第133話「悪い噂の出処」
アンは彼女らの狙いに感づいていた。
その証拠に食堂にまつわる悪い噂が流れる前兆として必ずオニキやスピネの姿を見かけ、彼らが楽しそうに王都民たちと話している光景をアンはしっかりと見ていた。
まさかとは思うが、あいつらじゃないだろうな。
彼女は自らの直感を疑った。よもやアルカディアが食堂を潰そうとしているとは思えないが、モルガン個人に限って言えば動機がある。それはルビアンを再び無所属にし、自分たちの陣営に誘い込むきっかけとして食堂の倒産を狙っていると思えば説明がつく。
「アン、浮かない顔だけど、何かあったの?」
ガーネが心配そうな顔で帰宅したばかりのアンに尋ねた。
「いや、私の思い過ごしだ。心配かけて済まない」
「そう。何か思う事があったら1人で抱え込まないようにね。私たちは家族なんだから、遠慮しなくて良いのよ」
「そうか、ならお前にも話そう」
「?」
ガーネは首を傾げた。そして2人はカウンター席に横向きに座り、机に近い方の肘を置いた。ガーネはアンの話を聞き続け、その様子をカーネリアが聞きながら作業をしている。
ラストオーダーの時間が過ぎ、客は既にいない状態だ。
ルビアン、加里の2人は子供たちの面倒を見ており、カーネリア、翡翠の2人はキッチンの掃除をしているところだった。少し遠くから子供の泣く声が小さく響いている。
「あまりこんな事を言いたくはないが、度々食堂の悪い噂が飛び交う事があるだろ」
「ええ、確かに以前からある話だけど、それがどうかしたの?」
「実はな、アルカディアが遠征に行っている時だけは、誰も食堂の噂話をしないんだ」
「ええっ! そっ……それじゃあ……まさか」
「ああ――そのまさかだ。私たちがいつも噂の渦中にある時、仕入れ先まで行く途中でオニキやスピネを度々見かけるんだ。何の話をしているかまでは分からなかったが、時々笑った顔を見せるあたり、何らかの噂話をしているのは間違いない」
そしてあの泥棒猫という言葉、やはりモルガンは私たちを目の敵にしている。
もしこのまま噂を流し続けるようなら、今の内にやめさせる必要がある。
「なるほど、あいつらの考えそうな事だ」
話を聞いていた翡翠が淡々と感想を述べた。
察する文化であるジルコニアの元軍師なだけあって敵の動きには相変わらず敏感だ。彼女もモルガンのおおよその狙いは察していた。
「アン、確かめる方法はないのか?」
カーネリアがアンに尋ねた。彼女もどうにかして証拠を掴み、食堂の悪い噂を広める行為を辞めさせたくて仕方ない。彼女たちは冷静を装いながらも、心底では行き場のない悔しさを感じている。
この事がルビアンにばれればモルガンとの決裂は決定的になる。
彼女たちにはモルガンに対する憐みもあるため、あえてルビアンには内緒にしようとしているが、いずればれるのは時間の問題である。
「これは策を講じるしかないようね」
「一体何をするつもりだ?」
「私に考えがある。サーファに会ってくるわ」
翡翠には1つの策があった。それは食堂の外の人間を使い噂の発信者を探る方法だ。
彼女自らサーファの家へと向かった。翡翠も自らを助けてくれたルビアンに少しでも恩を返したい。その想いが彼女を突き動かしたのだ。普段の彼女はなかなか自分からは動こうとはしない。だが今回ばかりは違った。
「というわけなの。協力してくれないかしら?」
「なるほどねぇ~、アルカディアの連中がそんな事をするとは思えねえけど、いつも翡翠ちゃんの美味い料理を食わせてもらってるし、良いぜ、協力してやるよ」
「……ありがとう」
普段は滅多に無表情以外の顔を見せない翡翠が笑みを浮かべ頭を下げた。
「別に頭を下げるような事じゃねえよ。で? 俺は何をすれば良いんだ?」
「変身よ」
「変身って、一体誰に化けるつもりだよ?」
「私の知り合いに変身の魔法を使える人がいるの。食堂の悪い噂が始まったら、あなたは別の人になってアルカディアの人たちの会話にさり気なく混ざってほしいの。そして彼女たちが何を言っているかを私に伝えてほしい」
「ああ、分かったよ」
私にだってできる事はある。ルビアンは死刑にされてもおかしくなかった私たちを助けてくれた。
今度は私がルビアンを助ける番、そのためなら何だってする。
「なあ、別に条件ってわけじゃねえけど、良かったら今度デートしねえか?」
サーファが意を決して翡翠を誘った。彼は以前から翡翠に思いを寄せていた。
普段は無表情で淡々としていながらも組織に対して献身的なところや、その純粋な性格はサーファも見抜いていた。翡翠はあまり人と話さないが、気さくな性格のサーファとは安心して話せた。
「別に良いけど、シフトの都合が会わない日が多いかもしれないわよ」
「そんときゃ俺が食堂に出向くからさ、会話に参加してくれるだけでも良い」
「――分かったわ」
翡翠がまた少し笑みを浮かべた。ふと見せるこの笑顔はサーファにとって最高の報酬だった。他でもない翡翠からの頼みとあらば受けないわけにはいかないとサーファは覚悟を決める。
「アルカディアの動向を見てからあなたを呼ぶわ」
「ああ、いつでも良いぜ。何なら今からでも変身の魔法をかけてくれても良いぜ」
「それはまだ早いわ。じゃあ、私はこれで」
翡翠が再び淡々とした口調に戻るが、サーファは鼻の下を伸ばしたままだ。
周囲からは冷たい人に見られがちだが、彼女が普段から無表情なのは単に不器用なだけである。その場にあった表情になるのが苦手なのだ。故に対人関係はずっと人任せにしてきた。
だがそんな翡翠にもようやく春がきたようだ。
彼女は家に戻るまでの間、ずっと笑みが止まらないままであった。
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