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ハイライト  作者: にしおかナオ
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2nd Holiday. Gold Lush!!

「すっごぉーい!ここまで本当に道くんが描いたの?」


「そうだよ。まだ完成には時間がかかるけど、かなり形になってきたね」


「これでも十分美術館なんかにかかってそうだよ!道くんって本当に絵上手いんだね。ううん、上手いなんて言葉で褒めるのも失礼なくらい」


「そんな、持ちあげすぎだよ絵里さん」


「この絵、完成したらどうするの?」


「えっ、特に――どうするとかないよ。ただ好きで描いてるだけだから」


「ほんとに?じゃあ――私にもらえないかな」


「この絵を?」


「うん、だめかな」


「ううん、こんな絵もらっても嬉しいのかなって思って――」


「嬉しいに決まってるよ!本当に素敵な絵だと思うもん」


「ほっ、本当?じゃあ、喜んであげるよ。もう少し待っててね」


「やった!ありがとう道くん!」






ご神木が、黄金の衣を身にまとう季節がやって来た。


そろそろコートが欲しくなるような本格的な寒さを目の前にして、春吉グラウンドにあるイチョウの大樹も派手に衣替えをしたようなものだ。


稲嶺商店街名物の一つ、黄金吹雪こがねふぶきが華麗に舞い落ちるのを楽しみにしてきた観光客や写真家たちで、この時期のご神木の周りには人だかりが絶えない。


「おーいみっちー、絵なんて描いてないで練習しようぜー?」


「あぁごめん!もうすぐキリがいいから!もうちょっと!」


シーズンオフになり、サッカー部に高校のグラウンドを明け渡した稲嶺野球部は、ふたばぁの協力を得てこの春吉グラウンドを当面の練習場として確保していた。


久々ににぎやかになったグラウンドの光景に、ご神木は嬉しげに身体を揺らしている。


「翼くんちょっとひどい。絵なんてとか言わなくてもいいのに」


「仕方ないよ。練習の時間に無理言ってるんだし」


「たまにはいいと思うけどなぁ。だって限られたこの時期にしか描けない絵でしょ」


「ありがとう。そう言ってもらえるとちょっと安心するよ」




道の絵は、イチョウだけを描いたものではなかった。


グラウンドのすみに座り、イチョウがマウンドに影を落とした光景、グラウンドで躍動する部員たち、その全てをひとつのキャンパスに描いたものだ。


ただイチョウを描いただけの絵であれば、絵里もたくさん見てきた。でも道が描いたこの構図は、今までに見たどんなイチョウの絵よりも彼女の心をぐっと掴んで離さなかった。


道は毎年のようにこのイチョウの大樹を描いている。それはこの後も変わることなく、喫茶ハイライトのブラックキャッツの写真たちと共に、来客の目を楽しませてる。


ちなみに、道が今描いているこの絵は、未来の稲葉ベーカリーのカウンターの横でも飾られている。


一人も小さいころから目にしたことのある、馴染み深い絵となっていくことは、このときまだ誰ひとりとして知らない。


「悪い考!今日ちょっと早めにあがるわ!」


転がる強めの打球をこともなげにさばいて送球した翼は、小走りにグラウンドを出ていく。


「ん、なんだい翼。珍しいね」


「ほら、黄金祭真っただ中だろ?親父が店手伝えってうるさくてよ」


「あぁ、そりゃ仕方ない。それを言えば僕も任せっきりだから、帰って手伝わなくちゃな」


黄金祭こがねさいというのは、稲嶺商店街の店舗が総出で毎年行っている秋の収穫祭のことだ。


春吉グラウンドのイチョウの大樹、そして稲嶺高校へと続く坂道のイチョウ並木、この二つが見ごろを迎える時期に3日間行われる催しもので、この祭りに合わせてイチョウ見物に訪れる観光客も多い。


秋の新鮮な味覚はもちろんのこと、各店舗でのスタンプラリーや特典も満載。商店街入り口のメインステージでは、イベントも行われているという盛況ぶりだ。


稲嶺のまちが、一年で一番盛り上がる3日間。


この祭りの準備のために、大人子供一緒になって働くというのがこの近所の習慣になっており、学校が終わるとすぐに黄金祭の準備に駆り出される子どもたちも珍しくない。


一人も小さいころは、この祭りの手伝いをしてお駄賃をもらうのがささやかな楽しみだった。


それが商店街の看板とも言える鮮魚店や、精肉店などのせがれとなれば仕事の量も半端ではない。


この3日間は大人たちに混じって多くの観光客相手に接客だって、ちょっとした案内だってする。


大人から子へ、代々受け継がれてきたまちの伝統だ。




「黄金祭か、懐かしいな」


「そっかぁ、ジョーくんは久しぶりだもんね、このまちに帰って来るの。酒屋さんは何かやるの?」


「いや、今年は親父も満足に動けないから、飲食店やバザーで必要な酒を前もって全部を卸しただけだ。実質的な仕事はないな」


「じゃあ久々のお祭り何だし、楽しめばいいよ!」


急ごしらえのブルペンで、交互に投げ込む真人と丈二の投球をチェックしながら、みちるは言う。


「そういやみちる、今年は出ないのか?」


投球を終えた真人が、丈二と交代する。


「出るって?」


「決まってるだろ、ミス稲嶺コンテスト」


「あぁあれね、あたし今年から殿堂入りだってさ」


「なんだよそれ」


「もう出ちゃダメってこと」


メインステージで行われる催しの一つに、稲嶺一の美女を決めるという、ステージ一番人気のイベントがある。それがミス稲嶺コンテストだ。


優勝者には稲嶺産の米が20キロ、商店街で使える商品券3万円分、来年の花火大会での見物優待シート権など、様々な特典がついてくるのだが、ここ3年間はみちるが独走で優勝することが常となっていた。


さすがに身内から何年も優勝者が出るのはマズイだろう。


誰が言ったのか、そういった理由でみちるは今年から名誉の殿堂入りを果たしたのだった。


「しっかし女子高生になって、さらに女に磨きがかかってきた途端に殿堂入りなんて、役員のみんなももったいないことするわよね」


見た目は麗しの女子高生でも、言っていることはまるでオヤジだ。


黄金祭の手伝いに行かねばならない部員が多いこともあって、この日の練習は早めに切り上げられた。


だが商店街周辺に住む部員たちが足早に帰り支度を急ぐ中で、グラウンドで黙々とバットを振り続ける者が、ひとり。


「またか優、考先輩は手伝いに急いで帰っていったけど」


厳しい表情でバットを振り込む優に一人が声をかける。創英戦が終わってからというもの、優がこうやって居残り練習をすることが多くなった。いつものように大らかな雰囲気は、最近の彼から感じられない。


「あぁ、いいんだ。今年は俺の当番じゃないから」


「当番?」


「ウチは3兄弟だろう?だから、毎年二人が働いてひとりは非番になることになってるんだ」


「なるほど、でもだからって祭りの日まで居残らなくてもいいだろ」


バットを振る手を止めて、優は考え込むようにして黙る。そして、


「いや、だめだ」


「――どうして?」


「俺はこの前の創英戦ではっきりわかった。俺は皆に取り残されつつある。これまでは真人、光、弟の良くらいしかライバルと呼べるやつはいなかった。でも高校に入って状況は変わっただろ?まず一人、お前が入ってきた。そんで丈二と翼が帰って来て、考兄や道まで確実に力をつけてきてる。そんな中で俺は、中学のころから何も成長できてないんだ」


「予選じゃ優が打線の中核だったじゃないか」


そう、予選リーグ戦での優の活躍は確かに稲嶺の躍進を支えていた。


三試合で14打数7安打、1本塁打、5打点は十分すぎる貢献だ。好投する真人、丈二両投手や、新戦力たちの影に隠れてしまってはいたが、彼の活躍なくして今日の稲嶺はない。


「だが一人、創英戦を見てみろ。小関と瀬良なんていう甲子園レベルのバッテリーが出てきたら、俺は手も足も出なかった。俺が内角が苦手だってことも、あいつら最初の打席から分かって投げてきた。佐久間との対戦なんて論外だ。かすりもしない。頭のいい相手には俺はまだ勝てん」


創英戦での優の成績、5打数0安打、3三振。全く良いところなく試合を終えた。単純に調子が悪かったということもあり得るが、大きな体格で内角を苦手とする優の弱点を瀬良が当然のように突いてきたのは事実だった。


一人にも身に覚えがある。それは総陵との試合で県下一のスラッガー、篠田を完全に封じ込めた配球と酷似するものだったからだ。


配球というのは、時に残酷なまでに打者に自分の実力を、現実として叩きつける。


優は弱点を克服するためか、ここのところ内角に来た球を想定した素振りを繰り返している。大きな身体を外に開きながら、なんとか苦手をなくす工夫を続ける。


「しかしもうシーズンオフだぞ。オープン戦までに少しずつ調整していけばいいだろう」


「すまん。来年になればおそらく良もウチに入って来るし、他にどんな実力のある後輩が入ってくるとも限らない。そう思うと焦ってしまってな。それに――」


「それに――なんだよ」


口ごもった優はなぜか顔を赤くしてうつむく。どこに顔を赤くする要素があるというのだろう。


「約束、したんだ」




「約束って、お前まさか」


一人には思い当たる節があった。


「あぁ、そうだ。内海さんとの約束だ」


「ポケベル、役に立ったんだな!」


「あぁ、勇気出してポケベルの番号聞いたんだ。そしたら思いのほか喜んでくれて、そのまま一緒に帰ることに」


やるじゃないか!一人は驚きのあまり目を丸くする。


「そしたらこないだの創英戦の話になって――」


『創英学園って、いつも甲子園に出てるところよね、すごい!そんなところと試合したんだ!』


『あ、あぁ、つ、強かったけど、もうひと息のところまで、いったんですよ』


『武田くんも活躍したんでしょ!』


『えっ、あっ、そりゃもちろん。レギュラーですから』


『すごい!1年生でレギュラーなんて!それでそれで!ホームランとか打ったり?』


『えっと、それはっ、もちろん!がつんとかっ飛ばしてやりましたよ!』


『すごいなぁ!ねぇ武田くん、また、試合観に行ってもいいかな』


『えっ、それは――』


『だめ、かな』


『良いに決まってるじゃないですか!次の試合、必ずホームラン打ってみせます!』


「で、勢いで見栄を張った約束をしてしまったと」


「そうなんだよ」


優は取り返しのつかないことをしたと肩を落とす。なるほど、周りの部員との差が広がっている焦りもあったろうが、一番の悩みどころはこっちだろう。


「せっかく仲良くなったのに、これでもしホームラン打てなかったら――」


「でも実際優打ってるじゃないか、ホームラン」


創英戦ではないが。


「内海さんには、創英戦で打ったと勘違いさせてるし、多分彼女は強豪との試合しか観に来ないぞ」


女の子って、そういうところは見逃さないものだろうかと、一人は苦笑した。


そのとき優のポケットから電子音が聞こえた。


「きっ来た!」


「何がだよ」


「内海さんからだよきっと!」


バットを放り投げてポケットから慌ててポケベルを取り出す優。この小さな電子機器と大男の対比はいつ見てもおかしい。


「えっと、なんだこれ」


「どうした?」


「なんだか数字が並んでるだけなんだよ」



25 21 54 31 12 12 25 11 32 41 1 32 12 92 23 42


「なんで数字なんだ?てっきりメッセージが来るものかと」


「おい優、もしかしてお前、ポケベルまだ使ったことないのか?」


「おう、初めて鳴ったからびっくりしたぞ」


興奮と戸惑いの入り混じった表情でこちらを見る優に、一人はやれやれと笑って説明する。


「いいか優、こいつは暗号なんだ。数字が文字に変換できるんだよ」


「変換?どこかボタン押すのか?」


そうじゃなくて。一人は優からポケベルを受け取って暗号の”解読”を始める。


11なら、あ


12なら、い


21なら、か


といった具合で、ポケベルの暗号は現在の携帯電話の文字入力をさらに細かくした入力方法と言っていい。


例えば、25 03 52 42 61 で、こんにちは


となる。


この規則に従って、一文字ずつ一人は文字を解読していく。


解読した文字を地面に書き終わったところで、一人の手が止まる。


「やったじゃないか優!おめでとう!」


「えっ、なにがだよ」


「読んでみろ」


25 21 54 31 12 12 25 11 32 41 1 32 12 92 23 42

(こ か ね さ い い こ あ し た 1 し い り く ち)


黄金祭に行こう、明日、1時に入り口。


「なんだって!?」


優は驚きのあまり棒立ちにになって視点が定まっていない。


「やったな、どうやら内海さんはもっと優と話したいらしいぞ」


「信じられない」


一人は祭りの時から薄々思っていたが、内海はもともと優に気があったようだ。優のわずかな勇気がチャンスを手繰り寄せた。


超奥手な彼には、これくらい積極的な女の子の方がありがたい。しかし、どうして学年三大美女がお世辞にも端正とは言えないなりの優に好意を持ったのだろう。一人も興味があった。


「もう俺どうしたらいいか――」


いきなりのチャンス到来に当の本人は手足がガタついて今にも倒れそうだ。


「非番なのは今年だけなんだし、ぶつかってみろよ。商店街は、俺たちの庭みたいなものだろ?」


「そ、そうだな」


「決まったら返信しなくちゃな。公衆電話に行こう」


「手伝ってくれ一人、俺ひとりじゃ送れるか不安だ」


「あぁ、もちろん」


そう言う一人も、ポケベルなんて未来の世界では触ったことすらない。しかし使い方は偶然知っている。


ふたばぁから雑学的に教えられてきたことの一つが、まさかこんなところで役に立つとは、思ってもみなかった。




*


黄金祭、三日目。


「さぁさぁ!香川鮮魚店の黄金祭名物!本マグロの解体ショーだよ!三日目の今日はわたくし、3代目香川翼がさばいてご覧にいれます!」


大漁旗がなびく香川鮮魚店の店頭に、大きな人だかりができる。黄金祭の目玉イベントの一つ、マグロの解体と即売会だ。


1メートル半はあろうかという巨大なクロマグロをさばくという小柄な青年の宣伝文句に、店の前を通り過ぎようとしていた観光客も足を止める。


「よっしゃ、じゃあ優等生、しっかり抑えといてくれよ」


「あ、ああ」


翼が両手で持った刃渡り40センチほどもある大包丁は、ちょっとした日本刀、小太刀に見まごうほどの迫力がある。


その刃を翼がマグロの頭にあて、すぱんと一太刀に両断すると、見物客からはおぉと歓声が上がった。


この歳からやってたのか。すごいものだな。翼の解体ショーは小さいころから見てきた一人だったが、まさか自分と同い歳の時期からやっているとは思わなかった。


すぐさま胴体にまな板と平行に切り込みを入れていく翼、その手つきは実に慣れたもので、あっという間に1/4(しぶいち)のブロックを切り取る。


一人と二人がかりで身が崩れないようにトレイに移すと、そのたびに歓声と拍手が起きる。






「さぁ、次はちびっこお楽しみの時間だよ!12歳より下の子たちは前に出てきて、スプーンと醤油の入った小皿をもらってな!」


一人が集まった子どもたちにスプーンを配る横で、翼はマグロの背骨をきれいに切り取る。


そう。マグロ好きならご存知の、中落ちがたっぷりとついた背骨だ。


大きなトレイに移された背骨から、翼がお手本に骨の間から身をスプーンで掻きだして見せ、瑞々しく赤い身を子どもにさし出す。


これをぱくりと一口食べた子どもの笑顔と言ったらもう、筆舌には尽くせない。


それを見た子どもたちは我先にと中落ちの身を掘り出す。眠っているお宝を掘り出すように目を輝かせて。


「さぁ、大人の皆さんはこっちだ!出てきましたよ、クロマグロのカマ下だ!えっ、皆さんカマ下じゃ分からないってお客さんもぐりかい?マグロ部位の王様!霜降り大トロの登場だ!」


100グラムで1200円!1200円だよどうだい!と、威勢よく翼が叫んだ途端に、買った!と手を挙げるお客大勢。


その後も、かぶと、ほほ肉、中トロ、赤身、尾に至るまで、翼はあっという間にさばいたマグロを全てひとりで売りさばいてしまった。これぞ受け継がれる商売人の血というやつか。


一人が後で聞いた話だが、全ての部位が大体相場の半額程度だったそうだ。これぞ大盤振る舞い。






「いやぁ悪かったな優等生、親父が急に買い付けに行くって言い出したもんで人手が足りなくてよ。いらっしゃい、いらっしゃい!今日の目玉はたっぷり脂の乗ったアンコウだ!今日みたいに寒い日は、帰ってからアツアツのアンコウ鍋はいかがかな!もちろんさばいてお渡しするよ!」


解体が一段落し、翼の父が帰ってきたところで、一人と翼は通常の店番戻った。


「いや、夏祭りのときも結局暇だったし、逆にありがたいよ」


「そうか?お前なんて真っ先に女と出かけてると思ったんだが、案外硬派なんだな」


「まぁ、興味ないことはないけどな」


「おっ、だれだだれだ?もしかして、絵里ちゃんとか?」


「ばかっ!あり得ないよ」


一人はあからさまに焦る。まさか母さんだなんて何の冗談だ。


「なんだよ図星かぁ?ま、絵里ちゃん可愛いもんな。あの暴力女と違って。真人はあいつのどこが良いんだか」


そんな父さんも、みちるより母さんが好きになるのか。いや、そんな言い方はよそう。どんな事情があるのやら、それは未だ謎のままだ。


「あそうだ、マグロ、ちゃんとお前の取り分は残してあるからよ。ばあちゃんと食ってくれ」


「あぁ、ありがとう」


翼もだいぶとげが取れたように思えた。サッカー部で、野球部を散々にこき下ろしていたころの面影はない。


やっぱり、本当は嬉しいんだろうな。今、こうやって一緒に野球ができることが。


黄金祭、2013年の未来で一人が知る祭りと、今自分の目の前に広がるそれは大きく違っていた。


途切れることのない、人、人、人。


行き交う宣伝文句に、値切り文句。


羽振り良く財布のひもを緩める観光客と、その期待に応える店の大盤振る舞い。


経済が、金が、大車輪のごとくいたるところで回る様は圧巻だった。


いや、こういう言い方をするのはとても薄っぺらくて打算的だと一人は思う。


人と人が良くも悪くも強くつながっていた時代。並ぶ商品そのものに対する魅力だけではない。それを売る人の魅力も共に手渡され、その記憶も食卓へとのぼる。


そして噛みしめた味は、思い出へと変わる。


そんな物語の一片がいたるところで見える。商店街とは、本来そういう場所であるはずなのだ。


これが例え、実体経済の膨らみを加味しきれなかったバブル経済の残り香としての光景であったとしても。


この賑わいをピークに、この商店街の活気は年々少しずつ下降の一途をたどっていくと、知っていたとしてもだ。


この人と人との営みが生み出す宝箱は、決してなくしてはいけないものだ。


2013年、一人が知る黄金祭に、ここまでの賑わいはない。マグロの解体ショーだって、イベントステージだって相変わらずあるはずなのに、人は少なくなった。行き交う声も少なくなった。


商品は一室で、画面の前で、ひとつクリックをすれば簡単に、何でも手に入れられてしまう時代。


それで、作り手や送り手の魅力など、伝わるのだろうか。


食卓にのぼった料理に、さらなる彩りが加わるだろうか。


このまちは、いやこの国の人々は、泡がはじけるのと同時に、たくさんのものをその時代に忘れてきてしまったのではないか。


燃え盛っていた火が、小さく小さくしぼんでいくようなわびしさを、一人はこの賑わいの光景を見て初めて感じた。




「翼はさ」


「ん?」


「どうして一度は野球辞めたんだ?」


「それ、聞くか?」


「話しにくいならいいんだ」


翼は一度、威勢よく宣伝文句を飛ばした後、遠くを見てから言った。


「勝ちたかったんだよ。どうしても、あいつらになぁ」


*


「ストライーク!バッターアウト!」


「やったぜまた三振!ほんと当たらないな翼は」


「うるせぇ!走るなら誰にも負けねぇぞ!」


「おいおい、バットに当てないと自慢の足も意味ないじゃんか」


「ちくしょう」


俺は真人に勝てなかった。どんなにバットを振っても、あいつの全力の球にかすらせることもできなかった。


小さいころから、かけっこ、50メートル走、100メートル走、リレーだって、俺は誰にも負けなかった。ただ走っているだけなら、俺は学校中のヒーローでいれた。


「見てろ、少しでも当たるようになれば、お前の球なんて全部内野安打だ!」


「内野安打かよ、だっせぇな」


「ヒットはヒットだ!」


でも俺はそれじゃ満足しなかった。とにかく、野球で一番になりたい。その一心で、打倒真人を掲げてた。同じ少年野球チームだったけど、俺の敵は相手チームじゃなくて、真人だった。


「1番、香川翼!」


「――はい」


「どうした翼、声が小さいぞ!」





打順だけは、いつも一番だったさ。だけどそれはチームで一番ってことじゃないんだ。


「2番、武田良!」


「はいよ!」


「3番、稲葉真人!」


「はい!」


「4番、秋山光!」


「よっしゃ!」


「5番、武田優!」


「はい!」


野球の花形、クリーンアップはいつもあいつらの指定席で、俺の出る幕じゃなかった。運が良いのか悪いのか、才能とか実力を持ったやつが多すぎたんだ。そんで、俺の才能ってやつじゃ、野球の花形にはなれない。


「翼ナイスラン!」


内野安打も、クリーンヒットも、何本も打った。盗塁だって、数えきれないほどしたさ。だけどな、野球のランナーってやつはどんだけ頑張ってひとりでかき回しても三盗が限界なんだよ。


ホームスチールなんて、ほとんど不可能に近い芸当、サインすらない。


どれだけ速く走ろうが、ベースって壁がそこにあってよ。そこにたどりついた途端に急ブレーキを踏まなきゃならない。歯がゆくて仕方ねぇ。







「翼!どうして勝手なことをしたんだ!どうしてチャンスをつぶすようなことをするんだ!」


大きな大会の予選だったな。三塁ランナーだった俺は腹を決めて、ホームスチールを勝手にやったことがある。


結果は当然、刺されたよ。


そんな俺のやり方を見たやつはみんな思ったろう。暴走だって。


確かにな、今思い返せばありゃただの暴走だ。だけどあんときの俺は、どうしても一点を取ってやりたかった。


自分ひとりの力で。


俺の横で、光や優みたいに腕っ節の強いやつらは簡単にホームランを打って、自分ひとりの力で点を入れちまう。


いつだって”走”ってやつは、”打”の一歩後ろをへこへこついて行かなきゃならないような気がしてた。


だから力がなくても、足が速いだけでも、点が取れるって、証明したかった。


結果ダメだった。俺はもう野球に愛想が尽きた。自分の足を活かせるのはここじゃねぇって。


そんなときに見つけたのが、サッカーだった。


小6体育の授業だったなありゃ。サッカーボールを蹴らした俺は向かうところ敵なしだった。


無敵ってやつだ。


サッカーなら、ひとりでどこまでも走ることが出来たんだ。


前に立つやつをみんな抜いて、誰も俺に追いつけない。本当に気持ちがよかった。


あれだけ俺に勝ち誇ってた真人も、光も、他の奴らも、誰も俺を止めることなんてできない。


これだと思った。


俺は親父に頼んでサッカーの名門私立に入れてもらった。真人たちとは違う場所で、誰の目も気にしない場所でサッカーをしたかった。


だけどそれを猛烈に怒ったやつがいてな。


「馬鹿つばさ!裏切り者!なんで一緒に野球しないのよ!これまで一緒にやって来たのに、なんでサッカーに浮気すんのよ!」


そ、あの暴力トマト娘だよ。


「うるせぇな、野球なんてもう時代遅れなんだよ、俺は時代の最先端に乗ることにしたんだ。古くさい遊びなら自分たちだけでやるんだな」


「何よその言い方!ただ球蹴ってかごに入れるだけの何が楽しいのよ。そんなの戦略も何もないじゃない。ただ突っ込むだけの翼にお似合いよ!」


「ふん、サッカーの高度な戦略を理解できないようじゃ、お前も大した頭じゃねぇな」


「野球よ!」


「サッカーだ!」


それで、みんなご存知の犬猿の仲ってやつ?まぁ、ありゃもうどうしようもなかったんだよ。俺も後には引けなかったんだから。


あいつ、本当は引きとめようとしてくれたと思うんだ。けど、俺と同じで口から生まれたような奴だからな。お互い本音で話せるわけもなくってことだな。




「きみ、上手いんだね。本当に初心者?」


そんな時、中学入ってすぐに会ったのが弘美だった。あいつは中学からサッカー部のマネージャーをしてたんだ。


入部してすぐ、レギュラーに交じって練習する俺に声をかけてきた。


「おう、我流で練習はしてきたけどな」


「私が今まで会った誰よりもセンスあるよ、きみ。きっとすごい選手になれる」


「そうか?ま、当然だな。俺に追いつける奴なんて、誰もいやしねぇ」


「じゃあ連れてってよ。国立のピッチ」


「国立?」


「きみ知らないの?国立のピッチっていえばサッカー選手ならみんなが憧れる舞台だよ。野球の甲子園みたいなもの。それも全国ベスト4しか踏めない舞台」


「甲子園より、すごい舞台ってことか」


「そうかもね」


「よし決めた!お前をそこに連れてってやるよ。お前名前は?」


「弘美、浅田弘美」


「俺は、香川翼だ」


「翼?なんだかほんとにサッカーするために生まれたみたいね、きみ」


「だろう?ちょっと気付くのが遅かったけど、ここから取り返してやるさ!」




あいつは俺を信じてついて来てくれた。


俺が居残って練習するときだって、わがまま言って突っ走ったときだって、ついて来てくれた。


高校を系列の私立じゃなくて、稲嶺にするって言ったときも、知らない間にあいつも稲嶺を受けてた。


「あんた、私がいないとダメでしょ?」


あいつが一緒にいることが、当たり前になってた。国立のピッチ、信じてくれてた。


だけど俺はこうやって野球に戻って来たんだ。なぜって?


上手くなればなるほどに、ぶつかる相手も次第に強くなった。するとな、これまで自分ひとりで突っ走って来たもんがそうじゃなくなってきたんだ。


相手を抜くにはひとりの力だけではどうしようもない。パスを出す仲間がいなきゃ、パスをくれる仲間がいなきゃ、結局俺は走れないんだって、分かり始めた。


俺がサッカーを始めた理由ってなんだった?それを考えた時、俺はひとりで走り続けることの限界がわかった。


野球だってサッカーだって、個人技には限界があるんだ。勝つためには、個人技だけじゃどうしようもないんだ。


俺はやっぱり、国立のピッチが目指したいから、サッカーしてたわけじゃないんだって気付いちまった。


恥ずかしい話だけどよ、甲子園のほうが、行きたかったんだよ。




*


翼は自分自身を認めてくれる場所を探していた。


それも中途半端にではなく、こぞって必要としてくれるような場所をだ。


そんな彼の手を強く引いたのが、偶然サッカーで、また偶然翼にはその才があった。


しかし彼の内心には、また野球がしたいという思いが生き続けていた。また必要とされることがあるなら、また自分が活躍できる舞台に、手が差し伸べられるなら――


一方で恐れてもいた。もう一度自分がその舞台に上がったとして、本当に必要とされ続けることができるのか。


サッカーを続けていた方が、自分にとって居心地がよく在り続けるのではないのか。


サッカーにのめり込む自分と、もう一度野球がやりたいと思う自分、その狭間で彼は揺れ、中途半端に差し伸べられる手を跳ねのけ続けてきた。


『翼、お前はサッカー部で国立のピッチを目指せ。俺たちも甲子園を目指す。お互い道は違うけど、お互いの実力は、思いは分かってる。それでいいんじゃないのか?』


真人の言葉。もう野球への未練を断ち切るべきというこの言葉を前に、翼はサッカーを選び通すことが出来なかった。


やっぱり自分は、野球がしたい。その気持ちに、嘘はつけない。


ならば、必要とされる場所は、自分自身で切り開く。


総陵戦、土壇場で助っ人として現れた彼の心中は、その格好の良い登場やプレイとは裏腹に、必死そのものだった。


失敗は許されない。


俺は、必要だ。


「サッカーから離れたことは、後悔してねぇよ。サッカーが面白いって気持ちは変わらない。だけどな、面白いって思うだけなら、いつだって出来る。今しかない時間を使いたいのは何だって思ったとき、ずっと俺の頭を離れねぇのは、野球だった」


「だけど、後悔してることも、あるんじゃないのか?」


「あぁ、あるさ。俺は弘美を置いてきぼりにしてここにいるんだからな」


一回しかない高校生活だよ?後悔すんなよ、翼。


そう言って翼の背中を押した弘美。彼を引きとめようとする先輩たちの矢面に立って、彼の進みたい道を守った彼女。


一番引きとめたいのは、自分だったかもしれないのに。


「なんだろうな、今まで俺って何でも自分のやりたいようにやってきた。そのためにやれることは何でもやったつもりだ。だけど、弘美のことは、あいつの言うことは、自分のこと放り出してでも叶えてやりたいって思いがあった。なのに――」


「美味しそうだね、アンコウ。今晩はアンコウ鍋にしようかしら」


「へいいらっしゃい!ちゃんとさばいてお渡しするんでご安心――」


普通のお客だと思って翼が向き直った先にいたのは、


「見てたよ、マグロの解体。すごいね、運動のほかにも意外と才能あるじゃん、翼」


「――弘美、お前どうして」


「なに?私がお祭りに来ちゃいけないって?」


きりっと引きしまった目もとを緩めながら、弘美は苦笑する。


「いや、そういうわけじゃねぇよ」


「じゃあアンコウ、よろしく」


「あ、あぁ」


いそいそとアンコウをさばく翼の手は、心なしかたどたどしい。クロマグロ一本さばくのより、こののっぺりとした顔の魚をさばく方が難しそうに見えてくる。


「周ったりしない?一緒に」


さばいた魚を手渡すと、彼女はからんとした調子で言った。


「わりぃ、今日は店の手伝いだ」


「そっか。じゃあ絵里と周るね。カッコよかったよ、解体ショー」


「お、おう」


さらりと微笑んで、背を向け歩き出す弘美のポニーテールが揺れる。


「なぁ!弘美!」




「もし、お前が良いなら、お前も野球部のマネージャーに――」


「ばーかっ!」


翼の引き留めに、足を止めた弘美は振り返って言った。笑顔で。


「なるわけないじゃない。私はサッカー部のマネージャーだよ?私は、国立のピッチに行きたいの。それに、私がいなくなったら、1年生のマネ誰もいなくなっちゃうでしょ」


やっぱり、俺は弘美を裏切ったんだ。そんな思いが、翼の胸を刺す。けれど――


「翼、あんた勘違いしてるでしょ」


「なにがだよ」


「私は、あんたについて来たわけじゃない。あんたのわがまま聞きたくてサッカー部にいるわけじゃないの。私はサッカーが好きでマネやってるのよ」


「そんなのわかって――」


「こないだの試合、カッコよかった。やっぱ野球やってるときのほうが活き活きしてるわ、翼は」


試合、観に来てくれてたのか。翼は驚きのあまり言葉にすることができなかった。


弘美は、鼻の下を人差し指でこすりながら、照れ臭そうに続ける。


「連れてってよ、甲子園。観に行くから」



やっぱり、翼を支えられるのは彼女しかいない。一人は思った。






*


「さぁ、今年の黄金祭もいよいよ大詰めです!この祭りのメインイベント、ミス稲嶺コンテストも、第3位、準優勝が出そろい、いよいよ優勝者の発表です!今年ミス稲嶺の称号を手に入れる女性は一体誰なのか!」


「それでは発表します!」





「優勝は――」











「エントリーナンバー10番!内海翔子さんです!」




発表と同時に、200人近くはいようかという見物客から歓声と拍手が起こった。


その中心で、内海翔子は目を丸くして口を両手でおおった。


「おめでとうございます!優勝した内海さんには、稲嶺産ツユアカリ20キロ、商店街で使える商品券3万円分、そして来年の稲嶺大花火大会の見物ご優待券を差し上げます!プレゼンターは、去年まで三年連続で本コンテストを制しました、秋山みちるさんです」


みちるが稲穂とイチョウの葉がかたどられた盾を手渡すと、翔子は客席に向かって照れながらVサインを向けた。


受賞の様子に目を潤ませながら、大拍手を送る優に向けて。


「おめでとうございます!受賞の喜びを一言お聞かせください!」


「えっと、びっくりしたんですけどすごく嬉しいです。私、本当は出場する気なんて全然なかったんですけど、今日一日祭りを案内してくれた人に勧められて――本当に良い思い出になりました!素敵なエスコート、ありがとう!」


「いやぁ、魅せつけてくれますね!あ、素敵な彼、いらっしゃるじゃないですか!どうぞ壇上で一緒に記念撮影を!」


いや、自分は彼なんかじゃといいながら、大きな体をふらふらさせて優が壇上に引きあげられると、会場からは朗らかな笑いが起こった。


いよっ!武田屋!と掛け声をかける人もちらほら。肉屋の常連だろう。


「本当に素晴らしいお二人ですね、みなさん盛大な拍手を!」


ふーん、優ちゃん、意外とやるときはやるのね。まぁひとりくんの入れ知恵もあるんだろうけどと、みちるは審査員席でほおづえをつきながら笑う。


満面の笑みを見せる翔子の横で、優はかちこちに固まったまま写真におさまった。美女と野獣のカップル、なかなか絵になっている。



ミス稲嶺コンテストの審査方法、それはズバリ、一発芸だ。


要するに、何でもありである。自分の魅力を最大限表現できる手法であれば何を披露してもOKというのが今大会の面白いところだ。


歌を披露する、ダンスを踊る、手品、楽器演奏、詩を朗読する者もいて、実にバラエティに富んでいる。


そんな中で内海翔子が披露したのは、津軽三味線だった。


近くの楽器店から楽器を借り、演奏を披露した彼女の腕前は圧倒的なものだった。


弦と皮を激しく打ちならし、荒れ狂う津軽の海を表現した演奏は、観客の目をくぎ付けにした。


凛とした雰囲気の美人が素早い指さばきと手首の返しで躍動的な演奏を披露するのだ、目を奪われないはずはない。


何を隠そう彼女の家は三味線教室を開いており、大きな流派の分派ではあるが、彼女自身も師範代の腕前の持ち主だという。


誰もが納得の優勝だった。


「そして皆さん!今年のミス稲嶺コンテストはこれで終わりません。実はですね、審査員で協議させて頂いた結果、今回は順位をつけることができない素晴らしい芸を披露してくださる方がいらっしゃいました。そこでその方を、審査員特別賞として表彰しようと思います!」


「その栄えある受賞者は――」





「エントリーナンバー12番!黒田絵里さんです!」


「えぇぇぇぇっ!」


マイク越しの司会者の声よりも大きな絵里の驚きの声が、会場中に響き渡って、笑いが起きる。


顔を真っ赤にする絵里に、みちるが含みのある笑みをもって急ごしらえの賞状を授与した。


「おめでと!絵里ちゃん」


「みちるさん!どう言うことなんですかっ!?私、特別賞なんてそんな、器じゃないですよう!」


恐縮しっぱなしの絵里は、もちろん自分で立候補したわけではない。絵里ならいけそう、一緒に祭りを周っていた弘美に、こっそりとエントリーさせられていたのだ。


「いいじゃない。お年寄りたちには大好評だったのよ?アレ」


「そんな、アレは本当にその場しのぎにやっただけで――」


「とにかくおめでと!」


絵里が披露したアレとは、決して派手なパフォーマンスでもなければ、突出した才能を披露したものでもない。


『えっと、皆さんは、このまちの歴史に、黄金祭の歴史に興味はありませんか?』


ステージ上、恥ずかしがりながらマイクの前に立って彼女が披露したのは、稲嶺のまちの生い立ちだった。


もともとは荒れ地で、人もほとんど住んでいなかったこの土地は、江戸時代の農地開拓によって切り開かれたものであること。


段々の土地で在りながら、水を効率的に引く技術の発達で棚田が多く生まれ、秋は稲穂がこの棚田を黄金色に染めた嶺に見えるところから、今の”稲嶺”という名前がついたこと。


そしてこの商店街は明治時代、維新の流れに乗って廃刀令を出された武士たちが、お役ご免の退職金を使って少しずつ作り上げた場所であり、自分たちは武士の末裔かもしれないということ。


そんなこのまちを開拓し始めたころから、春吉グラウンドにあるイチョウの木は存在していたという記録が残っていること。そしてイチョウを新たな目玉にしようと考えた矢野春吉氏が、稲嶺高校前のイチョウ並木を整備したこと。


その語り口調の柔らかさ、分かりやすさ、そして時にはユーモアも交える説明に、観客は深く引き込まれた。


観光客にとっては、イチョウ見物と祭りの面白みをさらに広げる話であり、他の参加者にはない独特の味があった。


特に小さいころからこのまちに住み、誇りを持つお年寄りたちからは拍手喝さいが巻き起こった。


あんな孫が欲しい。そんな声が、あちこちでもれた。


普段から本の虫となって、様々な本を読みあさっている彼女が、郷土の歴史についても深い知識を持っていることは当然の成り行きと言ってよかった。


学校の図書室、まちの図書館の郷土書類をギュッと凝縮して、分かりやすくほぐしたような説明は、まぎれもなく彼女にしかできない唯一無二の芸当だった。


これは、順位をつけることができない。


審査員たちの判断は粋なものだと言ってよいだろう。


「受賞の感想を一言お願い致します!」


「えーっと、そうですね。皆さん私の面白くもないお話をずっときいて下さってありがとうございました。お話しした通り、私たちの住むこのまちは、外から来てくださる皆さんに自慢できる素晴らしいところがたくさんあると思うんです。それは歴史や、イチョウの木の美しさだけじゃありません。このまちに住むひとりひとりが自慢できる素晴らしい人だと私は思います。これからも元気な稲嶺を、私たちから発信していきましょう。今回は貴重な機会を下さり、本当にありがとうございました!」


照れの残る笑顔で深々と一礼した絵里に、割れんばかりの拍手が送られた。


「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」


客席の最後尾からその様子を見守る実行委員長、ふたばぁも、彼女の輝かしい姿を見て、偉人の句をつぶやきながら拍手を送った。




ちなみに、特別賞の副賞となったのは図書券1万円分。


このご褒美に、絵里が飛び上がって喜んだことは言うまでもない。


*

「そっかぁ、すごいな絵里は。それに優は驚いたぜ」


「そ、まったく、あたしが出なくなった途端に参加者のレベルが一気に上がっちゃうし、これならあたし出てたって関係なかったわよ


「そう言いながら、お前はただ絵里や内海と競ってみたかっただけだろ?」


「あ、やっぱりバレた?」


日が落ちるのが早くなってきた。日中のほのかな暖かみも、日の傾きに合わせて煙のようにふわりと消える。


観光客が駅へと歩を進める薄暗い道を、真人とみちるの二人は逆行して歩く。


「今年、出るとしたら何するつもりだったんだよ」


「うーん、正直そろそろネタが尽きてきたところだったのよね、やるとしたらそうね、トマトテイスティングで産地当てとか?」


「それお前、完全に自分の店の宣伝入ってるじゃんか」


「だよね、なんかイマイチ。三味線にも、郷土自慢にも勝てそうにないし、ちょうど潮時だったのかな」


一年目は純粋にエレクトーンで弾き語り、二年目は一人芝居、三年目は瓦割りと、年を経るごとに迷走していったみちるの一発芸は、確かに3年で殿堂入りが妥当のようだ。


「ミスコン、結構みんな観に来てたみたい。ジョーくんといのちゃんもいたし、クラスの子たちもたくさん。何だか今年は盛り上がったなぁ」


「そういやカズと翼を見なかったけど?」


「あぁ、あのふたりは何だか店が忙しかったみたい。ほら、例の解体ショー」


「カズもやったのか!?器用なやつだなぁ」


「ひとりくんがそんな目立つことするわけないじゃない。根は人見知りよ、彼。それに、翼がやりたがるに決まってるわよ」




楽しげに今日のことを振りかえるみちるを見て、真人は笑う。


「なによ、変なこと言った?」


「いや、そうじゃなくてさ。お前丸くなったよな」


「あたしが?」


「なんだか、俺の知ってるみちるって、もっとつんつんしてたと思うんだよな。だけど最近、翼とも仲良さそうだし、楽しそうにしてること多い気がしてさ」


みちるは意表を突かれ、思わず真人から顔を反らして、目をきょろきょろと所在なく動かしている。


「別に、仲良くなってなんか――ただ、お互いに誤解は解けたってことかな」


「素直じゃねぇなったく。いてっ」


珍しく図星を突かれて、みちるは真人の左肩に軽くグーパンチを入れた。


「楽しいよ。とっても。みんなで野球してるって感じがして」


「ほんと、みんな上手くなってきたしなぁ」


様々な紆余曲折、グラウンドの外での戦いもあったが、ようやく現時点でそろえられる黄金期のメンバーはそろい、あとは新入生の加入を待つのみという状態。


総陵を倒し、創英と善戦した稲嶺の知名度は、県下でも一定のものが得られるようになってきた今日。来年野球部の門を叩く者も増えるのではないかと、多くの部員も期待するところだった。


「さて、着いたな」




この光景を文章で表現する才に乏しいことが、実に残念である。


二人が足を止めた場所、それは稲嶺高校へと続く坂道の前。


そう、坂道に延々と続くイチョウ並木の前に二人は立った。


「今年もすごいね」


「なんだか見飽きてきた気もするけどな。ギンナンの匂いは相変わらずだし」


「無粋だなぁもう」


一面が、黄金に輝く世界だ。見上げればずっと先まで続く、金色の衣をまとったイチョウの木。


そしてその一本一本から舞い落ちる無数の葉は、春吉グラウンドの大樹以上の黄金吹雪となって二人の前に降り注ぐ。


視線を落とせば、舞いを終えた葉が次々と積み重なってできる、一面金色に輝くじゅうたん。


見るもの全てがため息を漏らし、この光景を、月並みな言葉でしか表現できない自分の無力さすら感じる。


しかし、そんな小難しいことを考えることを放棄したくなるほどの絶景、それがこのイチョウ並木だ。


この時期にだけ、特別に街灯の他にも照明が取り付けられ、ライトアップされる木々。


太陽の下では感じられない、下から舞い上がるように向けられる光に、金色の衣は一層輝いてその身を揺らしているようにすら見える。


自然が編み上げたじゅうたんを一歩ずつ踏みしめて進むと、まるで異世界に迷い込んだかのような錯覚すら覚える。


五感がびりびりとこの一瞬を受容しようとうずく。


そんな光景。




「しっかし、お前もしょうもないこと考えるよな」


「そう?思うなら実践してからにしようよ。ほら、あった。ちょっと借りまーす」


「怒られるぞ」


「ちょっとだけなら大丈夫だよ。小心者だなぁ」


坂道の頂上にたどり着いた二人は、カギのかかっていなかった自転車を学校の駐輪場から拝借する。


サドルにまたがる真人、そして荷台にちょんと座ったみちる。


「よし、それじゃあ行ってみよう!」






世界が、光が、後ろへ後ろへと遠ざかっていく。


彼女の赤茶色の瞳に映るまばゆい光は、その限られた器だけでは受けとめられず、涙になってあふれ落ちていく。


あれ、あたし、泣いてる?


ライトアップされたイチョウ坂を、二人を乗せた自転車が全速力で駆け下りて、風を切り、光を切る。


黄金吹雪が人工の明かりに乱反射して、通り過ぎる景色の一瞬一瞬が自己を主張する。


彼の大きな背中にもたれかかりながら、巡る景色を逃すまいと、彼女は涙をぬぐって笑う。


「すごいよまーちゃん!もっと飛ばしちゃえ!」


「ばかっ!流石に危ないってっ!」


ハンドルをしっかりと握り、景色どころではない彼が、彼女はおかしくて、愛しい。


夢のような景色、夢のような時間、夢のようなぬくもり。


これがずっとずっと続けば、幸せなんだろうな。


なに女の子みたいなこと考えてるんだろうと、彼女は自分を笑う。


でも、絶対忘れない。忘れるもんか。


彼の体をぎゅっと抱きしめて、彼女は黄金色の空を見上げ続けた。



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