ルーンでの暮らし①
はっと目を覚ますと辺りはすっかり暗くなり、物音ひとつしない暗闇に包まれていた。今は何時だ? もそもそとベッドから起き上がった俺の腹がぐぅーと鳴る。
ノエルが帰った後、不貞寝をするようにベッドに潜り込み、そのまま俺は完全に寝入ってしまった。腹痛はだいぶ良くなっているが、今度は腹が空いて仕方がない。
今日は俺の体調が悪い事はたぶんおじさん達も分かっていたはずで、夕食に呼ばれても完全に寝こけていたのであろう俺をあえて叩き起こす事はしなかったのだろう。その優しさは嬉しいが、こうなってしまうと俺の晩御飯はたぶんない。これは由々しき事態だ。
領主様のお屋敷には専門の料理人がいる、小腹が空いたからと勝手に厨房を漁るのは料理人にとってはあまり嬉しくないようで、できればあまり触らないで貰いたいと言われた事がある。
腹が空いたのならば、言ってもらえばいつでも作るからと言われはしても、俺はそんな風に扱われる身分でもないし、自分でできる事をわざわざ人を呼んでまでやってもらうのは気が引ける、しかもたぶん現在は真夜中で恐らく料理人も寝ている時間だと思われる。
俺はその厨房に自ら踏み込むのには躊躇いがあるのだが、けれど、今はそんな事を考えている場合ではない。俺の腹はまたぐぅーと催促の鳴き声を響かせる。
腹が空いた。
「参ったな、これ、完全にやらかした……」
早く飯を寄越せと言わんばかりの自身の腹を撫でて、俺はふらりと厨房へと向かう。こんなに腹が空いては寝直す事もできやしない、料理人には夜が明けたらきっちり謝るとして、今は腹ごしらえだ。
部屋を抜け出し、廊下を進む、辺りはしんと静まり返っていて人の気配は全くしない。これはアレだな、完全に草木も眠る……という時間帯だ。
今夜は月が大きくて、月明かりで周りが見えるのは幸いだ。
厨房を覗き込んでも、やはりそこはしんと静まり返っている、さてどうしよう? パンでもあれば幸いだけど、何か俺でも簡単に料理できるような食材なりなんなりはあるだろうか?
ふと、カイトの顔が頭に浮かぶ。カイトの手料理は母さん仕込みで本当に美味しかった。カイトの手料理が恋しいな……と少し感傷的に考えていると、厨房に明かりがぱっと差した。
俺がビックリして振り向くと、明かりを灯した人物も、まさかこんな時間にしかも真っ暗闇の中、人がいるとは思わなかったのだろう、驚いたようにこちらを見て固まっている。
「え……? ツキノ? 何してるの?」
そこに立っていたのはこの屋敷の主人である伯父の一人息子、ロディ・R・カルネだった。
俺がそれに答えようとしたら、答えるより先に俺の腹の虫が盛大に大きな声でぐぅーと鳴き、一瞬彼はまた驚いたような顔をしてから、ぶはっと吹き出した。
「ふはっ、そういえばツキノ、夕食の時いなかったっけ。腹が空いたのか、はは、それにしてもその腹の音……おっかし、くくっ」
「仕方ないだろ! 育ち盛りなんですよ!」
「それは分かる、俺も小腹が空いてここに来た口だからね」
俺と彼とは同い年、いくら食べても腹が空く育ち盛りの俺達はたぶん同じくらいによく食べる。一時食が細くなっていた俺も最近では元の食欲に戻っているのだ、これはもう不可抗力だ。
いつまでも笑っているロディ、俺はぶすっと不貞腐れる。今、俺は本当に腹ペコだから機嫌も超絶悪いんだからな!
「はぁ、おっかし……そこの棚にさ、夜食が入ってるから、ツキノ食べていいよ」
一通り笑ってロディは俺の背後の棚を指差した。俺が言われた通りにその棚を開けるとそこには豪華すぎるほど豪勢なサンドウィッチが綺麗に並べられていて、夜食というには些か多すぎるのでは? と俺は困惑する。
「これ……」
「凄いだろ? こんなにたくさんいらないって言うんだけど、残った分は使用人で食べるからって、いつもこんな感じ。頼む方も気が引けるんだけど、料理人としては足りなくて主人が満足できない方が問題ありなんだってさ。俺なんかまだまだ親父のおまけみたいなもんで、そんな気を使われるような立場の人間じゃないのにな」
「食べていいですか?」
「どうぞ、好きなだけ食べなよ。今、お茶入れるから」
「いや、それくらい自分で……」
「体調悪いんだろ、いいよいいよ、俺がやる」
そう言ってロディは慣れた手つきで湯を沸かし始めるので、俺はお言葉に甘えてその辺にあった椅子に腰掛け、その豪勢なサンドウィッチに手を伸ばした。
空きっ腹にそれはとても美味しくて、ついにへらと笑ってしまった顔を、振り向いたロディに見られてしまい、彼はまた盛大に吹き出した。
「なんで笑うんですかっ!」
「いや、そんな顔もできるんだ、って……ふは、やばい、おかしい……」
「俺だって笑う時くらいありますよ」
「そんな顔、うちに来てからした事ないだろ?」
「そんな事ないです!」
「俺は見た事ないぞ」
確かに言われてみれば彼の前で笑った事はあまりないかもしれない。何せ彼は最初からずっと俺の事を女扱いするので、俺はどうにも不機嫌顔を隠せずにいるのだ。
「こっちこそ、ロディ様がそんな笑い上戸なんて知りませんでしたよ」
不貞腐れたように俺はサンドウィッチに齧り付く、だって俺は物凄く腹が減ってるんだ。
「いやぁ、俺もこんなに笑ったのは久しぶりだ」
そう言って、彼もサンドウィッチの皿に手を伸ばし、ひとつ摘むとそれをぽいっと自身の口の中に放り込んだ。
あぁ、それにしても参るな、この人やっぱりちょっとカイトに似てる……
最初は気のせいだと思ったのだ、金色の髪はこの町では珍しくて、そのふわふわと揺れる後ろ頭がカイトに似てると思ってしまったら、俺はつい彼のその後頭部を目で追いかけるようになっていた。近くに寄れば違うと分かるのだけど、彼のその笑顔もやはりどこかカイトに似ている。
彼の母親とカイトの父親が双子の兄弟なのだから多少似ていても不思議ではないのだけど、俺は何故だかそれが少し悔しいのだ。
「どうかした?」
俺の仏頂面に気付いたのかロディが小首を傾げるので俺は「べつに……」と呟いてまたサンドウィッチを口の中に放り込む。
「君はいつもそうだ、何か気に入らない事があるのなら言って貰えると助かるんだけどな。俺はそんなに君に嫌われるような事をしただろうか?」
「別に嫌ってたりはしないです」
「そうかな? 実際一年も一緒に暮らしているのに俺達まともに会話したの、今が初めてだって分かってる?」
言われてしまえば確かにその通りかもしれない。だって俺はどうにもこいつが苦手なのだ、カイトが順当に育っていればこんな感じに育っているのかな? などと思ってしまう、自分の女々しさにも嫌気がさす。
確かにカイトと俺は番同士で、もはや一心同体と言ってもいいのかもしれないが、それにしても彼を見ていると俺自身のカイトへの依存度を思い知らされるのだ。カイトを思い出してしまえば、何をしていても彼の事ばかり考えてしまう。
俺が考えなければいけない事はまだ他にもたくさんあるはずなのに、カイトの事を思い出してしまえば後はもう彼の事ばかり。まるで彼に恋焦がれる乙女のようではないか。そんな自分は許せない、俺はもっと周りの見える大人の男になるはずだったのに、どうにも自分の理想と現実が離れすぎていて俺はもやっとした気持ちを抱えてしまうのだ。
「君はいつでもそうやって難しい顔をしているけど、何をそんなに考え込む事があるんだい?」
「ロディ様には関係のない事ですよ」
「確かにそうなんだろうけど、いつもそんな態度でいたらこっちだってとっつき難いだろ」
「別に仲良くなる必要ないですよね?」
俺の言葉に彼は驚いたように黙り込んでしまう。
「それにロディ様は俺を女扱いするから嫌いです。俺は男だってずっと言っているのに、変わらず一年間ずっと女扱い。俺、そういうの嫌なんですよ」
「君は意外と物をはっきり言うんだね」
「そういう性格なんで」
彼は少し困ったような表情でこちらを見やった。
「いくら君が自分は男だと主張した所で、君の見た目はどう頑張っても女の子なのに、それでも男扱いされたいの?」
「見た目は持って生まれた物でどうにもならないでしょう! そんな物で判断されるのは真っ平ごめんだ! 俺はこれまで男として生きてきた、それはこれからも変わらない」
「それでも君は女の子だろ?」
「違います!」
「違わないよ」
ロディがずいっと俺の方に寄って来る。同い年だというのにこの一年一ミリも身長が伸びなかった俺と比べて彼は大きい、俺は座っていた椅子を蹴って立ち上がり、じりっと後ずさった。
「俺が怖い?」
「別に怖くない」
「そうかな? その割にはすごく警戒しているように見えるけど?」
俺は一度、男に襲われた過去がある。警戒するのは当たり前だ。
ふいに辺りに柑橘系の匂いが立ち込める、これはアルファのフェロモンだ。その匂いは覆い込むようにして俺の周りを包み込む。
アルファのフェロモンの使い方は幾つかあるのだが、一番ポピュラーなのが、オメガを囲い込む従属のフェロモンだ。自分の物だと確認したオメガをその匂いで包み込み囲い込む。オメガも自分の番や恋人の匂いならばその匂いに安心するし、時にはソレに応じて発情するので一番よく使われる使われ方だ。
次に多いのが威圧だ、敵だと認識した相手、アルファ同士で威嚇しあう時などに使われる事が多い。これも一人のオメガを巡って対立するアルファが発する事が多いので、本能的な物だと言える。
フェロモンの発露は基本的には感情に左右されるもので自在に出し入れできる物ではないのだが、時にそんなフェロモンを自在に扱いこなす人間もいる。
身近な例で言えば俺の養い親の家族だ。元々フェロモン過多な家系であるデルクマン家の人間はそのフェロモンを自在に操る、そうしなければ無闇矢鱈にふりまくフェロモンにあてられる人間が続出するからだ。
勿論薬に頼って抑制する部分もあるのだが、必要な時には必要に応じて出し入れされるフェロモンは彼等の不思議な魅力に繋がる。俺はこれを魅了の力だと認識している。
今、俺が彼に向けられているのは従属と魅了が入り混じったフェロモンだ。アルファのフェロモンで高圧的に「俺の物になれ」と脅されている状態だ。俺は怒りで自身のフェロモンをぶつけ返す。これは威圧だ。




