第130話「帰るべき場所」
食堂が窮地に追いやられていく中、1人の男が立ち上がった。
綺羅は席から立ち上がり、真剣な眼差しでルビアンに近づいた。
「ルビアン、うちのジルコニア米使ってよ」
「いやいや、そんなの悪いって」
「確か鮮度の魔法で食材を新鮮な状態に戻せるんだろ。ジルコニア街で採れた作物の余りで良かったらだけど、鮮度が悪くて、いつもそのまま捨てられちゃうものもあるからさ。捨てるくらいだったら、ルビアンにあげるよ」
「綺羅……」
ガーネが感心しながら綺羅の名を呼ぶ。
綺羅には1つの想いがあった。それは移民である自分たちに人権をもたらし、無事でいられるのはルビアンのおかげであるという恩義だ。
だからこそ、ルビアンが困っているとどうしても放っておけない。
それは他のジルコニア街に住む仲間たちも同じであった。
「これくらいしか――してやれる事ないだろ」
「ルビアン、お前と移民たちの関係はカーネリアから聞いている。ここは素直に厚意として受け取ったらどうだ?」
「――分かった……済まんな」
「良いんだよ。みんなルビアンに貢献したがってたんだし。じゃあみんなにも伝えてくるよ」
綺羅はそう言うと勢いよく食堂から飛び出してしまった。
カウンター席にはぴったりの代金が置かれている。
「アン、久しぶりだね」
綺羅と入れ替わるようにスフェンが入ってくる。
「スフェンか、どうしたんだ?」
「いやー、アンが随分お困りだと聞いてね。うちに誘おうと思ったんだ」
「誘おうと思ったとはどういう事だ?」
「簡単な話さ、アンをうちの討伐隊に誘いたいって話だよ」
「何故またそんな話を?」
アンは疑った。なぜ自分だけに救いの手を差し伸べにきたのかを。
「君のお父さんに命じられたんだよ。君を連れ戻すようにとね」
「父が……私を」
その昔、自らを勘当した父の元へと帰る許可がついに下りた。
元はと言えば自らの実力を証明し、再びベルンシュタイン家へと戻るのがアンの目標であった。その事は父親からも見抜かれている。
アンの心はまるで天秤の如く揺れている。
「このままだとアンも飢えてしまうのではないかって君のお父さんも心配していたよ。仮にも貴族の娘が飢え死になんて洒落にもならないからね。もちろん、食堂も当分の間は支援するってさ」
「それは本当か?」
「ああ。うちの討伐隊はベルンシュタイン家がパトロンになる事が決まっている。そこで大きな活躍をすれば、ベルンシュタイン家の次期当主になる事も夢じゃないかもよ」
お父さん、私のためにそこまで――やはり、ずっと見守ってくれていたか。
アンは父親の配慮を嬉しく思うもどこか残念そうな顔だ。
「良かったじゃねえか。ベルンシュタイン家の当主になって、より良い世の中を作るのがかつての夢だったって」
「ルビアンは私に出て行ってほしいのか?」
アンは少し怒るように尋ねた。
「別にそういうわけじゃねえけど、決めるのはアンだ。自分の好きな道を選べ」
「……」
「返答には時間がかかりそうだね。明日の昼、私はベルンシュタイン家で開催される討伐隊結成パーティに参加するために、一度サマリアン島まで戻らないといけないんだ。待てるのはその時までだ。明日の正午までリージェントで待ってる。良い返事を期待してるよ」
「……」
用を済ませたスフェンがそそくさに食堂から去っていく。
食堂は果てしない虚無感でいっぱいだった。財政に困り果て、挙句にアンがベルンシュタイン家へと帰ってしまうかもしれないのだから。
アンはかつての夢を捨てきれないでいた。家を継ぎ世を変えていく事も重要だが、食堂1つ救えない者がこのまま戻ったとして、世を変える事などできようか。
「アン、本当に行っちゃうの?」
「……まだ決めてない」
「ええなー、アンには帰る家があって」
「加里、それは言わない約束でしょ。私たちも別に反対はしないわ。それはあなたの課題だから、最終的にあなたが決める事よ」
翡翠が淡々と答え、アンはここにいる誰もが賛成も反対もしない事を確認する。
「少し考えさせてくれ」
アンは自らの部屋へと戻っていき荷物をまとめ始める。
その光景を見ていたカーネリアは既に別れの覚悟ができていた。
ルビアン、ガーネ、加里、翡翠の4人も口先ではアンが決めるべき事だと言いつつも心底では行くなと叫んでいた。だがそんな事を言ってしまってはアンが出世するチャンスを潰す事になりかねない。相手の幸せを願うからこそ、誰もアンを止めようとはしなかった。
アンは誰とも話さず、この日はいつもより早く眠りについたのだった。
翌日――。
スフェンは王都の港、リージェントでアンを待っていた。
そこに1人の人影が現れる。それは紛れもなくアンの姿だった。
「アン、来てくれたんだね」
「ああ、1つだけ伝えておきたい事があってな」
「えっ……」
王都の食堂ではいつものように開店の仕込みが行われている。
だがルビアンたちに笑顔はなかった。アンはもう部屋からいなくなっていたのだから。
そんな時、食堂の扉が開いた。
「いらっしゃいませ……アン! 何故お前がここにいる!?」
「断りの返事をしに行っただけだ。ルビアン、まだジルコニア街から米を貰っていなかっただろ。私も手伝おう」
時間が正午を過ぎると、サマリアン島縁都にあるベルンシュタイン城と呼ばれる立派な城で討伐隊結成パーティが開かれている。
城内には大勢の貴族たちが集まり、そこにいる誰もがアンの帰りを楽しみに待っていた。
コリンティアの元メンバー、かつてアルカディアにいた者、サマリアン出身の冒険者たちを中心としたパーティだった。
「……そうか……アンに断られたか」
「申し訳ございません。説得はしたのですが」
「まあいい、あいつは一度こうだと決めたら真っ直ぐ突き進むところがある。私たちはとっくの昔にアンを取り戻すチャンスを失っていたのだ。父もさぞ嘆く事だろう」
ブロイドがアンの帰りを楽しみにしつつも展開が分かっていたかのような反応だ。
だが同時に彼女がいつものアンでいる事に安心している。
「食堂1つ救えない今の自分には到底家に戻る資格などない。昼から食堂の仕事があると言って帰っていきました」
「ふふっ、ふはははは! いかにもあいつらしい」
ブロイドがスフェンからの報告に落胆するどころか聞こえても構わんと言わんばかりの笑い声だ。ルビアンたちはアンの心をしっかりと掴んでいた。
アンにはサマリアンに戻る気などなかった。
彼女は既に自分の帰るべき場所を見つけたのだから。
第6章終了です。
次はパーティ追放から7年目の話となりますのでお楽しみに。
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