事件③
行商人から購入したペンを俺はくるりと回して溜息を零す。気に入って購入した物だが、購入した際の出来事が頭を離れなくて、そのペンを見ているとどうにも気持ちが沈むのだ。
行商人に金を払ってくれたダニエルさんは値引きされたペンの分の金額しか俺から受け取ってはくれなかった。彼は俺に申し訳ないからだと言ったのだが、申し訳ないのはこちらの方だ、こんな風に人を差別するような風潮自体が間違っているのに、それを受け入れて笑ってみせたダニエルさんに、俺はなんだかもやっとした気持ちを抱えてしまう。
もっとメリア人は怒っていいのに彼等は諦めたように笑っている、それが俺にはどうしても解せないのだ。
「ノエル~あんたいつまで起きてるの、早く寝なさいよ」
店の仕事を終えて、住居に上がってきた母が部屋の明かりに気が付いたのだろう、部屋の扉を開けて俺に声をかけてきた。
「うん、もう寝る……」
「なに? 元気ないじゃないの、どうかしたの?」
母は小首を傾げて俺の部屋へと入ってくる。
「ねぇ、母さん、メリア人ってそんなに悪い人ばかりなのかな?」
俺は自身の髪をくしゃりと掴んで言葉をもらす。
「なに? またその髪で何か言われたの?」
「父さんも元々メリア人だよね、でも今はこの国の騎士団長だ。なのに、俺はこの赤髪だけでメリア人だって言われるし、悪者みたいに言われる……」
俺の言葉に母さんは「私もあの人が元メリア人だなんて知らなかったから、ごめんなさいね」と謝って、俺の髪を優しく撫でた。
「こんな赤髪の子供を産んだ事を母さんは後悔してる?」
「何言ってるの、する訳ないじゃない。あんたの父親が父親だっていう事にだって私は後悔していないわよ。あの人は元メリア人かもしれないけど、巷で言われるような犯罪者でも嘘吐きでもなかったもの。私の知り合いにメリア人は何人かいるけど、そんな巷で噂されるような悪人は一人もいなかったわ。赤毛の子供が産まれた時には確かに驚いたけど、後悔した事は一度もないわ」
「本当に?」
「本当よ」と母は俺の頭を抱き寄せる。俺は母にされるがまま、その胸に顔を埋めて泣いてしまいそうだった。
「今まで物珍しさでからかわれる事はいくらもあったけど、最近はいろんな人に敵意を向けられる。俺は俺で何もしてないし、メリア人でもないのに、皆して俺を悪者にしようとする……」
「私は貴方のこの赤毛が好きよ、だけど貴方が辛いのなら、この髪を染めてしまってもいいのよ?」
今日ダニエルさんが言っていた、そうやって隠すように髪を染めるメリア人は多いのだと。それは問題を先延ばしにするだけで、なんの解決にもならないと彼はそう言っていた。
俺は小さく首をふる。それはダニエルさんの言う通り、そんな事をしても意味がない、何の解決にもならない事は俺にも分かっている。
「俺、メリア人じゃないけど、このままじゃ駄目だと思う。声をあげなきゃ駄目なんだ、どうしてこんな事になっているのか根本的な問題を見つけ出さなきゃ、いつまでも解決できないんだ」
「ノエル、貴方がそこまで思い詰める必要はないのよ? 貴方は私の子供、貴方の事は私が守るもの」
「ふふ、一生母さんの背に隠れて生活なんてできやしない、俺は自分でこの問題を解決しなきゃ駄目なんだ」
「ノエル……」
「ごめん、母さん、ありがとう。ちょっと今日、色々あって落ち込んでただけだから、もう大丈夫」
「本当に? 何かあったらすぐに母さんに相談しなさいよ。間違ってももう家出なんてしないでちょうだい」
「あはは、それはごめんって、もうしないよ」
俺が笑うと母も安心したように笑みを零す。心配かけちゃったな、情けない。
もう夜も遅いし、いい加減寝なければ、と思った刹那、家の外で緊急を知らせる鐘の音が響いた。それは町に設置された鐘で主には火事などの緊急事態に鳴らされるものだ。
「え? 何? どこかで火事? 火の手なんか見えないけど……?」
俺の住まいは店舗の2階、田舎町のルーンではそんなに背の高い建物がたくさんある訳ではない、けれど窓から身を乗り出してみてもどこかで火の手が上がっている様子はない。近所の人間も不審に思ったのだろう、恐る恐る家の外を窺う様子が見て取れた。
「何かしら? 火事でないなら何かの事件……?」
鐘はまだ鳴り続けている、町に幾つか設置されたその鐘の鳴る方角は領主様の館の方角、それはツキノの暮らす屋敷だ。俺はどうにも胸騒ぎがして仕方がない。
「俺、様子見てきて……」
「何言ってるの! 駄目に決まってるでしょう!」
後ろを振り返り母に告げたら一刀両断で斬り捨てられた。
「でも、何か事件だったら人手がいるかもしれないし……」
「そこに子供のあんたが首を突っ込む事じゃないって言ってるの。火事だったらともかく、事件だったら何が起こっているのか分かるまで外に出るのは危険だわ。大人しく家の中に籠っている方が安全よ」
「でも……」
「あんたはまだ子供、うちの町の自警団は優秀よ、彼等に任せておきなさい」
母はそう言って俺の部屋を後にする、俺がもう一度窓の外を見やると、何人かの男達が領主の館へと駆けて行くのが見えた。やっぱり向こうで何かがあったんだ……
俺はもう居ても立ってもいられない、だって領主様の館には命を狙われているツキノが暮らしている、俺に何ができるのかと言われたら何もできないかもしれない、だけどそれでも俺はそれを見過ごす事はできなかったんだ。
「ごめん、母さん、やっぱり俺ちょっと行ってくる!」
「え?! こらっ! 待ちなさい、ノエル!!」
母の怒声を背中に聞きながら俺は駆け出していた。だって、俺はもう立ち止まれない、何かが起こっている時にただ見ているだけなんて、俺にはもうできないんだ。
俺は先程領主様の館へと走っていた男達のあとを追いかける。小さな町の自警団員は皆俺の顔見知りだ、何故ならその自警団の副参謀を務めているのがうちのじいちゃんコリー・カーティスだからだ。
「何があったんですか!」
「ん? こら! こんな時間に子供が出歩くんじゃない!」
声を掛けたら、振り向きざまに怒られた。
「でも、何かあったんですよね? どこですか?」
「それを確かめる為に行く所だろ、ったく、じいさんに怒られても知らないぞ」
「じいちゃん、そんな小さな事で怒らないですよ」
本当の所は分からないけど……と心の中で付け加えつつ俺は彼等と並走する。
「場所は?」
「間違いなく、領主様のお屋敷だな。火の手は見えないから、火事じゃない。不審者情報は入っていなかったんだが、こんな夜中に緊急の鐘を鳴らすのなら、何かよほどの事があったと推測される」
男は前を向いて淡々と説明をくれた。そうこうする内に俺達とは逆に領主様の屋敷の方から逃げてくる何人かの者が見えた。こちらも全員顔見知りだ。彼等は皆領主様の屋敷で仕えている使用人たち。
「おい、何があった!」
「助かった! 突然覆面の男達が数人で屋敷に押し入って、今領主様達が応戦している所なんだが、助けを呼びに行く所だった」
「押し入った奴等の人数は!」
「はっきりとは分からんが、たぶん10人くらいは……」
「ちっ」とひとつ舌打ちを打って、俺に受け答えしてくれていた男は再び駆け出す。その傍らに居た男も無言だったのだが、険しい顔で同じように駆け出したので、俺もそれに続こうとしたのだが、使用人の一人に腕を捕まれ止められた。
「行くのは危険だ、止めておけ!」
「でも、ツキノもロディ様もまだ残ってるんだろ! 助けなきゃ!」
「それは俺達大人の仕事で、子供の出る幕じゃない。それより、助っ人になりそうな大人を集めてくれ、大至急だ!」
「でも!」
「ノエル、こんな所で何をしている! それに、領主様の屋敷で何があった!?」
「じいちゃん……」
振り返れば祖父コリー・カーティスが険しい顔でこちらを見ていた。じいちゃんもあの鐘の音を聞いて駆けつけてきたのだろ。
「カーティスさん、領主様の屋敷に押し込み強盗です。数は10人程で、今、何人か自警団も屋敷に向かっています」
「押し込み強盗? そんな不審人物が町に侵入したというような話しは聞いていないのですが、おかしいですね……分かりました、私もすぐに向かいます」
「じいちゃん、俺も行く!」
「だから子供の出る幕ではないと、言っているだろう」
使用人は尚も俺を止めようとするのだが、俺が真っ直ぐに祖父を見やると、祖父は「いいでしょう」とひとつ頷いた。
「この子にはこういった場合の対処法を一通り叩き込んであります、何かがあった場合の責任は私が負います。その手を放してもらえますか?」
「カーティスさん、本気ですか?! 危険ですよ!」
「大丈夫です、私はこの子をそんな柔には育てていない。行きますよ、ノエル、急ぎなさい」
「ありがとう、じいちゃん!」
俺は使用人の手を振り払い、祖父の後を追う。心配してくれるのは本当に有難いけど、こんな時に役に立てるように俺はこの一年ずっと頑張ってきたんだ、父さんみたいな立派な騎士団員になる為には、このくらいの事で逃げ隠れなんてしていられない。
「助っ人集めて俺達も後から行きますんで、くれぐれも無理せんでくださいよっ!」
背中にかかるその言葉に「分かった!」と返事を返して俺は駆ける。領主様の屋敷はもう目の前、こんな夜中にも関わらず屋敷からは様々な音が響き渡っている。あちらこちらで既に戦闘は始まっているのだろう。
怒号と叫び、逃げ遅れている人もいるのだろうか? 門扉を潜り、屋敷の前庭には幾人かの男達が転がっていた。けれどその男達は皆覆面姿で、傷を負っているのか皆苦しそうに呻いていた。
「ノエル、そいつ等が押し込み強盗です、逃げないように縛っておきなさい」
「え……うん、分かった!」
俺は馬小屋に飛び込んで、綱を片手に持ち出すと呻く男達を縛り上げた。そしてその男の顔をよくよく見やれば、何だかどうにも見覚えがある。
「あんた……」
「お前、昼間の……」
そいつは、俺が昼に広場でペンを購入した時のあの失礼な店主だった。
「なんで……」
更に周りを見渡せば、他にも見たような顔が見える。
「お前等、行商人じゃなかったのか!」
傷が深いのだろう男は眉間に皺を刻んで、苦しそうに呻き声を上げる。屋敷の中からは、まだ怒声と剣が交わされているのだろ金属を打ち鳴らす甲高い音が響いてきた。
祖父はそっと屋敷の中を覗き込む。
今、ここに転がっている男は3人、先程使用人の男は、強盗は10人程度いると言っていたのだ、まだ屋敷の中には何人もこいつ等の仲間がいるはずだ。
先程俺達より先に駆けて行った自警団の人達はもう中に入っているのか姿が見えない。
祖父が手の動きで中に入るタイミングを計っている、俺はその指示に従って祖父の背後に寄り添った。
押し込み強盗の犯人はもう間違いなく昼間広場で店を開いていた行商人の連中で間違いないと思う。彼等が何故こんな犯罪を犯そうとしているの分からない、けれど今はそんな事を考えている場合ではない。
祖父のジェスチャー、飛び込むタイミングは間違ったらいけない。3・2・1……
合図と共に屋敷の中へと飛び込む、そこには惨劇が広がっていた。
血の匂いがする。ここにも倒れ込んでいる人が何人もいて、俺は目を逸らしたかったのだが敵は目前にいて、俺はそいつの背中を蹴りつけた。




