理由
(何だ、赤毛じゃないか)
(呪いの巫女のようじゃないか)
赤みがかったブラウンの髪は、宮廷に出入りする貴族には軒並み不評だった。
赤は呪いの色。
キュセスを唯一神として崇めるキュセス教では、そう言われているから。流された血の色だと。
「あら、私は好きよ。白いバラが映えるもの。私の髪の色じゃ、白バラは映えないの。好きなのに」
口をとがらせてそう言ってくれたのは、レイチェル一人だった。
「それに、ジェーンの瞳は青いわ。呪いの巫女は、鮮血のような赤い髪に赤い瞳なのでしょう? 失礼しちゃうわね。青は、セントオールの繁栄の色。セントオールの民として相応しい色だって言われているわ。羨ましいな、私はブラウンだもの」
言って、朗らかに笑う。こんな人間がいるのかと、ジェーンは驚いたものだった。貴族はみな、腹に膿を抱えているものだと思っていたから。
「ねぇ、ジェーン。私がもし王妃になっても、こうして会って話してくれる?」
約束する、と答えたはずだ。しかし――ジェーンは椅子の背もたれに体を投げ出して、ぼんやりと天井を眺める。もうその言葉は、守れないかもしれない。いや、守れようはずがない。
王妃はジェーン自身が、奪ってしまったのだから。
王妃に指名されてから二ヶ月、ジェーンは目まぐるしい日々を送っていた。連日、王宮の一角でどういうわけか王付きの家庭教師をつけられ、政治や外交について学ばされた。彼らもまた、判で押したように目を丸くして言った。
「陛下は、どういうおつもりなのでしょう。王妃殿下にこのようなことをお教えするのは、セントオール始まって以来のことです」
オズウォルト家は結婚の準備に忙しく、事務的な手紙のやりとりが続くだけだ。けれど。
(これくらい忙しい方が、いいのかもしれない)
胸元を掴まれ揺さぶられた、あの感触。あの、狂気を映した瞳。
ジェーンは息を吐いて両手で顔を覆う。王宮内ですれ違う貴族たちの興味本位な眼差しは、居心地が悪くとも無視できる。寧ろ、六候に至っては嫌みの一つも言われずにいて、不気味なくらいだ。そんなものは、どうだっていい。
「失礼します」
殆ど物音をたてずに、エリーが近づく。
「ナタリー・ブリュワー嬢から書簡です」
ジェーンは跳ね起きた。震える手で、封を開ける。ナタリーとも、連絡を取っていなかった。きっと、レイチェルと同じ思いでいるに違いないと思って。
予想通り出だしは、私は噂されているようにジェーンが色仕掛けで陛下を落としたなんてことがあるわけないと思っている、でも、本当に何もなかったの? とあって、ジェーンは今すぐとんでいって説明したい衝動に駆られた。しかしそれ以上は続かず、ジェーンの心配をよそに、手紙にはいつもの調子で、周りの近況が記されていた。聞いているかもしれないけれど、と前置きつきで。相変わらず、噂好きで世話好きなナタリーらしい、とジェーンは口元が緩む。自分のことについては、出世頭のレイチェルの兄と親しくなれたと書いていた。相当に嬉しそうな様子が伝わってくる。しかしジェーンの気はそぞろで、関心はレイチェルの近況一点に向かっていた。
それから、これはジェーンのことだから聞いていないと思うけれど――気を悪くしないで聞いて。あれからレイチェルは変わったわ。最初の二週間くらいはふさぎ込んでいて、誰とも会わなかった。勿論私とも連絡を取らなかったの。
けれど、ようやく社交場に顔を出すようになって、でも、やっぱり表情は暗かった。それがしばらくして、とても同一人物とは思えないほど明るくなったの。――クロムとつきあい始めてから。
今、二人はものすごく親密な関係だわ。人目も憚らず、恋してる、ってかんじ。
最初は、クロムが猛アプローチしていたんだけど、今ではすっかりレイチェルも彼の虜みたい。
クロムという男は。
野性的な魅力を漂わせた男で。
王とは正反対で。
南海上の通商ルートの海賊討伐の功績から、称号と私掠免許を与えられた海賊がいる――。そんな話が、ゴシップが最高の娯楽となっている貴族たちの間で上がっていたのを、ジェーンはうっすらと思い出す。野蛮人をと、軽蔑した口調で語られていたことも。けれど実際に会って、話してみて、ジェーンはむしろ、退屈な貴族を厭うた。クロムが、レイチェルやナタリーと共に行動するのも、珍しく歓迎した。他の貴族の子弟のように、レイチェルに近づいてこないだろうという思いがあったのかもしれない。どうしてそう思ったのか、ジェーンにもわからないが、彼にそうさせるだけの魅力があったのだろう。ジェーンは、胸の中のもやが、ぐるぐる回っているような気持ちになる。
エリーは伏せていた目を様子をうかがうように上げた。
「お気に召さぬようでしたら、裂きましょうか」
突然の言葉に、ジェーンは身を震わせる。信じられないといった表情で、エリーを見た。
「お望みとあれば」
あくまでも淡々と、エリーは言う。冗談にはとても見えない。
「それは、今の私に口出しできることではない」
ジェーンはようやくそれだけ、声を絞り出した。
「今まではなさっていたことです。今後は、殿下の手を汚さぬよう、私が承ります」
ジェーンは息をのむ。表情を凍らせた主人に、エリーは深々と礼をした。
「差し出がましいことを申し上げました」
「いい、事実だ」
ジェーンは目眩がしそうになりながらも、手で制した。自らを支えるように、肘掛けに頬杖をついて手紙を握りしめる。
「陛下の差し金ではないだろうな、クロムは」
いいえ、とエリーはきっぱり否定した。王と王妃のどちら側にいるのだろう、とジェーンはエリーの立場を思う。勿論、王から派遣されているのだから、もし王の意向に沿わないことがあれば沿うようにするのだろう。ジェーンは手紙を閉じて目を伏せた。伏せたまま問う。
「エリー、どうして陛下は私をお選びになったのだ」
「陛下が、王妃としてジェーン様が最適だとお考えになったからです」
エリーはやはりすらすらと返す。
「最適? そんなはずはない。人柄、容姿、家柄、どれをとってもレイチェルの方が適している。王もそう仰った。そして、私は不適だとも」
エリーは答えない。答えに窮しているのだろうかとエリーを見ると、表情の変わらない顔がそこにあった。ジェーンは諦めて続ける。
「テレサ様は王妃となられたとき、このような学問などされなかっただろう。教師たちは口をそろえて言う。女に教えたのは初めてだと。陛下は私に何をさせたい?」
「わかりかねます」
初めて、エリーは不明瞭な答えを口にした。
「仕えるものの望む結果をくれるのではなかったのか? トレヴィシックは」
苛立った口調でジェーンは言う。
「八つ当たりはお止め下さい」
ジェーンは大きく息を吐いた。
わかっているのだ。エリーをいくら問い詰めたところで、エリックの本意などわかろうはずもない。
「ナタリーに会う。テレサ様の所に来ているだろう」
言うが早いか、ジェーンは立ち上がって歩き出す。
「なりません。午後からは経済学が」
エリーはジェーンの前に立ちふさがる。ジェーンは眉を顰めた。
「気分が優れない。今日は休みだ」
「なりません」
エリーはきっぱり返す。ジェーンは苛立った顔を背けると、テーブルに置いてあった扇を手に取る。苛立ちを発散させるように、扇の先でテーブルをこつこつ小突いた。
「ならば明日だ。午後は講義が入っていないだろう」
「議会が開催されます。殿下にも傍聴していただきます」
「いつなら空くのだ」
ジェーンは更に声を荒げる。
「陛下より、スケジュールを空けるなとのお達しです」
「――もういい」
ジェーンは扇をテーブルに叩きつけた。扇は一度はねて、床に落ちた。
「茶番だ、こんなもの。カーライル卿をけしかけた時のように、影でこそこそ私の様子を見て酒の肴にしているのだろう? だから、外部と接触させない」
エリーは答えない。わかりかねます、とも言わない。
「何だ、当たりか」
ジェーンは視線を落とした。金細工の施された扇が、半開きになっている。持つところに困るほど小さな花のモチーフでデコレーションされた扇。こんなもの、今まで持ったことはなかった。髪飾りも最低限のシンプルなリボンだったのが、毎朝女官に何層にもわたるケーキのような髪に仕上げられる。ドレスのドレープも増えて重たくなった。
増えたのは、無駄な重みだ。ジェーンは空虚なその重みに何度も息をついてきた。王妃としての責任の重みではない。このようなものが増えて、何になるというのか。ジェーンは、隣に誰もいないのが急に、心細くなった。
「それでも、いい」
ジェーンは目をきつく瞑る。気を緩めれば、目の奥にたまった熱いものが、溢れてしまいそうだ。
「芝居であるなら、やはりレイチェルが妃になるだろう。そうしたら、また以前のようにレイチェルに会える」
エリーはじっとジェーンを見つめている。何を今更、と言いたげだ。そうジェーンは感じた。最初に会った時を除いて、彼女は女官の着るような、かつてジェーンが普段身につけていたようなシンプルなドレスを身に纏っている。見るからに普通の娘だ。王宮で仕える娘たちに埋没してしまいそうな、只の娘。それでも、どこか違う。全ての感情をどこかにおいてきているようだ。それが、二人の間を深く深く隔てている。
「ジェーン様、あなたは王妃となられるお方です。これは、事実です」
エリーは扇を拾い上げる。
「目を、背けないで下さい」
これが、王妃なのか。
ジェーンは聖堂で闇に紛れるように居た、アーノルドを思い出す。エリックも、アーノルドにこのように諭されているのか。この、内臓が捻れるような思いを抱えて。
「冷たいな」
「トレヴィシックは、そのように作られております。二心を抱かぬように」
エリーはすぐさま返した。ジェーンは、それに安心するべきなのか、心のよりどころとならないことを憂えるべきなのか逡巡した。どちらも、選べない。
「陛下はどちらに? そろそろ昼食だろう」
「昼食は執務室にてお召し上がりになります」
「そうか」
言うが早いか、ジェーンは早足で部屋を出る。エリーは止めても無駄だと悟ったのか、静かに後ろからついてきた。ジェーンは横目でそれを確認すると、歩くペースを速めた。かつかつとヒールが鳴る。そんなことはお構いなしにジェーンは進んだ。自分用にと割り当てられた塔から、宮殿の中心部へと歩いて行く。身分の上下に関わらず、すれ違う人は皆一様に物珍しいものを見るように目で追いかけ、連れのあるものはひそひそと話を始める。無理もない、と思いつつ、ジェーンは居心地が悪くなる。これまでに、これほど注目を集めたことなどなかったから。
中心部の手前で、廊下の向こうから少女たちの華やかな笑い声が聞こえてくる。聞き慣れたそれに、ジェーンはつかの間の安堵を覚えた。自分も、少し前までその輪の中にいたのだ。思わず、速度が緩む。角を曲がってやってきた集団は、ジェーンの予想通り王太后テレサに仕える貴族の娘たちだった。ヴァネッサを先頭に、おしゃべりに花を咲かせている。と、ヴァネッサの隣の少女がジェーンに気づく。少女たちは示し合わせていたかのように、瞬時に静まりかえった。ジェーンは急に、背筋に冷たいものが走ったような気がした。懐かしさが消し飛ぶ。ジェーンは思わず足を止めた。ヴァネッサが他より一歩先に進み出て、軽く会釈した。
「この度は、おめでとうございます」
衣擦れの音をさせて、ヴァネッサは静かに近づいてくる。
「お友達まで蹴落とすなんて、さすが田舎のじゃじゃ馬はやることが違いますわね。私には到底真似できませんわ」
周りに聞こえないくらいにトーンを落として、ヴァネッサは囁くように言う。違う、と叫びかけてジェーンは言葉を飲み込んだ。今争うべきは、彼女ではない。
「あら、そんな怖い顔をなさらないで。私はあなたに感謝しているんですのよ。ステュアートの増長を防げたのですから。貴族の一つの家に権力が集中するのは、避けるべきですものね」
波のさざめきのように、くすくすと笑う。ジェーンは思わず睨んだ。
「それは良かった」
ヴァネッサは口元を扇で隠すと、一歩ジェーンに近づく。香水のにおいが、ぷんとジェーンの鼻をついた。ジェーンは顔を顰める。
「友人として忠告しますわ。これからは私と親しくした方が、あなたにとって安全よ」
ヴァネッサは、ジェーンの瞳をのぞき込む。ジェーンは久しぶりに間近で見たかつてのライバルを、レイチェルとはまた別に、美しい少女だと思った。王妃として迎えられてもおかしくないほどに。彼女の取り巻きにも、美しい少女は十分にいる。家柄だって、ジェーンよりも良い者ばかりだし、青い瞳を持つ者だっている。理由がないのだ。他の者を押しのけて、ジェーンが王妃となる理由など。王宮中の視線が、そう言っているような気がする。そして。
「あなたはステュアートを敵に回したんですもの。レイチェルはもう、あなたの敵でしょう?」
「敵」
乾いた声で、思わず反芻する。頭を殴られたような衝撃が、走った。ヴァネッサは表情のより強ばったジェーンを満足そうに横目で見ると、優雅に衣を揺らして去っていった。少女たちもそれに続く。ジェーンは扇を強く強く軋むほどに握りしめると、再び逃げるように歩き出した。
執務室へと続く廊下では、貴族たちがおしゃべりに花を咲かせていた。ジェーンが姿を現すと、一瞬それは止み、すぐに再開した。しかし再開したそれは、ジェーンに対して向けられていた。
(田舎者風情が、どう取り入ったものやら)
(われわれにもチャンスはあるということだ。オズウォルト卿なら与しやすい)
聞こえるように喋っているのかと思うほど、彼らの声は大きい。ジェーンは耳をふさぎたい気持ちを抑えて、中央を早足で歩いて行った。
「これはこれは、オズウォルト嬢」
慇懃無礼にブラッフォード侯爵が近づいてくる。
「ごきげんよう、ブラッフォード侯爵」
ジェーンは一旦足を止めて礼をするが、すぐに走るように歩き出した。ブラッフォード侯爵はなおも言葉を続けようとするが、諦めて大げさに肩をすくめた。周囲に嘲るような笑いが広がる。ジェーンはそれを受け止める背に力を入れた。そうでもなければ、押しつぶされてしまいそうだ。
怖い。
断崖絶壁で、がら空きの背を無防備に晒しているようだ。味方は、そこに誰一人いない。
ジェーンはやっとの思いで執務室までたどり着くと、扉を乱暴に開けた。こぢんまりとした部屋で、エリックは書類に目を通していた。ジェーンの姿を認めると、書類を放るように置いた。
「よくここまでこれたな」
ジェーンは肩で息をする。エリックは腕を組んでジェーンを見つめた。
「今までの威勢はどこへ行った。理想の王妃とはほど遠いな」
愉快そうに唇を歪めて笑う。ジェーンは口の中を湿らせて唾を飲み込むと、ようやく口を開いた。
「お暇をいただきます」
ふん、とエリックは鼻を鳴らす。
「まだレイチェルにこだわるのか」
ジェーンは、はいともいいえとも言わず、黙ってエリックの言葉を待った。
「どうだった、王宮を歩いてきた感想は」
感じ続けてきた恐怖を、ジェーンは飲み込む。
「陛下の、仰るとおりでした」
心の中を悟られないように視線を落として、それだけ絞り出すように言った。
「レイチェルを王妃にしなかったのは、あれらからレイチェルを守るためだったとしても、おまえは納得しないか?」
ジェーンは顔を上げる。
「レイチェルの純真さは、この宮廷では希有だ。俺はそれを、貴族たちの欲で潰したくなかった」
ジェーンは言葉を失う。王はレイチェルを愛していて、そして守るために選ばなかったというのか。そんな話があるのか――
「レイチェルを守りたいなら、王妃でいろ」
ジェーンは、泣きたくなった。それなら、他にも方法があったのではないかと。そして、それなら自分は一体何なのか、と。
「私には、陛下がわかりません」
エリックは、部屋にある唯一の窓の方に体を向ける。場にそぐわないほど暖かな光が差し込んでいた。
「わかったら、王妃になるのか」
「わかりません」
「つまらんな。もっと見応えがあるかと思ったのに」
言い終わらないうちに、ジェーンの足が動く。次の瞬間、手のひらに衝撃がはしっていた。エリックは避けも払いもしない。手で、アーノルドを制しているのが見えた。
「私は陛下の余興の駒ではありません! 先ほどの話も、今の言も……何が陛下の本当の気持ちなのですか!」
ジェーンは踵を返して出て行く。エリックはそれをぼんやりと見送った。打たれた頬に手をやる。
「痛いな」
そう呟いて椅子に体を投げ出した。




