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2 弟君、登場!①

 夕方。


 さくらは、買い物袋を複数かかえて帰宅した。

 駅前のスーパーがポイント五倍デーだったため、ついつい買い過ぎた。

 これだから、主婦は。


「うう、重い」


 マンションの二重オートロックをどうにか開け、自宅のドア前にたどり着く。


 だが、鍵は開いていた。


 意外にうっかりな性格の、聡子がかけ忘れたのだろうか。


 室内に進むものの、不審者でもいそうで、どうにも気持ち悪い。


 息をひそめたさくらは、買い物袋をキッチンにそっと置くと、部屋という部屋を慎重に調べはじめた。

 洗面所。バス。トイレ。キッチン。ベランダ。誰もいない。

 各個人の部屋は、施錠されていた。


 しかし。


「……あれ?」


 自分の部屋のドアに、鍵がかかっていない。すんなり戸が開いてしまった。

 確かに朝、鍵をかけて登校したのに。

 さくらの心臓は、ぎくりと高鳴った。


 なにか、してしまったのか、と。


 ドアをそっと開けてみる。


 自分の部屋に入るだけなのに、これほどどきどきするのは初めてだった。


 カーテンが閉まっていて、薄暗い。

 室内には、誰もいないはずだ。


 玲は例のごとく、授業が終わったらさっさとどこかへ消えてしまった。

 頼れとか豪語するわりには、いざというとき使えない。


 さくらがドア付近で入室をためらっていると、いきなりベッドがぎりっときしんだ。


「だ、誰」


 驚いたことに、さくらの布団の中に誰かが寝ていた。

 規則的に上掛け布団が上下して動いている。

 まるで、生きもののように。


 さくらはキッチンに取って返し、片手にフライパンを構えて部屋に戻る。

 もう片方の手には、通報用の携帯電話を持つ。

 もう一度、退路を確認し、えいっと、気合いで布団を剥いだ。


「へ……」


 そこに眠っていたのは、長身の美少年。


 さくらのベッドからは、脚がはみ出している。

 しかも、連日テレビのコマーシャルや雑誌でよく見かける顔。


 カリスマモデルの、北澤きたざわルイだった。


 今、北澤ルイが表紙を飾る雑誌は売上が通常の倍になるとも言われている。

 若い男子にとってはファッションの憧れモデル、女子に至ってはアイドルである。


 北澤ルイは熟睡していて、布団をめくられたぐらいではびくともしなかった。

 一方で、さくらの動揺は高まるばかり。


「ななな、なんでここに、北澤ルイが」


 近くで見れば見るほど、身体は折れそうに細く、小顔で愛らしい。

 軽く毛流れをつくってある栗毛色の髪はとてもやわらかそうで、肌の色も白くて、すべすべそう。

 ……自分は負けている、さくらは思った。


 フライパンをかかえてさくらは考えたけれど、すぐに答えが出なかった。


 家のドアとさくらの部屋を開けたのは、北澤ルイだろう。

 だが、日本一のアイドルモデルが、なぜ柴崎家に?


「あっ」


 北澤ルイ……ルイ……るい、類。


 つまり、類。


 本名は、柴崎類。


 ああ、北澤ルイは、類の芸名なのだ。


 となると、ここに眠っている美男子が自分の新しい弟、ということになる。


 突然の弟が、北澤ルイだったなんて。


 これは、軽々しく紹介できないだろう。

 今どきの女の子なら、知った途端に喋ってしまったかもしれない。

 つまり、さくらはまるで信用されていなかったことになる。


 本物を見てしまえば、ことの重要さに気がつく。

 ルイのことを他人に自慢して、結局困るのは自分なのだから。


 それにしても、なぜここに。


「ルイくん……類くん、だよね?」


 皆のアイドルに触れていいものか悩んだが、熟睡しているので声をかけただけは起きそうになかった。

 フライパンと携帯電話を机の上に置き、布団からはみ出している類の肩をそっと揺らす。うわあ、北澤ルイにさわっちゃったよ、自分!


 二度、三度。けれど、反応はない。困った。

 もっと近づいてみようか、と身を乗り出したところに。


「うっさいなあ、もう!」


 さくらはびくりと反応し、後退しかけた。

 なにせ、天下のアイドルモデルさまが、『うるさい』などいう暴言を口にしたのだ。


 けれど、類の腕がさくらの身体を捕まえるほうが早かった。布団の中からしゅるっと伸びてきた両腕が、さくらをベッドに押しつけた。


「姉らしく、黙って寝かせといてよ」


 間近で見た類の顔は、整っていてとてもきれいだった。肌はつやつやで、髪もさらっさら。指先の爪もうつくしく、まさに偶像アイドルそのものを体現している。


「よくない。ここ、私の部屋。眠いなら、自分の部屋に行ってくれる? あなた、弟の類くんだよね」


 類の身体からは、とてもよい香りがする。

 香水なのだろうか。制汗スプレーや、せいぜい軽いコロンぐらいしか知らないさくらにとって、十七歳が使うものにしてはやけに甘くて、やさしい。


 思わずうっとりしてしまうが、さくらが姉らしく勇気を出して抵抗すると、類は大きな目をさらに大きくさせて驚きの表情を浮かべたあと、激しく睨んできた。


「せっかく、北澤ルイに添い寝できる権利をやろうと思ったのに、自分の部屋に帰れだと? 望んでも手に入らない、極上の待遇なのに」


「言っている意味が、よく理解できません。添い寝なんて、したくない」


「ぼくの部屋はね、荷ほどきできてないの。段ボールタワーで、くつろげないの。見れば分かるよね。布団も、なにもかも、どこにあるか見当もつかない。久々で家に帰ってきたんだ、ふかふかのベッドで寝たいでしょ。それとも、床に寝ろと?」


「で、でも、確か私は部屋に鍵を」


 目が全然笑っていないのに、類はほほ笑みを作った。


「あんなおもちゃみたいな鍵、ピックすればすぐに開くさ。とにかく、ぼくはここが気に入った。さくらねえさんの、においも好みだったし。さ、もうひと眠りするから、出て行って。それとも、挨拶代わりに、いろいろ楽しませてあげようか?」


「遠慮します! 類くんあなた、芸能人なのに、そんな発言してもいいの? 公共のイメージとずいぶん違うよ」


 さくらが全力で類の腕から抜けようと、踏ん張る姿を類は余裕で見下していた。


「ほら。どうしたの。もっとがんばって。イメージなんて、くそくらえ。幻想だ。ぼくに説教するなんて、いい根性しているね。ぼくがちょっとほほ笑むだけで、ほかの女はみんな、喜んでついてくるのに」


「ううう、抜けない……」


 無断で鍵を開け、人の部屋に入り、押し倒そうとするなんて。

 さくらは怒りを感じた。

 絶対に、類の言いなりにはならない。


「非力だなあ。そんなんじゃ、がっかりだよ。さくらねえさん」


 揉み合っているうちに、布団の中でさくらと類の脚が絡みはじめた。

 類は、長めのシャツの下になにも着ていないらしく、制服から伸びているさくらの脚と、なまめかしく絡め合う。

 避けようにも、避けきれない。


「ああ、いいね。さくらねえさんの生脚」


 やさしくて甘い声でそう言いながら、類はわざと自分の膝をぐいぐい動かしてさくらに挑んでくる。

 どうやら、さくらが必死に閉じている両脚の間を開きたいらしい。


「へ、変態!」


「なにが変態なのさ。男子として、正しい反応なのに。抵抗されるなんて、初めてだよ。そうか、姉さんは『まだ』なんだ。なるほど。どうりで、机の上に恋愛ゲームばっかり積んでいるわけだ。じゃあこのまま、味見しちゃおっかな。おい、いい加減股開けよ。モテない女のくせに」


 年下が、姉に向かってなんという発言を。

 さくらは類をぶん投げてしまいたくなる衝動に駆られた。


 しかし、身体がまったくいうことをきかない。

 類の手がさくらの制服に伸びてゆく。胸もとのリボンが外されてしまい、ブラウスのボタンにも手がかかる。


 リビングで、どすんとなにかが落ちるような大きな音がした。

 半開きだったドアがさらに大きく開かれ、誰かがさくらの部屋に入ってきた。


「なにやってんだ、類!」


 乱入してきた人物に、強引に引き?がされ、さくらはベッドから落ちた。

 自分のベッドから叩き落とされるとは。


 腰をさすりながら、さくらは立ち上がる。


「相手は、仮にも姉だ。姉相手に、獣化するばかがどこにいる」


「別に、血のつながった姉じゃないし。さくらねえさんが未経験だっていうからさ、ぼくがやさしく手ほどきをしてあげようかなって」


「やましい手ほどきなんて、要らん。さくら、だいじょうぶか。こいつに変なこと、されなかったか」


 血相を変えた玲が、さくらの腕をぎゅっと強くつかむ。

 いつになく真剣な玲の眼差しに、思わずさくらはどきどきした。

 あわてて、ブラウスの胸もとを合わせておさえる。


「だいじょうぶ。ちょっと、揉み合っただけ」


「揉まれただと! ど、どこを」


「や、そういい意味じゃなくて、その、押したり引っ張られたり……とにかく、無事」


「あっはっは。さくらねえさん、顔真っ赤。かわいい」


「類は黙っていろ。この、マセガキが」


 さくらは玲に部屋から追い出され、類から離れた場所に避難させられた。


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