その9
新入部員風見くんを迎えた文芸部だが、彼は結構忙しく、ほとんどは私と蝶野くん二人での活動だ。私は読書、蝶野くんは自習、ときどき来る風見くんはお昼寝。大会に向けて頑張って練習している部活の子たちからすれば、もはやそれは部活じゃないと突っ込まれそうだ。私もちょっとそう思う。なので、私は今年度に入ってから文芸部らしいことを始めることにした。詩作である。
「蝶野くん、私の新作読みたい?」
夏休み前の最後の登校日、私は久しぶりに詩を一本作った。蝶野くんはちらっと私のほうを見て、なぜか吹き出した。
「読みたいけど、笑っても怒らない?」
君、もうすでに笑っているんだけど、それについてはどうなんだ……。
「別にいいよ。この間作ったのだってめちゃくちゃ笑われたし」
ちなみに前作の題名は『犬~その尻尾について~』だ。内容はここでは割愛する。
「ごめんって、あれも素朴でいい詩だと思うよ。俺は好きだな、博田さんの詩」
「……ありがとう」
素直に誉め言葉として受け取っていいか分からないけれど、そう言ってくれるのは蝶野くんくらいだろう。もしたっくんあたりに見られたら一生ネタにされそうだ。その点蝶野くんは笑うけど揶揄ってきたりしないから、安心である。
私は詩作用のノートを蝶野くんに手渡した。ちなみに今作の題名は『猫~その額について~』だ。内容は割愛する。
ノートを受け取った蝶野くんの肩が、しばらくすると震えだす。口元を抑えているけど、笑っているのがバレバレだ。いっそのこと大笑いしてくれよ。
一通り読み終わって、蝶野くんはノートを私に返した。めちゃくちゃ笑顔だ。
「ありがとう、今回も面白かった」
「ウケを狙いに行ったわけじゃないんだけど、やたら蝶野くんのツボにはまるよね、私の詩……」
私が詩を書き始めたのは小学生四年生のころだ。国語の授業で詩を作ってから、一時期詩を書くことにはまってしまったのだ。私と蝶野くんは小中学校は別で、習い事の書道教室で友達になったのだが、その蝶野くんによく詩を読んでもらった。学校の友達に見せるのは少し気恥しかったけど、それでも誰かに読んでほしくて、私は蝶野くんに見せることにしたのだ。今にしてみれば、よく嫌がらずに読んでくれたなあと思う。蝶野くんは心が広い。
しかしその頃から、蝶野くんは私の詩に爆笑するのだった。たぶん相手が蝶野くんじゃなかったら私の心はそこで折れていたと思う。蝶野くんは、人をバカにしないのだ。そのことは昔からよく知っていたから、単純に蝶野くんのツボにはまっただけだと私は受け止め(でも笑われたのに腹は立てた)、飽きるまで作った詩を蝶野くんに見せ続けていた。
まさか高校生になって、またこんなことを始めるとは思っていなかったけど、これがなかなか楽しい。勉強漬けの蝶野くんの息抜きにもなってそうだし、私もそこそこ楽しいし、これはwin-winというやつではなかろうか。
「そういえば、顧問の先生が変わったって話、したっけ」
ふと思い出したという風に蝶野くんが言った。
「えっ、初耳なんだけど」
「昨日部長から連絡がきたんだ。今の顧問の吉崎先生が産休に入るから、代わりに養護の皆月先生が顧問やってくれるんだって」
皆月先生先生だと!? あの、乙女ゲームの化身、イケメン養護教諭の皆月先生が文芸部の顧問に!?
「養護の先生って顧問やれるの……?」
私が疑問に思ったことを聞くと、蝶野くんは頷いた。
「養護の先生も学校の職員だし、できると思うよ。それに文芸部の顧問なんていてもいなくても同じようなものだから先生の負担にもならないだろうし」
「そっかあ……」
「そう言えば今日部活に顔出すって聞いてたけど……」
まさにちょうどそのタイミングで、教室のドアが開いた。
「よかった、やっぱり今日はここにいたんだね」
さーちゃんだ。半袖からのぞく白い腕が眩しい。その後ろに長身の皆月先生が立っていた。
「お前たち、決まった部室がないから流浪の民なんだな~。花澤がいなかったら見つけられなかったぞ」
皆月先生はそう可笑しそうに笑って、つっかけサンダルをぺたぺたさせながら、さーちゃんに続いて教室に入ってきた。そして机を向かい合わせにしている私たちのちょうど真ん中になるように椅子を引いてきて、腰掛けた。相変わらずぼさぼさの髪をしているけれど、近くで見れば見るほど顔がいい。俳優さんみたいだ。
「聞いてると思うけど、新顧問の皆月です。まあ基本的に活動に干渉するつもりはないけど、よろしくな」
ぺこりと頭を下げる皆月先生に、私たちも慌てて頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
皆月先生はうんうんと頷いて、私と蝶野くんを交互に見た。
「で、どっちが次期部長? 決まってるんだったら一応教えてもらいたいんだけど」
「博田さんです」
蝶野くんが間を置かず答えた。えっ、それも初耳なんですけど。思わず蝶野くんを睨むが、蝶野くんはどこの吹く風だ。まあ確かに、自主的に文芸部に入った私と、無理やり引っ張られてきた蝶野くんだったら、私が部長をやるのが筋か……。皆月先生が私に向き直った。
「博田……下の名前何だっけ?」
「愛です」
「博田愛ね。蝶野は?」
「真です」
「蝶野真、と。あと一年生がもう一人いるんだっけか」
「風見亜紀くんです。今日はお休みしてます」
私が答えると、皆月先生は復習するように私たちの名前を繰り返した。それからちょっと苦笑いする。
「保健室にしょっちゅう来てる奴はともかく、俺、人の名前覚えるの苦手でさ。もし間違えたらまた教えてくれ」
そう言って頬を掻く皆月先生、威厳があるわけじゃないけど、親しみやすくていい先生じゃないか……。健康優良児の私は今までほとんど皆月先生と接点がなかったから、第一印象で乙女ゲームの攻略対象だー!!とか過剰反応してしまったけど、ちょっと申し訳なくなった。
「俺の用事はこれで終わり。部活でなんかあったら保健室か、いなかったら職員室に来てくれ。花澤、案内してくれて助かった」
来たときと同じようにつっかけのサンダルをぺたぺた言わせながら、手を振って皆月先生は教室を去っていった。残ったさーちゃんが、さっきまで皆月先生が座っていた席に膝を揃えて腰掛ける。
「えっと、実は私も二人に用があるんだ」
「用? さーちゃんどうしたの?」
「実はね、夏休み限定で、二人に生徒会の助っ人に来てほしいの」
さーちゃんの話によると、今年の文化祭は創立60周年記念で、外部からゲストを呼んだり、いつもよりたくさんの催し物をやるらしい。そのおかげで、文化祭を運営する生徒会は今てんてこ舞いだそうだ。そこで、さーちゃんの知り合いである私と、会長の弟である蝶野くんに協力してほしいという。
「でも、夏休み限定で生徒会の助っ人に入りたい人、いっぱいいるんじゃない?」
私はさーちゃんに尋ねた。なんせイケメン蝶野生徒会長に、学校のマドンナ花澤書記長がいる生徒会だ。生徒会に入って激務に追われるのは嫌だけど、夏休み限定の仕事で彼らにお近づきになれるなら、と考える人はいっぱいいそう。
が、さーちゃんは深いため息をついた。
「それがね、確かに助っ人はいっぱい来てくれたんだけど、なんというか……逆に仕事にならない時があって……。何度か来てもらったんだけど、指示を通すにも時間がかかるし、もうちょっと少ない人数で、できればもともと面識のある子に頼もうってことになったの」
「……な、なるほど」
さーちゃんははっきりと言わなかったが、つまりお近づきになることに気を取られてなかなか仕事をしてくれない人が多かったのだろう。モテるというのも楽ではなさそうだ。
「もちろん二人だって予定があると思うから、ムリはしなくても……」
「私、手伝うよ!」
さーちゃんが言い切る前に私は答えた。蝶野くんも頷く。
「博田さんがやるなら、俺も。風見くんにも伝えた方がいいかな?」
「……逆に伝えないと怒られそうだよね」
俺だって冴里先輩のお手伝いしたかったのに、どうして教えてくれなかったんですか、そんなふうにポコポコ怒っている風見くんとか容易に想像がつく……。
「ほんと!? ありがとう、すっごく助かるよ」
さーちゃんが花が咲いたように笑った。うーん、この笑顔、プライスレスだわ。
詳しいことはまたあとで連絡するね、と言って、さーちゃんは生徒会室に戻っていった。
夏休み限定お手伝い、さーちゃんの役に立ちたいのはもちろんだけど、私にはもう一つ目的があった。それは、『どきメモ』の攻略対象である蝶野生徒会長についていろいろと探ることである。蝶野くんのお兄さんとはいえ、私は蝶野生徒会長と直接話したことは一度もないのだ。自然に蝶野会長に接触できるこのチャンスを利用しない手はない。
ふと視線を感じて、私は顔を上げた。蝶野くんがこちらをじっと見ている。
「……? 蝶野くん、どうしたの?」
「博田さん、最近よく考え事してるよね」
「えっ、そう……!?」
「なんか悩み事?」
私は慌てた。まさか、「この世界は『どきどきメモリアルforガール』の世界かもしれないって、気づいちゃったの……!」とか言えるわけがない。そんなことを言ったらいくら心の広い蝶野くんでもドン引きするだろう。そうなったら、私と蝶野くんの友情がピンチだ。
「な、なんでもないよ! 最近暑いからぼーっとしちゃってるだけ」
「ふーん……」
蝶野くんが目を細めて私を見る。私は「さ、さーて、今日は筆が乗ってるからもう一本書いちゃおうかな~」と、またノートを広げてその視線を誤魔化すのだった。
夏休みが、始まろうとしている。