ボーイミーツアンサー
【夏 花火大会の日の昼間】
嫌な事は、楽しい事で紛らわすのが一番。という独断と偏見で、礼菜に兄貴の婚約話をするのは月末の花火大会の日にしておいた。その前の花火大会に行く話は流れていた。今回の方が皆、都合がつくからということだった。
礼菜が皆と合流する前に、昼間に話す。
俺は礼菜と二人きりになる口実にワンコを使った。ワンコに会いたいから、家に迎えに行く。そういう方向に持っていった。よぼよぼ爺ちゃんになってる、最近会ってなかったワンコに会っておきたかったのもある。
「おおおおお、ワンコ。まだまだ元気そうだな」
最近寝てばかりと聞いていたワンコは、尻尾フリフリ、元気一杯だった。でもソファの上、俺の膝の上にダランと伸びてなので、やっぱりもう長くないっぽい。
「最近、寝てばっかりだよ。陽二君が来るから張り切ったんだよね、ワンコ」
浴衣かと思ったら、礼菜はTシャツにショートパンツだった。足、出し過ぎじゃないか?
「色々あって、これから支度だからワンコと待ってて」
リビングから去った礼菜と入れ替わりで、礼菜の兄がリビングに顔を出した。
「お邪魔してます、明さん」
「陽君、久々。今日は幸は一緒じゃないのか。まあ、あいつ忙しいもんな。良かったなワンコ」
ワンコに会いに、時たまお邪魔していたが、一人で来たのは初。礼菜の兄が俺の横に座った。ワンコがいるので、少し窮屈そう。ワンコは礼菜の兄貴に背中を撫でられて、嬉しそうに目を細めている。
「そういえばさ、陽君って凄いモテてるって聞いたけど、実際どうなの?彼女とかいるの?」
突然の質問に、俺は首を傾げた。礼菜の兄の、揶揄うような視線に困惑する。俺が、モテてる?
「なんすか、それ。兄貴が何か言ってました?全然モテてませんよ。彼女の、かの字も見当たらないです。俺って兄貴と正反対なんすよね。このまま成人しても彼女無しって嫌なんで、誰か告白してくれたら付き合うかもしれません。モテてるなら、今日とか浴衣美人に好きですって言って貰えるかも」
実際は、告白の練習をされて、幸せと不幸をいっぺんに味わうだけ。いや、今日はもう味わえない。決意が揺らぐ。
一緒に遊ぶメンバーの中から、俺に告白する子なんて想像もつかない。礼菜と付き合っていると誤解され、違うと言っても信じてもらえない。
礼菜と会って、告白の練習が無かった日は無い。それも、あともう少しで終わり。終わったら、俺も新しく前に踏み出せるだろう。ずっと隣で、不幸になれと願っていたと思われたくないので、絶対に礼菜に告白なんてしない。告白の練習が無くなったら、離れて、別の所で新しい恋を探す。いつまでも燻っていても仕方ない。
これだけ近くにいて、振り向かれないのに、続ける勇気は無い。礼菜が新しい恋に落ちた姿を見るのも、絶対に嫌だ。
「浴衣美人に好きって言われたら、取りあえず付き合っとくかとは生意気だな!」
ベシリッと俺は背中を叩かれた。かなり痛かった。
「痛いっすよ。見栄です。浴衣美人がいきなり俺に告白する訳ないじゃないですか。告白なんてされた事無いです。バレンタインは貰えたけど無記名だったし。しかも中学生の時。俺、モテると真逆なんです。あの、今日……礼菜に兄貴の結婚の事話しておこうかと……。ずっと黙ってる訳にもいかないし」
「黙っててくれって言うから、黙ってたけど、何で今日なんだ?それにさあ、何でまた……」
「泣くんすかね……。多分笑うんだと思ってるんですけど。何をしたら、元気になるもんなんですか?取り敢えず、皆でワイワイして、綺麗な花火見ればマシかなって今日にしたんです。ワンコ、今日も明日も、来年も元気でいて礼菜を慰めてやれよ。お前も礼菜の晴れ着、見たいだろう?頼んでおいたからな」
俺は思い出してポケットから健康祈願の御守りを取り出した。首輪に付けて良いか聞いたら、快く許してもらえた。
「本当、幸と似てないよな。ワンコに家族が見つかったんだから、馴れ馴れしくしたらダメだ。家族を一番好きになってもらうようにしないとダメだって幸を叱ったのを思い出すよ。そんなに言うなら、もう来るのは止めようって言われて、陽君来なくなっちゃってさ。弟が家でたまに泣いてるらしいのに、あいつなんて、毎日のように我が物顔で家に来てたぜ。おまけにワンコはそこそこ、俺とゲームしてた」
「全然、覚えてないです。幼稚園の時のことなんてサッパリです。犬にワンコって名前を付けたくらいしか覚えてなかったです。明さんや兄貴はもう小学生だったんですもんね。覚えてない昔話とか恥ずかしいですよ」
俺はワンコの頭を撫で続けた。幼稚園生の礼菜ってどんなだったのだろう?俺と会った事は無いらしい。何度かこの家に来ていたのに、不思議な話。俺と礼菜の間には縁が無いのだろう。兄貴にひっついてこの家に遊びにきていたら、幼馴染で初恋相手だったのに。アホ兄貴の弟だから、アホだな。
「あのさ、陽君。礼菜ってバカだから引っ込みつかなくなってるんだけど……」
「幼稚園からずっと兄貴が好きって、確かにバカですよね。あんな浮気者、いや、菜乃花さんと付き合ってから全然違う奴みたいだから、見る目はあったのか?長過ぎてどれだけ落ち込むのか、全然想像つかないです」
俺は足元に置いてある鞄から、持ってきていたチケットを取り出した。夢の世界も、礼菜を楽しませてくれるのだろうか?そういえば、皆で行くという話が流れているなと思い出して買っておいた。礼菜が割と張り切っていた気がして。
「これ、どうしたの?」
「バイト先の納涼会で、ビンゴをしたんですけどそれで当たりました。四枚あるんで、家族でどうです?行く日が早めに分かれば、ワンコを預かりたいです。兄貴の新居が動物大丈夫なんで。俺も犬がいる生活がしたいんで、兄貴にワンコを可愛がらせて、犬を飼ってもらおうかなと。礼菜や沙也加達四人にあげてもいいすけど、俺の夢の犬ライフは助けてください」
五つも年上なので、お願い事をし易い。俺は「なー、ワンコ」とワンコの顔をグニグニしてみた。その時、リビングのドアが開いた。
「どうでしょう?中々、似合うと思います」
浴衣姿の礼菜は、想像よりも可愛いかった。というか、綺麗だった。白地に青い紫陽花柄。似合わないと思っていた青色も、白地がメインなのかよく似合っている。それか、そもそも青は礼菜に似合う色だった。どっちもかもしれない。
「自画自賛かよ。まあ、似合ってるんじゃないか?多分。明さん、お邪魔しました。ワンコ、またな。元気でいろよ」
俺はワンコを抱っこして、礼菜の兄に渡した。それから礼菜と向き合った。こんなの言いたくないけど、決めてきた。日にちも考えたし、夢の世界へのチケットもあるし、ワンコの健康祈願もしてきた。沙也加達に根回しした。他に、何をしてあげられるのか思い浮かばなかった。俺って情けないというか、俺こそアホ。
「兄貴、菜乃花さんと結婚することになった。今日はそれを言いにきたんだ。バイトあるから帰るな。沙也加とか真由にはもし落ち込んでたら、話を聞いてやってって言ってあるから。こんなの聞くの、花火の後の方が良かったなら、気遣い下手でゴメン」
俺は逃げるように礼菜の家から去ろうとした。そうしたら、礼菜に腕を掴まれた。
「あの……」
「散々練習しただろう?本当は全部、どれだって良かったよ。いつも頑張ってた。だから、言わないよりは言った方がいいと思う。こんなに長く好かれて、嫌な顔する兄貴じゃない。違ったら、ぶん殴ってやるからさ。そんな男、俺が許さない。そんな最低な男はボコボコにしてやる」
みるみる泣きそうになった礼菜。
涙が落ちるのを見たくなくて、俺は礼菜の腕を自分の腕から引き剥がした。それから急いで礼菜の家から去った。
グチャグチャな気持ちでバイトに行った。
バイト中、俺はずっと思い出していた。
好きです。
何度も聞いた礼菜の声。
何で練習に付き合うとか言ってしまったのだろう。こんな気持ちになるなんて、想像もしていなかったあの時の俺を往復ビンタしてやりたい。
本当はずっと心の底で叫んでた。
***
どうか、彼女の告白を止める方法を教えて下さい。
誰か、長い、長い、一途な恋の消し方を教えて下さい。
***
【夏 花火大会の日の夕方】
他の男に「好きです」なんて言うのは嫌で嫌でならない。振られて泣くのを見たくないとか、落ち込んで欲しくないとか、そんなの全部建前だった。俺って自分のことばっかり。
「いらっしゃいま……」
「本当にバイトだったんだ。コンビニのバイトって楽しい?私と花火大会より?」
突然現れた礼菜に、俺は驚いて固まった。浴衣を着ているので、これから向かうのか?駅は逆方向なので、俺の地元にわざわざ来たというのは理解出来る。まさか、もう兄貴に会いに行くのか?
「いや、普通。花火大会って混んでるじゃん。ていうか皆、待ってるんじゃないの?沙也加達、心配してない?やっぱりデリカシー無かった?」
大嘘ついた。花火大会は混んでいるが、浴衣姿の好きな子が近くにいたらバイトなんかより楽しい。隣にいたら、もっと楽しい。手を繋いでデートなら、最高だ。しかし、礼菜は俺の彼女ではない。そして金欠。働くしかない。
夢の世界へのチケットって高いんだよな。
「あるよ。あり過ぎ。誰も待ってないよ。皆に頼んであったから。二十歳になったら、絶対にしっかりと告白するんだ。それまでに釣り合うようになる。それは本当。他は嘘。振り回してごめんなさい。二十歳まであと少ししかないけど絶対、諦めないから」
他は嘘?何の事だ?誰も待ってない?もしかして予想してた?実は礼菜の兄からもう結婚話を聞いていたとか?
二十歳まであと少ししかないけど絶対、諦めないから。
兄貴の結婚の事実は、礼菜に闘争の火をつけたらしい。これは、全くもって予想外。
礼菜がレジにペットボトルのお茶を置いた。俺はバーコードを読み取った。会計をして、袋は要らないと言われたのでシールを貼った。まだ客は増えてない。もう一人のバイトも裏にいる。
「結婚式前にしたら?諦めないなら尚更」
礼菜が大きくため息を吐いた。悲しそうに、長く長く息を吐いた。こんな落ち込んだ姿、見たことない。
「幸一さんが好きっていうのが嘘。どうしていいのか分からなくて、考えたの」
「はあ……はあ⁈何だって⁈」
大粒の涙を、今にも溢れそうにさせた礼菜が俺に買ったばかりのペットボトルのお茶を差し出した。驚愕でペットボトルを見つめていると、礼菜がペットボトルを俺の前に置いた。
礼菜がチラリと周りを確認した。幸か不幸か、まだ客がいない。もう一人のバイトもまだ戻ってこない。
「ずっと会いたくて……。会わせてもらおうって勇気を出して……。その前に駅で助けてもらって、嬉し過ぎて変な事口走って……。空回って、かなり嫌がられてたから考えたの。どうやったら仲良くなれるかって」
ん?
礼菜の眉間に皺が寄っていく。
「口実を作る方法を考えたの。沙也加達にも頼んだし、隆史君達や幸一さんにも……。全然興味持ってくれなくて……。嘘ついたって知られたら、もう会えないと思ったら二年も言えなくて……」
礼菜は俺を見ない。チラチラと、来客が無いか確認している。両手を強く握り、涙目。
「近寄る女の子を遠ざけて、付き合ってるって嘘ついて……こんなんだからダメなんだよね……。と、いうわけで今日から陽二君を見習うことにする」
混乱している俺。しかし、話し振りからして、俺は最初から礼菜に好かれていたっぽいのは理解した。
出会った頃の礼菜の変な言動を思い出した。空回っていたのか。今、思い出してもあの礼菜は変だ。
ずっと会いたくて、会わせてもらおうって勇気を出して、その前に駅で助けてもらって?駅で出会うより前から好かれてた?
「自分より相手。そう心掛ける。今までの私と逆になる。二十歳でしつこいのはサヨウナラ。それまで……。ううん。しつこいのは嫌われるって知ってるのに、学習能力ないよね。うん、今日でお終い。ありがとう」
礼菜が泣き笑いした。痛いくらいに、無理矢理な笑顔。
レジの上に、俺が礼菜の兄に渡したチケットを置かれた。それからお金。パッと見、チケット代より多い。
「ワンコのお泊まり会、企画する。ワンコも嬉しいと思うから。これは自分のデートで使って。気持ちだけ貰っておく。こんなの、こんなお金じゃ足りないよ。ずっと思ってたけど陽二君は本当に優しいよね。ここまでするなんて、お人好しだよ。だからモテるんだよ。追い払うの大変だった……。これからは追い払わないから……。ごめんなさい」
深々と頭を下げた後、体を起こした礼菜はやっぱり痛々しい苦笑いをしていた。来客を告げる音が鳴った。
「バイト中、ごめんね。自分勝手は直してきたつもりだけど、難しい。引っ込み思案だったり、勇気を出し過ぎたり、加減が出来ないのもいけないんだよなあ、って反省する。ううん、何もかも反省する。本当にずっと良くしてくれてたのに、嘘つきでごめんなさい。本当にありがとう」
ニコリと笑った礼菜は、俺が何か言う前に急いでコンビニから出て行ってしまった。追いかけようにもバイト中。俺は慌ててスマホを取り出した。客がいるが、無視して裏手に回った。
動揺していて、心臓が煩くて、指が震えて、上手く文字を打てない。いつものグループトークだと、礼菜がいる。礼菜以外のトークルームを作った。
『礼菜泣かせた。バイトで追えない。明日も朝からバイト。礼菜が好きだ。自分で言うから言うなよ。でも明日まで慰めて欲しい。俺のこと好きって知ってた?』
みるみる既読がついたが、客が呼んでる。俺は急いで礼菜にも連絡を入れた。
『明日バイト後、18時に迎えに行く。ワンコの散歩と話がある』
俺はポケットにスマホを突っ込んだ。お金を貰っているので、しっかり働かないとならない。
礼菜が俺のせいで泣いている。あの様子だと、凄く泣く。しかし、メールで済ませたくない。電話も気が進まない。バイトを放り投げるような無責任な男になりたくない。そんな奴、礼菜に釣り合わない。
でもその本人が俺のせいで、泣く。
こんなの俺だって自分勝手だ。それにお人好しでもない。単に好きな子だから、俺なりに気を配ってきただけ。
客がいない時に、スマホの通知を確認した。
物凄い量の会話とスタンプ。俺は鈍いのオンパレード。それから、いつから好きなんだとか、隠し過ぎだという非難。礼菜が好きなのに、あちこちで良い顔して女誑だという誹謗中傷。それが、だんだんと雑談になって、一時間前で途絶えていた。礼菜と会っているのかもしれない。
聞きたい事が山程あるので、俺は読むだけ読んで返信しなかった。ごめんなさいのスタンプだけ送っておいた。
八時過ぎに、兄貴が店に現れた。隆史に何か聞いたのか?
「うわあ、本当に真面目に働いてるのかよ。バカだな陽」
「何の用?」
見透かされているので、俺は自然とぶすくれた。
「お前はドラマみたいに、バイト無視して走り出すとかいう性格じゃないからな。礼菜ちゃんも悪いから、一日くらい良いと思って。だから、差し入れ買いにきた。花火後、明の家で酒盛り。俺の婚約祝いだな。あと鈍すぎる弟を笑いにきた。しかし、兄ちゃんも気づかなかったわ。よくもまあ、頑張ったな。むしろ頑張り過ぎだ」
客がいるのに、兄貴が俺の髪をぐしゃぐしゃにした。手を振り払う前に、兄貴は俺の前からいなくなった。
頑張ったな。むしろ頑張り過ぎだ。俺は完璧に礼菜への気持ちを隠せていたらしい。自分では、結構漏れていると思っていた。
何人かの会計が終わった後、兄貴がお菓子や酒のつまみ、それに酒が大量に入ったカゴをレジの上に置いた。隣のレジで、もう一人のバイトが「どうぞ」と言っているのを丸無視する兄貴。自由というか、自分勝手。我が道を行く男。兄貴が俺なら、今頃礼菜を抱きしめてキスの一つでもしてるだろう。
兄貴に憧れるが、俺はレジ前から離れられない。そういう性格が憎らしくも、自慢でもある。兄貴と比較して真面目だと、褒めて貰えることも多い。無いものねだりより、ある物に目を向けるのは俺の特技だ。
「未成年にお酒は売りません」
気心知れてるメンバーとはいえ、俺が不在な上に、男がいる場所で礼菜に酒を飲ませてなるものか。俺は酒をレジの端に避けて、他のものだけバーコードを読み取っていく。
「兄ちゃん、そんなに若く見える?んだよ、喋れよ。この真面目め。礼菜ちゃんもだよな。俺が冗談半分で言ったこと、ずっと実行してた」
兄貴が財布を出した。兄貴の後ろに人が二人も並んでいるので、俺は黙っていた。
「何回も会う、秘密を共有、あと好意を伝えれば好意が返ってくる。ってな。ネットで見て話しただけなのに、まさか信じるとは。一生懸命続けてるから、手本になってあげたくて俺も真似しちゃった。嫁さん手に入ったわ。可愛い妹も欲しかったし」
元凶はお前か!そういえば、婚約した菜乃花さんには何度も玉砕して、付き合ってもらったとか惚気ていた。
何が、俺も真似しちゃった、だ。20も半ばを過ぎて、ウインクするとは学生の俺より学生みたいだ。
俺は酒のうち、缶ビール二本だけは、バーコードを読み取った。それから兄貴以外の誰にも聞こえないように、小さな声を出した。
「違う。とっとと帰れアホ兄貴。明さんと兄貴以外に飲ましたらブン殴る。……ありがとう」
兄貴が歯を見せて笑った。屈託無い笑顔。両家顔合わせの時の、ぎこちない凛々しさは見当たらない。食事会の時、兄貴も緊張してたのか。今度、向こうの家族と会う時はもう少し兄貴の事を褒めてやろうと思った。この間は、日頃の仕返しに、静かにして密かに邪魔をしていた。
俺は缶ビールをもう二本だけ追加した。それから会計時に、夢の世界のチケット二枚をレシートと一緒に渡した。何か聞いているのか、兄貴は素知らぬ顔で財布にチケットをしまった。
兄貴は会計が済むと、両手に袋を持って店から出ていった。
隣のレジのバイトの胸ポケットに駄菓子を突っ込んで「弟をよろしくお願いします」と爽やかな笑みを投げてから。
客がいない時に、バイトの相方に「見た目は似てるけど、似てないな」と笑われた。いつもそう言われる。
***
【花火大会の日の翌日】
朝からのバイトが終わると、俺は身支度を整えて、時間を調整してから礼菜の家に向かった。通知がうるさいので、スマホに入る連絡は全部無視した。礼菜も含めて、会って話す。
緊張しながら、礼菜の家のチャイムを鳴らした。ワンコを抱いた礼菜は充血した目をしていたが、俺を見ると笑ってくれた。
なんでワンコと散歩なんて、言ってしまったのだろう。これだと何処にも行けない。しかし嬉しそうなワンコを置いてはいけない。せめて夕暮れが綺麗だろう、噴水がある公園で告白しよう。
ワンコの散歩と言いながら、俺がワンコを抱っこして散歩。今日も昨日と同じよぼよぼワンコだが、尻尾をブンブン振っているので元気そう。礼菜の家から十分以上、俺達は無言だった。何から、どう話して良いのか分からない。礼菜に好きだというのは、公園。それまで、気の利いた話をしたいのに、空気と緊張で言葉が出てこない。
「あの、陽二君。ワンコに会いに来てた頃ね、私、泣いたの。幼稚園生の時……」
ポツリ、と礼菜が告げた。礼菜は俺の一歩前を歩いている。なので顔が見えない。俺が尋ねる前に、礼菜が続けた。
「ワンコはうちの子になったのに、どうして私より他所の家の子が好きなの。って泣いたの。お兄ちゃんと違って、二人が来ると部屋に閉じこもってた。お母さんに泣きついた頃から陽二君は来なくなったの。幸一さんは来てたけど。私のせいだって、後から聞いた」
昨日、礼菜の兄から聞いた話はこういう風に繋がるのか。思い出そうとしてみたが、さっぱり記憶にない。
「そっか。全然、覚えてない」
「お母さんがね、陽二君は偉い子ねって褒めて、私も優しい子になろうねって言ったのを凄く覚えてる。それで、幸一さんが遊びに来ると、たまに陽二君の事を聞いてたの。また遊びに来ないの?って。そのうちとか、誘うの忘れてたって言われて何年も経ってた」
そのうち、とは単に兄貴は弟の世話をするのが面倒だったのだろう。幼稚園生と小学生の高学年。まあ、自分に置き換えてみても嫌だ。
「それで、バレンタインのチョコと一緒に手紙を書いたの。また、ワンコと遊んで下さいって。三年生の時かな。こういうのは大人になってからって、幸一さんに突き返されちゃった。一回持って帰ってたから、嘘ついてくれたんだって分かった。陽二君、怒ってるんだって思った。それか、もうワンコの事忘れたのかなって」
大人になってからって、そういうことか。というか、嘘にそのエピソードを使ったということか。この感じだと、礼菜は別に小さい頃から俺が好きだった訳ではなさそう。残念だが、接点が無ければそんなものだ。
礼菜はいつから俺が好きだったのだろう?
「それって単に兄貴の奴、俺への嫌がらせしただけだと思うけど。兄貴から、人から預かったチョコなんて貰ったことない。むしろ俺がバレンタインにチョコを貰うと、勝手に食べてた。まあ、全部義理だけど。自分なんて、本命ばっかりうんと貰うのに。ワンコの事は普通に忘れてた。ワンコ自体は覚えてたけど、それだけっていうか。礼菜って記憶力良いんだな」
中学生三年生の時、無記名の本命チョコを貰った事はあるが、黙っておいた。市販だが、高めのチョコレート。可愛いメッセージカードで、ハートのシールが貼ってあったので本命だと思っている。「陽二君、受験頑張って下さい」と書いてあった。バレンタイン当日の夕方、郵便受けに入っていた。
俺はさり気なく歩く速度を速めて、礼菜と横に並ぼうとしたが、礼菜の歩く速さも早くなった。俯いているのもあって、髪に隠れて顔が見えない。声は静かで、淡々としている。
「ううん。記憶力が良いっていうより、お母さんとか、お兄ちゃんに聞き直したりしたから。幸一さんって、陽二君の事好きじゃない?家に来ると、良く陽二君の話をしてたの。今もだけど。お母さん同士も仲良しだから、お母さんからも聞いてた。顔は知らなかったけど……」
知らないところで、どんな話をされていたのか。この感じだと、印象の良い話をされていたのだろう。恥ずかしくてならない。
「へえ。逆は無いっていうのが不思議だな。あー、いや、あったな。兄貴の友達の家の娘さん。たまに親父と母親が話してたかも」
うちも女の子が欲しかったとか、中学受験が成功したとか、可愛らしい子とか、思い出せない。うろ覚え。しかし、そうだ。れいちゃんと呼んでいた。
礼ちゃん。
礼菜。
れいちゃんについて、何の話をしていたか記憶を呼び起こそうとしたが、無理だった。
「義理しか貰った事ないって嘘でしょう?だって、私、受験頑張って下さいって書いたよ。ハートのシール貼って」
礼菜が歩く速度を上げた。
今、なんて言った?
「同い年だし、会ってみたくて、試合を観に行ったの。ワンコのこと、ずっと謝りたかった。うちのお父さん、野球好きだから陽ニ君に会いたいじゃなくて、同い年の子の野球を観てみたいって頼んだの。陽二君、大きな声出して、周りに声を掛けてた。最後の試合、悔しそうにへの字に口を曲げてるのに、泣きそうな顔なのに、皆の背中を叩いてた。お父さん、密かに陽二君のファンだったんだよ」
予想外に、俺の人生初にして唯一の本命チョコの贈り主が判明した。中学までは、確かにそこそこ上手かったが、別に大したことない。そんな俺に個人的な応援がいたなんて、信じられない。未だに礼菜の父親と会ったことは無い。
驚きすぎて、言葉が行方不明。
「家の近所の高校に入学したって聞いて、ワンコの散歩道を変えたの。犬を連れてたら、話せるかもって。でもそんな呑気な部活じゃないし、男子って小学生以来接してなかったから怖くて。いつも遠くから見てた。部活がない放課後とか、休みの日に、たまにグラウンド側を通ったりしてたの」
礼菜の歩く速度が徐々に遅くなった。それから礼菜は振り返った。耳まで真っ赤にして、俺を見上げる切なそうな顔。
俺は足を止めた。俺、まさか中学生の時から好かれていたらしい。
「陽二君が部活帰りに電車に乗る時間が分かってからは、図書室で勉強したりして帰宅時間を同じくらいにしてたの。会えない時の方が多かったけど。お年寄りに優しくしてるなとか、道を聞かれたら丁寧に答えてるなとか。信号を律儀に守ってるなとか……」
自分が知らないうちに、俺は礼菜に見られていたと知って、全身熱くなった。好きじゃなかったら、ストーカーって思うのか?俺は礼菜が好きで、こんなの反則だ。
俺は知らないところで、こんなに長所を見つけて貰っていた。
「ゴミを拾ってるのも見た。肉まんを落として物凄く落ち込んで電柱にぶつかってた。数学消えろって叫んでるのも聞いたよ。胸は何カップがいいかとか、そんな話は聞きたくなかった。友達がドミノ倒しにした自転車を、一番最初に直してた。休みの日、たまに沙也加達と部活を観に行ってたの」
合間に良いところではなく、俺の間抜けな所が混ざってる。そういえば、たまに可愛い女子がグラウンドのフェンス向こうにいた。顔は思い出せない。一人ではなく、何人かいたし、先輩目当てだろうと思っていた。練習に夢中だったのもある。礼菜は赤い顔で、涙目で俺を見つめていた。
「勇気を出して、幸一さんに会えないか相談したの。その前に駅で助けて貰って……。映画みたいだって感激しちゃって、舞い上がっちゃって……。今思うとバカだなって。ストーカーだよね。その次は嘘ついて練習とか言い出して、やっぱりバカ。でも頑張らないと、すぐ他の人に取られちゃうって思って……。頑張り方を間違えてるって皆に言われてた。嘘ついて、本当のこと言えなくなっちゃって……。私のこと好きになってくれてそうなら、嘘ついてたって言おうと思ってたんだけど……そんな勝手だから全然ダメだった」
ダメだったって、落ち込む礼菜をいますぐ抱きしめたい。それこそ映画みたいに。しかし、俺の両手はワンコで塞がっている。
羞恥と歓喜で胸が爆発しそうだ。
黙って聞いているのは卑怯者。俺は両想いだと分かっているが、礼菜は片想いだと勘違いしている。むしろ、俺に振られると思ってる。声を出したいのだけど、心臓が口から出そうで言葉が出てこない。
俺がこんななのに、礼菜は凄いと思う。今までの俺の態度を思い出して、彼女の立場になって考えてみると過去の俺を殴り飛ばしてやりたかった。絶対に、何度も泣かせていた。
「可愛いのに変な奴って思ってた。でも兄貴を好きって言ったときの、人を好きだって顔、良かった。だから、最初は女にダラシないバカ兄貴じゃなくて俺の友達を好きになればって思ってた。いつもニコニコしてて、前向きでさ。受験の時も、相当頑張ってただろ。でも辛いとか言わないし……。そのうち練習じゃなくて、本当だったらいいのにって思うようになってた」
俺も勇気を振り絞って、声を出した。掠れた声が出た。礼菜が目を丸めて、瞬きを繰り返した。
ポロポロとアスファルトに礼菜の涙が吸い込まれていく。驚きなのか、動揺で、目が泳いでいる。
「応援してる振りして、心の底ではダメになれって願ってたなんて思われたくなくて、裏切り者って呼ばれたくなくて、必死に隠してた。結構、辛かった。元々は礼菜の嘘のせいだ。でも、それが無かったら変な奴で終わってた。礼菜、とりあえず……」
とりあえず公園に行こう。そう言う前に、礼菜が俺に向かって腕を伸ばしてきて、俺の口を塞いだ。
「……んんっ」
「待って!わ、私から、私から言う!練習してきたから!」
さっきまで、散々聞いた。
「ずっと好きでした。自分よりも相手を思いやる優しいところが好きです。人目を気にせず、きちんと正しい事を出来る所が好きです。部活で走っている姿が格好良くて好きでした。また見たいです」
俺は礼菜の手首を軽く握って、口から離させた。かなり人に注目されている。ずっと人通り少なかったのに。
「皆が遊ぶのに、我慢して計画的に勉強出来るところや、そういう真面目なところが好きです。お酒も二十歳になってから。バカにする方がおかしいよ。犬が好きなのも好きです。面倒事なのに親身になってくれるところが好きです」
嬉しいが、待ってくれ。あと、俺はもう酒を飲んでる。酔っ払った男共の中に礼菜を放り込みたくないだけ。
俺は礼菜の手首から手を離して、手を握った。好奇の目がある、この場から離れたい。
「絵馬、嬉しかったです。菜乃花さんに始終デレデレしてるから、大人の女性になろうと思いました。まだ全然なれてないけど……。観覧車で、手を取ってくれたのも嬉しかったです。でも、皆にもで残念でした。桜の花びら、嬉しかったです。でも沙也加達の分もでガッカリしました。ワンコは別。大学デビューなのかナンパしだして嫌でした……。それに……」
「菜乃花さんにデレデレ?兄貴と菜乃花さんが仲良さそうな所見せたら可哀想って思ってただけだ。泣いたのってまさかそれ?兄貴と菜乃花さんの事で辛いだろうって心配してたのに。それにナンパ⁈あれは単に成り行きだろう?隆史達とか、女子が増えた方が楽しいだろうと思ったし……」
俺は早歩きをしながら、礼菜の手を引いた。熱い。繋いだ手が熱すぎる。
軽く振り返った。礼菜はもう泣いていなかった。まだ涙目だが、嬉しそうに笑っている。顔はやっぱり真っ赤。
「ワンコに御守りありがとう。私が失恋した時の事も色々考えてくれてありがとう。陽二君、好きです。ずっと大好きでした。今も好きです。これからも好きです。きっとずっと好きです」
通り過ぎる人に、次々と注目される。
「そうだ、あの……元々顔立ちも好きです。八方美人じゃなくて私だけに優しくして欲しいけど、無理そうなんで諦めます。そんなの陽二君じゃないから、器の大きい女性になります」
止めたいけど、嬉しいのと心臓が口から出そうで声が出ない。
そこの老夫婦、微笑ましいなんて顔しないでくれ。
「青とか花が似合うようになったでしょう?髪も可愛く出来るようになったよ。信じられないと思うんだけど……。そろそろ信じてくれたと思うけど、好きです。ずっと、ずっと、ずっと好きでした」
礼菜の番はいつ終わるんだ。公園、公園はどこだ?あっちだ。早く人が居ない所へ移動したい。
今まで練習した分を全部言うつもりなのか?とっくの昔にノックアウトされてる。これ以上は止めてくれ。
やっぱり礼菜は変わってる。
こんな明け透けない話なんて火を噴く程恥ずかしい。しかし、嬉しくてならなくて、聞いていたいという気持ちが邪魔をする。俺の気持ちを表すように、ワンコの尻尾がこれでもかってくらいブンブン揺れている。
ワンコが俺の頬を舐めた。
「こらワンコ。陽二君のファーストキスは私とだって前にも言ったでしょう?ワンコの好きと私の好きは違うから自重して。私、ワンコにも焼きもち妬くんだから。こっそりファーストキスが終わってたりしない?彼女がいるって噂も聞いたことある。探しても見当たらなかったけど」
礼菜がリスみたいなふくれっ面をしていた。彼女がいるって噂の相手は、礼菜だ。自分を探したって見つかる訳がない。
かつて聞いた似たような台詞。まだ礼菜を好きでなかった頃に、変な子だと思った懐かしさと、ヤキモチ顔の子供っぽい顔立ちのおかしさで俺は噴き出した。
「し、しない。彼女なんていたことない。あれ、嫌がらせだと思ってた。あんな人前であんな台詞。俺、出会ったばっかりの頃痴漢と間違わられて嫌がらせされてるって勘違いしてた。思い出すと、訳が分からない発想だよな。嫌な相手にニコニコ近寄ってこないよな」
よし、終わった。このまま話を流して、後は俺から。礼菜の番は終わり。
「彼女にしてくださいは兎も角、今日から彼女で良いですか?は何を考えてたんだろう、私。練習してきて良かった。うんと沢山言ってきたから、大丈夫。陽二君のこと、大好きです。階段で助けてくれた時、凄く、凄く、嬉しかった。他の子じゃなくて良かった。でも、あの時よりも好きです」
人目が無い公園はまだ遠い。
夕暮れ時の、綺麗な景色の中で告白って思っているのに、礼菜が止まらない。
「練習の成果が出てない気がする。それに、告白準備はしても中身が似合うまでに、達してないから二十歳まで励むべきだよね。とりあえず、付き合ってくれるなら、仮彼女でしょう?女を磨いて、もっと考えて胸に響くように言わないと」
何だって⁈仮彼女?とりあえず、の続きをそう解釈するのか?
「陽二君、私のこと好き?」
「だから、嫌いだって言う奴いるか?」
「そうだった。この方法は陽二君には通用しないんだった。えっと……。そうだ、彼女が欲しいって言っていたから、私が彼女になります!好きです」
さあ、どうだという期待の目が眩しくて、クラクラする。
次から次へと、礼菜の口から出てくる、俺が好きだという言葉が恐ろしい。高熱出たんじゃないか?
注目に、礼菜の告白に、俺はもう限界で倒れそう。
誰か。
誰か……。
誰かって、俺だ。俺しか礼菜の告白を止められない。
「大切にします。ずっと好……」
「とりあえず公園で一世一代の映画みたいな告白をするから、もう告白禁止」
俺はパッと振り返って、礼菜の頬っぺたに軽くキスした。固まって、黙った礼菜とフラフラしながら歩く俺。また、とんでもない事を口走ってしまった。
夕暮れの公園で、俺はベンチにワンコを寝かせて、夕陽よりも赤くなっている礼菜に好きだと告げた。一言、絞り出すのが精一杯。
言葉の代わりに、そっと礼菜にキスを……しようとしたら、悲鳴をあげられて突き飛ばされた。
俺は白い目で見られ、巡回中の警察官に職質された。しどろもどろ、恥ずかしかっただけと説明した礼菜と俺に、微笑ましい笑みを残して警察官は去っていった。
「あーあ、俺は一生礼菜に振り回されるな」
「い、い、いっし……」
俺は今度こそ礼菜にキスをした。恥ずかしさで拒否される前に、勢いよく近づいて、その後はそっと。
一生?と聞かれたら、うんと頷いてしまう。恋人から次の関係性になる時は、絶対俺が先に言う。邪魔されそうになったら、あの手この手で礼菜の口を塞がないといけない。
帰り道、礼菜はワンコを抱きしめて、ポーッとした可愛い顔でずっと黙っていた。