第175話「守られた安息の日」
アンは不機嫌なまま食堂へと戻っていく。
今の自分の状態をルビアンに悟られてはならない。
「おかえり。今日はどうだったんだ?」
ルビアンがバックヤードから出てくると、帰ってきたばかりのアンを出迎えた。
「ジャガイモの値段が戻ってきた。エックスポイズンの影響が弱まってきた影響だな。これでやっとカレーが定価格で売れる。このまま繁盛し続ければ、当分は商売に困らない」
「そりゃ助かる」
「じゃあ早速作ってみよか」
加里はにっこり笑いながらカレーを作り始める。
「そうね。じゃあ晩御飯を作ってから帰るわ。綺羅たちの分も持って帰るわね」
翡翠は料理を作ってから隣の家に持ち帰るようだ。
引っ越してからはジルコニア系移民ばかりの生活だ。ルビアンが加里と翡翠を引っ越しさせたのは子供たちの部屋を確保するためだけではない。
アモルファス人とジルコニア系移民とでは生活習慣がまるで違うため、それに対する配慮でもある。アモルファス人が夕食を食べないのに対し、ジルコニア人は朝食を食べないのだ。特にジルコニア系だけで住むと自然とそのような生活習慣が顕著になる。
適合できないのではなく、元からの性質と言って良い。
アモルファスでは料理は腹持ちするものが多く、寝る前に食べるのは良くないという考えがあるのに対し、ジルコニアでは料理は腹持ちしないものが多いのに加え、食べて次の日に備えるという考え方が根強いためにこのような違いがある。
例外もあるが、それはかなり少数派である。
「俺も腹が減ってる時は夕食を食べるけど、基本的に食わねえな。胃が重たいまま寝るってのが耐えられないんだよなー」
「うちもアモルファス人たちが朝食食べるって聞いた時は驚いたわー。空腹の時が1番仕事に集中しやすいし、朝から米を食べると胃が重たいからなー」
「ふふっ、ここにいると両国の事情が一気に分かるから面白いわね」
ルビアンたちは他愛もない会話を楽しみ、つかの間の安らぎを得ているところだ。
彼らはそれぞれの違いを尊重し、討伐隊よりも強い絆で結ばれている。
かつての困難が彼らを強くし、数々の戦いが彼らを出会わせていった。
アンはカーネリアと2人きりになる。
バックヤードまで行くと、何やらアンを疑っているようだと察した。カーネリアは窓の外からアンとスピネのやり取りを見ていたのだ。聞こえはしなかったが2人の様子からただ事ではないのが分かるのに時間はかからなかった。
「アン、さっき見ていたんだが、スピネとの間で何があった?」
「大した事じゃない」
何だそんな話かと言わんばかりにアンが部屋を出ようとする。
「――だったら何故武器を構えた?」
カーネリアが目を合わせようともしないアンに尋ねると、アンは図星を突かれたようにその場に立ち止まった。
「……アルカディアの連中は出禁だからな。ルビアンにそう伝えられたから追い払おうとしただけだ。奴らがルビアンにどんな害をもたらすか分からないからな」
「それにしてはやりすぎじゃないか?」
「良いんだ。奴らに情けは無用、今までにどれほどの仕打ちを受けてきたか、お前も当事者なのだから知らないはずはないだろう」
「いつもと様子が違った。まるで何かを急いでいるような感じだった」
人一倍洞察力が鋭いのはカーネリアも同じだ。
どう頑張っても言い逃れができそうにない。さすがのアンも途中からはまるで尋問を受けているような気分だ。何としてでもアルカディアを葬りたいアンとしてはこれ以上口を開きたくはないが、このままカーネリアがアルカディアに探りを入れたりすれば面倒だ。
そしてアンはついに苦肉の策に出た。
「カーネリア、事情が知りたいなら説明するが、誰にも言うなよ」
「分かった。言ってみろ」
アンは観念したのか、全ての事情をカーネリアに話した。
その長髪を両手で耳の後ろへまとめながら事の全容を話し続けるが、カーネリアにとってアルカディアからの度重なる営業妨害によって酷く傷ついたアンの心境は察するに余りあるものであった。
カーネリアはアンとは異なり、人知れず迷っている様子。
見捨てたい気持ちと同情したい気持ちが殴り合うように頭の中で戦っている。
だがそんな事を話せばアンが機嫌を損ねるのは重々に分かっていた。彼女と不仲になってまでアルカディアの治療を優先する意味はない。だから彼女はこれ以上アンを追究するのをやめた。
「そうか――あたしもクリスに頼って生活を援助してもらう事もできたが、後々の事を考えれば頼らなくて正解だ。助けてくれたとしても、私1人分を助けるのがやっとだろう。他の者まで助ける義理はないし、私だけずるいっていう状況になってたかもしれない。移民たちがいなかったらどうなっていたか」
「情けは人の為ならずだ。ルビアンは移民たちだけでなく、未来の私たちまで救ってくれたんだ」
「でもアンがそんな恐ろしい事を考えていたとは知らなかった。お前が敵じゃなくて良かった」
「女王陛下にも同じ事を言われたな」
アンが窓越しに漆黒の闇へと染まっていく空を見ながら言った。
モルガンの容体が悪化すれば遠征が中止になる可能性があった。だがそれさえ許さないようアンは次の手を考えた。
それは二度と愛する者を傷つけさせないための行動であった。
気に入っていただければブクマや評価をお願いします。
読んでいただきありがとうございます。




