セントオールの王妃
ジェーンはそっとステュアート邸を抜け出すと、何食わぬ顔で正面から再び邸内に入った。
「久しぶりだね、ジェーン。いや、もう未来の王妃殿下か」
珍しく、ステュアート候自らが出迎える。ちらと、ジェーンの胸元に輝く、王の代理を表すブローチを見た。深い青の宝石が、ダイヤで守られるように囲まれている。
「ご無沙汰しています、侯爵。」
ジェーンは気取られぬよう挨拶した。が、否が応にも緊張が走る。無理もない。娘を蹴落として王妃の座を奪った相手だ。しかしステュアート候も老獪な貴族だ。ジェーンをいつもとは違う奥の部屋へ案内すると、ビロード張りの椅子を勧めた。
「レイチェルに会いに来たのかね。生憎だが、あの子は体調を崩していてね。もう少し早く来ると教えてくれていれば伝えられたんだが」
ステュアート候は残念そうに言った。ジェーンは首を振る。
「いいえ侯爵。今日はあなたにお話ししたいことがあるのです」
「何だね?」
ステュアート候もどっかと椅子に腰掛ける。正面からこうして対峙するのは初めてだ。ジェーンはわざと明るく振る舞った。
「近頃、妙な噂を聞きましてね」
「ほう」
「レイチェルに、子が生まれたとか」
はは、とステュアート候は嗤った。
「レイチェルは今度、結婚することになった。おおかた、やっかみの噂がたてられたのだろう」
そうでしょうとも、とジェーンは調子を合わせた。
「他にもあるんですよ。ステュアート候が謀反を企てているとか」
「全く、根も葉もない」
「呪いの巫女を、隠しているとか」
「困りますな。そんな恐ろしい噂が出回っているなんて。陛下も心穏やかではいられますまい。早々に取り締まりましょう」
「その呪いの巫女は、あなたの娘だとか」
老練な狸は、しっぽを出さない。流石だなと、ジェーンは負けじと笑みを浮かべた。しかし眼光は鋭さを増していく。
「ばかばかしいにもほどがある。セントオールは、キュセスの加護を第一に受ける国。異教徒からの攻撃の盾となり、キュセスの剣となってきたこの国に、呪いの巫女など」
「先刻、レイチェルに会ってきました。ステュアート候もご覧になりましたか。見事なまでの赤でしたね」
ステュアート候は動きを止めた。改めて、ジェーンを頭の先から爪先までじっくりと見る。手を二度振って、人払いをした。腹心の部下以外の人間が、さっと退出した。
ジェーンは笑みを貼り付けて、ごくりと唾を飲み込む。背を深く腰掛けた椅子に押しつける。尻込みしてしまわないように。
――これから、あなた自身の力にすればよいのです。
エリーの言葉が蘇る。今、自分はただの小娘だ。けれど、今まさに、この力がほしい。ジェーンは手の震えを隠すように頬杖をついた。腹から息を吸う。
「愛しておいでなのですね、ご自分の娘を。麗しいことです。ステュアート候ほどのお立場であれば、すぐに消してしまってもおかしくないところを、危険を冒してここまでつれてこられた」
「あれが呪いの巫女かどうかの確証などない。おおかた、私を欺くために赤く染めたのだろう」
「本当にそう思われますか。あれを見て、異質でないと? ヘンリー三世の治世のハラデー族の侵攻は、ハラデー族を扇動したとされ、アルフォンス二世の治世には隣国で疫病を蔓延させたと言われています。何より、教典の中にキュセスの伝道者たちの前に立ちふさがる者として書かれています。赤い眼、赤い髪は、災厄を呼ぶ証。そう、誰の心にも刻まれています。先の二件で、呪いの巫女と呼ばれた人物がどうなったか、あなたならご存じでしょう。ひとつは味方の手によって切り刻まれ、もうひとつは火あぶりに処されたと伝えられています。匿うのであれば、あなたも同罪ですよ。あなたの失脚を狙う人間はごまんといる。耳の早いところは、確信には至らずとも何らかの情報を掴んでいるでしょう」
「何が言いたい」
低い低い声が、ジェーンを威圧する。
「反ステュアートを掲げて、近々大がかりな乱が起こる予定です。そこに出す将兵と金を提供してもらいたいのです」
表情を崩さないように、努めてジェーンは返した。
「呪いの巫女を、私を飼う気か。ただでは済まされませんぞ」
ロザリーの存在を知ってか知らずか、ステュアート候は言う。ジェーンとて、それは重々承知だ。出来ることなら、夢であってほしい。自分の親友が呪いの巫女だなどと。けれど現実は正面から自分に選択を迫ってくる。ジェーンは目を細めた。
「私はただ、キュセスにあだなす者を捕らえただけ。それを生み出したステュアートとは違う。このキュセスの恩恵で満たされたこの大陸のどこにも、あなたの逃げ場はない。それとも、異教徒の巣くう地で生涯を終えますか?」
ステュアート候は片眉を跳ね上げる。唸るように、言い放った。
「あなたにレイチェルが殺せますかな」
切り札を、ステュアート候は切ったつもりだっただろう。ジェーンはそう感じた。ステュアート候ですら、そのカードを見捨てることが出来なかったのだから。
「もちろん」
ジェーンはまた微笑んだ。ぱちんと扇子をとじる。強くあれと、エリーがひいた濃いローズピンクのルージュが唇を妖艶に飾る。
「私はセントオールの王妃。セントオールの繁栄を阻む者全てを、滅します」




