序章 はじまりのはじまり
「柴崎くん?」
顔合わせの席にいたのは、さくらがよく知った顔。
通っている高校の、クラスメイトの男子だった。
柴崎玲が、なぜここに座っているのか、すぐに理解できない。
腕を組んで不機嫌そうに俯いており、呼びかけたさくらとは視線を合わせようとしない。
あくまで無視を続けるつもりらしい。
なんで?
さくらは遠慮なく玲を凝視した。
つやのあるストレートな黒髪に、やや憂いを帯びた目に形のよい鼻。それに口。無口だが、クラスの女子からは人気がある事実にも頷ける。
「うぜーよ、笹塚さくら。今回の件は事故だ。天文学的な数値の、事故だ」
「天文学的?」
「俺が知らねえ。こいつらに、訊け」
玲が指を示した先には、お互いの父と母がいる。
笹塚涼一。さくらの父。
柴崎聡子。柴崎の母。
今日は、あたらしい家族の、初・顔合わせ。
だから、つまりそういうことだ。
「結婚したいってことよね、ふたりが。となると、私と柴崎くんが、きょうだいになるの?」
冗談、きつい。きつすぎる。
柴崎玲とは、同じ学校に通うクラスメイトなのだ。
頭がくらくらして、気が遠くなりかける。
「私も驚いたのよ。でも、受け入れてほしいの、さくらちゃん」
新しく母になるという聡子は、若くてとてもうつくしい人だった。
さくらは、生みの母を知らない。
母は、幼いころに亡くなったという。
だから、母ができると聞いて、とても嬉しかった。
ずっと、今日を楽しみにしていた。
相手の女性は、高校生の子どもがいるとは思えないほどに、若くてきれい。
父は、どうやって聡子を結婚する気にさせたのかと、疑問にさえ思う。
「無理、絶対に無理。第一、学校側だっていやな顔をしてくるでしょ。クラスメイトで、しかも血のつながっていないきょうだいなんて」
「そこは父さんが学校に掛け合った。ふたりとも、三年生であと半年余り。今さら転校なんてさせたくないし、事情を飲み込んでほしい、と。今後は、五月生まれの玲くんが兄。早生まれで、三月が誕生日のさくらが妹ってことで。私の誠意が通じて、快諾を得られたよ」
「さすがは、私立高校。寄付金を、どーんと積んだわけね。おとなはずるい。お金で、どうにでも解決するつもりなんだ」
「さくら、そんな言い方はやめなさい」
「せめて、あと半年待ってもらえたら、大学受験も終わって余裕ができるのに」
「涼一さん、俺も笹塚の意見に賛成です。いきなり、こいつときょうだいなんて、できません。だけど、再婚でもなんでも勝手にすればいい。俺は、新居へ行かない」
「新居?」
新しい家族のために、四LDKのマンションを早々に購入したという。
子どもたちの承諾を得ていないのに、行動が早すぎる。
「信じられない。なんて無駄遣い。先に、相談してほしかった」
「まるで話にならないな。今日は類も同席していないし、もうやめよう」
類、というのは玲の弟のことらしい。
聡子の子どもは兄弟だと聞いていたが、顔合わせの席には来なかった。
帰るつもりのでようで、玲は立ち上がった。
「いや。玲くん、もうちょっと話を聞いてくれないか」
破談になりそうな雰囲気を察知した涼一が、あわてて食い下がる。
玲は不審そうに、涼一を見下ろした。
「そうよ、玲。冷静になって。さくらちゃんも、座り直してちょうだい」
「いや、冷静とかそういう問題じゃない。微妙な年ごろの男女を、同じマンションの部屋に住まわせるっていう案なんだ、あんたたちの計画は。アタマ、おかしい」
「家族になるんだから、同じ家に住むのは当然だ。もちろん、各人の個室は用意するし、各部屋に鍵もつけた」
「だけど、あとは共用なんだろ。台所も、風呂も、トイレも」
「それは当然でしょ。家族ですもの」
玲は舌打ちをした。
「こいつは、高校のクラスメイト。突然、妹ですよとか言われても、切り替えられない。なにかあったらどうするんだ」
「さくらは、まだまだ子どもっぽいから、玲くんが心配するようなことは起きないよ。お風呂で鉢合わせしても、あまりの残念加減にがっかりなんてことにも」
「父さま、ひどい」
「とにかく。俺は、お前ら親がそういう考えなら、家を出る。一秒たりとも一緒にいたくない。いくら残念な身体つきでも、俺にすれば笹塚は、女。子どもっぽいなんて、失礼だ、こいつに」
玲はさくらを擁護した。
どさくさに紛れながらも、なんだか嬉しくて胸があたたかくなった。
「いいや、やってみなきゃ分からない。最初っから、無理だと決めつけるのはおかしい! 今日から家族だ。私は、お前ら全員を、けっして離さないぞ!」
「涼一さん、感激です」
父・涼一がこんなに熱い人だったなんて。
さくらはあきれるやら困り果てるやら、複雑な思いにかられた。