事件②
「ツキノ、なぁ、ツ~キ~ノ~」
呑気な呼び声が俺の集中を妨げる。あぁ、またうるさい奴が来た……と俺は眉間に皺を刻んで顔を上げた。
「あぁ! もう、うるさいっ、ロディ! 邪魔するならここ来んなって何度も言ってんだろ! そもそもここは俺にって提供された部屋で、俺はお前にこの部屋の出入り許可を出した覚えねぇから!」
「えぇ、そんな事言っていいのかな? 一応この家自体の所有権はうちの親父にあって、ひいてはこの家の持ち主は俺になる予定なんだけど?」
「今は違うんだろ、お前に家の所有権が移ったら速攻でここの資料全部纏めて持って出てってやるよ」
「うわ、酷い言い草だな」とロディは悪びれた様子もなく苦笑する。俺達が今いるのは黒の騎士団員達の隠れ家、そしてその屋根裏部屋、俺のじいさまで、現ファルス国王が若い頃に使っていたと教えられた書斎である。
「はいはい、君達仲良いねぇ、お茶が入ったから下りといで」
階下からかかる声に「仕方がねぇな」と、俺は立ち上がり、俺より更に奥の方で資料を漁っていたノエルに「休憩しろってさ」と声をかけたのだが、ノエルからの返事がない。
「お~い、ノエル~生きてるか?」
俺はまたしても溜息を吐きながら奥へと向かう。そこにはノエルが胡坐をかいてその膝の上に広げた資料を一心不乱に読み耽っている、その集中力はちょっとしたものだ。
「ノエル、ノエルってば!」
肩を軽く揺さぶると、ようやく俺の存在に気が付いたのだろうノエルは驚いたように顔を上げた。
「え……? あれ? 何……?」
「休憩しろって、お茶が入ったから下に来いっておじさん達が呼んでる」
「あれ? そんなに時間経ってる……?」
ノエルは慌てたように周りを見回し、時計を見やってまた驚いたような表情を見せた。
「え? 嘘だろ? ツキノ、時計進めた?」
「俺がそんな事して何の得があるんだよ、ほら、休憩休憩」
びっくり眼のノエルを置き去りにして、先に階下へ下りていたロディの後を追うように俺も屋根裏部屋から綱梯子を降りていく。この部屋をルークと名乗る黒の騎士団のおじさんに提供されてからこっち、俺とノエルはこの部屋に籠りきりだ。なにせ、この部屋には興味深い物が多すぎる。ファルス王国のみならず、メリア・ランティスにまで及ぶ膨大な資料は一朝一夕には把握はできず、俺とノエルで分担して資料を整理しているのだが、まだまだ屋根裏部屋は片付けにはほど遠い状態だ。
「王子、精が出ますな」
「なんだ、来てたのか、王子は止めてくれ。俺はそんな風に呼ばれる身じゃない」
階下に下りるとそこには幾人かの人物が机を囲み、既にお茶会の様相だ。先程から俺の周りをうろついていた領主の息子ロディ、ここに住んでいる黒の騎士団員ルークとその妻サクヤ。
この人は男性だけどオメガ。ルークおじさんが嫁と暮らしていると言っていたのに現れたのがこの人だった時には驚いた。男性オメガって数が少ないはずなんだけど、意外といる所にはいるもんなんだな
そして、今俺に声を掛けてきたのは、初めてここに来た日に町の広場に現れた鎧の男のうちの一人、ダニエルさん。彼等はメリアからやって来た俺の護衛だった。
メリアの民主化まではもう秒読み段階に入っている、それを阻止しようとする人間の悪あがきも佳境に入って、一応念の為とメリアから派遣されてきたのが彼等だった。送って寄越したのは俺の本当の両親。
そして『そんなの必要なくない?』と首を傾げる俺に『護衛は多いに越した事はない』と伯父は彼等を受け入れたのだ。
俺の後ろからやって来たノエルは首をふりふり「時間の経つのが早すぎる」と困惑顔だ。ノエルはここにきて初めて分かった事だが、集中力が有り過ぎる。一度没頭してしまうといつまででも固まったように資料を読み耽っていて、飽きるという事がない。
彼自身は「そんな事はない」と謙遜するが、その没入具合は完全に周りをシャットアウトしてしまっていて、時間も俺達の存在すらも忘れて知識を取り込んでいくので、なんだかある意味少し怖いくらいだ。
「そういえばツキノ、広場に来てた行商人、明日には帰るって言うんだけど欲しい物があるなら今日までだよ。毎日毎日こんな黴臭い家に籠ってないで、ちょっと一緒に買い物に出掛けない? お金がないなら俺、買ってあげるよ」
ノエルとは逆にまったく集中力のないのがこの男、領主の息子ロディだ。呼んでもいないのに、毎日毎日俺の後を付いて来ては、俺の邪魔ばかりする。正直鬱陶しくて仕方がない。
「確かに、いい若者が家に籠りきりと言うのも、如何なモノかと思いますな。少しは外の新鮮な空気も吸わないと健康な大人になれませんぞ」
ダニエルさんはそこまで年寄りではないはずなのに、なんだか少し年寄り臭い。年齢はルークさん達と変わらないくらいだと思うのだが、どうにも俺の周りのおじさん連中は年齢に反して若々しい人達が多いので、そのいかにもおじさんくさい言動がとても違和感を覚えさせる。いや、これがむしろ普通なのかもしれないけれど。
「あ、そう言えば俺、新しい紙とペン買おうと思ってたんだった。今日までなんだ?」
ノエルの言葉にロディが頷き、ノエルは慌てたように「じゃあ行ってこなきゃ……」と腰を浮かせた。
「行くのか?」
「うん、だってここで勉強するにはノートもペンも必要だよ。手持ちじゃ足りない」
ペンはいい物を使うと手にかかる負担が全然違う、とノエルは言う。ペンひとつでそんなに変わるモノか? と首を傾げつつも、俺も「それなら」と腰を上げた。
「ツキノは俺の言葉は聞いてくれないのに、ノエルの言う事なら聞くんだな」
拗ねたように言うロディの声は軽く無視して、俺とノエルが立ち上がると、何故か全員が付いて来ようとするので、俺は「護衛なら誰か一人にしてくれ」と呆れたように言葉を吐いた。
何かがあったら困るという彼等の言い分は分かるのだが、大の大人をぞろぞろ引き連れて歩くのはどうにも不自由で仕方がない。
「それじゃ、今日は俺達ダニエルさんに譲るかな」
「ふむ、その任務、しかと承った」
黒の騎士団の2人とダニエルさんはいつの間にか仲良くなっていて、これもこれで変な感じだ。黒の騎士団の2人とメリアから来た俺の護衛達、この町で浮いているのはお互いさまで妙な連帯感もあるらしい。
俺とノエルとロディの若者3人にダニエルさんを加えて、一体俺達どういう関係に思われているんだろうな?
「お、坊ちゃん、また来てくれなすったか、今日は最終日、安くしとくよ」
商人に声をかけられるのは圧倒的な確立でロディだ。ロディの金髪もこの町では珍しくてよく目立つ、それが領主の息子とあれば商人達が媚を売るのも仕方がないのだけれど、俺達は完全にロディの付き人のような扱いをされる事もままあって、少し腹立たしい。
そんな事は我関せずノエルは「どっちにしようかな……」とペンを睨んで思案顔だ。
「ツキノはどうするの?」
「俺はそんなペンの良し悪しなんてよく分からないからな……」
ペンを一本持って指に挟んでくるりと回すと、店の店主に睨まれた。慌てて俺はペンを元の場所に戻すと、ノエルはようやく決めた一本を店主に差し出した。
「お前達、メリア人か?」
店主はペンを受け取り、値札を確認しながら片眉を上げるようにしてノエルとダニエルさんを見やる。
「この町はメリアからずいぶん離れているというのに、もうこんな所にまで入り込んで来ているんだな」
店主はそんな事をぶつぶつ呟いて、ノエルに値段を告げる。その商品は最終日の値引きセールの値段が付いていたにも関わらず正規の値段を告げられてノエルは戸惑い「値段違いますよね……?」とおずおずと店主に告げるのだが「いらないなら、帰ればいい」とすげなく返され絶句する。
「そもそもメリア人の子供に上物のペンなんか必要ないだろう? 書ければなんでもいいんだから、その辺の安いので充分だ」
店主のあまりの態度に俺は怒りで腹が煮える。
「店主、彼は私の友人だ。失礼な態度は止めてもらえるかな?」
傍らのロディも静かに怒っているのが伝わってくる。ロディは怒ると口調が丁寧になるんだな、変な奴。
「坊ちゃんも友人は選んだ方がいい、メリア人は恩を仇で返すような人間ばかり、甘やかしているとこの町ごと乗っ取られますよ」
「彼等はそんな事はしない」
「私ら行商人は各地を回る、この目でそんな町を見てきたから言っているのですよ?」
「まぁまぁ、坊ちゃん方、その辺にしておきましょう。店主、これでいいかい?」
間に入って来たのはダニエルさんで、店主の言い値をぽんと支払い、買ったペンを受け取って俺達3人を「さぁ、行きましょう」と促す。
「これ、値引き品なのに!」
「下手にごねれば、またメリア人は……と言われます。一度付いた悪印象はそう簡単には払拭できないものなのですよ。そういう印象操作をされているのですから、乗らない方が吉ですぞ」
「印象操作……?」
「さようです、メリア人は金に汚く嘘吐きだという印象操作。故意にやっているのかどうかは分かりませんが、そう仕向ける輩は多いのです。私も最初は驚きましたが、ここに来るまでにすっかり慣れてしまいましたな」
そう言ってダニエルさんは苦笑した。
「俺、メリア人じゃないのに、最近こんな事ばっかりだ……」
「ノエル坊ちゃんは綺麗な赤髪ですからなぁ。他国に出たメリア人はそう言った事から最近では髪を染めている者も多いようですぞ。ですが私はそれも間違っている気がするのです。それは問題を先延ばしにする解決方法で根本的な解決にはならない、本来の自分を誇れないというのは何とも嘆かわしい事ですな」
「メリアが民主化されたら、そういったメリア人もメリアに戻る事ができるのかな……?」
「治安が良くなって、争い事がなくなれば、民は土地を追われる事もなくなります、きっと近いうちに平和な世はやってくる事でしょう。そうなればメリア人も飢えや貧しさに苦しむ事がなくなるはずです。貧しさは人を犯罪に走らせる、そういった事もいずれは無くなるはずですぞ」
ダニエルさんはにこやかに言うのだが、そんなに簡単に行くものなのかと、俺は少し考えてしまう。
俺達は広場をぐるりと見て回る、行商人の商売も今日までとなると店は値引きを始めるし、ここで買い逃せば次はいつになるか分からないという物に人は殺到して意外と賑わっている。
「そういえば、ツキノ結局剣は買ってないけど、いいのか?」
「現状必要ないからな、今あるので充分だ。ここの行商人失礼な奴多いし」
先程の件もそうだが、武具屋で小馬鹿にされた件も俺は忘れていない。何も客を馬鹿にするような奴等から買ってやるいわれもない。
そういえば、この行商人達は一体どこから来た行商人なのだろうか? ファルスの人間なのだったら、養父母の暮らすメリアとの国境の町ザガの様子も聞いてみたいところだが、それを聞くのも腹立たしい。
「ねぇ、ダニエルさん。ダニエルさんはどういう道程でここまで来たんだ?」
「ん? 私共ですか? メリアの首都サッカスから旅立ち、港町から船に乗って大陸をぐるりと回って来ましたぞ」
メリアの首都サッカスとここルーンの町は大陸の中では一番端と端と言っていい程離れている、それはずいぶん時間もかかった事だろう。
「船旅は船酔いとの戦いでずいぶん消耗致し申した、帰りはゆっくり陸路を戻りたいものですな」
「陸路だとどのくらいかかるんだ?」
「まぁ、ひと月、といった所ですかなぁ」
「大変ですね」
「レオン王のされている事を思えば、このくらいたいした事ではありませんな」
ダニエルさんはにこにこと笑みを見せる。本当に人当たりが良くて、彼は育ちの良さが窺われる。
メリア人は貧しく生活もままならない人間が多いと聞く。移民として流れてくる者達は食うに困り犯罪に走る者も多いそうだが、彼にはそんな心の貧しさのようなモノは感じられない。
「ダニエルさんは、割と裕福な家庭の方だったんですか?」
「ん? そんな事はありませんぞ。私の幼い頃は国全体が貧しくて、我が家も食料の調達には四苦八苦していた程度に貧しい暮らしをしておりました。けれど、我が家にはまだ家があり、土地があったので、なんとかそんな貧しい暮らしも乗り越えられたのです。ランティスとの国境沿いに暮らす民は、争いが起こるたびに土地を追われるので、それを思えば私は生まれた場所が良かったという話なだけでしょうなぁ」
「土地を追われる……その土地は今どうなってるんです?」
「争いが減り、人はだんだんと戻っておりますぞ、このまま定住が進めば、国はより豊かになっていくことでしょう。喜ばしい事です」
「それもこれも全てレオン国王陛下のお陰です」とダニエルさんは笑みを零す。
「メリアは本当に変わっていっているんですね」
「さようでございますな、このまま無事民主化が成され、国民が自由に発言できる国が成立した暁には、王子も晴れてメリアに戻り、ご両親と共に暮らす事ができますぞ」
「はは、実感湧かないや」
「国王陛下夫妻はそれを何よりの励みに頑張っておられます、王子がそのように言われては……」
「うん、分かってる。俺も嬉しいよ」
メリアという国を知れば知るほど、何故メリア人がここまで差別されなければならなくなっているのか俺には分からない。確かに流入してきた移民が犯罪を犯す事は多いのだろう、それにしても、自分が知っているメリア出身者はそんな事を欠片も考えた事はなさそうな真っ直ぐな人間の方が多いのだ。貧しさは人を狂わせる……これはそういう話なのだろうか?
「王子、メリアのからくり人形が売っておりますぞ」
ダニエルさんが指差す先、小さな人形が箱の中でくるりくるりと回っている。そんな様子を子供達は無邪気な笑みで眺めていた。
「あぁ、小さい頃、母さんがよく作ってくれたな……」
「セカンド様がですか?」
「セカンド? 誰?」
そういえばノエルにその辺の話はしていない。その呼称の意味が分からなかったのだろうノエルが小首を傾げる。
それに対してダニエルさんは懇切丁寧に「王子の養母様のお名前ですよ」と教えているが、俺はそれに眉を顰める。
「母さんの名前はグノーだよ。その名前で呼ばれるの嫌いみたいだからやめてください」
「ですが国内で一般的に国民に周知されている名がそれですからな。正しくはセカンド・メリア。レオン国王陛下も国王に即位される前まではサード・メリアと呼ばれておりましたな。私はセカンド様の『グノー』? というその真名を今初めて知りましたぞ」
ダニエルさんは困ったように苦笑するし、ノエルも「名前が数字ってどういう事……」と困惑顔だ。
「これはメリア王家の古くからの慣習なのですが、真名は国民には伝えられない。王家の人間に名前はいらない、王の位から何番目か、それさえ分かればそれで良かった。王家の子供は王に即位するまで人ですらない、という事ですな」
俺は驚いて言葉も出ない。なんという悪しき慣習だ。
「ご存知ありませんでしたか?」
「じゃあ、俺の名前も世が世ならファースト・メリアだったのか?」
「対外的にはそうでございましょうな」
なんという事はないという顔で頷くダニエルさん、それを変だとも思っていなさそうなのが怖い。王家に生まれて名前すら与えられない、王にならなければ人にすらなれない、メリア王家は争いに塗れた血なまぐさい王家だ。それは王位を巡っての親族間の争い事が本当に多くて、それは資料を見ているだけでも分かる事だった。
確かに資料には何代目の王の何番目の子供が跡を継いで……という表記は多数見受けられたが、それは王の入れ変わりが激しすぎてそんな表記なのかと思っていたのに、根本的に子供には名前が与えられていなかったという事実に戦慄する。
自分がただの数字から人になる為に、彼等には王という位が必要だったのだ。
「俺、メリア王家に争いが絶えなかった理由が分かった気がする……」
そんな中で暮らしていたらきっと分からなかった事だ。王家から離されて初めて見えてくるものもある、という事だろう。王家を廃止する事でようやくメリア王家の人間は人に戻れるのだ。
からくり人形はメリアの産物、人に操られてくるくる回るそれは、まるでメリア人自身を現しているように思えて、俺は何とはなしにため息を零した。




