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ハイライト  作者: にしおかナオ
11/18

9.進撃【前編】

県立稲嶺高等学校


1.キャッチャー 矢野一人

2.ショート   武田考

3.センター   坂本丈二

4.ファースト  武田優

5.ピッチャー  稲葉真人

6.セカンド   北川

7.レフト    戸田

8.ライト    西上

9.サード    広瀬


ベンチ 井上道ほか7名


全国高校野球 秋季大会 某県ブロック予選 


東ブロックC組 第4試合


県立稲嶺 × 私立桜蘭


3 対 1


8回表、桜蘭の攻撃。


ノーアウト、ランナー1塁。






「ストラックアウッ!」


周りの空気を巻き込んで18.44メートルを駆け抜ける剛速球は、キャッチャーミットにおさまった瞬間に巻き込んだ空気を爆発させて唸る。


打者は空を切ったバットとミットを交互に見て、自分が三振したことにようやく気付いた。


バックスクリーンに表示された球速は実に147㎞/h。


相手ベンチ、そしてバックネット裏の数少ない観客は、その数字にまたもどよめいた。


8回、真人はこの試合13個目の三振を奪う。


前半140キロ前半だった速球は、回を経るごとにその勢いを増して打者の戦意を喪失させていく。


次に打席に入った打者も最初から腰が引けていた。一人はかまわずインコースに構える。


いたずら小僧のようにニヤリと笑って頷いた真人は大ぶりなフォームで振りかぶり、ミットめがけて直球を叩き込む。


コースが甘い、要求より真ん中寄り。


しかし速球の恐怖で腰が引けた打者は、振れば絶好球でさえ恐怖で体を遠ざけて見送る。


「ストライッー!」


打てない打てない、怖い。こんなの打てない。


一人には打者の恐怖心と戸惑いが手に取るように分かった。


同じ様な球でもう一球ストライクを取ると、いよいよ打者の顔が引きつりだす。


食らいついて当てて行けと相手の監督は叫ぶが、当てられるものかと言わんばかりに打者は大きく息を吐いた。



3球目が放たれる。


同じ勢いの速球が来ると信じて疑わなかった打者は、思いも寄らない球の軌道につんのめった。


一人のサインは、カーブ。


秋季大会に合わせてみちるから変化球を解禁された真人は、ついにこの試合で初の変化球を実戦投入した。


放たれた球はふわりと浮いたかと思うと、急激な対角線の軌道を描いて落ちる。


前に倒れそうな不格好な体勢で振られたバットに、球はわずかにかすり、ホームベースの50センチほど前にぽとりと転がった。


「走らんか!フェアだ!」


相手監督のこの日一番必死な叫びがこだますと、打者は慌てて一塁へ走る。


その掛け声とほぼ同時に素早くマスクを外していた一人は、素手でボールを掴み、二塁へ転送した。


真人も驚くほど鋭い送球はベースカバーに入っていたショート考がさらりと捕球し、ランナーを殺すと、すぐさま一塁へ。


優も難なくさばいて、スリーアウト。


2-6-3(キャッチャーからショート、そしてファーストへという一連の流れ)のダブルプレイで魅せた。






「ひとりくんナイスプレイ!」


ベンチへと引き上げた一人たちをみちるはハイタッチで迎える。


「なんだよカズ、せっかく三振だと思ったのに」


笑顔の部員たちの中で真人だけが面白くなさそうにしている。


「何言ってるんだよ真人、狙ってカーブ要求したに決まってるじゃないか」


「なんだって?狙って当てさせたってのかよ」


早く、確実にアウトカウントを稼げたほうが良いに決まっている。


一人はセオリー通りの配球で注文通りのダブルプレーを奪ったに過ぎない。


しかし真人からすれば、久々の全力投球を一球でも長く、そして1つでも多くの三振を奪いたいという気持ちのほうが先行しているようだった。


試合を楽しむという感覚に、彼は久しく飢えていた。


「あったり前じゃない。自分の三振とチームの勝ち、どっちが大事だと思ってんのよ」


「そりゃ分かってるよ、もちろん」


真人は頭をかきながら言う。とはいえ待望の登板である真人の気持ちも、一人は十分に分かっていた。


「おーい、お前ら、はしゃいでないで次の順番誰だ。早くしないと僕が審判に怒られるんじゃないのか?」

ベンチの奥で股を大っぴろげにして大きなあくびをしながらそう言ったのは、新監督市村だった。


「はい分かってます。プロテクター※を外してるんです。もうすぐ出ます」


次は一人の打順だった。ヘルメットとバットを傍らに置いて彼は素早く手を動かしている。


「しっかし野球部のユニフォームっていうのはどうしてこう着心地が悪いかね、よくこんなもん着ながら動き回れるよ君らは」


襟口をぱたぱたと仰ぎながら軽口を叩くその表情は実に気だるそうだ。


いやいや着せられた感が全面に出た市村のユニフォームは一人たちが着るそれよりも一段と着にくそうに見えるし、何より似合っていない。


普段シックな服装でしか公に姿を出さない市村だからこそ余計にそう思わせるのかもしれないと一人は思った。


あんな横柄な態度でベンチにいるほうがよほど注意されるんじゃないのかと、丈二がみちるにつぶやいたが、彼女は人差し指を口にあてて苦笑した。


プロテクター…捕手が体につける防具。


今季の稲嶺は何かが違うぞ。


第一試合、対笹川高校戦にて誰ともなくそう言わしめた稲嶺高校の変貌は、快進撃の始まりにすぎない。


11 対 2 7回コールド勝ち


これが新生稲嶺高校の初陣である、県立笹川高校との試合結果だ。


1番から5番までずらりと並べられた強力打線は序盤から大爆発し、猛攻17安打で大勝。


良い場面を取り上げるなら、一人の先頭打者三塁打、丈二の満塁走者一掃のツーベースヒット、そして優の高校第1号スリーランホームラン。


これまで対戦成績が五分であった笹川に、格の違いを見せつける結果となった。


投げてはもちろんエース真人が時折制球こそ乱れるものの7回を投げ切って11奪三振。


一人のリードの甲斐あって、ランナーを許してもダブルプレーで片付けるという理想的な試合運びを演じた。


この大活躍の裏を支えるのは、やる気のない新監督の意外な采配、というわけではもちろんなく、事実上の監督代行を務めるみちるの功績だった。




「先生はそこに座っててください!あとはあたしが全部やりますから。選手交代とか、必要になったらお呼びします」


第一試合直前、みちるは市村に言った。当然部の内情について全く無知である市村は――


「あいあい、当然。必要になったら起こしてくれ、それまで寝てるから」


「寝るのはよしてくださいよ。仮にも監督なんですよ」


「ばれないよ、監督代行。ま、それでもとりあえず僕は特等席でスポーツ観戦出来るわけだから、感謝しないとね」


言いながら白いあごひげをなぜる様子は何とも興味なさげで眠たそうだった。


みちるはこの日のためにオーダー編成、選手それぞれの起用法、サイン、相手校の分析まで独自に行ってきた。


その甲斐あってやはりみちるの采配は見事だった。レギュラーを極力固定せず、場面ごとに躊躇ちゅうちょなく代打、代走、守備変更と、多くの選手をフルに起用した。


そしてその起用が面白いように当たるのである。代打成功率はここまで.750、代走も高確率で本塁に生還、守備に充てた選手にはすぐ打球が飛んだ。


これは一重に、チーム全体の練習メニューの構築からひとりひとりの特徴を捉えた指導までを行ってきた彼女の成果だった。




本来みちるはベンチにひとりだけ入ることを許される記録員スコアラーという立場なのだが、その役割は代わりにベンチに入れないもうひとりのマネージャー、絵里がスタンドで担っていた。


みちるも記録員の仕事そっちのけというわけではなく、事前に絵里に重点的に記録しておいてほしいことについて指示を出し、それをデータベース化していた。


絵里はというと、独自の知識が必要である野球のスコアの書き方にもすぐ順応してすいすいと慣れていく。


「お母さんが嬉しそうに毎晩教えてくれたんだよ。昔取ったきねづかだって」


マネージャーとしてスコア書きというのは本当に重要な仕事の一つだ。


それを任されたという喜びに、絵里本人だけでなく、黒田家全体が湧き立っているというのは何とも微笑ましい話だった。


8回ウラ、この回先頭の一人はライト前ヒットで出塁してすぐさま盗塁、考がしっかり送りバント、丈二はフォアボールで1塁3塁。


そして4番の優がきっちりと三遊間を抜く強烈なヒットで一人をかえし、セオリー通りダメ押しの4点目を奪った。


みちるの采配はなにも奇策ばかりだから当たっているというわけではない。


こうした忠実な攻めを確実に行える選手を並べ、それが機能するからこそ実現しているのだった。




『あたし監督になる!』


『ばーか、女が監督になれるわけねぇだろ?』


まだ彼女が小さいころ抱いていた途方もないような夢は、予想外の形で本当に実現してしまった。


誰もが冗談だと思って相手にしないような少女の言葉は今や、その実現だけではとどまらず、さらに先の夢の場所まで手繰り寄せてしまいそうなほどに、輝きを放っていた。


「9回、真人でいいのか」


最終回の守備へとナインが散らばる中、一人はみちるに尋ねる。


父のもっと投げたいという思いを支持したい気持ちはもちろんある一人だが、彼がその思いのために最後の最後で羽目をはずしてしまうのではないかと迷う気持ちもあった。


ここで冷静かつ強心臓の丈二を抑えとして起用したほうが勝利は確実ではないか。


賭けがあることで、普段よりも彼は勝負に慎重になっている。


しかしそんな慎重さも他人事のようにみちるは言う。


「うん、大丈夫大丈夫!もしダメなときはこっちで適当に考えるから。今はまーちゃんに伸び伸び投げさせてあげようよ」


あっけらかんとした言葉だが、最も近くで彼を見てきた彼女の意見は信じるに値する実績も、信じたいと思わせる優しさもあった。




番狂わせが起きるぞ。


最終回、少ない観客は固唾を飲んで目の前に迫った稲嶺の勝利を疑った。


そして、私立桜蘭が消える、こんな万年弱小校相手に。


そんな期待と衝撃の入り混じった感情に、ここに居合わせた野球ファンは打ち震えていた。


それは目の前で高校1年生としては驚異的な速球を投げる投手が鳴らす強烈な捕球音に駆り立てられて、ばしばしと増幅した。


「ストライク!バッターアウッ!」


そしてアウトカウントが増える度に、その期待は確信へと変容していくのだった。


左打者相手に、一人は中腰になって高めの直球を要求する。


速い球に中途半端に慣れた打者たちの目は、タイミングはあっていてもスイングする場所はまるで見当違いで素通りを繰り返す。


真人の球はなかなか要求したところにおさまらない荒れた球ではあったが、超回転で浮き上がるこの速球のメカニズムを理解できていない以上、球をバットの下で叩くことなど出来ない。


一人の構えたミットとは見当違いの場所に投げ込まれた球でさえ、打者は面白いようにバットを前に出してくれた。


連続三振で、ツーアウト。


番狂わせまで、あとひとり。


右打席に入った推定最終打者に対しても、一人は変わることなく冷静に配球を組み立てる。


内角に直球を要求。それて高く浮いたボール球でも、打者が空振ってストライク。


続けて2球、内角を要求してストライクを取ろうとするも、何故か真人の球はどちらも外角に大きくそれてツーボール。


一人は横跳びするような形で暴投を止めた。


おいおいどうした、もうあとストライク2球だけだぞ、何を緊張してる。


一人は両手を大きく広げて落ち着くように父にジェスチャーする。


真人はへへっと口角を上げたが、どうも前の打者のときより体が固かった。


その固さは4球目に形としてでる。


一人は真人がラクに投げやすいよう配球を変え、内角攻めを転換して外角に構えた。しかし、


今度はインコースの逆球どころか、打者の背中を通り過ぎていく飛んでもない球を放ってしまった。


客席と相手ベンチが途端にどよめく。


なんだよ、おい。






さすがの一人も怪訝な顔で真人を睨む。


ベンチの監督代行を見つめると、さすがのみちるも腕を組んだまま首をかしげていた。


真人には悪いクセがある。最終回が始まる前に一人が抱いた懸念は的中する。


強いチームとの対戦、強打者との対戦、そういうとき彼は決まって力む。


それは林原重工と対戦した未来の父を見ていても分かる、体に染みついた厄介なクセだった。


今回も、この打者が番狂わせを演じる締めくくりとなれば当然だ。


打者の背後をすり抜けた大暴投の球速を、一人はバックスクリーンを見て確認する。


球速、148㎞/h。今日最高、いや真人自己最高の球速だ。


最後の打者はかっこよく最高の剛速球で決めたい。


そんな真人の投手としての見栄がありありとわかる数字だった。


最優先すべきは父さん、あなたの三振じゃない。チームの勝利だ。悪いけど。


一人はカーブのサインを出すと、真人はあからさまに面白くなさそうな顔をしたが、渋々頷いた。


直球よりも断然コントロールの安定した遅球が、一人のミットめがけて放たれると、打者はお約束のようにつんのめって、バットに当てる。


勢いのない打球はとんとんとショートの正面に向かって転がっていった。




*


【東ブロックC組で波乱!1-4で桜蘭拙攻に散る】


【公立校躍進!稲嶺新体制が爆発!】


「おいおい波乱だってさ!これ俺たちがやったかと思うとスカッとするよなぁ。ふたばぁ!この記事もらってっていい?」


おきまりの矢野家居間、試合翌日の朝刊の記事を、真人が目を輝かせながら食い気味に眺めていると、真上からみちるのげんこつが落ちてきた。


「いって!何すんだよみちる!」


「何が俺たちがやったよ、まーちゃん昨日の最後の投球は何?せっかく最後まで投げさせてあげたっていうのにやっぱり羽目はずしたじゃない」


「悪かったよ、ほんとだって」


「チームのことが最優先!三振の数はおまけでいいの、わかった?」


「うん」


「今度そんなことしたら、迷わずジョーくんに代えるからね!」


「うん」


最後の打者への投球を除けば、真人は申し分なくこの大金星のヒーローなのだが、みちるの説教に頷くたびに顔はうつむいて肩がしぼむ。


それを傍らで眺める一人、優、丈二は顔を見合わせて苦笑した。


この部屋もにぎやかになってきたものだ。


「大体、こんな三面記事程度で喜んでちゃだめよ!全国紙の一面をどかっとジャックするくらいの気持ちじゃなきゃ!」


確かにみちるの言うとおり、稲嶺の金星を伝えるこの記事は、地方紙スポーツ欄の写真もない小さなものだし、普通の購読者であれば読み飛ばしてしまうか、へぇ、桜蘭負けたんだ程度にしか関心を持たないはずだ。


しかしみちるが腹を立てているのは何も真人の昨日の投球のことだけではない。この記事の最後の辺りに問題があった。


【今季新監督を務めるのは、野球経験がほとんどないという市村監督。担当は音楽で、最近まで吹奏楽部顧問であったという異色の経歴をもつ同氏は、野球について何も知らないからこそ見えてくる采配というものもある。生徒たちの実力を上手く引き出してやるという意味では、どんな分野の指導にも共通しているものだと、謙虚に語った。今後も新監督の動向に期待したい】


「何よこれは!あの先生なんにもやってないのに!なに自分の手柄みたいに話してくれちゃってんのよ!あたしの采配でしょうがっ!あたしの頑張りでしょうがっ!」


こればかりは一人もみちるに同情した。記者に対しておどけながらへらへらと対応した市村の姿が目に浮かぶ。


確かに、頼りない顧問のおかげで部全体に危機感が生まれ、結束が深まったという意味では自分たちの実力を引き出すことにつながったとも解釈できるが、それは指導ではない。絶対に。


強いて言うなら、これぞ反面教師というべきか。


「しかし、結果としてみちるは自由に動き回れているわけだし、マスコミにみちるの存在がバレて、他のチームが妙に警戒してくるという心配もない。ある意味いい身代わりじゃないのか」


丈二は店で余ったつまみのメザシをラルドに与えながら言う。


丈二がくしゃくしゃと頭をなでると、ラルドは何とも満足そうな目つきをしていた。


「それは、そうだけど。なんだかなぁもう」


腹の虫がおさまらないみちるはほお杖をつきながらしきりにちゃぶ台を指でとんとんと鳴らしていた。


「そういえば忘れてたけど、何で市村なんだろうな」


真人がちゃぶ台のせんべいにかじりつきながら言うと、皆そういえばという表情で首をかしげた。


「思い当たる節が全くないんだけど。市村先生って、吹奏楽の顧問としては結構優秀だったのよね?」


みちるの疑問に、優が答える。


「しかし、指導はかなり厳しいと聞いたぞ。俺のクラスにもあんまり厳しいから辞めたってやつがいたし」


「行き過ぎた指導で外されたってこと?でもある程度厳しくなきゃやっぱり鍛えるのってムリだと思うんだけど」


「女子に手ぇ出したとか!」


真人が茶々を入れるように言うと、またもみちるのげんこつが飛ぶ。


「ばか真人、そんなことしたら、それこそ学校にいられないはずよ!」


『お前たちだって、こんなドがつく素人の顧問なんて迷惑なだけだろう?だから僕はお前らに干渉しない。だから、お前たちも僕に干渉するな。勝手にやった方がお互いのためだよ』


一人は着任早々の彼の言葉を思い出す。


野球部顧問への着任は、もちろん市村本人の意思ではないようだったし、そのスタンスは自分が顧問で申し訳ないと暗に伝えてきているようでもある。


そして何より、野球部としての自分たちというより、”生徒”というものに深く関わりたくないという意思が読み取れた。


何にせよ、彼がなぜ野球部にやってきたかの経緯は不明だったのだが。



*


「君たちに問おう!芸術とはなんだ!」


チャイムと同時に音楽準備室のドアを騒々しく開けて飛び出してきた市村は、大声で生徒たちに問うた。


あまりの迫力に、雑談で騒がしかった音楽室が一瞬にして静まり、チャイムの後半の旋律だけがこだました。


1年D組の生徒たちが一様に黒目を点にする中で、一人真人親子だけは市村の勢いに苦笑した。


「もう一度問う!芸術とはなんだ!稲葉!」


「えっ、俺!?えーっと、音楽とか絵とか――」


「違う!!次、橋本!」


真人がいたって普通の答えを言ったかと思ったが、それをすぐさま否定して次々と生徒を指名していく。


夢です。違う!


ひらめきです。違う!


演出です。違う!


爆発です。違う!


「次、矢野!」


「人間です」


迷いながらも答えた一人の答えに、市村はピタリと止まった。


「ほう、その心を聞こう」


「芸術というものは人が作り上げなければ存在しません。音楽だって絵画だって、演劇のような芸能だって、人の所業によって作り出されるものです。芸術とは人間そのものだと思います」


一人の答えに、クラスメイトはおぉと深く感嘆する。しかし、目の前の出題者は一人の目をじっと見つめて――


「違う。そういう理屈っぽい答えが僕は一番嫌いだ」


「なっ!」


意味を聞いておきながらその態度はなんだと、一人もさすがにしゃくに思ったが、こらえる。


「その理屈で言えば、自然が作り出す美はどうなる。四季折々の色彩も、世界中の気候と植物が生み出す造形も、芸術には無縁だというのか」


「それは――」


「人間が作り出すものだけが芸術などというのは、人間のおごりでしかない。矢野、お前にもそんなおごりが見えるぞ」


「最後のは余計です」


一人は語気を強めて言う。何も生徒を目の敵にするような言い草はないじゃないかとクラス中が思ったはずだ。





「いいか諸君、芸術とは、心の対話なのだ」


それは何故か。


芸術はそれを発するものと感受するもの、この両者がいて初めて成立する。


どんな名画を書こうと、どんな名曲を演奏しようと、どんなに迫真の芝居をしようと、それを受け取るものがいなければ芸術とは呼べない。


感受者のいない造形など、どれだけ完成度の高いものであろうとそれは自己満足に過ぎない。


相手に何かを伝えたいから伝える。そしてそれを受け取ったものに芽生える感情、衝動、行動がある。それこそが芸術なのだ。


感謝、笑顔、拍手、声援、ブーイング、批判、スタンディングオベーション、伝え手の呼びかけに感じ手が応じることで対話が生まれる。


もう一度言う。それこそが芸術なのだ。


音楽や美術などはそのためのツールであって、感じ手への呼びかけの強さに大小あれど、それ自体が芸術ではない。


私の友人に、公道をシングルベッドを背負いながら歩き、これも芸術だと言った者がいる。


全くその通りだ。それを道行く人が見、奇異なまなざしを持って彼を見ること、後ろ指をさすこと、それも伝え手が何かを伝えたいと思ってさえいれば芸術になり得るのだ。


もう一つ問おう。君たちにとっての芸術とはなんだ。


49日がどうとかいうアイドルグループやビジュアルバンドの演奏を聞いて熱狂することか。


テレビドラマに涙を流し、翌日教室で友だちと感想を語らうことか。


それもいい。大いに結構だ。それも芸術だ。


しかし君たちの中で本当の芸術を味わうことが出来るのは。選ばれたほんの一握りの人間だろう。



伝え手のメッセージが大きいものであればあるほど、それを受け取る感じ手の器もそれに対応した大きなものでなければならない。


偉大な表現者は数あれど、感受者がそれと同じ境地に到達することが出来なければ、対話は成立しないのだ。


外国の人間と話すとき、言語のみならず、文化や風習を理解しなければ相手の話すことが分からないのと同じことだ。


音楽も美術も、構図や和音のメカニズム、作品の意図と時代背景を理解しなければ決して真の意味を受容することはできない。


あいまいに意味を理解して、カタコトの言葉で返すことしかできない。


だからこそ、本当の芸術を理解することは、選ばれたごく少数の者にしかできない。


その方法を、僕がこの授業で君たちに伝授してやりたいとは思うところだが、無理だ。


少なくとも、普通科という殺風景極まりないカリキュラムのもと教育を施され、芸術というものに1年生の間しか触れられない君たちには。


それもこれも、芸術を知ることなく成長したつまらん大人たちによって作られたカリキュラムがこの国の教育を牛耳っているからに他ならない。


君たちに芸術を知る気があるというのなら、今目の前に用意された現実を常に疑うことだ。


目の前にしかれたレールは、面白みのない大人たちによって都合よく作り上げられ固められたものだ。


受験、就職、それも確かに重要なことだ。しかしそこに行きつくために用意されたプロセスが画一化され、結果として芸術を知る機会が奪われるなど、教育者たちの怠慢でしかないのだ。


いいか諸君、芸術は心の対話だ。生きとし生けるものに心はある。人だけではない、この地球と対話することだって、我々には可能だと覚えておきたまえ!



自分たちは音楽の授業を受けに来たはずなのだが。


市村先生、いや教授の演説に、クラスの全員がぽっかり開けた口をふさげないでいた。


あまりに情熱的によどみなく語る彼の姿は、国の理想像を語るいっぱしの政治家にも見えた。


少なくとも、彼の言う殺風景極まりない普通科カリキュラムの生徒たちに聞かせる演説でもない。


この演説も芸術を生むためのツールだというなら、彼ら学生にそれを受け切るだけの器は、ない。


「さて、では今日はこの間の合唱曲の続きだったな」


そして何事もなかったかのように冷静にピアノに向かった市村に、全員が拍子抜けしてコケそうになった。


ここまで音楽を、芸術を愛する男が、何でこんな高校にいるのか。


自分の理想を叶え、幅広く真の芸術を伝えたいというなら彼は音楽科のある高校に行くか、それこそ音大で教授にでもなるべきだろうに。


確実な審美眼と知識、そして能力を持ちながらこんなところにとどまっている市村の真意が、一人はますます謎だった。




演説のおかげで、授業時間はもう半分以上すぎている。


市村が軽快に鍵盤をたたくと、発声練習の始まりを告げるCメジャーの和音が教室中に響き渡って、空気ががらりと変わった。


*


10月1日


薄着だと日中でも肌寒い日が時折はさまる季節になった。


日なたに立っているだけで全身から汗がふき出るような陽気は過ぎ去って、柔らかい風に乗った乾いた空気が届いてくる。


この空気の変わり目を感じ取ってか、春から夏を日本で過ごし、命をはぐくんだツバメたちは南国へと飛び立っていく。


これから南へ下って行くのだろうか、球場の空にもそんなツバメ家族の一団が隊列をなして横切っていった。


東ブロック予選C組。


県立稲嶺高校、2勝0敗。


現在、首位。


私立総陵高校、2勝0敗。


同率、首位。


1試合目を圧倒的な打撃で、2試合目は堅実な野球で制した稲嶺とは対照的に、総陵の野球は分かりやすい。


対 笹川戦 15 対 4(7回コールド)


対 桜蘭戦 12 対 7


守備よりも打撃に重点を置いたチーム編成は、その圧倒的な力を見せつける。


攻撃は最大の防御とも言えるような野球で、突き進む。


総合力の稲嶺か、力の総陵か。


この試合で予選突破チームが、決まる。





「なーんだ、兄貴スタメンじゃないじゃん。つまんなー」


めんどくさそうな市村からメンバー表を受け取ったみちるは、兄光を小馬鹿にした調子で言う。


「でもベンチ入りしてるじゃないか。すごいことだよ。僕なんかじゃ絶対できない」


共に表を覗き込んでいる考がしっかりフォローをいれると、みちるは少し得意げにまぁねと鼻の下をこすった。


名門総陵の部員数はおよそ70人、3年生が抜けてこの規模なのだから、レギュラー争いどころかベンチに入ることだって皆必死のはずだ。


そんな中で1年生で早くもベンチ入りの座を掴みとった秋山光の実力は相当なものだろう。彼以外に1年でベンチに名を連ねているのは、2人だけだった。


「努力したんだろうな、光くん」


考が感嘆のため息をつきながら言うと、なんとも説得力があった。


「しっかしそうそうたる顔触れのスタメンだなおい、ピッチャーは大したことないけど、打者は中学時代によく打たれたやつもいるぞ。あ、コイツ前に甲子園ジャーナルに載ってた!」


みちるの持つ表を上からひょいとつまみ上げた真人がスタメンを見て目を輝かせる。


そう、名門総陵には県内の関係者のみならず、高校野球ファンならチェックしておきたい逸材が数多く在籍している。


そこにはもちろん、未来でプロとして活躍している者もいるのだ。



一人は中でも2人の選手をマークしていた。


まず1番ファーストを務めるキャプテンの笠原。


彼は、典型的な俊足巧打の一番という存在ではない。長打を大量生産する超攻撃的一番打者だ。


足はそこまで速くはないが、長身と鍛え上げられた筋力から繰り出されるバッティングでバッテリーの出鼻を確実にくじいてくる。


実際、彼は2年生ながら今年の夏の大会でも1番を任されており、先頭打者ホームラン※を3本も記録している。


調子の波が激しい真人の天敵と言っていい。


そして彼は2013年でもプロとして北海道のチームに所属、ベテランにしてクリーンアップ※を任されている。


おそらく精神的揺さぶりにも強いタイプだろう。


※先頭打者ホームラン…試合開始後、最初の打者が放つホームラン。投手の立ち上がりを攻略し、点数以上に相手チームにダメージを与える一発として知られる。ライオンズ時代の松井稼頭夫、元タイガース、真弓明信など攻撃的1番が得意とする。


※クリーンアップ…打順で最も強力とされる3、4、5番のライン。塁に貯まった走者を生還させ、クリーンアップ(掃除)するという意味が語源とされる。


次に、4番サードを務める篠田。


筋骨隆々の体はさながら筋肉の鎧、軽い一振りでオーバーフェンスの当たりを放ってみせる県下随一の大砲だ。


引退するまでに高校通算48本を放つその力はこの時期から確かなものだ。


もう引退はしているが、彼もプロ選手として多くのチームを渡り歩き、プロ通算300本のホームランを放っている。


ただ、三振の多さもよく指摘されている選手だった。考えて打つというよりは、センスで打っているタイプか。


この試合でその弱点をどうつけるか、それがカギとなる。


試合は先攻総陵、後攻稲嶺でスタートする。


試合直前の投球練習。一人のミットに届く真人の球は今日もぐいぐいと伸びていた。


強い相手と戦えることが嬉しいという思いが球に乗って、息子の手のひらにびりびりと伝わってくる。


まったく、力むくせに。


「いい?絶対に調子のっちゃダメ、考えなしに投げちゃダメ!」


ベンチを飛び出す直前にみちるが真人に釘を刺す。


考えるのはカズだろと父が毒づくと、みちるは考えを共有しなさいと説いていた。


今のところ、球速もセーブできているし、コントロールもいつもよりいい。


いける。勝てる。


一人は一度、ミットをバシンと叩いて気合を入れた。


「勝つぞ稲嶺!みんな締まっていけぇぇ!」




「プレイボール!」


一番、笠原が左打席に入ると、一人はごくりと大きく唾を飲み込んだ。


ここでは同じ高校生とはいえ、一人が知る笠原は、小さいころから憧れのプロ選手としてテレビ画面の向こう側の存在だった。


それが今自分の目の前でバットを構え、勝負を挑んでくる。


面白いじゃないか。


今更ながら、一人は武者震いがした。


1球目、一人の要求は外いっぱいの直球。


気負った様子なく悠々と投げ込まれた真人の球は珍しく、全く要求の通りの軌道でミットに迫った。


「ストライク!」


絶妙に決まった直球に、客席がざわつく。


予選随一の注目カードとなった試合には、割合多くのファンがつめかけていた。


球速144㎞/h。


確かに客を唸らせる直球だ。しかし客席の反応の理由はそれだけではない。


笠原の豪快なスイングに、客は唸っているのだ。


初球から全く遠慮なくこちらの球を”しばき”にくる笠原のスイングには、球を受けた一人も目を見開いて驚いた。


スイングスピードが、速い。


そしてステップして強く踏みこんだ右足の、打席の土をえぐる音がはっきりと一人の耳に届いた。


真芯に当たれば間違いなく持っていかれる。そんな恐怖を植えつけられそうな一振りだ。


しかし幸い笠原はタイミングこそあっているものの、真人のノビる直球の下を振っている。


まだ読まれているわけではない。


2球目、一人は先ほどのコースよりさらに球一個分外に構える。きわどいボール球のコースだ。


見送られるかもしれないが、上手く釣れればスイングを奪える。一人は早めに優位に立ちたかった。


真人の球は勢いよく、これもコース通りに入ってくる。


しかし――




笠原は当てて見せた。外のボールになる直球を強烈なスイングではじき、レフトのファウルゾーンに鋭い打球を放ったのだ。


――なんだと!?






親子は衝撃で目を丸くした。


様子見で放った直球だ。まさか当てられるなど想定にない。


真人の直球をわずか2球目で当ててきた打者は、この笠原が初めてだった。


それも真芯近くである。最もベース寄りに立った笠原は、腕を極力伸ばすことなくぎりぎりまで引きつけ、ためたスイングによって、力の分散を防いだ実に巧みな打撃を見せた。


一人は冷静で鋭利な目つきを崩さない笠原の表情をマスク越しに見た。


彼は、ノビる直球のメカニズムを理解している。


こいつはこれまでの相手と一味違うどころの話ではない。


明らかに笹川や桜蘭とは違う次元の打撃をしている。


一人自身も、中学軟式で全国を経験したが、これほどの強敵を相手にするのは初めてになるかもしれないと思った。


ミットをはめた左手が、急に汗ばんできた。


落ちつけ、カウントは2ストライク。絶対的にこちらが有利だ。


しかし不用意に変化球を投げるのは恐怖だ。ここは直球しかない。


一人は一転して、中腰になって高めのボール球を要求する。


打ち気なら、手を出せ!


3球目が放たれる。


笠原はピクリとも動かず見送った。打ちごろに見えないのか、今の球が。


たいてい打ち気にはやる打者というのは、自分の目線近くに迫る球に対して本能的に打ち返しにかかろうとする。


スラッガータイプの選手、プロでは特に打ち気な外国人選手によくつかわれる手だ。


しかし笠原は冷静だ。打つべき球を達観して待っている。


ならば、勝負!


一人が構えたのは内角高め、滅多に投げない勝負の球だ。


たいていの打者なら腰を引かすか、腕がたためないなどして打てない難球だ。


しかしリスクも高い。体にぶつけてしまう可能性があるほか、少しコースをズレれば真ん中高めやど真ん中近くのホームランボールになる。


しかし初回だ。先頭打者だ。リスクを負ってでも、一人はこの強打者の性質を見極めることを選んだ。


4球目、真人が体をしならせ全力の直球を放り込む。


来た!要求通りの内角高め、上出来だ父さん!


だが――





球は一人のミットにおさまることはなかった。


快音を残して球が運ばれたのは先ほどのようなファウルグラウンドではない。


球は右中間(センターとライトの間)を突き破る弾丸となって放たれた。


一人は思わずマスクをとって打球の行方を目で追った。


飛球を追うセンターの丈二はこちらに背番号を向けて走る。


長打コース、いや、さらに打球がのびる。


これは――






――入るか。




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