5.今すぐトマトを食べなさい
Human civilization has evolved to take advantage of many resources for a long time.
(人間はこれまでたくさんの資源を用いることで文明を発展させてきました)
Our life is supported by resources technology electricity, gas and petrol, various
(私たちの生活は、電気、ガス、ガソリンなどの資源、様々な技術に支えられているのです)
However, we have reached the time that must be the history of the development of such a conversion.
(しかしながら、私たちはこのような開発の歴史を転換しなければならない時を迎えています。)
By frequent exploitation of resources, because the whole earth began to cause problems.
(頻繁な資源の搾取によって、地球全体に問題が生じ始めたからです。)
Now, what is it we can do to protect the earth?
(地球を守るために、今私たちにできることはなんでしょうか)
Mr.inaba,what do you think about this probrem?
(稲葉くん、あなたはこの問題についてどう思いますか?)
Pardon?
(え、なんだって?)
Did you pay attention?
(ちゃんときいてましたか?)
sorry,sorry,I don't know.
(ごめんごめん、オレにはわかんない)
Well, not to talk.Mr.inaba, you should not have to just baseball.
(やれやれ、話になりませんね。稲葉くん、野球ばかりしていてはいけませんよ)
So Well...Mr.yano,What do you think?
(ではそうですね、矢野くん、あなたの考えを聞かせてください)
All right.
(わかりました)
I believe that we should we, and they re-use and the use of natural energy resources.
(私たちがすべきなのは、資源の再利用と自然エネルギーの活用だと思います)
Often throw away things that we still use...
(私たちはまだ使えるものを捨ててしまうことが多いですがーー)
Help us a lot to think that a use.
(その使い道を考えることは大いに私たちの助けとなるでしょう)
Further, it is important to generate energy using natural sunlight and wind, and hydro.
(そして、太陽光や風力、水力などの自然を利用してエネルギーを生み出すことが重要になってきます)
I believe that by reducing the use of energy limited so far, be living while protecting the planet will become possible.
(これまでの限られたエネルギーの使用を抑えることで、地球を守りながら生活することが可能になると私は信じています)
Amazing!
(素晴らしい!)
教室中から拍手が湧き起こった。教師の質問に流暢な英語で返す彼の姿は、生徒たちの目に神々しく映ったようだ。
乗り切った!ふたばぁの無茶な人物像に従って、発音に至るまで猛勉強をした成果が表れた。
アメリカはカリフォルニア州の日本人学校で常にトップを走り、MLBアカデミー選抜にも選ばれた捕手という肩書を勝手に作ったのだから手に負えない。
このアメリカ帰りの秀才を演じるために、入学前からふたばぁの文字通り英才教育を受け、これまで以上の知識を身につけた。
実際にこうして披露する場を得ると、冷や冷やしながらも達成感がある。
話した内容こそ本当に未来の”先取り”なのだから、少しずるい気もしたが。
みんなもミスター矢野を見習うようにとはやす教師の横で、真人がふてくされていた。
「ちぇ、優等生め。帰国子女なんだから当たり前じゃん」
1992年4月、一人は父と同じ教室で同じ授業を受けている。
県立稲嶺高校は、稲嶺商店街から自転車で15分ほど走ったところにある。
全校生徒約800人。今年創立120年を迎える老舗校だ。
実距離こそ大して離れていなのだが、小高い丘の上に立った校舎であるため、急勾配な坂道に学生たちは毎日泣かされる。
しかしこの坂、運動部の下半身強化には効果的らしく、稲嶺高校の陸上部、サッカー部は毎年好成績を残している。
学校まで続くこの坂道が少しでも楽しみになるようにと、ふたばぁの夫である春吉が学校まで続く道に200本のイチョウの木を寄贈したのは30年前の話。
秋になると学校までの道は黄色一色に染められ、黄金のじゅうたんが敷かれるのはこの街の風物詩でもある。
昔、一人もふたばぁに秋の丘の上空を写した航空写真を見せたもらったことがあった。
頂上の校舎に向かってふもとからのびる一本の黄色い筋は濃淡鮮やかに、神秘的な雰囲気すら漂わせていたのをよく覚えている。
このイチョウ並木は、グラウンドのイチョウの大樹と並んで、稲嶺の二大絶景として知られていた。
「特別留学ということでね、秀才を受け入れてみる気はないかい?」
ふたばぁの根回しは凄まじかった。実在するアメリカの日本人学校とのコネを駆使して一人の学籍を作成し、県の教育委員会にまで特別留学の名目で根回しを進めた。
一人がやったことはというと、学歴を証明するための英語だらけのテストを一つ受けることだけだった。
通常であれば高校受験のシーズンが終わった後に、無理やり定員の外に秀才をひとりねじ込むのだ。
大きな権力がなければ到底できた話ではない。
初めて矢野グループの参謀を務めた女性の底力を目の当たりにして、一人は思う。
この人だけは敵に回してはいけない。
しかし、どうしてふたばぁは一人を孫としてかくまう気になったのだろうか。
そのきっかけは、春吉の残した遺言にあった。
『矢野の財産はしかるべきときにしかるべき処分をせよ。それは決して、商店街の者たちにとって最大の利益をもたらすものでなければならない』
一人が店を出て行った直後、ふたばぁは春吉の残した遺言書の封を切った。ふたばぁへの感謝のことばが連ねられた書の最後の一文が、この文言であった。
『ふたばぁは言ってた。春吉さんは、商店街の人の利益を一番に考える人だったって』
一人が去り際に放った言葉は、この遺言書の内容を知る未来の彼女でなければ知りえなかったことだ。
「旦那の死んだ翌日に、旦那と私のことを知るガキが未来からやって来る。馬鹿馬鹿しいが、なんだか信じてみたくなるじゃないか、人の縁ってやつをな」
一人を引き取った晩、ふたばぁは煙草をふかしながら苦笑して言った。
本当なら2013年の世界で、高校野球の強豪、蒼城館高校の制服に袖を通しているはずだった。
しかし、今一人が通うのは地元の稲嶺高校で、着るのは何の変哲もない普通の学ランで、何故か同じ教室で父と授業を受けている。
未来に帰る方法を見つけることも大切だが、普通の高校生として生活しなければ身動きもとれないというふたばぁの忠告のもと、一人はこうして1992年の世界に溶け込もうとしていた。
出来るだけ目立つ行動は避けたい一人であったが、
「いいか、矢野の名前をお前に預けるのだ。泥を塗るようなことだけは絶対に許さん」
と言われた手前、一つ一つの行動に手を抜くことはできなかった。
その日の昼休み、廊下がいつも以上に騒がしかった。
「おい、ついにきたぞ」
「きたかぁ~緊張するなぁ」
廊下のざわついた雰囲気が教室にも伝わってきた。何がついに来たんだ。
それは廊下にでればすぐに分かった。
新入生テストの順位が大々的に貼り出されている。
阿鼻叫喚の集まりの中をくぐり抜けて、なんとか張り紙の前にただりつく。
ええと、稲葉、稲葉――
234.稲葉真人 230点
自分の結果よりも前に目に飛びこんだのは父の成績だった。
げっ、父さんもっと頑張れよ……280分の234はだめだろ。
というかそうだ、稲葉で探したってあるわけがない。
矢野、矢野――
父の成績からさらにさかのぼっていく。
65.武田優 382点
へぇ、優さんって勉強できるんだ。ちょっと意外。しかし矢野がないな。
さらにさかのぼるが、なかなか矢野がない。
もう張り紙を見上げるくらいになったときだ。
2.秋山みちる 497点
1.矢野一人 498点
一人自身も、割と出来は良かったという手応えはあった。
意外と簡単なんだなという実感もあった。
しかしまさか1位とは――
おいなんだよ、1位と2位の奴よ、ほとんど満点だぜ。逆にどこ間違うんだよ。
矢野って確かあの矢野グループの御曹司ってやつか。
えっ、そうなの?やっぱりサラブレッドは出来が違うのね。
矢野の名を汚すなとは言われたものの、ばっちり目立ってしまっている。
まずいまずい。これだって軽い未来の改変じゃないか。
一人はなんとか自分が矢野の御曹司(偽)であると気付かれぬようにそそくさとその場をあとにする。
教室に戻ると、真人が恨めしい目で一人をじとりと見つめていた。
「よぉ、優等生。お前はいいな。これで今日から人気者だぜ。俺なんか強化課題追加の刑なんだぞ」
「真人も勉強しなよ。頭使えば野球も上手くなるって」
「いいよ俺は、どうせ大して点伸びないし。それなら直球のノビを鍛える時間にあてる」
上手いことを言ったつもりか。
「いいや、とりあえず腹減った。焼きそばパン買ってくる」
「え、ちょっと焼きそばパンって――」
生気を失い、甲子園への道が早くも断たれてしまったかのような絶望感を匂わせながら真人は教室を出て行った。
ちなみに購買の焼きそばパンの仕出しは稲葉ベーカリーである。
何が悲しくて自分の家で作られた焼きそばパンをわざわざ小遣いを出して買うというのか。
もうそんなことを考える気力も、ないか。
180センチの長身が左右にふらふらと揺れながら廊下を漂う後姿には、くすりとくる哀愁があった。
父さんも子どもなんだな。
廊下の騒ぎもある程度おさまって、ようやく昼食時を迎えた一人も、クラスの友人たちと弁当を広げた。
ふたばぁお手製の弁当は美味しい。
内容こそ煮物や卵焼き、焼き魚とありきたりなものだが、素材を吟味し、調味料や出汁から徹底した下ごしらえを経て作られている。
この弁当ひとつ取ってみても、矢野の名前を重んじる矢野双葉のプライドと気概を感じさせる出来栄えだ。
食生活の半分をパンが支配していた一人からすれば、この弁当は至福の一品であった。
弁当が半ばカラになった時だった。
再び廊下が騒がしくなってきたことに気づく。
今度はなんだ、これ以上憩いの時間を邪魔しないで――
矢野ってどこのクラス?
矢野はどこ?
え、矢野なら――
廊下の外から矢野、矢野と自分の名前を連呼しているのがかすかに聞こえてくる。
その声と喧騒がこちらに近づきつつあるのがわかった。
そしてその騒がしさが教室の前で止まった。その瞬間、
「矢野ひとりはどこだぁーーーー!」
声の迫力に廊下側の窓がびりびりと震え、教室中が一瞬静まる。
教室中に響き渡る大声の主は、とてもそんな大声を出しそうにない、人形のように容姿の整った女子生徒だった。
ひとり……ひとりではないのだが矢野は学年に自分だけだし、一人はひとりとよく読み間違えられる。
女子生徒は近場の男子をとっ捕まえて、ひとりはどこだとまくしたてている。
自分の背丈より二回り以上小さい女の子にからまれて腰が引けている男子生徒がおかしい。
小柄で可愛らしい外見からは想像もつかない勢いで男子から情報を得た女子生徒と目が合う。
すると彼女は一直線に一人のもとへ向かってきた。
ずんずんとその足どりが勇ましく、一人はほとんど反射的に身構えてしまう。
周りは、おいおい一人誰だよあの可愛い子、知り合い?などとからかうが、あの剣幕だ、待つのは災難以外何物でもない。
やはり入学早々目立つものではないと一人は自分の頑張りを後悔した。
この時代ではおそらく珍しいボブ気味の髪型をした彼女は、丸く大きな目を鋭く光らせて一人の前に仁王立ちして言った。
「ねぇ、キミはどこ間違えたの!」
「なんだって?」
「だ、か、ら、どこ間違えたのって聞いてるのよ」
「何の話だ」
「新入生テストに決まってるじゃない。あなたもどうせ数学の大問3でつまづいたんでしょ?」
「いや、あれは解けたよ」
【問3】4,294,967,297の10桁の自然数は素数でしょうか。素数でないでしょうか。
もし素数でないなら、素因数分解しなさい。
という問題だった。
「うそよ、私がわからないのよ?」
あなたが分からなければなんだというのだと出かけたが、こらえた。
ちなみに正解は素数ではない。そして素因数分解すると641×6700417となる。
この正解を伝えると、彼女は目の前ですぐさま手帳を取り出して確認を始めた。
きめ細やかで白い横顔に、すっと筆で一筋しなやかに描いたような小さな鼻が絵になるが、本人は必死のようだった。
少しして手がぴたりと止まって彼女が一言つぶやく。
「ほんとだ、あってる」
信じられないといった感じに小さくぽっと口を開けたまま彼女は一人を見つめた。
「じゃあキミどこ間違えたっていうの?」
「知らないよ。まだ返ってきてないんだから」
余談であるが、もしここが2013年の世界であれば、一人の新入生テストの点数は500点。満点であった。
しかしここ、1992年ではたった1問だけ間違えたことになっている。これは採点ミスでもなんでもない。
社会、【問28】鎌倉幕府が成立した年号はいつか、答えなさい。
これが一人の間違えた問題である。
なんだ、1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府じゃないか、と普通の生徒たちは軽々と解いたいわゆるサービス問題だ。
しかし一人が書いた年号は、1185年。
何故なのか。
それは2007年、この鎌倉幕府成立の年号が1192年ではなく、1185年であるという歴史解釈が発表され、教科書に載る年号も改訂されたからだった。
もちろん未来の教育を受けた一人はそんなこと知る由もない。
何の迷いもなくこれまたサービス問題だと思いながら1185年と書きいれた。なんとも皮肉なからくりであった。
「ここ以外にどこ間違えるっていうのよ、ありえない!」
一人の目の前で混乱する彼女に、鎌倉幕府の成立年を間違えましたなんて言ったところで、それこそ信じないだろうが。
「どうしてくれるのよ!」
「だから何がだ」
「記念すべき高校生活一発目のテストで、私の実力を学年全体に知らしめようと思ったのに、キミのせいで計画が台無しじゃない」
「知らないよそんなの」
整った顔を怒ったり悲しんだりしながらくしゃくしゃと変える彼女を前に、一人は苦笑するほかなかった。
「見てなさいひとりくん、決戦は中間テストだからね!」
教室中の注目が集まるなか、彼女は散々言いたいことだけを叫んで出て行った。
彼女の過ぎ去ったあとには、何かは分からないが爽やかな甘い香りが漂っていた。
彼女の名前は聞かなくても分かる。
きっと、秋山みちる。
一人に1点差で敗れ、華々しい高校デビューに失敗したナンバー2だ。
自分がいなければきっと彼女の高校デビューは成功していたのだろうと思うと、一人は今さら申し訳ない気分になる。
あの子可愛かったな、何組だろうと周りの男子たちが話しこむのをよそに、一人は次のテストから程よく手を抜こうと心に誓った。
それと、
「名前、訂正し忘れたな」
4月も下旬になって、ようやく各部活の新入部員の活動が本格化してきた時期であった。
一人も真人に手を引かれながら半ば強引に野球部へ入部していた。
当時の稲嶺高校野球部は何の変哲もない平凡な成績の部だった。
どんな公式戦でも地方予選で1勝できれば御の字と言った具合で、これまでの夏の甲子園予選の最高記録はベスト32。
顧問を務める寺崎という若い教師は実に練習熱心なのだが、生徒たちにはそれに応える実力も、熱意もないというのが現状であった。
そんな中でいきなり実力のある1年生がぞろぞろ入って来たのだから、顧問どころかやる気のない上級生たちも目を見張る。
新入部員は全部で15人。キャッチボールひとつ見ても、真人、一人、優の実力が三年のレギュラーにまさっているのは一目瞭然であった。
特に稲葉親子は飛びぬけている。
キャッチボールの最中でも真人が面白がっていきなりピッチングを始めるものだから、その圧倒的な光景を前に部員たちの手が止まる。
職員室で、今年からの野球部は一味違いますよと寺崎がわくわくしながら連日話してたことを、一人たちは知らない。
黄金期以前の稲嶺高校の話を知らない一人はというと、目の当たりにする先輩たちの下手くそぶりに驚いた。
気合だけが空回りして満足にノックも打てない顧問、そしてそんなひょろひょろのノックをとりこぼす先輩たち。
強豪ではないとはいえ、黄金期の下地となる何かがこの時期からあるのではと期待していただけに、真っ向から裏切られる形だった。
そして一人が驚いたことがもう一つある。
いないのだ、いると思って疑わなかった人たちが。
2013年のブラックキャッツのメンバー、いわゆる黄金世代のほとんどが、野球部新入部員の顔合わせにいない。
香川鮮魚店、俊足の香川翼。
バーハイライト、強肩の坂本丈二。
喫茶ハイライト、堅守の井上道。
なんども名前を確認したが、この三人は野球部に入部していない。
一つ年下の武田良はまだ中学3年だとして、ここまでメンバーがそろっていないことは予想外だった。
いるのは、真人、一人、優、そして――
「お願いしまぁぁーす!」
ノックの時間、ショートからひときわ大きな声を張り上げながらボールに飛び付いていく眼鏡で細身の青年がいる。
武田三兄弟の長男、武田考だ。
一人たちより1年先輩の彼は、ショートのレギュラーとして一足先に稲嶺でプレーしている。
実力は、残念ながら顧問のふがいないノックをとりこぼす先輩たちと大差ないのだが。
気合は十分なのだが、ユニフォームばかりが泥だらけでボールが手についていない。
下の二人はあんなに上手いのに。一人の正直な感想だった。
後に大学の教授になるだけあって、努力と根性はとてもありそうだがと、寺崎にノックの球を手渡しながら思った。
他のメンバーは一体どうしているのか、気になった一人は後日独自に調べている。
まさか自分がいることで何かすでに未来が変わってしまっているのではないかという不安もあったためだ。
道は何と美術部に籍を置いていた。前々から絵が得意だと母から聞かされてはいたが、まさかの事実であった。
全国中学生美術コンクール理事長賞、中学生デザインコンクール特別賞、県の総合文化祭美術部門最優秀賞などなど――
調べれば調べるほど道の圧倒的な受賞歴に息を飲んだ。
新聞記事の写真、賞状や盾を持ちながら微笑む彼はまだ少年のようで、女の子と間違われてもおかしくない澄んだ顔立ちをしている。
とてもじゃないがグラウンドで泥だらけになりながら白球を追いかけているようには見えない。
これは美術部に入って当然だ。なんでわざわざ野球部に入ることになるんだ。
なぜ野球部に入らなかったのかという理由を調べていたのに、その理由に逆に納得してしまいそうな一人であった。
次に丈二だが、稲嶺高校に入学していて籍があるということ以外は何も分からなかった。
名簿から組も分かったが、なんと入学式からまだ一度も出席していない。
どうやら今年からこの街に引っ越して来たらしく、出身中学校は県外の名前だった。
現代でバーハイライトがある場所には『酒の坂本』という酒屋があったので、商店街に住んでいることは確かなのだが。
残念ながら接触の機会はなかった。
そして、香川翼だが――
「ゴォォォォォーーーーーール!」
2013年でも聞き覚えのある叫び声が外野の向こう側からバックネットまで届いてくる。
会心のシュートでゴールネットを揺らしたスーパールーキーが、両手を広げながら嬉しそうにグラウンドを駆け回っている。
そう、翼はサッカー部にいた。
探すまでもなく、連日ゴールを決めるたびにけたたましく響く彼の声は学年でも既に話題になっている。
サッカー部に超新星がやって来た。ただ、めちゃくちゃうるさい。
超新星という最高の褒め言葉を、お得意のサッカー熱が台無しにしてしまっている。そして、
「見たかぁーー!稲葉真人!これからは野球じゃねぇ!サッカーの時代だぁー!」
遠く離れたサッカー部の練習場所から叫ぶ翼の声は連日野球部にも向けられる。
「稲葉、知り合いなら早くあれ黙らせろよ。練習の邪魔だよ」
「知らないですよ、俺だって!おい翼!もうやめろ!ていうかこっち見んな!」
自称サッカー界のニューヒーロー翼は何かと野球界のヒーロー真人を目の敵にしているようで、野球よりサッカー!サッカー最高!と街宣車のようにけたたましく訴えていた。
確かに、この翌年に日本ではプロサッカーリーグ、通称Jリーグが発足し、国内のサッカー人気が一気呵成に押し寄せることになっている。
一人は翼のあの強気にはそんな後ろ盾もあるのかと思ったが、単純に真人に張り合いたいだけだと思い直した。
そして、水を得た魚のように活き活きとボールを蹴る翼を見ていると、これまたとてもじゃないが現にバカにしている野球部の門をこれから叩くとは思えなかった。
加えて、母絵里の姿も見えなかった。
マネージャーとして野球部に籍を置いていたはずの母だが、彼女も違う部に籍を置いていることを一人は知る。
文芸部。一年中本の虫をしている印象の部であっただけに、読書好きの母がひかれたのも納得してしまう。
今年のマネージャー希望者はひとりもいないということを寺崎が言って、先輩たちがあからさまに残念そうな表情をしていた。
自分がイメージしていたほど、黄金世代のスタートが順調ではなかったことを全く知らなかった一人としては、拍子抜けなことが多すぎた。
まさか、自分がここにいるから影響が出ているなんてそんなこと、ないよな。
そう、自分に言い聞かせる。
「稲葉、ちょっとブルペンで投げてみろ」
その日の練習終盤になって、球拾いで外野にいた真人を寺崎が呼んだ。
早々のご指名だ。1年生が入部1週間そこらでブルペンに入るなど異例中の異例である。
寺崎の言葉に真人だけでなく、バッティングをしていた上級生たちまで目を丸くする。
入部から毎日のように、ただのキャッチボールでさえ圧倒的な迫力を放っていたのだから、当然といえば当然なのだが。
「松野、お前受けてやれ」
松野と呼ばれた2年生のレギュラー捕手も呼ばれて、真人がブルペンでキャッチボールを始めているのを、一人は外野で球拾いをしながら見つめていた。
周りからは、いいなぁ稲葉のやつ、やっぱ格が違うよなあいつはと1年生同士で羨望の声が上がっている。
しかし一人には不思議と、自分が受けたいのにといったような嫉妬はなかった。
ただ黙々と球拾いをこなした。
しばらくして、ブルペンから1度、2度、ずどんずどんとキャッチャーミットを激しく鳴らす音が聞こえてきた。
そうかと思えば今度はしばらく静まって何も聞こえない。
そして、
「おーい矢野!ちょっといいか」
寺崎が一人を呼ぶ。
不思議と嫉妬がなかったのは、何となく分かっていたからだった。
「キャッチャーミットも持ってこい!」
父の球を受けれるのは、どうせ自分しかいないということを。
140キロに届くかという速球をブルペンからすいすいと投げ込む真人。
それをいともたやすくキャッチャーミットにおさめて何事もなかったかのように涼しい顔をする一人。
はたから見ていて、これがウチのレギュラーバッテリーですと言われても何ら違和感のないお互いの呼吸に、部員全員の注目が集まっていた。
真人はこれ見よがしにバシバシと速球を一人のミットめがけて投げ込んでいく。
これには傍らで投球を見守る寺崎も、松野もあっけにとられて、その光景を見入るしかなかった。
「だってあの先輩、てんで捕れないんだぜ?お前呼ぶしかないじゃん」
後日一人が急きょブルペンに呼び出された経緯を真人は話している。
最初の肩慣らしの1、2球は良かったものの、全力投球となると松野はミットではじいたり、球がそのまま後ろへ突き抜けたりと球に反応することすら怪しかったという。
おまけに仕舞にはど真ん中の球を受けた際につき指をしてしまったということで一人が呼ばれたということだった。
そういえば捕手を代わって受けているさなか、後ろから妙な視線を感じるなと一人は思った。
寺崎の燃える熱視線かと気に留めなかったが、今思えば松野の羨望と恨みのこもったものだったのではないかと考えてぞっとしたりした。
閑話休題
人間の投げる球というのは重力に従って、通常放物線を描きながら落下していくという性質がある。
それはどんなに速度の速い球であろうと逆らうことのできない自然界の法則の中に成り立っているものだ。
無論、正面に向かってくるように体感する投手が投げる直球も、少しずつ落下しながら打者に迫る。
プロ選手の投球からはそれを体感しにくいものの、少年野球の投手が投げる球を後ろからご覧頂くとよく分かるはずである。
ある程度の速度を獲得することによって、人間の目はそれを落下する球から、正面に迫る球へと認識を変える。
しかし、稲葉真人の球は正面に迫るどころか、打者の目前でさらにせり上がってくるような感覚を生みだしている。
もちろん真人の球にだけ自然の法則が適応されていないなどということはあり得ない。
真人の球も事実投手から捕手までの距離18.44メートルの間に落下している。『せり上がる』というのは打者の目の錯覚にすぎないのだ。
ではなぜこのような錯覚を生むのか。
それは球にかかる回転の多さに大きく関係していると言われている。
投手の投げ込む直球は縦向きの回転がかかりながら進み、この回転数が多ければ多いほど、球は重力に逆らって飛ぶ。
結果、球の落差は通常の投手の投げるそれより少なく、あたかも球が手元で浮き上がって来るかのような感覚を生みだしている。
真人の投げる球は相対的に超回転ともいえるほどの回転を直球にかけることができていた。
この感覚を味わったことのない打者、そして捕手にとってさえ、真人の直球はさながら魔球であった。
「あぁーーーーーー!」
稲葉矢野のバッテリーに部員たちが魅了され続けているさなかだった。
グラウンドの隅々までいきわたる張りの利いた声が、バッテリーの支配する空気を突き破って響く。
部員たちがびくりと一斉に縮こまるその威勢のいい声に、一人は聞き覚えがあった。
そう、つい今日の昼休みのことである。
教室に踏み入ったときと同じ様な勇み足でずかずかとブルペンに歩を進めてくる女子生徒は間違いなく秋山みちるその人だった。
ふわふわ軽く風に弾むボブヘアがなんとも可愛いらしい、と悠長なことを言う間もなく真人が登るマウンドまで来たと思えば――
「まーちゃん!ひじを下げちゃダメって何回言ったら分かるの!リリースポイントはもっと上!上なの!どんなに速く投げれたってひじが下がれば球威は落ちるし、回転数だって足りないんだから、万が一でもミートされたらどうすんの、命取りだよ!」
「げっ、みちる!」
知り合いか?父がこんな美人もとい、かしまし娘と知り合いだなんて一人は聞いたことがない。
「ほらもっと上、上!」
「痛い痛い!いてててて!」
みちるは自分よりはるかに背の高い真人の手首を掴んで、思い切り背伸びをしながら何度も強引に上へ引っ張って振る。
いきなりマウンドで始まった即席のフォーム矯正に部員はみなあっけにとられた。
「まったく、私がちょっと目を離したらすぐこれなんだから。いい?横着はダメ、ゼッタイ」
「わかった、わかったよだから早く手を離せ」
真人はたじたじになってずりずりと後ずさりしているが、みちるは一向にひかなかった。
「だめ、あと体の軸の回転がぶれてる。もっと真上から振り下ろさないとだめ。車輪をイメージしなさいって言ったでしょ、教えた角度より5度もズレてるじゃない」
「そんなもん投げててわかるか!」
「だから今日から毎日教えてあげるんじゃない」
「えっ」
「あたし、野球部のマネージャーになったから!」
「えぇぇ!そんなぁ!」
ブルペンで行われている夫婦漫才のようなやり取りに、状況がつかめない一人であったが――
あぁ、あれが秋山かと隣にいた寺崎が何やらようやく状況を飲みこんだらしく部員たちに集合をかけた。
「えー、みんな、先日今年はマネージャーの入部者がいないと言ってたんだが喜べ、急きょマネージャーを務めてくれることになった秋山みちるだ。秋山、みんなに軽く自己紹介を」
「1年B組、出席番号15番、秋山みちるです!」
いきなり現れた美少女に茫然としていた部員たちだったが、いざそれが新しいマネージャーとわかるやその喜びようは尋常ではなかった。
絵になる華やかな笑顔であいさつをする小柄で凛とした雰囲気の女の子を前にざわざわと浮足立っている。
一人はというと、教室での圧倒的な威圧感が印象深いだけに、何ともしょっぱい思いがしている。
彼氏とかいるのかなとささやく男性陣の声が耳に入ったのか否か、みちるの次に発する言葉は一人と部員たちそれぞれを別の意味で凍りつかせる。
「彼氏はいます!そこにいる、稲葉真人くんです!私は野球が上手い人でないと興味ありませんのでそのつもりで!」
なんと、彼氏だと!
こんなかしましい(美しい)彼女がいた(いる)なんてきいてないぞ(羨ましすぎるぞ)父さん!(稲葉!)
一人と部員たちの思いにズレはあったものの、その衝撃は相当のものだったようで、またグラウンドが静まる。
「キスだってしてます!」
部員たちにはとどめの一撃。
一人はもうわけがわからない。母さんは、母さんはどうした父さん!
最後のは彼女流の予防線の張り方かと思ったが、思春期の男性陣には刺激が強すぎると一人は意味もなく焦った。
かくいう自分は身内の痴話が我がことのように恥ずかしい。
当の本人真人はというと、円陣の外側隅のほうで大きな体を小さく縮こまらせて、ぷるぷる震えている。
顔が、これ以上なく赤い。
困ったときに帽子を深く被るクセはこのときからのようだった。
そして自信たっぷりのみちるは、両手を腰にあてて間髪いれずに言い放つ。
「あたしがこの野球部を、3年で甲子園に連れていきます!」
「稲嶺高校野球部を甲子園に連れていくために、小さいころから野球を勉強してきました。必ず皆さんのお力になれると思います。是非私を使ってください」
真剣なまなざしで、みちるはぺこりと頭を下げた。
すこし前、似たようなことを言いながら野球部をマネジメントしていく女子マネージャーのサクセスストーリーがあったなと一人の頭にも浮かぶが、彼女の場合、野球論のことを言っているのだろう。
彼氏の一件でかなりダメージを受けた部員たちであったが、一転真面目な調子でいうみちるにばつが悪そうに見えた。
寺崎でさえ、どうしたものかと目を反らしている。
今のこの部では、彼女の熱意に応えられまい。
「あと、ひとつお聞きしたいんですが――」
みちるは目を反らす頼りない指揮官に向かって尋ねた。
「さっき稲葉くんの投球を受けていた捕手は誰ですか?あまりにも上手いキャッチングだったので感動してしまって!稲葉くんの球をあんなに軽々受ける先輩がおられるなんて!」
これはマズイ流れではないかというのを一人は本能的に察する。しかし手の出しようがない。
「えっ、それは矢野のことか?」
「矢野?矢野ってあの1年D組の矢野くんですか」
「あぁそうだが、ほらそこの」
寺崎に指さされて万事休す。
目があったときにはもう、彼女の目つきは昼休みに教室に乗り込んできたときのそれと同じになっていた。
他の部員を押しのけてみちるは迫りくる。
「また!?またキミなのひとりくん!野球も出来るなんて聞いてないわよ!知らずに褒めちゃったじゃない」
褒めて何が悪いんだ。
「テストだけじゃなく部活でも私の邪魔をするなんて、どういうつもりよ」
好き放題言われ続けて一人も黙ってはいられなかった。
「知るかそんなの、おたくが来る前からこっちは野球部にいるんだ。良いキャッチングなら問題ないだろ!」
「上手すぎてもまーちゃんが調子に乗って投げすぎちゃうの!ちゃんと抑えどころを考えて受けなさいよ」
なんという理屈の転換だ。
「思い通りにいかないからって難癖をつけるな!あと、オレはひとりじゃない、かずとだ!」
「ふん、そんな読みにくい名前つける親の顔を見てみたいものよ!」
これは笑うところなのだろうか。
「もうやめろみちる!」
顔を真っ赤にした真人が一人とみちるの間に入る。
「何よまーちゃん!大体聞いてないわよこんなヤツがいるなんて!どこで拾って来たのよ」
「こんなヤツとはなんだ!子犬みたいに言いやがって!頭でっかちのかしまし女!」
「なっ、すまし顔のネクラに言われたくないわよ!」
「いい加減にしろって!」
真人は顔を赤くしてあたふたするばかりで何も手出しできない。
寺崎も部員もあっけにとられて止めに入れない中、ひとりの大男が真人を押しのけて仲裁に入った。
「お前らその辺にせい。それ以上は追い追い話していけばよかろうが」
太い両腕でお互いの襟足を掴んで引き離したのは優だった。
普段は優しくおおらかな大男に睨みを利かされて、2人は息を止めたように黙った。
「ごめん、優ちゃん」
「みなさん、すみません」
春を駆け抜ける生温かな風が吹いて、今日も日が暮れる。
「悪かったわね、さっきは」
「……こちらこそ」
その日の帰り道、一人、真人、優、みちるの4人で、夕陽が染める丘の下り坂を自転車を押しながら帰る。
優の機転のおかげでなんとか修羅場を乗り切り、こうして落ち着いて話す場を得ていた。
「優も、ごめん。こんなはずじゃなかったんだ」
「いい、気にするな。俺には難しい話がわからん。だがお互い浮き足立ったままでは会話にもならんからの。それに――」
優は隣で小さくなりながら自転車を引く真人の背中をバンと叩いて、笑いながら言う。
「あれ以上見ていたら真人が不憫じゃ」
真人はふてくされて黙っている。こういう話は昔から苦手らしい。
優の笑顔は豪快でいて温かい感じがする。器の広さを感じると一人は思う。
昔からこうして、優は落ち着きのないブラックキャッツのメンバーのストッパーになっていたんだなと知った。
「今まであたし、誰にも負けたことなかったの」
色白でなめらかな頬を夕陽のオレンジに染められながら、みちるはうつむき気味に話す。
「中学でも勉強で誰かに負けたことは一度もない。運動だってそう。料理だって裁縫だって、なんでもできるもの。いつだって私が一番だって思ってた。それなのに、今日の順位表見て目を疑ったわ。私より頭の良い同い年なんてこの辺りで聞いたことなかったもの」
一人はなんとも申し訳ない気分で胸がつまった。
「男の子に生まれて、まーちゃんのキャッチャーやりたかったの。でも私にはできないから、必死で勉強して、違うところからでもまーちゃんをサポートできると思って、これまでそうしてきた。
それなのに、入学早々今まであたしの名前があった一番上の場所にあったのは違う人の名前で、その人は私が本当にいたかった場所でまーちゃんの球を受けてるのよ?なんか悔しくて、カッとなっちゃって、ごめんね」
先ほどまで強気で自分に迫ってきた女性とは別人のような、したたかな美しさを一人はみちるから感じる。
あぁ、きれいな人だなと彼は思った。
「でもまーちゃんが信頼できる人なんでしょ?なら悪い人なわけない。キャッチングに感動したのだって本当だもの」
真人は黙っている。帽子を深く被ったまま。
「だから――」
みちるは自転車を止めて一人に手を差し出した。
「握手しよう、仲直りの握手。あと、一緒に甲子園を目指しましょうの握手」
手を差し出すみちるは朗らかに笑っている。今までにみた鋭い目つきと、威圧感は微塵も感じない。
陽の光を受けても色あせない赤茶色の瞳が彼女の芯の強さと優しさを印象付けた。
「最高のキャッチャーと、最高のマネージャー、二つの頭脳があるのよ?行けないわけがないじゃない、甲子園!」
甲子園か、しかし、自分の知る未来で、彼らは決して甲子園の舞台に届かないのだ。
しかしどうだろう、自分がここにいることで、マスクをかぶることで、その未来を変えることだって――
出来るはずだ。
『真人くんが決勝で調子を落としてくれて甲子園に行けた。おまけにドラフトを蹴ってくれたおかげで、俺の指名順位も、株も繰り上がったんだからな』
打席でほくそ笑みながら言う有馬のセリフが一人の頭をよぎる。
そうだ、甲子園に行くのはあんな下衆じゃなく、父さんたちのはずなのだ。
稲嶺の不死鳥を甲子園で羽ばたかせるチャンスは、今自分の手の中にある。
自分がここにいる意味とは、これなのではないか。
一人はみちるの手を握り返して言った。
「行こう、甲子園へ」
みちるの手は、温かかった。
「あ、そういえばまーちゃん、今日はちゃんとトマト食べた?」
真剣な話の意表をついて、みちるは真人に投げかける。
その瞬間、静かにしていた父の生気がさらにしぼむように固まったのがわかった。
「なっ、なんで今その話なんだよ」
声が震えている。
「まさか、また食べてないとは言わないでしょうね」
「いや、そんな、食べた!食べたよ!」
「じゃあ弁当箱、見せて?」
笑顔で父にすり寄るみちるからは、またあの威圧感がにじみ出す。
「いやえっと……その――」
「見せろっ!」
「はいっ!」
横で優が相変わらずじゃなと苦笑いを作っている。なるほどお馴染みの光景なのか。
確かに、弁当を持っていたなんて一人は知らなかった。昼休み、千鳥足で焼きそばパンを買いに行った父が記憶に新しい。
「あーあ、やっぱり」
真人から弁当箱を取り上げたみちるはがっかりと肩を落とす。
刻みトマトのチキンライス、ミートボールのトマトチーズ煮、トマトピザ、トマトたっぷりサラダ、そして、トマトゼリー。
それが本日のみちる特製トマト三昧弁当だ。
しかし弁当箱にはトマトばかりが残され真っ赤になっていた。
チキンライスはほとんど平らげていたが、刻みトマトだけがきれいに取り分けられて残っている。
それを見たみちるの形相はまた鋭く変わる。
「いなばぁ、まさとぉ……」
「ごめんなさいごめんなさい!」
「いつになったらトマト食べれるようになるのよあんたは!」
「食べた!食べたよ!」
「どこが!」
「ほら、その刻んだトマトひとかけら!」
「話になるか!毎日あたしがどんな思いして作ってると思ってるの!」
「だからトマト以外は――」
「今すぐトマトを食べなさい!ほら、今すぐ!ウチのトマトが食べられないっていうの?」
「いや、お前んのことの野菜はトマト以外は食べてるだろうよ!」
「なんでよりによってあたしの大好物を食べられないのよ!結婚できないじゃない!」
だからって、弁当をトマト一色に染めるのはどうかと思うが。
昨日はトマトリゾットに水筒でトマトスープがついてきたと優がこっそり一人に耳打ちしてくれた。
いやしかし、待てよ。
一人の頭に疑問が浮かぶ。秋山みちるの正体がぼんやりと見えだした。
ウチの野菜?秋山?――もしや。
「みちるって、もしかして秋山商店の?」
弁当箱のトマトを真人の口に流し込もうとする手を止めて、みちるは振り返る。
「あれ?知らなかったのひとりくん、そう。八百屋秋山商店の看板娘、秋山みちるとはあたしのことよ」
にこりと笑うみちるの頬には、飛び散ったトマトの種がついていた。
「光さんに兄妹?しかし同い年じゃないのか……?」
「なんだ、何もしらないんだ。秋山光はあたしの兄さん。あたしたち、双子なのよ」
衝撃的なことが多い一日だった。同時に、一人は過去の父たちのことを何も知らなかったと感じる。
そんな衝撃の連続の中で、みちるにひとりくんと呼ばれることは、もうどうでもいいことになっていた。