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彼女たちの学校

転入生と学芸会

作者: 依

 

 私は縁野由加梨。柿菅小学校3年1組の女子の出席番号2番。代表委員会副委員長でクラスでは掲示係をやっている。成績は結構良くて「がんばろう」がついたことはない。

 習い事はピアノと体操。学習塾に通ったことはなく、勉強は毎日夜ごはんの後に教科書に目を通すくらいだ。

 ピアノの練習は暇があればやっている。よく驚かれるグランドピアノを家の一室に置き、私の朝の練習がご近所さんのモーニングコールだ。

 将来の夢は学校の先生。小学校でも中学校でも構わないが、ピアノが弾ける先生はかっこいいと思う。授業中はよく手を挙げて発言し、つい前の時間も難しい問題を答えて先生に褒められた。

 そして今は、当番制の教室の掃除をしている。

 一人で。

(なんでさ!班員はあと4人いるのに…。)

 ただ黙々と箒を動かす。だんだんと教室の中央に集まるゴミを見つめながら、もういっそ開き直って自分一人で隅々まで綺麗にしてやる、と考え、開いた口をぎゅっと結んだ。

 ちりとりにゴミを集めると、もうかなり使い古した箒を錆びついたロッカーに立てかけてゴミ捨てに向かった。

 そんな時私の頭は、今朝紗和村委員長に聞かされた話を思い出していたーー。


「転入生?」

「っああ。さっき先生から聞いたんだよ。来週の月曜日にくるから、朝礼で紹介して欲しいんだと。」

 いつも通り少し早めに登校した私が手紙を取りに職員室へ向かうと、眠そうにあくびをした紗和村水樹=代表委員会委員長は、器用にサッカーボールでリフティングをしながらそう言った。

(珍しいな…転校生か。どんな子かなあ。)

「良いですけど、紗和村さん。全部放り出してどっか行ったりしないでくださいね。」

「行かねーよっと!おっと、それ!、、」

 紗和村は6年生で、これでも一応選ばれた代表委員長だ。

 それが職員室前の廊下でリフティングするようなやつで良いもんか。

 私は大きくため息を吐いた。

「よろしくお願いします」

「おいおい〜そんな呆れた顔すんなって。3年も先輩なんだぞこれでも。」

 紗和村は、リフティングをやめて必死でアピールするように両手をぶんぶん振り回した。

「それ、菅野さんに伝えましたか。」

「え?」

 紗和村の振り上げた足にボールが当たる前にその人物はサッカーボールを取り上げた。

 紗和村が驚いて振り向くと、そこにはもう一人の代表委員、5年生の相良美和ちゃんがランドセルを背負ったまま立っていた。そして、菅野さんとは、あと一人の代表委員の4年生、菅野津鶴先輩のことだろう。

「…相良、お前いつもやる気なさそーにしてる癖に。」

 紗和村はいかにも不満そうに美和ちゃんからボールを取り上げて後ろに放り投げた。

「菅野さんに伝えましたか?」

「おい。」

「菅野さんに伝えま…」

「だぁーーっ!わかったよ、伝えとく。」

 紗和村が折れた。

(なんかこの人変なとこで弱いんだよなぁ。)

「まだなら結構です。私の口から伝えておきますから。」

「は!おい!…なんなんだよ~。」

 そう言うと美和ちゃんはさっさと教室へと続く階段の方へ歩いていった。

 私はボールを拾いにいった紗和村に向けて、淡々とこう言った。

「紗和村さん。用はそれだけですね、私も行きますから。」

「おい!3年で副委員長になったからって威張るなよ。他の奴らがあんまりだったから仕方なくだな…って、行くなよ〜」

 私は紗和村を無視して歩き出した。この人のおしゃべりに付き合っている暇はないのだ。

 私がただスタスタと遠ざかって行くと、紗和村は後から走って追いかけてくる。

(紗和村…って、呼び捨てで呼んだら怒るんだろうな。)


 私はきつく結んだゴミ袋を他のクラス分とまとめると、ふーっ、息をついた。

「ぃよしっ!終わり。」

「え、終わったの?」

「な、、」

 私の後ろに立つのは龍野結喜。私と掃除をするはずだったムカつくやつ…

「終わったの?じゃない!なんでいつもいっつもいないの?」

「えー、それはーな…。」

 なんとか言い訳を探している結喜を前に、私の頬はどんどん膨らんでいく。

 説教したいのに若干見上げる姿勢にもイラっとくる。

(来年は絶対抜かしてやるんだから!)

「もう良いよ、明日はちゃんとやってね?」

「明日休みだけど。」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 私はただただ歯を噛み締めた。握った拳が音を立てて砕け散りそうだ。

「あ、ちょっと待って。ごめんって。」

(もう…知らん!)

 私はバタバタ足音を立ててその場から立ち去ろうとした。

「…え。由加里?」

 私が見たのはちょうど階段から降りてきた同じく班員の天井南だった。

「え。じゃない……掃除なら終わったわよ!私1人で!」

「あ、あのさ…由加里!私トイレいってて…。」

 私はまだ何か言い訳したそうな南の横を通り過ぎて階段を上った。


 天井南は、由加里が去って言った階段の上を見上げてため息をついた。

「よく真面目に掃除やってられるよね~。」

「そう言うなよ。そういう奴なんだよ。」

 南に続いて階段を上った結喜は通り際にそう言って通り過ぎていった。

「…そういう奴、か。」


 突然ですが、明日は月曜日。現在、午後6時。縁野由加里は今、家族と夕飯を食べている。はずだった。

 食卓に置かれた一台のスマートフォン。勿論私のではなく、お父さんの私用の電話だ。

 今夜は家族3人で夜ごはんを食べようねって、食べようねって、(食べようね!!!!!!!って)

「はあ…お母さん今どこ?」

『浅草よ。もうすぐだから。』

「はー?浅草?どこほえ(どこそれ)。」

 私はお父さんが温めたごはんを口に突っ込みながら答えた。ちなみにお父さんは寝室で爆睡中である。

『あと電車2本乗ったら着くから。』

「それ、…遠いって言わない?」

『とにかく!急ぐからごはん食べてな。』

「あい」

 スマホを放り投げて椅子の背もたれに思いっきり寄りかかる。スマホはボトっと音を立ててソファの座面に落ちた。

(明日は月曜日かあ…。学校、めんどくさいなー、本当ゆううつだわ、。)

(あ、ゆううつって漢字なんだっけ。)

 私はもう一度お父さんのスマホに手を伸ばした。


 3年1組に転入生がやってきた。名前は荒井春陽、そこそこ長い焦げ茶色の髪をサイドで結んで、とても大人しそうな印象だった。

 ところで、柿菅小学校ではもうすぐ学芸会という行事がある。そこでは各学年ごとに演劇を披露すること。ここは児童の数が少ないから、3年も1組だけで、随分前からその準備をしていた。内容はオズの魔法使い。もう配役も歌う歌もしっかり決まって、あとは練習と衣装だけ、ということだった。

 しかし、そこへ転入生がきた。

 クラスでは、どうすんの、と度々私に意見を求めた。

「由加里〜どうにかしてー!」

 すぐそばにいた如月千歳が練習前のこの空気に耐えかねて大声をあげると、その隣にいた山崎真尋ちゃんも私に少し近づいてこう言った。

「ねえ、これじゃ練習なんないんじゃない?」

 すると一気にクラス中の目線が私に向けられる。荒井さんを見ると、ただ暗い顔で下を向いていた。

(このままじゃ荒井さんにも悪い思いさせちゃうよね…)

「うーん…わかった!荒井さんはコーラス隊!」

 途端にコーラス隊の子達の輪から「えー!」という声がきこえる。

 コーラス隊は私と結喜、それとあと5人の計7人だ。最後に決まった寄せ集めだし、人数が増えるなら頼もしい。

「えー!…じゃなくて!ちゃんとみんなで教えてあげるの!とくに結喜!しっかりしてよ?」

「へーい。」

 結喜はコーラス隊で隊長とかって名乗ってるらしい。

 聞いたときは呆れたけど、そんなこと言うならこれくらいはやってもらわないと!

「いいかな?荒井さん。」

 私が振り返ってそう言うと荒井さんはかなり表情を曇らせて軽く頷いた。


 荒井さんを迎えての練習は…あんまり上手くいかなかった。


「それじゃあ、次はCDでいくよ。荒井さんも歌ってね。」

 入るタイミングを指示して、CDで何度か合わせる練習をする。

 荒井さんは何かを恐れるように下を向いて楽譜で顔を隠していた。荒井さんの隣で歌っていた私は、荒井さんが全く声を出していないことに気づくと、最初はこんなものだろうと思いながら、歌の途中で密かに声をかけた。

「とりあえず声だしなよ。」

「……」

「最初なんだし分かんなくてもいいから…」

「無理。だよ、」

「え…?」

 荒井さんの楽譜を持つ手に力が入ったのか、そのまま握りしめると私が止めようとするのを振り切ってランドセルを抱えて教室から出ていった。

「荒井さん!」

「どうしたの?」

 コーラス隊の1人、御園夏夜の声に振り返ると、藍原かのちゃんが周りを気にしながらそーっとCDをとめた。

「うん…急に帰っちゃって。」

「ふーん。」

 私が言うと、夏夜は不満げに荒井さんが消えていった廊下を眺めた。

「きっと用事思い出したんだよ〜!練習続けよっ!」

 千歳の声にみんなが反応して頷いた。

「って言うか、幸太は何も知らないわけ?」

「なんで俺なんだよ!」

 次の瞬間勝之江里が隣で歌っていた西条幸太に詰め寄ってこう言ったので、みんなはそのやりとりにこらえられずに笑い出した。

 オロオロしている幸太を見ていると、申し訳ないが私も笑いたくなってくる。

(…大丈夫だよね?)

「それじゃCDかけるよー!」


 火曜日の昼下がり。菅野と書かれた表札の前に、大きなビニール傘を広げた少女、相良美和は立っていた。最初にチャイムを鳴らしてからもう30分にもなる。美和は相変わらず明かりの見える窓だけを見つめている。4年1組代表委員、菅野津鶴。委員会活動開始直後から一回も委員会に参加していない。それどころか、ほとんどの場合、学校にも来ていないそうだ。

 美和がもう一度とかチャイムを鳴らすと、ようやく1人の影が顔を出した。

「誰?」

「相良美和。」

「要件は?」

「委員会活動、今度の学芸会の司会について。」

 ・・・

「何で?この間も挨拶運動がどうとか、転入生が来るとか、俺は、なりたくて代表委員になった訳じゃないんだ。」

 菅野はそう言うとさっさとドアを閉めてしまった。

「…私だって、なりたくてじゃないですよ。」

 閉まったドアを見つめながら、美和が呟いた声は、雨の降る音にすぐに掻き消された。



 ある日の放課後練習。

「どうして歌わないの?」

 江里はCDを止めて、少しきつい調子で荒井さんに詰め寄った。

「私、歌下手だから。」

 何度目かの練習で、その様子を知っているみんなは黙ってその現場から目を逸らそうとする。

「下手だからって歌わなくていいと思ってるの?」

「江里ちゃん!やめなよ。」

 江里があまりに近づくのでかのちゃんが止めに入る。私でさえ驚く行動だ。

(かのちゃん…いつもなら黙ってるのに。)

「江里の言う通りだよ。下手だって理由だけで」

 その様子を見て何を思ったのか幸太まで割り込んでくる。江里との間に立たれたかのちゃんは行き場を無くしたように俯いた。

「江里、幸太、いいよ。…荒井さん、全然上手く歌えなくていいから練習しよう?みんなだって…」

 私は幸太の肩に手を置くと荒井さんに向けて祈るような気持ちでそこまで言ったとき。

「やだ…帰るね。」

 荒井さんはランドセルを掴みとって教室を飛び出して走っていった。

「あ、ちょっと!」

 私は慌てて教室を飛び出しだがもう彼女の姿は見えなく、足音だけが耳に残っていた。

「あーあ、また帰っちゃったよ〜。」

「ちょっとでも歌えばいいのに。」

「ねー。」

「……」

 夏夜と千歳が顔を見合わせてそんなことを言っている中、私と結喜は、荒井さんの走っていった廊下をただ、黙って見つめていた。

「ちょっと行ってくる。」

「え…うん。」

 急に発せられた結喜の言葉に、私は頷くことしかできなかった。


 結喜は荒井さんが走って行った廊下を通り過ぎて階段を降りると、学校から飛び出して人通りの少ない道路をきょろきょろと見回した。

「あ!」

 ちょうど角を曲がるところだった荒井春陽は、大きな声に驚いて振り返った。

「…龍野くん?」

 結喜はきれかかった息を整えると口を開いた。

「なんでいつも歌わないんだよ。」

「…私歌下手だから。笑われるだけだもん。そんなの嫌だよ。じゃあね。」

 荒井さんはそう言うとまた歩き出して駄菓子屋の角で右に曲がって、結喜の視界から消えた。

(そんなことない。…なんて言っても伝わんないだろうな。)

 結喜はそんなことを考えて、元来た道を今度は歩いて戻っていった。


 結喜も歌は上手い方ではなかった。むしろ、音を外したりリズムが狂ってしまうことの方が多かった。でも、いつも自分なりに歌の練習をしたりして頑張っていた。

 だから結喜がこんなお願いして来たときはすごく驚いた。


 休み時間、私が教室で読書に励んでいると、結喜が飛び込んで来て私に紙束を押し付けてきた。

「ゆかりぃー。これ弾けるか?」

「こないだ授業でやった曲じゃん。」

 紙を広げると、確かにこの間歌ったばかりの曲の伴奏の楽譜だった。

「弾けるか?」

「んな無茶な…」

 私は呆れ半分で結喜の顔を見あげた。

「じゃあお願い、弾けるようにしといて!ゆかりピアノ得意だろ?この前も賞とったとかなんか受かったとかなんとか…」

「え、ちょ?それとこれとは話がちが…」

 結喜は言うだけ言うとあっけにとられている私を置いて男子たちの輪に入っていく。

(これを弾けって?でも一体なんのために…。)

 私はそっと机に伏せている荒井さんに目を移した。


 放課後。今日は委員会がある日だった。

「~って事だ。俺たちは自分の学年以外の紹介とかを言えばいい。なんか質問あるか?」

 今度の学芸会で、私達は司会進行をやるらしい。

 代表委員会の児童はたった4人。しかも、今日はそのうちの1人、菅野先輩がお休みらしく、会議室に集まったのは私を含むたった3人だった。

「…ないです、紗和村委員長。もう帰ってもいいですか?」

 相良美和ちゃんがいかにも面倒臭そうにランドセルを持って立ち上がるとこれまた面倒臭そうに口を開いた。

「ダーメ、これから役割分担するんだから。」

 紗和村は大げさに手で×を作って美和ちゃんにもう一度席に着くよう促した。

 私は、なんと言うかぼーっとしていた。結喜に言われてあの曲の練習を始めてから、寝てる時も起きてる時もあの曲が頭の中を流れてるのだ。

(そんなに印象強い曲じゃないとおもうんだけどなぁ。)

「縁野、聞いてる?」

「聞いてないかも。」

「ふっ、ざけんな、、。」

 と、そこで会議の終了を告げるチャイムが鳴った。

 私は筆箱を持ってゆっくりと席を立った。ランドセルは教室に置いてある。

「あ。終わった。それじゃーさよーならー。」

「ああ!さよーなら!お前1.2年の作品紹介だかんな!忘れんなよ!」

 私のすぐ後から、美和ちゃんもいそいそとついて会議室を出た。


「ゆかり!」

「??」

 下駄箱で靴を履き替えながら振り返ると息を切らしてランドセルを背負った結喜がいた。

「なに?ていうか、結喜まだ居たんだ。もう4時半なのに…。」

「お前を待ってたんだよ!」

 結喜は半ば苛々しながら言い訳のようにそう言った。

「はぁ?」

「だーかーらー。。」

「??」

「…行こう、歩きながら話す。」

 私は何か腑に落ちないまま頷くと、先に靴を履き替えた結喜を追って校門の外に出た。


「弾けた?」

 私が何か話せと言わんばかりの視線を送っていると、最初の信号で立ち止まってからからやっと結喜が口を開いた。

「弾けたって…こないだの楽譜のこと?」

「うん。」

「弾いてみたけど、…まだミスばっかするし楽譜にかじりついててやっと全部弾くみたいな感じでテンポだって全然遅いし、リズム狂ってるとこあるかも。。」

 私が言い訳をするように次から次へと否定する材料を引っ張ってくると、結喜は今になって申し訳なさそうな顔で私の顔を見た。

「あのー、悪いんだけど明日弾いてもらいたくて…。」

「明日!?」

 私が青になった信号に気づかずに結喜に向かって大声を出すと、結喜は歩き出した後だった。

「–っ…待ってよ。明日って何、大体なんでこの曲を弾く必要があるのよ。これ、歌った時散々文句言われた苦手な曲でしょ?」

「あぁ…でも他に何していいか!」

「なんのために…」

 言いながら私も気づく。結喜が弾いてなんて言い出したのは…。

「わかるだろ…?大体」

 私は思わず結喜の表情に荒井さんを重ねた。結喜だって下手だけれども楽しんで歌ってる。でも。

「荒井さん……。」

「俺さ。わかって欲しいんだよ。下手だって笑われることよりか、みんなと歌った方がずっといいって…なんかさ。」

 結喜の家の前。一緒に歩いてきた結喜と別れると、私は少し自分が情けなくなって空を見上げた。

(なんかしなきゃ変わらないって…わかってたはずなんだけどな。)


「今日の放課後コーラス隊の練習あるんだっけ?」

 次の日の帰り際、幸太が申し訳なさそうに声をかけて来る。

「うん、あるよ。これるよね。」

「うー、うんんん…。」

「??」

 幸太が謎の唸り声を出して苦い顔をする。

 私はランドセルを片方肩にかけたまま首をかしげた。

「あのね、今日歯医者にいくから、途中で帰ってもいい?」

(なんだ。)

「うん、いいよ。じゃあ早めに練習始めよう。」

 言いながら私は、不安を込めて荒井さんをちらっと見た。

(大丈夫かな…今度こそ歌って、、くれるよね?)


 私は昨日聞いた結喜の作戦を思い出していたー。


 軽快なリズムの音楽が流れて、タイミングよくみんなで息を吸い、歌い始める。荒井さんは楽譜を開いてはいたが、

 口を開けたり閉じたりを繰り返して、声を出している様子はない。

 かのちゃんや千歳がオロオロと視線を交わす中、カチっと音を立てて江里がCDを止める。と、静かな教室に今度は校庭で遊んでいる子供達の声が聞こえてくる。

「江里。」

「あのさー、歌お?前にも言ったけど、下手でも音痴でもいいからとりあえず声出そーよ。」

 江里は荒井さんが顔を隠していた楽譜を取り上げてますます顔を近づけると言葉を続けた。

「学校では大分友達もできたみたいだけど、みんな学芸会に向けて頑張ってるの!しかも転校して来たばかりなのに役割もらったんだからちゃんとやろ?」

「江里、もう」

「江里!もういい。」

 声を上げようとした私を遮って結喜が江里を荒井さんから引き剥がした。

 荒井さんは、うつむいて顔を上げようとしなかった。

 その場がしーんと静まり返り、幸太がおろおろとわまりを見回す中、結喜はぎゅっと口を結んで私に手で合図を送った。

 私は控えめに頷くと、教室の脇で埃かぶっていたピアノの蓋を開いて、椅子に座った。

 ペダルはまあ、ぎりぎり届く。椅子の高さを直している時じゃない。

 鍵盤に軽く触れてみる。途端にらの音が教室中に響き渡った。

(大丈夫。弾けるよ。結喜に頼まれて昨日たくさん練習したもん…。)

 私は大きく息を吸って、吐くと同時に鍵盤に指を落とした。


 散々頭の中に流れていたあの曲が、重みのある音で教室に響き渡る。

 呆然としている5人を横目に結喜は前に進み出て、大きく息を吸って歌い出した。

 結喜はこの曲が苦手だった。歌ってる途中、何度もなんども音を外した。リズムが狂って、歌詞が飛んだりした。でも、諦めないで、笑顔で、歌い続けた。5人はただ黙って結喜の歌を聴いていた。

 結喜は歌い終わってから、深く息をすると、満足そうに笑った。


「あのさ、俺、歌うまくないでしょ。でもさ、みんなちゃんと聴いてくれて、笑ったりとかしないだろ、だから、ちょっとでも歌ってみ?きっと、楽しいから。いや、絶対楽しいし、その…みんなだって、そうだと思うし。」

 私がピアノの椅子の上でぐったり天井を見ていると、結喜の緊張の入り混じった声が聞こえた。けど、荒井さんが応える様子はない。気になってそちらを見ると、夏夜が進み出るところだった。

「その通りだよ。みんな笑ったりしないし、みんなだって…私だってそんな上手くないし。でも、ただ楽しいから歌ってるんだよ。」

「そうそう!前の学校はどうだったかわかんないけど…学芸会って、とーっても楽しみにする行事なんだよ〜!練習も、楽しまなきゃやっていけないって!」

「あの…私だってテキトーに歌ってるだけだよ。音符とか場面とかよく分かんないし…。でも、みんなと一緒に声出してると、仲間はずれじゃない感じがして嬉しいし。」

 するといつの間にか千歳も、かのちゃんもそこに加わっていた。その言葉に私の瞳は潤んだ。

(い…けないいけない。感動したわけじゃないもん。…でも、良かった。)

 荒井さんは結喜やみんなの言葉をどう受け取ろうか決めあぐねていたみたいだった。けど…

「ありがとう…」

 たった一言そう言うと、いつものようにランドセルを掴みとって教室を出て行こうとした。

「「「待って(よ)!」」」

 私と、江里と、幸太が同時に呼び止める。

「あ、そのー、俺も、実はそんな歌上手くないんだ。だから、一緒に歌ってくれたら下手な仲間が増えて嬉しい…かな?」

「何が実は、よ。バリバリ下手オーラ出てるくせにー。」

 幸太の控えめな宣言に江里がすかさず突っ込む。

 荒井さんはそんな2人を見て、ここにきて初めて表情を崩すと、私を見つめた。

「歌ってみるよ。…きっと、楽しいから。」

 そう言って今度こそ、廊下に出て走っていった。


「あ、怒られてる。」

「そりゃーね、いつもいつも走ってんだもん。」

 廊下を見つめていた結喜が呟くと、江里が呆れたと言わんばかりに両手の手のひらを向けてそれに返す。

「でも、歌ってくれそうでよかった。」

 幸太はにこっと笑ってそう言った。

(あれ?幸太さっきなんか言ってなかったっけ。)

「幸太?あんた、途中で帰るとか言ってなかった?」

(そうだ、それそれ。)

 江里が私が思い出しかけたことを幸太に聞くと、幸太は笑顔のまま絶句した。

 そして、

「だあああああぁぁぁぁあああああそうだったああ!!」

 幸太はランドセルを掴みとると時計の前で何回か足踏みをして、すごいスピードで教室から出ていった。

「さよなら!」

 ・・・・・

「あ、怒られてる。」

「そりゃー、先生いるって知ってるくせに走ってくんだもん。」


 本番まであと練習できる日は来週の月火水木金の五日間。頑張らないと!


「おはよー」「おはよ。」「おはよー!」

  「じゃあ練習始めるよ?」

「CDかけまぁす。」

 音楽室に暗い音楽が流れる。

 荒井さんも前までとは打って変わって一生懸命歌っている。

(これは結喜に感謝かな…)

 それに私は気づいたが、結喜ほど下手ではない。それとも、やるからにはとたくさん練習したのか…。

「あ、待って。そこ違う。」

「えぇ?」

 その時音楽室の扉が勢いよく開いた。皆、それに驚いてビクッと体を震わせる。ピアノのそばで千歳と音合わせをしていた私は、その瞬間勢い余って鍵盤に指を落として不協和音を奏でた。。

「失礼しまーす。委員長の紗和村でーす。頑張ってるねー。って、何その音。」

「帰ってください。」

 私がお返しに勢いよく戸を閉めると扉の向こう側で紗和村がさけび声をあげた。

「ええ!今来たとこなのに。」

 紗和村を締め出して、再び練習を始めようとピアノに向かうと今度は控えめなノックの音が聞こえた。

「わ、私出るよ。」

 まるで家で宅配便を受け取るかのように、かのちゃんが、

「はーい。」

 と戸を開けるとそこに立ってたのは南だった。

「南ちゃん。」

「あのさ!私…西の魔女と合わせるシーンあるでしょ。ちょっとわかんなくてさ、合わせてみてもいいかな?」

 南は髪をいじりながら言いにくそうにそう言った。

「いいよ!」

 最初に答えたのはかのちゃんだった。その場にいたみんなは驚きで固まった。

「あ、ありがとう。」

 南も目を大きく見開いて戸惑いながら返事をした。

「いいんじゃない?ちょうど次そのシーンの歌やるし。」

「うん。僕も少し不安で…良いよね?副委員長?」

「良いんじゃね?早くやろーぜ。」

 私はなんだか温かい気持ちになった。

「うん!」

「てかなに副委員長って…」「さっき委員長いたから。」

「はぁ!?」

 江里と幸太の相変わらずのやりとりを聞きながら、私はこの行事で何かが変わるような気がしていた。

「私も便乗させてもらってもいいかな??天井に先越されちゃったけど。」

「山崎さんっ。」

 突然開いたドアから今度は山崎さんもといドロシーが覗き込んだ。

「いいじゃん。みんなでやろ!」

 珍しく夏夜がそう言うとみんなで頷いた。


 それからも何回か練習を続け、ハモる部分や最後の歌の微調整などをして、荒井さんもみんなも結構歌えるようになってきた。金曜日には他のみんなとも一緒にリハーサルをした。


 そして本番は来た。


 ………

「お前次3年だろ?自分とこ戻っていいぞ。」

 紗和村は司会役を終えてぼーっとしてた私の背中をぽんぽんと叩くと、プログラムを指差した。

「あ、はい。」

「頑張れよ。」

「え?」

「?」

 去り際に発した紗和村の言葉に少し驚いて振り返ると、私以上にマヌケな顔をした紗和村を見て口元が緩んだ。

「はい!」


 ーーブザーがなると3年生の発表が始まった。


 学芸会は、楽しかった。みんなで準備した衣装や小道具や、大道具を使って、セリフを繰り返して、緊張して、歌を歌って、演技をして。

 演技なんて呼べるものじゃないかもしれない、ぐちゃぐちゃすぎて、ダンスなんかじゃないかもしれない。歌だって音やリズムが狂って、元の歌とは違うかもしれない。でも、それでいいんだ。みんなで、楽しんで、笑って、最後まで演じきれば!きっと最高の思い出になるんだから!


「春陽ちゃん、笑って!」

「そうそう!にこーっとよ!最後は良いシーンなんだから。」

 突然名前を呼ばれたことに動揺してか、歌に入るタイミングを少し遅れながら春陽ちゃんは笑った。

 とても、楽しそうに。

「ほらそこ…おしゃべりはその辺に。」

 呆れて舞台の中央にいる山崎さんもといドロシーに呟かれてしまった。

 私たちは苦笑いを交わして前を向くと、再び息を吸って歌い出した。

(春陽ちゃん、ずっと歌いたかったんじゃないかな?迷惑だってわかってて歌わなかったのは、それ以上に迷惑をかけたくなかったからなのかなぁ。そんなの、間違えて笑われるのが怖くて、授業中に発言できないのと同じじゃないか。あとで江里に言ってやろう。)


 エンディングの歌を終えて、3年1組は舞台裏から降りて来た。

「楽しかった。私、歌って良かったよ。」

 春陽ちゃんの呟く言葉に幸太が、目を見開いて口を出してくる。

「てゆーか荒井、全然歌えたじゃん。結喜よりかずっと。」

「うるせー」

 結喜には悪いけど私もそう思う。

 結喜は恥ずかしそうに私の髪を握って振り回した。

「やめろー!」

「ふっ…ふはははっあはは、。」

 春陽ちゃんは我慢できないとばかりに笑い出すと、滲み出た涙を拭って話し出した。

「私ね、ずっと、楽しそうだなって思ってたの。私も、一緒に歌いたかった。でも、人前で発表するなんて向いてないし、下手な歌でみんなから笑われたりしたら一緒にやってる人に悪いし…って、思ってたの。でも、龍野くんに言われて、やっぱりやりたいなって思った。だから、先生からCDかりて、お家でもいっぱい練習したんだ。でもほんと、やって良かったよ。」

 言い終えてもう一度にこっと笑うと、春陽ちゃんは私たちの前を歩き出した。

「春陽ちゃん、これからも仲良くしてね。」

「えっ」

「うわーい!千歳とも!千歳とも仲良くしてね!」

「最後の方結構打ち解けてくれたじゃん。」

 続いて千歳、夏夜も声をあげると、春陽ちゃんはますます驚いた顔をした。

「そーだよ春陽。もうウチら仲間だし。来年も一緒のクラスがいいし。」

 江里の言葉に私は思わず吹き出した。みると、結喜も笑い出しそうなのをこらえている。

「なによ。」

「来年って。私たちひとクラスだから変わらないよ。」

「…そっか。」

 それからみんなで笑いあって席に戻った。


『以上、3年1組のオズの魔法使いでした!』

 そのあと司会を務める美和ちゃんの投げやりな声に、私はまた可笑しくなって笑ってしまった。


「どうかした?」

「別に〜。」


 私はこの一件があって、結喜のことをほんの少しだけ見直した…かもしれない。


後日。

由加里「結喜ー!!!どこ行った!この掃除サボリ魔が!」

春陽「由加里ちゃん…。」

天井「どーせサボってんでしょ。」

山崎「あんたもこないだサボってたじゃん。女子トイレで。」

天井「うるさい(ギロッ」

山崎「…」

江里「幸太、こんど算数教えてくれない?ウチ、全然手あげられなくて…」

幸太「いいけど…江里がそんなこと言うなんて珍しいね。」

江里「別に!」

夏夜「結喜ならさっき下駄箱のそばにいたけど。」

~~~~~~~~~~~~~~~~

美和「あ。由加里ちゃん。」

由加里「美和ちゃーん!結喜見なかったですか?私がよく一緒にいる人!」

美和「その人なら下駄箱ですよ。先ほど委員長と駄弁っているところを目撃した人がいるので。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

結喜「おっ、紗和村先輩それレアっすよね。いいなあ。俺のなんかと交換しません?」

紗和村「そこまで言うなら500円で譲ってやるよー?」

結喜「いや高いっすよ先輩、せめて…」

ドドドドドドドドどどどっ

由加里「結喜!掃除しろ!!そして委員長も学校にゲームのカード持ってこないでください。」

紗・結「「。。。は〜い(汗)」」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

菅野「あ、相良。」

美和「!来る気になったんですか。」

菅野「ちょっと良い話を聞いただけだよ。」




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