものだっただろう?」
イグ兄の表情がますます険しくなる。なんだろう、これ喧嘩? 痴話喧嘩?
さっきオレ言ったよね? 知り合い同士が喧嘩するとすごく困るって! やめてよ、オレどうしていいか分かんねぇよ。
オレの横でユリ兄もおろおろと2人を見ていて、これは緊急事態なのだと、オレでも分かる。
「どうしたの? 大きな声が聞こえたけど……?」
「ノエル君!」
そこには美味しそうな匂いをさせた料理を大皿いっぱいに運んできたノエルがきょとんとした顔で立っていた。ユリ兄はすぐに立ち上がってその大皿を受け取る。
「すごく美味しそうですね」
「はは、ありがとう。もう少し待っててね、まだもう何品かあるから、すぐに持ってくるよ」
笑顔のノエルは踵を返す。テーブルの真ん中に置かれた料理はとても美味しそうな匂いがしていて、腹が減る。
言い合いをしていたイグ兄とミヅ姉は水を差されたのだろう、お互いそっぽを向くようにして黙り込んだ。
「2人共、せっかくのノエル君の手料理、堪能しなければ損ですよ。彼の料理は本当に美味しいんですから」
「ユリウス、お前はお気軽でいいなぁ……」
「えぇ……これでも意外と悩みは多いのですよ?」
ユリ兄は戸惑い顔で微笑んだ。せっかくユリ兄が仲直りさせようとしてるんだから、2人共仲直りすればいいのに。
「オレ、飯た~べよ、腹減った」
取り皿に取り分けてオレが1人で朝飯を食べ始めると、渋々といった感じでイグ兄とミヅ姉も食事を始める。不機嫌顔で飯食っても美味くないし、作った人に失礼なんだぞ?
ノエルが運んできた料理の量は朝食にしては些か多すぎな感じではあったのだけど、ユリ兄はそれをぺろりと平らげてご満悦顔だ。
「ノエル君、美味しかったです」
「ユリ兄は本当に綺麗に食べてくれるから、作りがいがあるよ」
こちらの2人は始終ハートが飛び交って、なんだか邪魔できない雰囲気、逆に目の前の2人は相変わらず無言で難しい顔をしていてこっちもこっちで声がかけづらい。
もう! なんでこんな時にカイ兄いないんだろう、カイ兄だったらきっとこんな雰囲気、簡単に壊してくれそうなのに。そんな事をオレが何とはなしに考えていると「邪魔するぞ」と一人の男が店に顔を出した。
まだ時間は早朝で店自体は始まってもいない、食堂のお客さんではないようだけど? と振り返ったら、そこにいたのは黒髪の男の人だった。オレに短刀貸してくれたお兄さんだ。
「セイさん、わざわざ来てくれたんですか?」
「お前が勝手に暴走するといかんと思ってな」
「私、暴走なんてしませんよ。これでも歳の割には落ち着いていると定評があるのです」
「どうだか、幼い頃から見ている俺にはお前はいつまで経ってもあの頃の、小さい泣き虫のユリウスのままだ」
「泣き虫って……一体いつの話ですか?」
「両親に置いていかれて毎晩泣き暮らしていた頃の話だよ」
なんか物凄く意外なエピソード出てきたんだけど、ユリ兄って小さい頃そんなだったの? しかもこの人とそんなに小さい頃からの知り合いなんだ?
「そんな昔の話、覚えていませんよ」
「まぁ、そうだろうな、あの頃お前は3つか4つくらいだったか? 毎晩ルイに抱きついてべそべそ泣いているのを寝るまであやすのはとても大変だった」
「セイさん、止めてください、そんな昔の話」
気持ち恥ずかしそうにユリ兄はお兄さんの言葉を遮る。ユリ兄はオレにとって昔からユリ兄だったけど、小さい頃はそんな時もあったんだ? ユリ兄にだって小さい頃があるのは当たり前なんだけど、変な感じ。
お兄さんはおかしそうに笑っていたのだが、しばらくすると表情を引き締めて、ユリ兄の前に立つ。
「ユリウス、昨日の話だがな、やはりお前に騎士団長の別宅は教えられない」
「な……いえ、そういう判断をされる事もあると思っていました。分かりました、私は私で叔父に直接あたるのでもう結構です」
黒髪のセイさんは僅かに息を吐く。
「それも困るんだよユリウス、そんな事をされたらこちらの調査に支障が出る。だから、条件付だ、今は教えられない、だが状況次第でそれを教える」
「条件付き? 状況次第というのはどういう事ですか?」
「お前はどのみち教えても教えなくても叔父さんと接触はするんだろう。ロディ様の携えた手紙を相手に届ける事で状況も変わるかもしれない、その状況次第でこちらの動き方も変わる。だから状況次第だ。お前は騎士団長の血を分けた甥として彼と接触するには一番接触しやすい人間でもあるからな」
「情報は教えない、けれど、利用はされろ……と、そういう事ですか?」
セイさんはくしゃりと自身の髪を掻き上げ「身も蓋も無い言い方をするな」と苦笑した。
「俺だって幼馴染として、友人としてお前の為にできる事はしてやりたいと思っている、だがな、俺達は所詮雇われの身だ、ボスの命令には逆らえない」
「ブラック国王陛下ですか?」
「あぁ、そうだ。お前自身だってそうだろう? 騎士団員は国に属する機関だ、王命には逆らえない」
国王陛下かぁ……一度だけ近くで見た事あるけど、基本的にはどっか別世界の人、みたいな感覚で、オレはあんまり親しみ感じないんだよなぁ。確かに騎士団は王国騎士団だけど、王様の為に働きたいって思った事もないし、オレは父ちゃんと同じ仕事がしたいだけで、今までそんな事考えた事もなかったな。
「……分かりました、その条件飲みましょう」
ユリ兄が無表情に頷いた。いつもにこやかなユリ兄が、そういう顔をしているとちょっと怖いよ。
「ユリ兄……」
ノエルもオレと同じような事を思ったのか、不安そうにユリ兄の顔を見上げている。
「あともうひとつユリウス、これは最新情報だ。領主様の屋敷を襲った行商人達は雇われ者だった事が分かってな、大元はランティスにある商会、クレール商会の下っ端だった」
「クレール商会って……なんか名前に聞き覚えがあるんだけど、もしかして、じいちゃんが物凄く嫌ってるロイヤー家の人? 確か名前、クレール・ロイヤー……」
「どうやらそういう事らしい。商会のトップはクレール・ロイヤー、この名前を聞いて君のじいさんは般若の形相だったが、何か曰くでもあるのかな?」
「昔、家を乗っ取られたって、聞いてます。ロイヤー家の持っていた物は、元はすべてカーティスの……ばあちゃんの家の物で、それをロイヤー家が乗っ取ったって、じいちゃん言ってました」
ノエルの家も色々複雑なんだな。でもロイヤー家とか、カーティス家とかよく分からないんだけど、有名な家だったんだ?
「クレール・ロイヤー……」
ユリ兄はまた難しい顔でその名前を呟く。なんだか不穏な空気しか感じないんだけど、これからオレ達どうなるのかな? メルクードに帰るのが少し怖いよ。




