動き出す過去の亡霊③
全く見た事もない男だ、髪も髭も伸び放題、服はぼろ雑巾のように薄汚れ、年齢もよく分からない。
そんな中でその虚ろな瞳だけが妙に印象的で、何故だか背中がぞっとした。
「あんた誰だよ、ノエルを離せっ!」
事態に気付いたウィルも飛び起き、その浮浪者のような男に食ってかかるのだが、男は全く意に介した様子はない。
「メリア人が大きな顔でファルスを闊歩してるのは我慢がならない」
「俺は、メリア人じゃないっ!」
「こんな赤毛を晒してか? どのみちメリアの血は入っているんだろう?」
「知らないよっ! 聞いたことねぇもん!」
俺は髪を捕んだ腕を逆に掴み返すのだが、男の腕はまるで弛まず離れない。ウィルも怒って一緒になってその腕を掴むのだが、やはりその男の手は解けなかった。
こんな体躯はしていてもまだ12歳の子供、こんな扱いを受けたのは初めてだ。
男は浮浪者のような格好なのだが、浮浪者のようなひ弱な感じでは全くない、自分はこのまま何をされるのか……と恐ろしく、泣いてしまいそうだ。
「お前達! そこで何をやっている!」
その時かけられた鋭い声に、瞬間男は顔を上げた。
その隙を見逃さずウィルが男の腕を叩き落し、俺はようやく解放され、へたり込んだ。
「こいつ! オレ達何もしてないのに、急に襲ってきたんだ!」
ウィルは俺のその赤毛を隠すようにぎゅうと頭を抱え込んでそう叫んだ。
「あ? それは聞き捨てならんな……少し話を聞かせてもらおうか」
声をかけてきた男の顔はウィルに抱えられているので全く見えないのだが、その声が先程までよりワントーン低くなったので、その人も男の行動に不快を示した事はすぐに分かった。
「メリア人に何をしようが、別に構わねぇだろう。あんた達騎士団員は我が国の人間を守っているんじゃなかったか?」
俺を襲った男の言葉でやって来た男は騎士団員なのだと分かる。
「メリア人だとか、ファルス人だとか、俺はどうでもいいんだよ。俺はなぁ、女子供に手を上げる奴は大嫌いなんだよっ!」
がっと鈍い音が響き、それに合わせるようにくぐもった呻き声が聞こえた。
続いて、何度かの殴打音、何が起こっているのか分からなくて、俺はウィルの腕の中からそっと周りを窺った。それに気付いたのかウィルも腕を離してくれて、ようやく俺の視界が開ける。
そこにいたのは大きな男だった。
騎士団員というのはやはり皆体格がいいのだろう、その男もウィルの父親同様、熊のように大きな男だった。
男は何度か俺を襲った男を痛めつけ、その男の抵抗がなくなった所でようやく手を離して男の腕を縛り上げた。
「話しは詰所で聞かせてもらう。悪いがお前等も一緒に来い」
男は笑みもなく俺達にそう告げた。
「スタール団長、かっけー」
「……ウィル、知り合い?」
「うん、父ちゃんの友達。第5騎士団のスタール団長だよ」
団長、騎士団長なんだ、この人。
「誰かと思ったら、お前ウィル坊か。なんでこんな所にいたんだ? ここは祭りとは関係ないだろ」
「えへへ……ちょっとね」
「まさか、アレを見に来たんじゃないだろうな?」
男が顎で示したのが、まさに見ていた屋敷で、ウィルは「バレちゃった」と舌を出した。
「こんな事があるといかんと思って、見回りに来て正解だったな……誰に聞いた?」
「え? 父ちゃんだけど?」
男はあからさまに脱力した様子で肩を落とし「あの人は警戒心が足りなさ過ぎる……」とぶつぶつと小さく零した。
彼は一人で見回りに来た訳ではなかったようで、そのうち何人かのやはり騎士団員とおもしき男達が何人か寄って来た。
捕まえた男を部下に引き渡し連行するスタールが歩き出すのを追いかけるように俺達も彼について歩き出す。
「坊主怪我は?」
「髪、引っ張られただけなんで……まだちょっと痛いけど、たぶん大丈夫です」
「そうか……」とやはり彼はにこりともせずそう言った。この人、基本的に愛想はないんだな。
それにしても連行されている浮浪者の人、さっきまでの勢いはどこへ行ったのか非常に大人しい。余程スタールの拳が効いたのだろうか?
それにしても彼は何かに浮かされているように何事かぶつぶつ呟き続けていて気持ちが悪い事この上ない。
「坊主はウィル坊の友達か?」
「あ、はい」
「悪かったな、こんなメリア人差別をするような奴はそうそうこの国にはいないから、気を悪くせんでくれ」
「あぁ、俺メリア人じゃないんで、別に……」
「なんだ、違うのか? それは悪かった」
「こんな赤髪なんで、慣れてます」
愛想はないけれど妙に気を遣われて、この人いい人だな……となんとなく思った。
「坊主名前は?」
「ノエルです。ノエル・カーティス」
瞬間驚いたように男がこちらを凝視した。
「ノエル……カーティス?」
何にそんなに驚かれているのか分からずに、俺は首を傾げる。もしかしてこの人も祖父を知っているのだろうか?
「なんかうちの祖父、昔騎士団で副団長をしていたらしいんですけど、もしかして知ってます?」
「坊主はもしかして、コリー副団長の?」
「はい、孫です」
何やらスタールは非常に複雑な顔でこちらを見ている。一体何なんだろう?
「その名前は誰が付けた?」
「え? えっと、母が付けたと聞いてますけど……」
「そうか……」とスタールはひとつ頷き「父親はメリア人なのか……?」と問うてくる。
「分からないんです、自分の父親が誰なのか。だから俺はここに父親を探しに来ました」
ますます複雑な顔で彼は俺を見やり、自分もどういう顔をしていいのか分からない。
「もしかして、俺の父親に心当たりがありますか……?」
「いや……俺は知らない」
瞳を逸らすように彼は前を向いてしまって、なんだかその行動は少しばかり不自然に感じたのだが、その理由も分からず首を傾げた。
「母ちゃんは一緒に来てるのか?」
「いいえ、俺一人でここまで来ました」
こちらも見ずに彼は「そうか……」と頷いて、その後はもう何も言ってはくれなかったので、俺はウィルと肩を並べる。
「ウィル、さっきは助けてくれて、ありがとう」
「オレ、ほとんど何もできなかったじゃん……やっぱり実戦じゃまだダメだな」
「そんな事ない。一人だったら何されてたか分からなかったし、怖かった。ウィルがいて良かったよ」
俺の言葉に「そう?」とウィルは少し照れくさそうに笑みを零した。
実際自分一人の時にこんな理不尽な襲われ方をしたらと思うとぞっとする、本当に一人じゃなくて良かった。
程なくして、俺達は第5騎士団の詰所にたどり着く。外観は基本的に第1騎士団と変わらないが、中は少しだけ第1より手狭に感じた。
「暴漢捕まえてきた。取調べて、あとは祭りが終わるまで牢に放り込んでおけ」
そう言ってスタールはその場にいた別の団員に男を引き渡して「お前達にも一通り話しは聞かせて貰うぞ」と腕を組んだ。
「オレ達別に何もしてないよ。あそこで屋敷眺めてただけだよ、な? ノエル?」
「うん、そう。突然髪掴まれて、赤毛を晒してる奴が悪いって……問答無用でしたよ」
「最近はああいう輩が時々湧いて出るのは何でなのか……」
溜息を零すようにスタールは大きく息を吐く。
「ただでさえ祭りで忙しいのに、余計な手間かけさせやがって……」
と、そうスタールが零したその時、奥の部屋から「うわぁ!」と叫び声が聞こえ、続いて人の争う声、激しい物音が続いて俺達は驚いてそちらを見やる。
「何だ! どうした!?」
「さっきの男が突然暴れ出して! うぐっ!」
目の前に血飛沫が上がり、目の前で人が倒れた。
そしてその背後から現れたのは先程の浮浪者のような男だ、手には騎士団員から奪ったのか剣を抱えてふらりとこちらへと歩いてくる。
え……これ、何?! 何が起こってるの!?
やはりその男の瞳はどこか虚ろで何を見ているのかもよく分からない。
「ちっ! 小僧ども、逃げろ!」
スタールは腰に差した剣を抜き放ってそう叫ぶと、男の前へと躍り出た。
騒ぎを聞きつけた他の団員達もわらわらと寄って来て、男は完全に包囲されてしまったのだが、それでも男は微動だにしない。
「はは、まさかお前が騎士団長になってるとはなぁ、スタール・ダントン」
「あぁ!?」
「忘れたとは言わせんぞ、俺の名前」
男はそう言うのだが、スタールの方に心当たりはないのか、不審気な顔で眉を寄せる。
「俺に犯罪者の知り合いはいないはずなんだがな」
「だったら、思い出させてやる俺の名前は……」
その言葉と共に斬りかかってきた男をいなして、スタールは驚いたような表情を見せた。
自分達には聞こえなかったのだが、スタールは男の名前が聞き取れたのだろう、少しの動揺を見せる。
「お前、出てきてやがったのかっ」
「お陰様でつい最近な。皮肉な事にこの武闘会の年に釈放だ、とんだお笑い種だよ」
「そのまま、消えればいいものを……こちとら忙しいんだ、お前如き犯罪者に構ってる暇なぞないわ!」
「デルクマンの犬がよく吠える!」
「生憎俺自身が今は騎士団長だ、負け犬の遠吠えはお前の方だっ!」
どうやら2人の間には並々ならぬ憎悪があるようで、2人は罵り合うようにして剣を交える。
逃げろと言われはしたが、その時俺達は見動きする事もできず、ただ呆然と斬り結ぶ二人を見守っていた。




