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祈り

エリックの部屋はしんと静まりかえっていた。ジェーンが入ろうとすると、アーノルドが静かに扉を開けた。すぐさま、隣の部屋へと二人を通した。

「陛下は?」

 小さな声で、ジェーンは問う。

「高熱が出ています。熱病が流行しているという話は聞きませんが、ジェーン様は近づかない方がよろしいかと」

「看病はどうするんだ」

厳しい顔つきでジェーンが言う。

「私が看ています。どうか、お祈りください」

「断る。祈ってばかりいても何にもならないだろう」

 脳裏に、レイチェルの顔が浮かぶ。そして、聖堂で祈りを捧げていたエリックが。

「それに――二人で、抱え込まないでくれ。そのために、私が、エリーがいるんじゃないのか? 誰も信じて頼ろうとしなかったから、今こうしてそれぞれが苦しんでいるんじゃないのか? それに、陛下にもしものことがあれば、その時は私も終わりだ」

「陛下は、あなたがお一人になってもいいように、根回しをされています。ご自分が、命を落とす前にと」

「そんなこと、わからないじゃないか。どうして、周りの人間は疑ってかかるのに、たった一人の人間が言ったことを信じてるんだ。矛盾ばかりじゃないか」

アーノルドは、じっとジェーンを見つめている。今にも、言葉が溢れてきそうな顔をしている。祈っていることは、同じなのだ。なのにどうして、それが重なっていかないのだろう。アーノルドは、そっとジェーンの肩に手を置いた。

「ジェーン様のお気持ちはありがたく頂戴します。しかし、今は私にお任せください。容態が安定しましたら、お声をかけます。あなたのご無事が、エリック様の望みなのです」

 努めて平静を装っているのだと、ジェーンは感じた。三十まで、のタイムリミットは、刻一刻と迫っている。具体性のない不透明さが、不安を増長させていた。

「わかった。無理を言ってすまないな」

「エリック様を、信じて祈っていただけませんか?」

 アーノルドは、扉に手をかけ言う。

「私は、エリック様に呪いに勝っていただきたいのです」

 ジェーンは小さく頷いた。

エリックが、体調を崩したという一報は、瞬く間に城内を一周した。当然と言って然るべきか、後継者の噂でどこも持ちきりになる。ジェーンはそれを避けるように、馬を走らせた。旧様式の、からからの蔦の這った小さな聖堂が、ひっそりと彼女を出迎える。ジェーンは馬を下り、枯れ草の中を進んで扉の前につくと、無造作に開けた。急に吹き込んだ外気に、先客が振り向く。ジェーンは意外なその人物に目を丸くした。

「テレサ様」

 憔悴したような顔のテレサが、祭壇に跪いて祈りを捧げていた。

「あちらにおわしたのではないのですか」

 テレサが、現セント・ブルータワー聖堂に訪れているという話は、ジェーンの耳にも届いていた。落ち着き払って、いつものように礼拝を済ませていたので、後継者に好奇心を踊らせていた野次馬が、肩すかしを食らったかのように散っていったということも。自分とは違うなと、ジェーンはテレサを畏敬のまなざしで見た。

「あなたもこちらに来たの」

 テレサは力なく言った。一歩二歩と、祭壇の側から下がる。ジェーンはそれに近づいた。そっと、テレサの身体を抱えるように支える。テレサはよろよろと椅子に身体を預けた。

「先王陛下の時もね――」

 瞳を伏せて、テレサは話し出す。

「毎日通ったのよ。勿論、向こうにも行ったわ。ずっと、ずっと。でも、叶わなかった」

 ぽつりぽつりと、記憶を辿っていくようにテレサは話す。ジェーンの方ではなく、遙か遠い在りし日を見つめている。

「あなた、一度城を出たんですってね」

 咎めるでもなく問われ、ジェーンははいと頷く。

「気持ちはわかるわ。私も、逃げ出したかったもの。でも、私にはできなかった。大国から嫁いできたプライドが、私を支えてもいたし、邪魔してもいたの。けれどね、あの方――先王陛下は、そんな私をいつも気遣ってくださった。そして誇り高き王でいてくださった。私は、一番近くであの方を見てきて確信したの。この方は、間違いなくセントオール中興の祖として名を残すと。彼はいつも陛下に、エドワード大帝の話を聞かせていたわ。自分の理想を継承していくために」

 ジェーンは、エリックとここに来たときのことを思い出す。エドワード大帝は夢想だと、飾りだと、エリックは言った。言い切った。ジェーンは、胸が締め付けられたような気持ちになった。

「けれど、あの方は大帝のようにはなれなかった。むしろ、晩節を汚したことで、暗君にされてしまった。私はそれが、口惜しくてならないの。しかもそれが、一人の人間によって引っかき回されたなら、なおさら。呪いだなんて、認めない。認めないわ。なのに」

ジェーンは黙って聞いている。テレサは顔を覆った。

「また、今度は陛下を奪おうというの?」

 テレサの身体が、小刻みに震えているのを、ジェーンは感じた。不遜かもしれないと思いつつも、手を取る。震えを少しでも止めようと、握った。テレサの緑の眼がジェーンに向けられる。

「私は陛下の快復を信じています」

「私だって、信じていたわ。何もかもが悪夢で、そしていつか覚めるんだって」

 でも、悪夢は覚めずに、今もテレサを捕らえて離さない。

「私に無くて、あなたに有るものがある。その、幸運の眼。これが呪いだというのなら、打ち破ってちょうだい。その眼で」

 ジェーンは唇を引き結ぶ。自分がなぜ王妃に選ばれたのか。それはいまだにわからない。家柄でもなく美貌でもなく、気立てがいいわけでもない。噂されるように、ただの駒なのかもしれない。そして哀しいことに、エリックのことを愛しても、愛されてもいないのだ。ただ王妃の椅子に座る責務と放っておけない性分で動いている。はいという選択肢より他にないのだ。けれど、ジェーンの心は揺れる。

 テレサの言葉には、愛が滲んでいた。

 自分無くて、テレサに有るもの。ただただ、うらやましいと思った。思ってしまったのだ。

 自分の側にはエリーがいて、本当によくしてくれている。信頼してもいる。

 けれど、一番心を通わせたい人は、黙して語らない。うまくはぐらかして、するりと逃げて行ってしまう。たくさんのものを抱え込んで。

 愛してくれとは言わない。自分だって、テレサのようにエリックを愛せる自信は無い。

 けれど、信じてほしい。それが、自分にできるだろうか。

「王太后様。お願いがございます」

 なに、と擦れた声をテレサは上げる。

「今、我々の心はばらばらに離れています。目指しているものは同じなのに。王太后様や陛下を大切に思っている者たちを、信じてはいただけませんか。力を貸してはいただけませんか」

 テレサは、瞬きもせずじっとジェーンを見つめる。

「すぐにとは申しません。お願いします」

 テレサは後ろを振り返る。顔を半分伏せた、彼女付きのトレヴィシックが、静かにそこに佇んでいる。そして、ジェーンの横にはエリーが。

「少し、気持ちの整理をさせて」

 テレサは遠くを見つめてそれだけ言った。

 ジェーンは祭壇の奥の、小さなキュセスの像を見やる。

(どうか、どうか、立ち止まらせないでください)

 誰かの心が、折れてしまわないように。

 ジェーンはただ、祈った。


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