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3 ずっとそばにいてあげる②

 天使のほほ笑みと、吐息まじりのかすれるような甘い声で、類はさくらを陥落しようとしてくる。

 さくらには上手に躱すすべもない。

 緊張で、心臓が飛び出そうだ。


「もう、じゅうぶん、怖い……絶叫系のアトラクションより、怖いよ」


 相手は、弟。

 こんな気持ちをいだいてはいけないのに。次第に甘美の中につつまれてゆく自分が怖い。


「だいじょうぶ。前後左右のゴンドラの中、どこもこんな展開だから。あー、ほら見て見て、下。濃密に絡み合っているよ。すごいなー」


「よそは、よそ。うちは、うちです」


「照れちゃって、かわいい」


 類はさくらの髪にキスをした。

 観覧車は、だいぶ地上に降下していた。この高さでいちゃいちゃしようものならば、外から丸見えである。

 抱き締められていた時間は長かったようで、意外と短かったようだ。


 なにごともなかったかのように、類はさくらの呪縛を解き、観覧車を下りた。

 そして、アイドルスマイルで振り向く。


「戻ろっか」


 閉園時刻まで、あと三十分。


 少し冷えてきたし、切り上げるにはほどよい頃合いなのかもしれない。


 さくらが頷きかけたとき、頭上に花火が上がった。

 花火と夜景に、思わず見とれた。


「きれいだね」


「うん」


 こんなにきれいな景色を、みんなが憧れる類と一緒に見られるなんて。


 思わず、さくらは類の腕に抱きついていた。


「連れてきてくれて、ありがとう。私、楽しかった。類くんと一緒で、助けられた。類くんが弟になってくれて、うれしい」


 さくらが抱きついたとき、類は意外そうに目を瞠ったけれど、すでにいつもの自信に満ちた顔に戻っている。

 花火の輝きを受け、類の頬も光っている。


「だったら、まだ帰らないけど……いいね?」


 類は再びさくらの髪に唇を落とすと見せかけ、次には、そっとさくらの唇の上に重ねた。


 ごく自然に、なんのためらいもなかった。


 類のきれいな顔が、さくらの視界を塞いでいる。


 流れるようなしぐさだったので、さくらは避けられなかった。


 キス、されている。

 類に。

 ……弟に。



「ごちそうさま。今夜のお代、いただきました。あれ、固まっちゃって。まさか、初めてだったとか」


「悔しいけど、そのまさかですよ。よりによって、お……弟に、唇を奪われるなんて。唇を!」


「血はつながってないんだし、いいじゃん」


「そういう問題じゃない。乙女の感情の問題だよ、これは」


「ああ、一瞬過ぎて味わえなかったって? なら、もう一度」


「そう何度も、同じ目には遭わない……っ」 


 類の腕の力は強くて。

 さくらはもがいたけれど、逃げられない。

 動こうとすればするほど、類に激しくおさえつけられてしまった。


「どんなキスがお好み? 唇をついばむようなやつ? それとも、立っていられなくなるほど濡れちゃう、官能的なやつ? 舌、入れてみようか」


「どれも、お断りです」


「さっきは、さくらから抱きついてきたのにね。そういう雰囲気づくりをしろということか。贅沢だね。まあ、いいや。キスが初めてだったということは、もちろんそれ以上の経験もない、と。楽しみだなあ、ぼく好みに染めてゆくの」


「なにか、勘違いしていないかな。私は類くんの姉だよ」


「それが、なにか。恋愛に、義理の姉弟はないって。ま、今日のところは、ぱーっともうひと騒ぎ! 移動移動」


「移動? そろそろ九時だよ。帰るんじゃなかったの」


「一文なしは、ぼくに従いなさい。歩いて帰れるなら、構わないけどさ」


 ぐぬぬ。痛いところを突いてくる。


「観たかった映画のレイトショーがあるんだ。そのあとは、朝までカラオケだね!」


「か、帰らないつもり?」


「なんだよ、どうしてそんなこと言うのさ。さくらが帰りたくなさそうだから、いろいろ提案してやってんのに。そんな態度取ったら、今ここで乱暴するよ。あんな軽いキスひとつで、済むと思ってんの?」


 おとなびていると思っていたら、今度は脅しである。

 表情がくるくると変わるので、観察するのはおもしろいけれど、こうも振り回されては神経がすり減ってしまう。


 すっかり類のペースだった。


 携帯すら持っていないので、自宅に連絡のしようがない。

 確信犯的に、類も家に置いてきたらしい。


 さくらはともかく、類には仕事の連絡などが入るのではないだろうか。

 多忙な類を独占していることが、だんだんと不安になってくる。


「明日も仕事でしょ、類くん。公衆電話からも、家族に連絡を」


 さくらはそれとなく、帰宅を促してみる。

 平日なのだ、さくらだって明日も学校。

 次の日のことを考えれば、帰ったほうが賢明である。


 事実、遊園地の人波は花火を合図に、次第に出口へと向かっている。


 立ち止まって見つめ合っているのは、さくらと類ぐらいなものだった。


「明日の話なんて、しないでよ。野暮だね、だからモテないんだ」


「別に、モテなくってもいいんだもん。体調は気にしないの? 睡眠不足の顔で、モデルしていいの?」


「若さとメイクでカバーできるもんね。じゃ、行こうか映画映画」


「帰りたい」


「嘘。帰りたくないはずだよ、あの家には。昼間、決定的ななにかがあったんだよね」


「たくさん遊んでもう、じゅうぶん頭を冷やせたから。だいじょうぶ」


 そうだ。明日の朝には、玲と普通に話をできると思う。

 玲に頼りすぎてはいけないという、警告だったのだ。


 今なら、誰にも深入りせずにひとりで頑張れる。

 ずっと、ひとりでなんとかやってきたのだ。


「顔がひきつっているよ。そんな表情、さくらにはさせたくなんだ、ぼく」


 類はさくらの頬をやさしくなでる。

 年下の男の子なのに、指が長くて爪がとてもきれい。

 少し冷たいけれど、上気しているさくらの頬には心地よさを運んでくれる。


 でも、だからって、流されるわけにはいかない。

 女の子にやさしするなんて、類にとってはたぶん、ふつうのこと。


 ここが、踏ん張りどころだ。毅然として、姉らしく。


『あ。あれ……北澤ルイじゃない?』


『ほんとだ。似てる』


『てか、本人でしょ。やだ、彼女連れ?』


『デートだ!』


 類が、見つかった。


 はじめはひとつのグループの女の子が騒ぎはじめただけだったけれど、悲鳴のような大声につられて周囲がいっせいに、ふたりをざわざわと注視した。


『ルイくん!』


『きゃーっ』


『こっち向いてっ』


 さくらは思わず、類の陰に隠れた。


 どうしよう。


 でも、類を、弟を守らなければ。

 けれど、あの好奇の目を逸らすなんて、できるのだろうか。

 無遠慮な視線が痛い。

 だが、類はそんな周りの反応にも慣れっこらしく、手を振って答えた。堂々たる態度である。


「今、プライベートの時間だから、そっとしておいてくれるかな」


 眼鏡の下からの、とっておきの笑顔。

 けれど、さくらは知っている。

 このほほ笑みは、うわべのほほ笑み。適当に、あしらうための仮面。


 それでも、女の子たちはきゃあきゃあ言いながら、類から離れない。

 さすがに触ってきたりする子はいないけれど、壁になっていた。


「ちっ、これ以上は厄介だな。さくら、走るぞ」


 うわあ、天下のアイドルモデルが、舌打ちした……!


 類はさくらの手を引っ張り、遊園地の出口まで疾走した。

 また、新しい黄色い声が上がる。

 類は振り向きもしない。早い。

 さくらをかばいながら走っても、類の脚は止まらない。


 出口そばに停まっているタクシーに滑り込んだ。

 さくらは、すっかり息が上がっている。はあはあと、荒い呼吸が漏れる。

 類はかかえるようにさくらを抱き留め、こう告げた。


「新宿行って」


 車は静かに走り出す。自宅とは、逆方向に。


「るいくん、かえら、ない、の」


 急に走ったため、さくらは頭がくらくらした。

 それでも、聞いておきたい。帰らないのか、と。


「映画行くの。観に行けそうなのは、今夜しかないし。騒動に巻き込んじゃって、ごめんね。酸素、分けてあげよっか。ディープな人工呼吸で」


 さくらは、勢いよくぶんぶんと首を横に振った。冗談じゃない。


「残念だなあ。遠慮しちゃってさ。ま、少し休むといいよ。着くまで、だっこしていてあげる」


「だっこ、しなくても……平気」


「だめ。ぼくがさくらをだっこしたいから」


 なんてわがままなのだろう。

 さくらが、持て余してしまうほどの奔放さ。


 類を睨んでみたけれど、類の天使のほほ笑みは無敵だった。

 さくらの固い心さえも、溶かしてしまう。

 一瞬とはいえ、敵意をいだいてしまった自分が小さくて、恥ずかしい。


「いいよ。ぼくに身体、ぜんぶ預けて」


 繰り返し髪をなでられて、気持ちがよい。あたたかい。

 類のいい香りにすっぽりと包まれてしまい、なんだか、眠くなる。


「帰るんだよ、類くん。家に帰らなきゃ。みんな、待っているよ、たぶん」


 自分に言い聞かせるようにしてつぶやいたが最後、さくらは寝ていた。


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