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蚊取線香

作者: 青天井


ふわりと舞い上がって、ふと止まって、風に揺られて、消えてゆく蚊取線香の煙。

もうかれこれ一時間ほど眺めているが、少しも飽きることはない。

時々窓の外に揺られたり、かと思ったら家の中に戻ってきたり。

人によっては煙たいと思うこの匂いが私は堪らなく好きだ。

五月蝿い蝉どもの鳴き声もまたいい。


コンコン、と、お母さんが扉を開ける。

莉穂(りほ)(かえで)ちゃん、下に来てるよ」

惜しいが、蚊取線香の先を水に浸す。

ジュボッと火が消え、私の部屋には残り香だけが漂っていた。

部屋の空気を一口だけ口の中で転がしながら、玄関へと向かう。


楓ちゃんは私の幼馴染で、中学での「夏研究会」なるもののメンバーの一人。勿論、私も。

今日は夏研究会メンバー四人が集まる日だ。

集合場所は小さい頃から変わらない、駄菓子屋だ。


汗が僅かに滴る頃、ようやく駄菓子屋に着いた。

他メンバーの二人はラムネの一気飲み競争をして暇を持て余していた。

「おいおい、遅い!ゲフッ」

「はい景雪(かげゆき)の負け、ごっつぁん!ゲフッ......よっしゃ、じゃあ揃ったところで、行こうか」

この二人も幼馴染だ。

いつからか形成されたこの仲良し四人組、夏研究会。

私は彼らに秘密を隠している。

今はまだ言えないけど、この夏の間に必ず打ち明ける。

いや、打ち明けなければいけない。


「夏研」の活動目的は肝試しの会場作りだ。

私たちの中学校では、毎年、隣町の学校から合宿に来る子供たちを肝試しで驚かす慣例が出来上がっていた。

その慣例を引き継いだのが夏研だ。

今年は伊岐神社(いぎのじんじゃ)を借りる予定だ。

今日はその視察である。


「そう言えば知ってるか?この前の伊岐神社のやつ」

景雪は真面目な眼差しで私たちを見た。

悠里(ゆうり)も楓ちゃんも、なんのことか、と首を傾げている。

歩幅を弛めながら、景雪は話し出した。

「なんかな、夏休み初日の夜に、伊岐神社の辺りからすっごい眩しい光が見えたらしいんだ。いや、というか俺も見た」

「祭事でもあったんじゃないの?」

「いや、絶対違う。あんな光、普通の電球とかが出せるものじゃないんだって」

「って言っても、今から肝試しの会場変えるのは難しくない?もう明日だし」

深刻な顔をする景雪に対して、二人はからかうようにあしらっていた。

「どうなっても知らないぞ」

蚊が一匹、道端で死んでいたようだった。


伊岐神社はこの地域の氏神様を祀る比較的大きい神社で、楓ちゃんの兄がここの禰宜(ねぎ)として奉職している。

すんなりと借りられたのは楓ちゃんのおかげだ。

「っと、まあこんなもんじゃないか?」

道の安全性や私たちが隠れる場所を確保するのが私たちの仕事だが、それもようやく終わり、日も傾き始めていた。

「お参りだけして帰ろっか」

「あ、俺財布駄菓子屋に忘れてきちまった」

「実は私も今日お財布持ってきてない......」

「全くお前らなあ......」

景雪が溜息混じりで五百円玉を出した。

「まあ、神様も五百円出せば許してくれるだろ」

「あ、私も出すよ、五百円」

少し手痛い出費だが、私も五百円出すことにした。

景雪と私が前に出てお賽銭を投げる。

私は左利き、景雪は右利き。

トンっと、景雪の手と私の手が軽くぶつかった。

夕焼けでよく分からなかったが、景雪の頬が少し染まっていたような気がする。

既に真っ赤な私がどうこう言えることではないけれど。


日が明け、蝉どもが鳴き始める頃、私は朝特有の気だるさと、特別な緊張感でどうにも気分が悪かった。

一杯の白湯を体に流し込み、直ぐに出かける準備をした。

夏研の集合時間は午後五時だが、私には午前中までに行かなければいけないところがある。

五百円玉を握り締め、飛ぶように家を出た。

全てのことが上手くいきますように。


いつもの変わらない午後三時、ゆらゆらと揺れる蚊取線香を眺めながら物思う。


午後四時半、楓ちゃんが来たらしい。


駄菓子屋には、珍しく男子二人の姿がなく、先に神社行っといて、と書いた張り紙だけが残されていた。

右手に蚊が止まっていたようだった。


その後境内で合流し、作戦通りの配置に着き、子供たちを待つ。

家から持ち出してきた蚊取線香に火をつける。

蚊取線香を入れていた袋を覗くと、この一巻きが最後のものだと気付かされた。


「恨めしや〜恨めしや〜」

可愛い叫び声をあげる子供たちを微笑ましく思いながらも本気で怖がらせにいく。

刻一刻と迫る肝試し終了の時刻まで、私は全てを尽くした。


夜九時、蚊取線香の残りが数センチのところでタイマーがなった。

時間になったら、みんなで境内に集まることになっていた。

でも、私は境内の裏、井戸のある方へと向かった。

そこにはやはり、景雪が待っていた。


暫く気まずい沈黙が続いたが、ようやく景雪の口が開いた。

「莉穂......肝試しはどうだった」

遠慮がちに景雪はこちらを見る。

「大成功だったよ。それで......」

私は下を向きながら答えた。

心臓が張り裂けそうで、髪で隠れた目は見開かれていた。

「うん......えっと、ちょっと大事な話があって」

「うん」

決心したように景雪はこちらを見る。

「実は莉穂のことがっ──」

駄目だ......。

もう抑えられない。

嫌だ......。

景雪の言葉を遮るように、私は景雪の頬をバチッと叩き、一言。

「ごめん、でも、蚊が止まってたから」

その言葉を最後に、私は鳥居の方に向かって走った。


苦しいのだ。

走りすぎたからでは無い。

でもやはり聞きたくなかった。

最後はいつも通りで過ごしたいと、建前の私が叫ぶ。

もしかしたら、本音の私も叫んでいたのかもしれない。

でも、やっぱり、消えたくない......。

もう二度と逢えないなんて、やっぱり嫌だ。

こんな未熟な自分が嫌だ。

でも......。

成仏なんてしたくない......。

少し顔を上げた時、私の目には、決意を固めた少年の顔と、おびただしい数の蚊の大群が映った。

既に灰となった蚊取線香を残して、私も同じくして灰となった。



ふわりと舞い上がって、ふと止まって、風に揺られて、消えてゆく蚊取線香の煙。

もうかれこれ一時間ほど眺めているが、少しも飽きることはない。

時々窓の外に揺られたり、かと思ったら家の中に戻ってきたり。

人によっては煙たいと思うこの匂いが私は堪らなく好きだ。

五月蝿い蝉どもの鳴き声もまたいい。


何度目だろうか、この終わらない夏を過ごすのは。

成長できない私は「今年」に続いて「今年も」やらかしてしまったらしい。

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