第159話「行き場のない憤り」
ある日の事、ルビアンは久々に料理番を勤めている。
すっかり慣れたメイド服を着ているが、サーファたちもさすがに見飽きたのか、特に笑う事もなくいつもと同じように接している。
理由は加里が休暇を取ったからだ。彼女はアクアンと遊びに行っている。
アクアンは小心者で優柔不断なところはあるが、それは優しい人間である事の裏返しだ。そんな彼を加里が引っ張る形で仲が成り立っている。加里がいる時は翡翠が入れ替わる形でサーファとどこかへと遊びに行く事がある。
店は繁盛続きだが、ルビアンは1つ気がかりな事がある。エンマリュウの件だ。
エンマリュウは今でもジルコニアの各地を回り、街や村を見つけてはそこを焼き尽くしている。ジルコニアからは救援要請が来たが、ディアマンテはこれを無視している。
理由は他でもない。アルカディアでも勝てないとなればもうお手上げだ。
アモルファスも自分たちの植民地へとエンマリュウが入ってこない事を祈りながら国境沿いに軍を配備するのが精一杯だ。エンマリュウが回った場所には誰1人としておらず、炎で黒ずみ荒廃しきった木々や建物ばかりが残っている。
その所々にはエンマリュウの爪跡もあり、それが発見者の恐怖を煽っているかのようだ。
この様子からもエンマリュウが相当怒り狂っている事が分かる。
「チャーハンセットをくれないか?」
ルビアンにそう言ったのはまるで何事もなかったかのようにやってきたモルガンだった。顔から体にかけての傷に包帯が巻かれ、それが彼女の威圧感をより一層強めている。
ルビアンたちにとっては気まずい状況だ。
かつて悪い噂を流して自分たちを貶めようとしたものが目の前にいるのだから。
「またお前かよ」
「今日は客として来た。積もる話もあるだろう」
「俺にはお前と話す事なんて何もねえぞ」
「エンマリュウの特徴、気にならないか?」
「!」
モルガンがルビアンの最も欲しい情報を一発で当てた。それはルビアンの反応を見れば分かる。
思い詰めた顔に調理の止まった手、何も言わずとも興味を示しているのが一目瞭然だ。
「――だったら何だよ?」
「エンマリュウの技は一通り見た。私の仲間たちが……目の前で殺されたんだ。どんな手を使ってでも、あの忌々しいエンマリュウだけは必ず抹殺する」
モルガンが怖い顔で仇討ちを宣言する。
もはや彼女の興味は食堂からエンマリュウへと向いていた。エメラはそんな彼女を憐みの顔で遠くから見つめている。彼女はローズの陰謀に巻き込まれ、パーティが半壊した事を秘かに悔やんでいる。
もし討伐に成功していれば、陰謀の件を差し引いたとしても余りある功績であり、誰もローズを裁けなくなっているところであった。罪人の功労が発覚すれば減刑か無罪になる場合もあり、最上級ドラゴンの討伐はローズを危うく無罪にするところだったのだ。
それを考えていたエメラは内心複雑な思いだ。
皮肉にも討伐が失敗に終わった事で裏切り者を無事に処分できた。
エンマリュウの脅威が続く事は彼女にとってトレードオフであった。
「モルガン、あなたのパーティに断れないクエストを与えたのはローズです。それによって多大な損害が出る事はわたくしも分かっておりました。ですが――わたくしは王国の裏切り者に感づかれないよう立ち回る事を優先してしまい、あなたの仲間に地獄への片道切符を与えてしまいました」
「事情は全てお聞きしました。この王国は誰かの犠牲の上に成り立っているのですね。私たちは王国の捨て駒にされたのです。いや、今までの報いかもしれません」
「……」
エメラは返す言葉がなかった。モルガンはわざと言葉を選ばなかった。
事実上仲間を死に追いやった張本人であるローズは既に死刑が確定し、遠征を後押しする格好となったエスメラルド家の者も没落して平民となっているがエメラは流刑を免れ、愛するルビアンの元で共に暮らしている事を知ると、彼女への嫉妬が露わとなった。
モルガンはこの行き場のない憤りをエメラにぶつけた。それが無意味である事を知りながら。
エメラ自身も事実上アルカディアを見捨てる格好となった事で恨まれても仕方ないと思っている。それが彼女の良心を絞めつけるように苦しめた。
「申し訳ありませんでした」
しばらくの均衡を破るように、さっきまで押し黙っていたエメラが動いた。
「良いんです。あなたの平民降格はその件の罰だと思っているので」
「おいっ! 少しはエメラの気持ちも考えろよっ! 彼女がどんな思いで決断してきたか、ずっとエメラと交流のあったお前なら分かるだろっ!」
「……分からない」
感情的にエメラを庇おうとするルビアンとは対照的にモルガンは力なく呟いた。モルガンにとっては王国よりも仲間の方がずっと大事だ。むしろ王国のために仲間が犠牲になる事などあほらしいとさえ思っている。
「王国のために仲間を切り捨てる者の気持ちなんて……分からない。私はみんなと共に幸せな毎日を過ごしたかっただけなのにっ……」
モルガンがレンゲを持つ手を強く握りしめながら、まだ2割も食べていないチャーハンを見つめている。すると、彼女はチャーハンセットを一気食いし始め、あっという間に平らげてしまった。
ここにきてようやくモルガンは討伐隊の厳しさを知った気がした。
かつてはパーティを維持するためにルビアンを追放した自分自身を責めるようにエメラを責めていた彼女は完璧なまでの自己嫌悪に陥っている。
モルガンはその傷を抱えながらルビアンを見つめた。
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