過去を語る①
兄のナダール・デルクマンは優しい人だった、誰にでもいつでもにこにこ愛想がよく人に嫌われる事がない人だった。だが自分は知っている、兄はその笑顔の裏で自分が駄目だと思った人間をそっと自分や家族から遠ざけていた事を。
その理由が分からなかった頃はそれがとても不思議だったのだが、兄が近寄っては駄目だと判断した人間は大概軒並みどこかおかしな人間だった。
自分達の父はこの国ランティス王国の騎士団長を務めており、父におもねり俺達子供の機嫌取りまでしてくる大人は多かった。そんな大人達と兄は笑顔で接しているのだが、兄は自分が駄目だと判断した人間に対しては俺達弟妹に「あの人とはあまり親しくしてはいけません」とさりげなく忠告してきた。
その理由までは教えてはくれず兄は曖昧に笑うのみなのだが、兄がそう言っていた人間達は軒並み何かしかの問題を起して失脚していった。
兄はいつでも笑っていた。怒っている所を見た事がない。唯一機嫌が悪いなと思うのが腹を空かせている時で、そんな時でも他人に八つ当たりするような事はしない本当に温和な人だった。
俺は兄が好きだった。
自分は兄が家族の中でも一番好きだったし、父の次に尊敬していた。兄は間違った事を決してしない。
纏う雰囲気は少し頼りない所もあったのだが、中身まで頼りない男ではない事を自分は知っていた。それは家族愛を逸脱したものではなかったが、けれど、だからこそ、俺はあの時兄には裏切られたと思ったのだ。
そうあの時、家族の誰にも何も言わず姿を消した兄を探し出し見つけ出したあの時だ。
『私は帰らない、帰るべき場所はもうとっくに決めてしまった。それはお前達のいる場所ではない!』
兄はそう言って俺の手を振り払い一人の男を追って行ってしまった。
その頃我が国ファルスで起こっていた王家に対する様々な陰謀にその男は関わっているとされていて、国はその男を追っていた。
そんな男を我が家に連れてきたのは兄だった。俺はその男が我が家に滞在してた期間遠征勤務で家に居なかったのだが、家に帰った途端のその事件だ、俺は正直混乱していた。
王子の暗殺未遂事件、大臣による王家乗っ取り計画、あの頃は事件が次々と起こっていて、当時騎士団長であった父も嫌疑をかけられ牢へと投獄されていた。
俺は父を助けるために兄を追い、兄を見付けだした折に言われたのが上記の言葉だ。兄は俺の言葉に一切耳を傾けずその男と共に逃亡、そして兄のその行動のお陰で俺自身も捕まり投獄された。
逃亡の末、兄は死んだと教えられ、その後生きている事が分かりはしたが、兄は結局自分達の元へは帰ってこなかった。自分の中にいた理想の兄は、あの事件の折に死んでしまった。
兄は優しい人だった、あんな風に家族を見捨てるような人ではなかったはずだ、なのに兄はその家族を捨てたのだ。
得体の知れないメリア人の男(後にメリアのセカンド、第二王子である事が分かった)の口車に乗せられて、あの優しかった兄はメリアと戦う事までしたらしい。
そんな話しは風の噂で聞くだけで、その後何年も兄は家族の元へは帰ってこなかった。
そんな兄が自宅に戻ってきたのは事件から6年後の事だった。
全ての事件が解決し、平穏を取り戻した我が家はどうにか事件前の元通りの生活に戻ろうとしていた。
投獄され体調を崩していた父も職務に復帰し、俺自身もかけられた嫌疑はすべて取り払われ、なんとか元の生活を取り戻そうとしていた矢先のことだった。仕事から戻ってみれば、何故か自宅では家族が揃って宴会をしており、その中に兄とその妻、子供達が何食わぬ顔で座っていたのだ。
もう兄は帰ってこないものだと思っていた、もう兄は死んだのだとそう思っていた、なのに兄は失踪する前と変わる事なくそこにいたのだ。
呑気な笑みを浮かべて「久しぶり」などと言われても、こちらは笑えるはずもなく、思わず兄を殴り飛ばしていた。
自分の中の兄は死んだのだ。そこにいるのは過去の亡霊、自分の知らない兄など受け入れられなかった。
皆が俺を責め立てる、まるで俺が間違っているかのように言い募られるが、一体俺の何が間違っている?
その男のせいでうちの家族は世間から疎まれ、下の弟妹達は一時家から出る事もできなくなったというのに、ばらばらになった家族がようやく平穏を取り戻したばかりだというのに、何故俺が責められなければならない!?
間違った事をしているのは俺じゃない、そいつの方だ!
兄の妻の座に収まっていたのはあの当時嫌疑をかけられていたあの男だ。
分かっているアルファである俺達にとって男女の性差など些末な問題だ、だがその男がオメガであり兄の番相手であるという事に俺はとても苛立ったのだ。
メリア人である赤毛を隠しもしないでそいつは兄の横で笑っていた。そしてそいつの髪によく似た赤毛の子供を連れたそいつに虫唾が走った。
俺は兄の番相手を名乗るその男に拒絶の言葉を吐き、そいつを責め立てた、怒りを抑える術などなかった。
『ママをいじめちゃ、ダメ! キライ、おじさん、あっち行って!!』
赤毛の娘に足を叩かれ、苛立ちのままにふり払った。
子供は転がり泣き出して、兄は……あの男は烈火の如く怒りを露にした。
あんな兄を見た事がない、あんな男を自分は知らない。
いつでもふんわり笑っていた。
食べる事が好きで、子供が好きで、何より平和を愛していた兄はもうそこにはいなかった。
前線で戦っていてさえ、あそこまでの殺気と威圧感を伴った人間を今まで自分は見た事がない。
兄は死んだ。もうこの世のどこにもいないのだと、そう思った。
兄の伴侶となった男に泣きながら頭を下げられた、どうか許して欲しいと懇願された、それでも俺は兄もその家族も許す事などできなかった……
怒りのままに家を飛び出し、そのままその足で依頼のあった遠征の仕事を請けてメルクードを旅立った。家に帰りたくなかった。両親も弟妹も皆、兄の帰還を喜ぶばかりでその所業を黙認する、俺はそれが許せなかった。
「リク、リ~ク、なんだかいつにも増して面相悪いぞ。何かあったか?」
馬車の荷台に共に仕事をする仲間と放り込まれ、その乗り心地がいいとは決して言えない荷台の上で俺は宙を睨む。
同僚におどけたように声をかけられて笑い返す事もできやしない。
「リク、お前がそういう顔してると、周りが怖がるからマジやめろって」
「元からの地顔だ、文句は聞かん」
「本当にお前は愛想がないなぁ、兄ちゃんや弟を見習えよ」
『兄』という単語に反応して俺はまた眉間に皺を刻む。
「だから睨むなって、何があった? 話してみろ」
その同僚は所謂同期というやつで気心は知れている、彼は彼なりに心配してくれているのだろうが、どうにもこのもやもやをどこから語っていいものか分からない。
「……兄貴が帰って来た……」
そういえば何も聞いていないが、あの人は今一体何処で暮らしているのだろう?
両親に子供達を見せたかったと兄は言った。そして、メリアのセカンドと添い遂げると、あの人はそう言ったのだ。
何故王族なのか? 何故メリアなのか?
兄には見合いの口など幾らでもあったのだ、ランティス王国騎士団長の長男であり、デルクマン家の跡取り。温和で柔和で人当たりもいい。兄を好いている女など幾らでもいたのに、何故そこで選んだのがメリアの男、しかも王族だったのかが理解できない。
兄はアルファだ、夢見がちな兄は『運命の番』というのを信じていた。まさか、その『運命』がメリアの第2王子だなどと誰が信じる? 『運命の番』というのはその為に家族を捨てるほどの相手なのか?
俺には分からない。
その『運命の番』などという物も、所詮はバース性の人間が面白おかしく語っている戯言にしか過ぎないと俺はそう思っていた。
アルファがオメガとしか子を成せないのは事実だ、だが逆に言えばオメガだったら誰でもいいのではないのか? 子を持たないという選択をするのならベータだとて構わない、なのになんでよりによって『メリア』の『男性オメガ』だったのか理解に苦しむ。
今まで兄の恋愛対象は女だったはずだ、なのに何故?
「お前のあのへらっとした兄ちゃん、行方不明なんじゃなかったっけ? 帰ってきたんだ?」
兄の事を知っている同僚は「へらっとした兄」と評したが、その評価にも少しイラっとする。
「妻子連れて、何食わぬ顔で家で飯食ってやがった……」
「へぇ……結婚したんだ。で? 何でそれにお前はそんなに怒ってるんだ? めでたい話じゃないか」
首を傾げる同僚に「何で?」と問われて憮然とする。
兄に関しては語れないことが多すぎる。兄が行方をくらました理由、事件、結婚相手すら公言するのは憚られて、何をどう話していいのかも分からない。
「妻子が赤毛だった……」
「ん? メリア人? マジで?」
途端に同僚の顔は『そりゃ仕方ねぇわ……』という表情に変わる。
「最悪じゃん。そりゃお前もそんな顔になる訳だわ。兄ちゃんメリア女に引っかかったか、最近移民も多いらしいしな。ご愁傷様」
そんな簡単な話しではないのだが、それでも同僚はそれだけの理由で納得する。それくらいこの国ランティスではメリア人が嫌われているからだ。
正直、自分はあの事件が起こるまでメリア人をそこまで嫌ってはいなかった。
確かにメリア人の移民が増え犯罪件数も増しているのが現状だが、それでも彼等がどうしてそういう生活になっているのか、その理由を俺は理解しているつもりだ。
悪いのは国であって人ではない。それでもランティスではメリア人差別があとを絶たない。
「今回の仕事もさ、メリア移民のせいでスラム化した町の片付けだろ。本当、マジ仕事増やすな……だよなぁ。俺、本気でメリア人なんか滅んでくれたらって思うよ」
「そうか……」
まるで悪気のない言葉。それはメリア人すべてを否定し、存在を抹消する言葉。だが、今の自分はその言葉を否定する気力もない。
「まぁ、お前もそう落ち込むな、そのうち兄ちゃんだって目が覚めるって。既に子供がいるってのは難点だけど、本当に兄ちゃんの子かも分かんねぇじゃん? ハニートラップっていうの? そういう所メリア人ってのはずる賢いからな。家、乗っ取られないように目だけ光らせとけばいいさ」
彼の中でのメリア人像は完全なる悪者で、それに対してリクは苦笑う事しかできない。
兄の選んだ人間はそんな人間ではない、兄はそんな人間には絶対引っかからない。それは自分が一番よく分かっている。
「お……見えてきた。あぁ~あ、こりゃ酷いな、本当にメリア人がうようよいやがる」
今回の仕事は先ほど同僚が言ったように、メリア移民に半分乗っ取られたような町の掃討作戦だ。メリア国境に近く貧しい町。町の外にも赤毛の人間がちらほら見えて、胡乱な瞳でこちらを見ている。
「でも、掃討はいいけど。あいつら、ここ追い出されたらどこに行くんだろうな……」
「帰ればいいだろう、メリアなんてすぐそこだ。わざわざ国境越えて来る意味が分からん」
『不法移民』国境を越えてくる理由は様々だが、彼等はどこに行っても厄介者だ。
町に着き、馬車の荷台から降り立つと、やはり幾人ものメリア人とおもしき人間に睨み付けられた。
「さて、仕事仕事」
狭い荷台に押し込まれ凝り固まった体をほぐすように腕を回す同僚。
上司は町長に町の様子を聞きに行って、俺はその間何をするでもなく周りを見回していた。
「あんた達、ここに何しに来たの?」
かけられた声に振り向けば、こちらを睨み付ける痩せ細った子供。
その髪は赤く、メリア人だという事は一目で分かった。
「……仕事だよ」
「オレ達を追い出しに?」
「あぁ、そうだな」
子供は拳をぎゅうと握って踵を返した。
ふいに辺りに甘い匂いが薫って、リクは驚く。これはなんだ?
「どうした、リク」
「いや……何でもない」
その甘い薫りが辺りを包んだのは一瞬の事で、同僚に声をかけられると同時にその匂いは霧散した。
子供は後ろも振り向かず駈けていく。その後ろ姿を俺は何とはなしに眺めていた。




