それぞれの今②
俺の名前はノエル・カーティス。俺ははツキノ・デルクマンの私室を出て溜息を零す。別にツキノの事は嫌いではないのだが、2人きりでいるのは少しだけ緊張する。第一印象が悪かったというのも勿論なのだが、彼の今の容姿を見ていると彼がいくら自分は男だと主張した所でやはり女の子にしか見えず、女子にあまり免疫のない俺は少し緊張してしまうのだ。
ツキノは自分が女の子扱いされるのをそれはもう物凄く嫌っている、それが分かっているから俺は彼を完全に男だと思って対応しているのだが、それでもやはりツキノの見た目は完全に女の子なので、俺達の関係を不審な目で見る人間は多い。
いくら俺が「ツキノに気はない」と言い募ろうとも、ツキノに気のある人間は俺にちょっかいをかけ絡んでくるのでとても面倒くさい。しかし領主様やその奥方様、挙句の果てにはユリ兄にまで彼の事を頼まれてしまったら、俺には否の返答は用意されていなかった。ツキノと仲良くする事は、もう俺の使命なのだと思うしかない。
俺は領主様の屋敷を我が物顔で歩いて行く、ツキノがここへ来なければこんな風に領主様の屋敷に足を運ぶ事などなかったのに、変な感じだ。
「ノエル、ツキノの具合はどうだった?」
「ロディ様、待ってらっしゃったんですか?」
ふいに庭の方から声をかけられ俺はその人物を見やる。金髪碧眼の見目麗しいその人物はここカルネ領、領主様の一人息子ロディ・R・カルネ様だ。実を言えば俺がツキノに薬を運んで行ったのは、彼に頼まれたからなのである。
俺がツキノに手紙を渡そうとこの屋敷を訪れると、ツキノの部屋の前で薬を持って途方に暮れたように立ち尽くしていた彼に一緒に渡してくれと託されたのが先ほどの薬なのだ。
ロディ様は大きな体躯を縮めるようにして俺に問いかける。見た目は領主様に似て堂々としているのに、今の彼は少しだけ困ったような表情だ。
「ツキノでしたら、まぁ大丈夫なんじゃないですかね? 2・3日で治まりますよ」
「そうか…」とロディ様はほっとしたように息を吐いた。そんなにツキノの事が心配なんだったら直接薬を渡しに行けばよかったのに、と俺は思わなくもない。
「悪かったな、急に声をかけて」
「いえ、それは別に構いませんけど」
ツキノとロディ様は同い年だ、俺は彼等よりひとつ年下。同じ屋根の下同い年の人間が一緒に暮らしていれば仲良くなりそうなものなのに、何故か彼とツキノの間にはよく分からない壁がある。ロディ様は領主様からツキノの事情も聞いていると思うのだけど、それをどこまで聞いているのか彼の態度を見ているといまいちよく分からない。
「女は本当に毎月毎月大変だよな……」
「それ、ツキノに言ったら俺を女扱いするな! って怒られますよ」
「いや、そうは言われてもなぁ……」
どうもロディ様はそんな事情を聞いていてもツキノの事を女扱いするので、ツキノは彼を苦手に思っていると俺は聞いている。
そしてロディ様もロディ様でツキノをどう扱っていいのか考えあぐねている様子がなんとなく見て取れて、これが見えない壁の正体かと俺はなんとなく腑に落ちた。
ツキノの事情を知っているなら、彼の事を普通に男扱いしてあげればいいのに、どうやらロディ様の中ではツキノは『か弱い女の子』であるというイメージが出来上がっているみたいだ。
「ロディ様がそんな風だからツキノも頑なになるんですよ? 彼は彼だとありのままを受け入れてみたらどうですか?」
「いや……そうは思っても、ノエルはあの容姿でツキノを本当に男だと思えるのか……?」
「中身は間違いなく男です」
彼と出会った武闘会の時の出来事、彼はあの頃間違いなく男だったし、彼の本質は何も変わっていない、顔や体格もあの頃と変わっていないのだが、ひとつだけ大きく変わった所がある。これは言うと本気でツキノに怒られるのであえて口には出さないのだが、あの頃より少しふくよかになった彼の身体で一番に目に付くのが『胸』なのだ。
彼はその胸を隠そうと努めているようなのだが、身体のスレンダーさに相反するように胸だけはとても大きくて、その胸を隠そうと大きめな服を着ることでツキノの線の細さはより際立ち、余計に女の子らしく見えてしまうのだ。
そしてそれにはツキノも相当頭を悩ませているのを俺はなんとなく察している。
「それでも本人の自認は男なんですから、そこは認めてあげるべきですよ」
「男として生きるよりも、女として生きた方が生きやすい気がするんだがなぁ……」
「そこは本人の自由です、他人がとやかく言う事じゃないですよ」
「それでも……」とロディ様があまりにも食い下がってくるので、俺はもしや? と彼の顔を見やった。
「もしかしてロディ様、ツキノの事好きなんですか?」
「え? いや……別にそういう訳じゃ……」
慌てたように瞳を逸らすロディ様、あからさまに不審な態度、これってもう好きって言ってるようなもんじゃないか? 確かにツキノは傍目に見たらただの美少女だし、分からなくもないけど、色んな事情も知っていてこの態度はどうなんだろう?
「ロディ様、ツキノにはもう番相手がいるの知ってますよね?」
「……え?」
あれ? もしかして知らなかったのか?
「番って、ツキノの項には噛み痕なんか無かっただろう?」
「……? 噛み痕って何ですか?」
ロディ様の言葉に今度は俺が首を傾げる番だ。俺は彼等言う所のベータで、バース性という性別の事をよく知らない。それこそツキノと出会ったあの武闘会の時にそういう性別があるのだと初めて知ったのだ。
確かに領主様の奥方様ははんなりしているが、スレンダーで男っぽいとは思っていた、けれど実際奥方様が男性でオメガという性別、そして子供が産めるのだという事を知ったのはまだ割と最近の事なのだ。
母はその事を知っていて、俺も知っているつもりでいたようで、その話を母にふったら「あんた知らなかったの?」と逆に驚かれてしまった。
「あれ? ノエルってベータだっけ?」
「そうですよ、うちは祖父母はバース性らしいですけど母と俺はベータです」
「そうなんだ、てっきりノエルはアルファなんだと思ってた」
何を思ってロディ様が俺の事をそうだと思ったのか分からないのだけど、聞くところによるとバース性はお互いを匂いで感知するって聞いたことがある、俺なにか匂うのかな?
「それで、噛み痕って……?」
「あぁ、バース性の人間は番になる時アルファがオメガの項を噛んで番契約が完了する。その噛み痕は消える事なく残るはずなんだ」
そういえば……と俺はふと思い出す、ツキノがルーンへやってきた一年前、彼は不自然に首元を隠していた。あの時、彼の首筋には確かに傷痕が付いていた気がする。けれど、今はもう彼の項には何の痕跡も残ってはいない。
「それってどういう仕組みで残るんですか?」
「どういう仕組みって……そんな事までは分からないけど、アルファとオメガの番契約って言うのはそういうものなんだ」
俺はロディ様の言葉に首を傾げる。確かにツキノからカイトと番になったという話しは聞いているので俺はその話が腑に落ちない。番契約、アルファはオメガに消えない噛み痕を残す……
「あぁ、そうか!」
俺は唐突に思い当たった。
「だってツキノはアルファだから、もし噛み痕が残るならカイトの方だ!」
「……カイトって誰?」
あれ? そこから?
「しかもツキノがアルファ? 嘘だろ?」
「嘘じゃないですよ、俺はそう聞いてます。ロディ様って確かアルファですよね? そういうの分かるんじゃないんですか?」
「む……うちは家系的に匂いには疎くて、余程匂いの強い人間でないと、なんとなくでしか性別の判断がつかないんだ」
へぇ、そんな事もあるんだ。でも確かに俺がこの話を聞いた時ユリ兄は鼻が利くといい、ウィルはそれ程でもないと言っていたような気がする。
「ツキノがアルファ……しかも番相手は男か?」
「そうですね、カイトは男性オメガだと言ってましたよ」
「なんで自分は男だと言い張っている人間の番相手が男なんだ……もうそれならいっそ女でいいじゃないか」
「そこは他人が関与できる問題じゃないですよ、ロディ様」
ロディ様は何故か難しい顔で考え込んでいる。
「だとしたら、2人はどうやって番になった……?」
「? さっきロディ様が言ってたんでしょう? ツキノがカイトの項を噛んで番にした、ですよね?」
「む……まぁ、そうなんだが、番契約ってのはそれだけで簡単に成立するものじゃない、オメガにとってこの契約は隷属契約にも等しいからな。契約するからにはある程度手順という物が必要で……」
「なんだかロディ様、歯切れ悪いですよ? 項を噛む以外にも何か儀式でもあるんですか?」
「ええと……まぁ、そうだな」
相変わらず歯切れの悪いロディ様は俺から瞳を逸らす。
「物事ははっきり言ってくれないと分からないですよ、ロディ様」
「うん、まぁ、番契約にはその契約を成立させるある条件があって、その……項を噛むのは性交時と決まっていてな……」
せいこうじ……性交、時……意味を理解して俺はぼっと顔を赤らめた。
「ちょっと! ロディ様! なんて事を!!」
「いや、言わせたのはお前だろう!」
「それにしたって、そういうのを他人が勘ぐるのはどうかと思います!」
「仕方ないだろう、気になったんだから!」
俺は真っ赤になった顔を掌で覆う。確かに気になるの分かるけど! しかも、だとするとツキノとカイトはもしかすると、既に性に関するあれやこれやを経験済み、とそういう事か!?
うわぁ、あんまり聞きたくなかった、友達同士のそういうの、想像しちゃ駄目だと分かっているのに、変に色々考えてしまうじゃないか!
けれどその時ふと思う、一体どっちがどっちに入れるんだ? ロディ様の疑問はまさにそこなのだろうが、これは確かにとても気になる……しかも俺はツキノの首筋にあった傷痕を確かにこの目で見ているのだ。
「この話しはここまでにしましょう!」
「あぁ、俺も今そう思っていたところだ」
ロディ様も気持ち赤らんだ顔を逸らして頷いた。
どっちがどっちだっていいじゃないか、そこはもう2人の問題だよな、うん。
「はぁ……それにしても、ツキノには何故か遠目に見詰められている事が多かったから、てっきり好かれているものと思っていたのだが、これはもう完全に俺の勘違いだな」
「そうなんですか?」
「あぁ、視線を感じて振り向くと、こっちを見ている事が多くてな。すぐに目を逸らすんだが、アレは一体何だったんだろうな……」
首を傾げるロディ様、けれど俺はツキノのその行動に少し心当たりがあった。
「それ、ロディ様の後姿がカイトに似てるからだと思いますよ」
「そうなのか?」
「前にツキノが言ってた事あるんですよね、ロディ様の後姿はカイトに似てるって。カイトとロディ様って従兄弟同士なんですよね?」
「え……?」
え? って何? 知らなかったの? 俺、確かツキノにそう聞いたはずなんだけど???
「俺、従兄弟の話なんて聞いた事ないけど……?」
「ええ?」
「そもそもうちは両親共に一人っ子のはずだから、従兄弟なんている訳がない」
「でもツキノは領主様の甥ですよね?」
「親父にはうちの祖父母以外に養い親がいるらしいんだが、ツキノはそっちの兄弟の子だそうだから、俺との血縁は一切ない。因みに俺の母は天涯孤独の身の上だから兄弟はいないはずだ」
? が頭の中を飛び回る、ロディ様もよく分からないのだろう、混乱したように首を傾げた。
「聞き間違いだったのかな……?」
「いや、どうなんだろう。うちの親、時々よく分からない人脈持ってるからな。で、実際俺とそのカイトというのは似ているのか?」
「色は同じですね」
「色……」
「髪の色が同じなんです、俺にはそれくらいしか共通項を見付けられないんですけど、確かにツキノは似てると言ってたんで、似てる所もあるんじゃないですかね?」
ロディ様がまた考え込んでしまう。困らせるつもりはなかったんだけどな。
「そのカイトというのはオメガなんだよな?」
「本人はそう言ってましたね」
「オメガというのはうちの親もそうだが、男でも割と線が細いと聞いているんだが……?」
「そうですね、ぱっと見女の子かと思うくらい可愛かったですよ」
「それに俺は似てるのか?」
「だから『色は同じ』ですよ」
どうにも納得いかないという顔のロディ様、そんな難しい顔されても困るんだけど。確かにロディ様とカイトには似たような雰囲気はまるでない。俺の知っているカイトは金色のふわふわで、にこにこしながらとんでもない事を言い出す可愛い顔立ちの変わり者だ。
「そういえば、今度ここへ遊びに来るらしいので、その時に会えば分かりますよ」
「そうなのか?」
「ツキノと2人で並んでるとワンセットのお人形さんみたいで可愛いらしいです」
そうは言っても『黙って立っていれば』という注釈は付くのだけれども。
だが「それは少し見てみたいな」と興味を引かれたようにロディ様は頷いた。
「俺がイリヤでお世話になった人達も一緒に来るので、とても楽しみです」
俺が笑うとロディ様も「そうか」と頷き笑ってくれた。
この小さな町では身分差があってもそこまで上下関係は厳しくない、俺よりひとつ年上のロディ様は一応様付けで呼んではいるが本来とても気さくなお兄さんで、幼い頃には俺もよく一緒に遊んでいた仲なのだ。だから本当はロディ様とツキノも、もっと仲良くなれたらいいのに、と俺は常々思っていた。
「皆が来たらロディ様も一緒に出掛けませんか? きっと楽しいですよ」
「そうだな、その時には是非」
ロディ様とそんな約束をして俺は家路に着く。彼等がここへ遊びに来るのは数週間後、俺はユリ兄やウィルを何処へ連れて行こうかと、そんな事をわくわくと考えていた。




