第174話「最強の門番」
モルガンの容態を心配するスピネが一心不乱に走っていく。
スピネの姿が見えなくなると、モルガンは全身の力が抜けたようにその場に倒れ、すぐに気づいたオニキが彼女を受け止めた。
「おっと、大丈夫か?」
「ああ、薬を貰った。済まないが、水を持ってきてくれないか?」
「ああ、分かった」
モスアが水を持ってこようと屋内に入った。オブシディはスピネが走っていった方向を何かを睨みつけるような顔で見つめている。
しばらくしてスピネは食堂の前まで辿り着いた。
「はぁはぁ、やっと着いたわ。早くルビアンに……知らせないと」
「そこで何をしている?」
「! あんたは確か――アンバー・ベルンシュタイン!」
食堂の扉に手をかけようとしたスピネを呼び止めたのはアンだった。
相変わらず鋭い目利きを活かした買い出しから帰ってきたところであった。
彼女は敵を見るような警戒心むき出しの目でスピネを睨みつけながら彼女の企みを阻止しようと考えている。当然スピネが今考えている事など知っているはずがない。
「アルカディアはもう出禁になったはずだぞ」
「モルガンが口から吐血して倒れたの」
「――だからどうした?」
「あのね、人が血を吐いて倒れたのよ。何とも思わないの?」
「別に何とも思わない。むしろ良い気味だ」
「あなたには人の心がないの!?」
「どの口が言っているんだかさっぱり分からんな。かつてお前たちが私たちにした事を忘れたとは言わせないぞ。どうしても通りたいなら、私を倒してから通る事だ」
アンはそう言いながら聖槍を出現させ、それをスピネの喉に向けながら構えた。
死んでもここを通すつもりはない。さながら最強の門番のようだ。
スピネは説得を試みようと思いまだ引き下がらない。アンが食堂を守ろうと必死であるようにスピネもまたモルガンのために必死だ。
「モルガンはもう長くないの。このまま治療しないと死んじゃうの」
「だったら死ねば良い。死ねば病気に苦しむ事もない」
「どうしてそんな事を言うの?」
「事情を知らないなら教えてやる。お前たちが私たちの食堂を潰そうとしたせいで、食料を確保できずに子供たちが餓死寸前の状態にまで追いやられたんだぞ!」
「!」
スピネはこの時になってようやく自分たちが何をしたのかを思い知った。
食堂だけを潰すつもりが、食堂に住む者たちの命まで奪おうとしていた事に。
急激に罪の意識に囚われたスピネは放心状態となり、途端にその場に立ち尽くしてしまった。まるで黄昏の石像の如く、その場から動こうとしないまま目から涙が出てくる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
スピネが何度も同じ言葉を呟き始めた。アンは頭がおかしくなったのかと思いながら、元からおかしいのだと思い直した。
もう時既に遅しと考えている。さすがに家族を餓死に追いやろうとした者たちに同情する気は微塵もなかった。
「お前たちは食堂を潰そうとしたんじゃない。私の大切な家族を殺そうとしたんだ。その時お前たちは、私たちが命懸けで地面を這いつくばっていた事も知らないまま、私たちを絶望の淵に追いやった。お前たちの事情など、今さら知った事ではない。とっとと帰れ。あの7年間で私たちがどれほどの苦労を強いられてきたか、それをお前たちにも味わってもらいたい」
「そ……そんな……」
スピネは大きく口を開けながら肩を落とし、涙がほっぺを伝って顎にまで達している。アンは貰い泣きをしながらも憐みの心を必死に押さえつけながら怒りの表情を貫いている事からも、アンがどれほどアルカディアの面々を強く憎んでいるのかが分かる。
許されるのなら、自らの手で消去してしまいたい。
アンはルビアンがこの場にいれば彼女に同情し、治療を行う可能性があると考えていた。
それだけは何が何でも阻止したい。そうなれば魔力の爪による呪いを背負いながらエンマリュウと戦わせる計画が全て台無しになるからだ。アンはディアマンテがアルカディアの処遇を決めかねているところに現れ、この計画を提案した。
彼女からすればアルカディアの処分とエンマリュウ探索の両方を同時に叶えられるからだ。
無論、ディアマンテもアンの狙いは分かっていた。
この事を彼女らには伝えずにいるのはせめてもの情けである。知らぬが仏だ。全てを伝えるばかりが復讐ではない。極限まで追い詰められた仕返しを彼女は実行したいのだ。
モンスターに倒されたのであれば戦死の扱いとなる。誰のせいでもない、身の程を弁えない討伐隊が無茶をした挙句に全滅したようにしか見えない。
「スピネ、悪い事は言わない。今すぐ帰れ。これ以上お前たちの顔を見るのはうんざりだ。二度と私たちの前に姿を現すな」
「……分かったわ」
スピネの心がポキッと折れる音がアンには聞こえた。彼女は安心したのか、聖槍を異空間へとしまい、買ってきた食材の入った袋を持ち上げ、食堂へと戻っていった。
食堂の扉が閉じられた途端、スピネにはモルガンを治すチャンスがなくなったように思えた。ルビアンを説得するどころか会う事すらままならないこの無力さにスピネは心底悔いた。
まるで巨塔のように立ちはだかるアンの姿はこれまでの困難の象徴のように思えた。
失意の中、スピネはいつもより遅い歩みでアジトへ戻っていくのであった。
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